のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■飛田遊郭をゆく後編 消えた遊郭・赤線の跡をゆく37

前のブログ「飛田遊郭編」の続きで、飛田遊廓の「戦後編」行ってみます。

戦後、松島とかと比べて「あんまし焼けへんかった」飛田新地はずっと営業を続けとったみたいで、
松島新地の歴史を遊郭時代から赤線時代まで事務所が書いた、たぶん全国の遊郭・赤線唯一の「公式歴史書」な『松島新地誌』にも、飛田のことが少し書かれとります。
空襲で綺麗サッパリクリーニングされた松島新地は、営業許可はおろか次の営業地も決まらん宙ぶらりん状態で、
決まっても土地詐欺に遭ったり、やっと営業再開と思ったら今度は警察とGHQの一斉ガサ入れ。
涼しい顔して営業しとる飛田を、「何であっちは普通に営業しとるのに、こっちは何でやねん!?」と半分愚痴のよーに書いとります。
せやけど、松島→飛田に移ったある経営者を仲介にして飛田が資金援助して何とか再開できたこともあって、『松島新地誌』には「この恩忘れるべからず」とも書いとります。

戦後は場所も移って規模も縮小してしもた松島新地に対して、飛田はある意味そのまんま残ったさかい、
それは「大阪でいちばん新しい」ニューフェイス遊郭がついに「大阪一」、いやもしかして「日本一」の座に就いた瞬間でもありました。



テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■飛田遊廓をゆく前編 消えた遊郭・赤線の跡をゆく36

2012年、あけましておめでとうございます!

去年はホンマ3ヶ月くらいで通り過ぎてしもたくらい、めちゃ早かったよーな気がしたんやけど、
時のあまりの早さに「年」を感じつつあるBJのぶです(ToT)

さて、今年もこの調子で頑張ってブログ更新にいそしむさかい、
本年もよろしくお願いしますm(__)m
そして、出来たらガンガンコメント&拍手を下さい(笑


去年の話になるんやけど、遊廓・赤線を調べとる人にはある意味「聖地」とも言えなくもあらへん、
「飛田百番」でオフ会を開催してきました。

「一番おいしいものは一番後に取っておく」

主義の俺も、ついに「いちばんおいしいもの」にたどり着いたか!?
と感慨深いです(遠い目


夜の飛田新地へ向かう男たち

夜の飛田新地。
蛍のように光るネオンに、男が一人、また一人と「楽園」の光の中に吸い寄せられていきます。

その飛田新地の奥に・・・


夜の百番

目的地の「百番」があります。
ここは正式名称を「鯛よし百番」と言うて、ご存知の通り元は飛田遊郭の中にある妓楼の一つでした。
それが売防法施行の後に料亭に転業したもんなんやけど、
中は戦前の遊廓建築の結晶のよーな豪華絢爛な作りになっとるんは、もう説明不要なくらい有名やったりします。
ここはいちおう「料亭」やさかい、吉野家みたいに「ちょっと腹減ったな~」って一人で気軽に入れる所やありません。
オフ会でも開かんと来れる所やあらへんわな!?
特に、今も昔も飛田新地の中にあって「現役」の店が回りにあるさかい、女性はなかなか「お気軽に」近寄れるとこでもない。
まあ、自称他称含めて相当神経図太いんやったら話しは別かもしれへんけど(笑

肝腎の「百番」の中身はちょっとおいといて、ここで飛田新地の大まかな歴史を。
「大まか」で済むかどうかは・・・たぶんいつものパターンやと済まんやろな(笑

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■飛田の「嘆きの壁」を探して 消えた遊郭・赤線跡を訪ねて35

師走になってますます寒くなってまいりました。
それに比例して、財布の中もますます寒くなってきとるBJのぶです(笑

先日、釜ヶ崎ことあいりん地区のことをブログで書いた時に、飛田新地のこともサラリと書きました。

消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪一DEEPな所編

消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪一DEEPな所編 探索2回目

そん時に、かつて飛田新地を囲っとったという「壁」のことを書きました。
もちろん、今はそんな壁はないはず・・・
いや待てよ、どっかにまだ残ってるんちゃうか?
っていう素朴な(?)疑問が残り、隠れミッションを実行致しました。
確かに、釜ヶ崎を回った時にそーゆーのを見たよーな気がする。
名付けて、プロジェクト・・・

ファインディング ザ ウォール (Finding the wall)

って英語で書いただけでそのまんまやな。せやけど英語で書くと何か格好ええ(笑
まあ、事実上の「あいりん地区探索3回目」みたいなもんと思ってくんなはれ。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■ある人の海外遊廓報告

俺みたいに、ジャンルはさておき「近代史」を調べるのに必ずお世話になるんが、
トキオにある国立国会図書館のHPであります。
ここに、

「国立国会図書館近代資料デジタルアーカイブ」

っていう、早口で発音したら舌噛みそうな名前のポータルサイトがあります。
ここは、国会図書館や国立公文書館とかが持っとる、近代史の史料をPDF化したもんを検索・閲覧できるよーになっとって、
正直、「遊廓」って検索したら途方にくれるくらい史料が多すぎる有様なんやけど、
これを丹念に調べていったら、ここってかなりの宝の山やったりします。
「”自称”遊郭・赤線界のインディー・ジョーンズ」を名乗っとる以上、ヒマさえあったら史料に目を通してるんやけど、
参考になるよーなもんがあったら、ブログに常に反映させとります。
もちろん、全部を本気で見ようと思ったら、ホンマ気が遠くなるくらいの時間と労力がかかるんやけど、
昔は現物見たけりゃ東京まで行ってややこしい手続きして、やっと見れるよーな労力かかると思ったら、
PCの前で昔の機密資料なんかが無料で見れる・・・ええ世の中になったもんや♪21世紀バンザイ(笑

まあそれはさておき、
どうせヒマやさかいあれこれ国会図書館の史料版夢の島・・・やなくて宝の山を丹念に探索しとったら、
ちょっとおもろいもんが見つかりました。
大正後期、今の国連の前身の、第一次世界大戦後に出来た国際連盟が大正13年(1924)に「世界中の売春婦の実態を調べましょう」って決めたらしく、
外務省が全世界の領事に「というわけで、調べてね」って命令したみたいです。
で、世界中の領事からその回答が、当時外務大臣やった幣原喜重郎に届いたんやけど、それが今ネットで公開されとります。

「機密」

っていかついハンコが押されとるさかい、当時は外交機密文書扱いで、一般市民はおろか外務省内でも関係者以外は目にすることはできへんかった秘密の史料でもあります。
サクっと流しで見てみたら、中国を中心にアジア各地からの遊郭・私娼(街)などの実態が報告されとるんやけど、
「おや?」
と目についたんは、中国の天津からの報告。
中国の天津って、中国に詳しくあらへん人にゃ「天津甘栗」くらいしかイメージないと思うけど、
今も昔も中国ではけっこう重要な都市でありました。
明治~大正~昭和初期までは、列強諸国によって半植民地化しとった中国各地に「租界」というのがありました。
「租界」言うたら上海のあれが有名やけど、中国にゃ他に「租借地」ってのがありました。
「租借地」言うんは外国が中国政府に「ここ、無料でレンタルさせてもらいまっせ」と無理矢理中国から土地を借りることで、事実上の植民地であり、英語じゃコンセッション(Concession)と言います。
まあ、「レンタル」言うても期限は99年やさかい事実上の割譲でもあります。
「租借地」は、イギリスがアヘン戦争で分捕った香港や、日本が「租借」した大連がええ例やったりします。
大連は第二次大戦の日本の敗戦で自動的かつ自然に「租借契約」はチャラになったんやけど、
香港は99年ってレンタル期限があったさかい引き続きイギリスが「無料レンタル」って形になって、その99年の契約が切れて中国に返還って流れになったわけですわ。

対して「租界」は、簡単に言うたら中国の地主に土地代を払って契約にのっとって土地を借りることで、
「租借地」と違って中国政府や外国の領事は直接交渉することはありません。
上海の租界やと不動産会社や個人が中国と土地のレンタル契約を結ぶこともあって、「租借地」と比べて国は表に出てきまへん。
せやけど、「租界」も中国にありながら中国の警察権力が及ばんことは「租借地」と同じで、
事実上形を変えた植民地って言うてもええでしょう。
「租界」って英語でもConcessionやけど、やり方はSettlementで「法に基づいた不動産契約」みたいなニュアンスです。
有名な上海の租界は、イギリスとアメリカの租界が合体した「共同租界」と、フランスの「仏租界」がありました。
俗説で「日本租界」もあったって言うけど、正式にゃ「共同租界」の中の日本人が多く住む地域を「日本租界みたいやな」→「日本租界」と言われとっただけで、上海に公式な「日本租界」があったって記録はありません。
せやけど、「共同租界」の運営に当たる外国人の評議員(議員みたいなもん)に1930年代に入ったら日本人が多くなったさかい、事実上「英・米・日」の共同租界やったって見る学者もおります。

これについては、もう7年前になるんやけど、上海に住んどった時に「日本租界」を実際に歩いてブログにしたことがあるさかい、
ヒマ+興味があったら読んでみてくんなはれ。
ちょうど世の中にブログってのが出てきて、「こりゃおもろいわ」とブログ書き始めた創世記の文章やさかい、ちょっとお見苦しいところもあると思うけど、
今の「のぶログ」とちょっと違う文体でもお楽しみ下さい(笑


■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第一章

■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第二章

■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第三章

■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第四章

■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第五章

■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第六章





テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■【後編】八日市延命新地をゆく 消えた遊郭・赤線跡をゆく34

前に書いた消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 八日市延命新地編 前編の続きやったりします。
あまりに前すぎて、どこまで書いたんか書いた本人も忘れてまいましたわ(笑


前編に引き続いて滋賀県八日市市にあった遊郭、「延命新地」を回ってみます。


11112405

延命新地の今は、半分住宅地、半分飲み屋街のよーな感じになっとるんやけど、スナックのよーな呑み屋の跡がなかったら、どこにでもありそうな住宅地でんな。


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今は主がおれへんっぽい呑み屋跡やけど、ここにゃ延命新地の復元地図によると「平政楼」か「清定楼」ちゅー妓楼があったそうです。

11112407

何とも言葉にできそうにもない建物も(汗
シャッターに「すき焼き部」「小売部」とか書いとるけど、これ、一体何やったんやろか???


テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■【前編】八日市延命新地をゆく 消えた遊郭・赤線跡をゆく33

突然やけど、先日うちの爺さんの法事で滋賀県まで行ってきやした。
あちき、生まれも育ちも大阪やけど本籍は実は滋賀県やったりして、更に戦国時代くらいのご先祖様は山形県。
ま、これで日本史に相当詳しいマニアックな方はあちきの血筋の経緯かわかるかも!?
まあそれはさておいて、
法事に参加するよーになった俺、ふとあることが頭をよぎりました。
法事は八日市ってとこでやるんやけど、待てよ、確かあそこにゃ遊廓があったはず・・・。

よし決めた!

俺は法事までは別行動。現地集合現地解散、はい決定。
と勝手に決めて親に電話。
まあ、どっか行くにしても家族旅行でも志願で「俺だけ別行動→現地集合」が多かったさかい、
(他の兄弟は方向音痴で放置できへんかった+「かわいい子には旅をさせよ」という親心もあったらしいけど)
親も毎度のことなのか「またかよ!」って感じでした。
俺は寅年のしし座のせいか知らんけど生態が完全にネコ科、親も「あんたはほっといても勝手に出かけてどっかでメシ食って知らん間に帰ってくるから世話がかからん」と言われとるさかい(笑

で、夜行強行軍で適当なSAで「ホテルプリウス」(※車中泊のこと)し、朝に遊郭跡探索→図書館で郷土資料調べつつ図書館のおねーさんを困らせる→法事
という行動計画を立てて、いざ出発。
法事の前に
「一仕事」
やっつけて参りました。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■堺-乳守遊郭 消えた遊郭・赤線跡をゆく32 

                 ~まえがき~
このブログ、元々は2010年の6月にアップしたもんなんやけど、
今回地元堺市立図書館で資料を物色しとったら、かなり詳しい資料が出てきました。
普通やったら新しくブログ書いて追記するとこなんやけど、せっかく以前書いたブログ、エコな時代やさかい「資源のリサイクル」ということで、
うちのブログ始まって以来の、フルバージョンアップによる「age」とさせていただきます。
まあ、お店の改装後の「新装開店」みたいなもんと思ってくんなはれ(笑




もう数年前になるんやけど、
消えた遊廓・赤線跡を訪ねて 大阪府南部編
で大阪南部、泉州にあった貝塚と堺の遊廓・赤線の跡を歩いてみたことがあるけど、
何せ地元やし堺は何というても俺の生まれ故郷、生まれ故郷やからこそ気になる堺の遊廓・赤線。
ブログを書いた後もセコセコと調べながらコッソリブログの内容を変更して内職しとりました(笑

で、堺の遊廓は龍神とその隣の栄橋だけなんかなーと思っとったんやけど、
あれこれ深く掘り下げていったらここだけやのーて、違った場所に遊廓があることがわかりました。
その上、「もう一つ」の方が龍神・栄橋より歴史が古い遊廓やったりしました。
やっぱ「これで調査終了!」で終わらせるんやのーて、引き続き掘り下げて行ったら色々見つかるもんですわ♪

で、その「もう一つ」の遊廓とは・・・


テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■奈良郡山-東岡町遊郭 消えた遊郭・赤線跡をゆく32 

「消えた遊郭・赤線跡を歩く」大和郡山編のアンカーを務めるのは、東岡町遊郭です。

洞泉寺遊郭の「古めかしさ」に比べて、東岡町の方は新しいってイメージがあるけど、
どうもどっちもいつ遊郭が出来たんか確かな資料はないみたいで、
両方とも同じ時期に作られたと見なしてええと思います。
『奈良県統計書』のいちばん古いデータにも、洞泉寺遊郭と東岡町の両方が載ってるんやけど、
いちばん古い明治12年(1879)のデータによると、

貸座敷数:16軒
娼妓数:61名

(明治16年の出来事:大正天皇誕生、琉球藩廃止、沖縄県設置)

と、数字がひっくり返ったような数字になっとります。これ偶然!?
ちなみに、同時期の洞泉寺の方は

貸座敷数:12軒
娼妓数:61名


と、若干ながら数字だけやったら東岡町の方が栄えとることがわかります。
「上方」って昭和初期に発行されたらしい雑誌に書いてた「大和の遊廓」ちゅーコラムによると、
明治初期の頃は洞泉寺の方は娼妓専門やったのに対して、東岡町は芸妓と娼妓の「二枚鑑札」やったと書かれとります。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■旧川本邸へ潜入! 消えた遊郭・赤線跡をゆく特別編

前回書いた洞泉寺編の続きでございます。
ホンマは洞泉寺編の直後に書きたかったけど、ちょっと別方面に寄り道してまいました(笑


ある日、ふと色々ググっとったら、

「大金魚博覧会」

っちゅーのを見つけました。
普通やったら「ふーん」とスルーしそうなんやけど、それが行われとった場所を見たら!

「おお~~~!」

こ、これは・・・

遊郭跡の建物やないですか~!

それも入場無料、金魚っちゅー大義名分で滅多に見られへん遊郭建築の中を見れるビックチャンスやないかいな。
それもタダで。もうヨダレが(汚
これは行くっきゃない!止めてくれるなおっかさん、雨が降ろうと人工衛星が降ろうと俺は行く(笑

というわけで、休みの日の予定を急ブレーキかけて急激に変更して、「大金魚博覧会」が終わる数日前の8月26日に行って参りました。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
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■■■【後編】大阪一DEEPな所編 消えた遊郭・赤線跡をゆく31

先日、「あいりん地区」こと釜ヶ崎にあったという青線の残骸を訪ねた探索に行ったんやけど、
気候もだいぶ涼しくなって天気も良好、寒くなって「猫はこたつで引きこもる」前に第二弾探索隊とあいなりました。
男は黙ってサッポロビールな有言実行、やるったら必ずやるのだ(笑
前の探索はこちらね。

家から最寄り駅のJR新今宮駅までは定期券1枚、電車も一本、電車の中で爆睡しとったら勝手に着いてるよーな感じです。


11092401


釜ヶ崎よ、私は帰ってきた!

・・・と言う程でもないか、前回行ったの2週間くらい前やし。

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