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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■神社にある遊廓の面影

またしばらく更新が滞ってしもたBJのぶです。
ちとしばらく書いてへんうちに、筆・・・ならぬキーボードさばきがどうもしっくりいかんさかい、まずは「要リハビリ」とばかりに久しぶりに書いてみます。
俺も一介の小市民、まあ許してくんなはれm(_ _)m

で、先日散歩とばかりにあるところへ向かいました。

その散歩場所は。

13102701

奈良県香芝市にある

志都美神社

です。
平凡に読んだら「しとみ」なんやけど、実はこれ「しづみ」と読みます。
「しとみ」って読んだら、別に「志等美神社」がある、またややこしい名前やな(笑

この神社は武烈天皇陵の裏手にあって、それと何らかの関係があると思われる神社なんやけど、詳しいことはよくわかっとりません。


13102705

この神社の本殿は江戸時代中期の建立と伝えられとって、神社内にある奉燈には「宝暦六年」の文字があったさかい、1756年にはこの神社があったってことやと考えられます。
宝暦年間は、ちょうど「暴れん坊将軍」こと8代将軍徳川吉宗が亡くなった時期(宝暦元年)であり、伊能忠敬や「鬼平」こと火付盗賊改方長官の長谷川平蔵がまだ11歳の頃です。というか、この二人って同い年やったのねん。

また、本殿の裏には、

「明治十二年八月虎列拉病流行氏子祈願無一人患者無人歓呼奉納」

という記念碑があります。

「虎列拉病」ってコレラのことで、江戸時代の文政五年(1822)に日本で最初の流行がありました。
有名なところじゃ安政五年(1858)の大流行で、治療法が全然わからんかったのと、ちょうど欧米列強の黒船が相次いで日本にやってきた時期も重なって、大パニックになったそうです。
で、こん時にコレラの治療法を書いた『虎狼痢治準』という本を配布した人物が、適塾の緒方洪庵であります。

幕末のコレラ大流行はいったん収まったんやけど、それでも地震の余震のように明治時代にもコレラは全国で猛威をふるい、多数の死者を発生させました。
どうやら明治12年にも全国で10万人の死者が出た大流行があったようで、この奈良県でも流行したらしいんやけど、この地域では一人も患者が一人も出えへんかったようです。
それを「御祭神のご利益や」と記念碑を建てたというわけですな。
ちなみに、日本のコレラの猛威は明治期にはずっと続き、検疫や予防法、治療法が確立された大正末期になってやっと沈静化しとります。


で、この、どこにでもある神社のどこに、遊廓の面影があるというのでしょうか?
もしかして、ここあたりに隠れた遊廓でもあったのか?

* * *
13102706
意外に広いこの神社の境内の片隅に、こんな一角があります。
ここには、お稲荷さんこと稲荷神社が2つ鎮座しております。


13102702

お稲荷さんの一つをよ~く見てみると、






13102703


デカデカと、

「大阪松島廓」

と書かれております。
松島遊廓が献納した奉燈です。

関連ブログ
消えた遊郭・赤線跡をゆく 松島編その1 「松島遊郭」の章


「消えた遊郭・赤線跡をゆく」シリーズをご覧いただいとる方はお馴染みのとおり、遊廓とお稲荷さんは密接な関係があります。
遊廓跡の近くにはお稲荷さんあり。
これはもはや「遊廓があった面影」の方程式みたいになってきました。
松島廓が奉納したと思われるお稲荷さんは、宇賀ノ御霊を祀る稲荷大神だそうです。

さて、いつ献納したのか?と周りを調べてみると、



13102704


大正元年六月建之

松村清吉


という文字を見ることができます。
ほぼ100年経った割には風化が少なく保存状態が良い奉燈本体に対して、ちょっと風化が進んでますね。
ぱっと見やとわからんかったけど、まだ文字がはっきり識別できるだけマシやろうと思います。

大正元年の松島遊廓の事情を数字で見てみると、

貸座敷数:289軒

娼妓数:3923人

遊客数:1,238,497人

消費金額:1,687,492円

(ソース:『大阪市統計書』大正元年)



これから数年後に第一次世界大戦が始まって、日本は「戦争バブル」の好景気の時期に入ります。

11041301
そう、この教科書にも出てきた上の絵の「成金」という言葉が流行った、あの時代です。
その入口にあたる年が大正元年というわけですわ。


で、ここで謎が一つ出てきます。

なんで、大阪府やなくて奈良県の、何の関係もなさそうな神社に、松島遊廓の奉燈があるのか?
戦前の松島廓には、お稲荷さんやなくて天満宮があったんやけど、ここで作るんやったら遊廓内に作りゃええのに。
ちなみに、松島遊廓自体は戦災できれいさっぱり焼けてしもたけど、天満宮は規模が小さくなったものの現存しとります。

ここからは俺の仮説になるんやけど、おそらくは松村清吉なる人はこの香芝あたりの出身で、遊廓の妓楼のオーナーやったと思われます。
その人が、故郷の神社に小さなお稲荷さんを建立して、個人として故郷へ貢献した。

証拠はなし。100%不純物なしの脳内妄想です(笑

事実は、この神社に「松島廓」の名前が彫られた奉燈があること。

これは、一体何を意味するのか?

神社の宮司さんにでも聞けばよかったんやけど、何せ散策したんが朝の7時やさかい、さすがに起きてへんかな?
と思って、お賽銭箱にお金を入れて旅の安全をお祈りして去っていきました。

まあ、また時間があったら立ち寄って、事情でも聞いてみましょう。
またこれで「宿題」が増えたわけやけど、次から次へと謎や宿題が増えていく。もう立派な大人やのに宿題に負われるハメになるとは、趣味の世界とは言うても、小学校の時の俺は想像だにしてなかったことでしょう(笑


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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: タイトルなし

>勿来さん

コメントが遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m
そして、コメントありがとうございます。

勿来さんの提示された日立鉱山の松村清吉と同一人物かどうかは、今の時点ではわかりません。
松村清吉って、どこにでもおりそうな名前ですからね(笑
でも、落ち着いたら日立鉱山の方を調べてみる価値はありそうですね。
ブログ本文の松村清吉は、さすがに調べようがないけど、日立鉱山ならどっかに記録が残ってるかもしれませんし。奈良県出身とかならまさにビンゴやと思うんですけどね。
2014/01/02 URL BJのぶ #- 

■ 

はじめまして。
文中にある松村清吉なる人物、明治30年代末頃の日立鉱山の松村清吉とはまた違う人物なのでしょうか。
少々興味を持ったのですが、突然の不躾な書き込み大変失礼致しました。
2013/12/13 URL 勿来 #TY.N/4k. [編集] 

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