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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■もの言はぬ娼妓たち 消えた遊郭・赤線跡を歩く特別編

また久しぶりの更新になってしもたBJのぶです。
・・・って言葉を何度聞いたころやら、とそろそろ呆れられそうやけど、数々のコメントをいただいてこんなちっぽけなブログでもファンというか、楽しんでくれとる人がおるんやな・・・と強く反省し、書くエネルギーが湧いてきた次第です。
今回は心から反省しとるさかい、気を取り直して書いていこうと思いますm(_ _)m


以前のブログで敦賀の遊廓についてちょいと調べてみる、と書いて終わったんやけど、その調査にとある所に行ってきました。
全国の図書館の蔵書を調べて、何か琴線というか、インスピレーションに触れるもんをピックアップしていく、ということもある意味研究の一つやと思っとります。
これもけっこう宝探しみたいで面白いんですわ。お前暇人やなーと思わんといて下さい。暇人なんは認めるけど(笑


で、向かった所がここ。


奈良県立図書館

奈良県立図書館でやす。

「敦賀は福井県やのになんで奈良県やねん!?」

ってツッコミを食らいそうやけど、まあまあ、話はちゃんと最後まで聞きましょう。
理由は単に敦賀まで行くんが面倒くさい・・・やなくて、ここにちょいと参考になりそうな資料が、俺の図書館蔵書検索で引っかかったってことなんですわ。
現地という本丸にいきなり突入するのもありやけど、「宝」っちゅーのは本件と関係なさそうな、人の意表を突くようなところに潜んでたりするもんなんですわ。
そして、本丸に突入する前に、外堀からじっくりと埋めていく。焦らず急がず、じっくり弱火でコトコトと煮詰めていきましょう。研究は強火で焦がしてはいけません。


せんとくん

そして、図書館に入ると悪夢・・・もとい夢に出てきそうなマスコットキャラ、せんとくんがお出迎え。
これでも私、ゆるキャラなんです(笑

図書館内はどうも撮影禁止みたいやさかい、写真には撮らんかったんやけど、予想をええ意味で裏切るホテルのような現代的な内観と、広々としてゆったりと余裕のある館内。金かけてますなー感がびっしり詰まった図書館って感じでした。まあこういうのに税金を使うのは全然OK牧場。
まあ、唯一の不満を言わせてもらったら、駐車場が有料なこと。「公営」なんやから3時間くらいは無料にしてくれ~(笑
昔の建物をリフォームしたような感じをイメージしとった俺は、これまたええ意味で拍子抜け。
なんか「県立図書館」とくれば、どうも我らが大阪府の中之島図書館のイメージがこびりついてしもとるみたいで。
(※マニアックな資料てんこ盛り(?)の大阪府立図書館中之島分館は、明治時代の建物やさかい)

そして、さすが県立図書館、蔵書もなかなかのもの。
特に奈良県立図書館の目玉は、太平洋戦争関連の資料・蔵書が集中的に揃っとることです。それも全国的な戦争資料が揃ってるみたいで、陸軍の歩兵操典や、「生きて虜囚の辱めを受けず」で有名な『戦陣訓』の原本までありました。
いちおう「昭和史」もライフワークの一つのせいもあるさかい存在自体はもちろん知ってたけど、「現物」を目の前にして実際に触ったんは初めてのことですわ。
敦賀の遊廓のことも、実はこの戦争資料のどこかに書かれとったことを知って、はるばるここまで来て閲覧となったんやけど、その内容はいつか書くやろう『消えた遊郭・赤線跡をゆく』の敦賀編までお預け(笑


せやけど、わざわざ奈良県立図書館まで来た理由は、実は他にもありました。
県立図書館の蔵書検索をしとった時に、

「おや?」

と興味深いもんを見つけました。
せやけど、インターネットの文字列だけじゃ、その「おや?」がどんなもんかわからん。なかなかレアなもんっぽいことは確かやけど、これはもののついでに現物を拝んでみたい気分になりました。

そして、図書館のおねーさまに「見せて~♪」とお願いして数分。
おねーさまが持ってきたものは、何やら木箱に入った紙。そして大きな油紙。
木箱の中に入っとったもんは、ちょっと息を吹きかけたら破れて穴が開きそうな手紙のようなものでした。言い方変えたら「ボロボロ」ということです。
おねーさまにも「取り扱い要注意につき、くれぐれも乱雑に触らないように」と注意を受け、同じく持ってきた油紙をテーブルの上に敷いて、その上でのみ閲覧可という代物でした。

中身を見てみると、確かにけっこう貴重というかレアもんの資料っぽい。
とりあえずコピー取って、家でじっくり見てみるか・・・と思ってお願いしてみたら、

「取り扱い要注意資料につきコピー不可」

と冷たい返事。つまり、コピーにも耐えられへんくらいボロボロということですわな。
それなら、以前大阪市立図書館でやったことがある、コピー不可もんのボロボロ資料を「デジカメコピー」するという手はどないでしょ?と聞いてみたら、
「ちょっと聞いてみます」
とおねーさまは館内の奥へ。
待つこと数分、

撮影OK

の許可が出て館内の奥へ。
やっぱし公共の閲覧する場所であからさまに「デジカメコピー」はちょっと・・・ということで(そりゃそうやわな)、別室でどうぞというわけで、図書館の大奥・・・もとい奥の作業室らしき所までご案内~。
そこでなら時間制限なしで、あなたの気が済むまで、著作権フリーやさかい何枚でも撮影どうぞ~♪
というお墨付きをもらって写真を撮らせてもらいました。ほな、気が済むまで籠城させていただきます(笑

* * *
で、その「レア資料」とやらがこれです↓

娼妓証文1

古い和紙の匂いがまだ強く残った、いかにもボロそうな封筒・・・。
そして、達筆すぎて(?)何書いてあるかわからん文字。俺もこれくらいの達筆なら・・・いや俺の場合はただ字がきちゃないだけやな(笑
せやけど、なにやら「娼妓」という文字や、人名らしきものは判別できます。

これ実は、

「娼妓証文」

っちゅー、娼妓になる際に娼妓本人、その親と雇用主である妓楼の楼主との間で交わされる証書です。
平たく言うたら、働く時の契約書ですわな。
こういう証文は、本なんかにゃ「あった」ということは嫌というほど書かれとるけど、「現物」が残ってるケースは珍しいと思います。俺も遊郭のことを調べ初めてン年、「現物」を目の前にするんは初めてやったりします。

ちなみに、県立図書館に残っとるんは写真でもわかるように五通やけど、一通は封筒だけで中身は空っぽやったさかい、実質四通と思っていいでしょう。


娼妓証文2

この封筒が入っとった和紙の袋みたいなもんには、

「木辻遊廓娼妓之証文」

と書かれておりました。図書館の話によると、いつかは知らんけど木辻遊廓の元妓楼の楼主が、家に残っとったもんを寄贈したもんやそうです。
「木辻遊廓」とは奈良市にあった遊廓のことで、隣にあった花街の「元林院」と並んで全国的にも有名な遊廓でした。その存在は中世から確認できると言われとって、井原西鶴の『好色一代男』にも出てきます。研究者によっては、「日本でいちばん古い遊廓」の一つにも数えられるそうな。

木辻遊廓の詳細は、また気が向いたらということにしといて、早速中身を見てみましょう。
とその前に、この証文に出てくる「登場人物」を。

娼妓の名前は、

・森タツ
・中村ムメ
・海老ヤエ
・◯◯さと

の四人。
五通中四通の娼妓の名前ですな。一通は封筒のみやさかい、これで証文と娼妓の数が一致します。
最後の「◯◯さと」の「◯◯」の部分は、俺の古文書(?)読解力じゃ漢字が判別不能やったさかい、伏字にしときます。以下苗字を省略して「さと嬢」と表記します。


娼妓証文3

まずは、森タツ嬢の「金借証」です。
これは文字通り「借金の借用書」で、いきなり生々しい書類が出て来ました。
「金借証」に書いてある内容はさておき、娼妓は事実上の借金の担保でした。親の借金を娘が肩代わりして、自分が遊廓で働いて借金を返していき、借金全額返済になったり、働く契約期間が終了したら終わり、というものでした。
これは、遊廓を研究しとる人なら誰でも知っとる基本知識やけど、知識としては知ってても「借用書」の現物を見た人は少ないと思います。かく言う俺も現物を拝見するんはもちろん初めてです。

ここには日付も書いてるんやけど、「金借証」の日付は「明治32年4(?)月27日」となっとります。
明治32年というたら西暦に直したら1899年。何と19世紀の書類でした。そりゃ貴重やわな。
他の人の書類の日付は明治33年で西暦なら1900年ジャスト、何と113年前の証文でした。

そしてもう一つの驚きは、
100年以上前の「金借証」にもちゃんと印刷済みの「テンプレ」が存在すること。テンプレがある以上、空欄の部分に数字と名前を入れたらそれで契約書の出来上がり、というわけで。
要するに、こういう借用書を書いて娼妓として「契約」することは、今こうして残っとるものが特例やのーて、何十人、いや何百人も同じ書類に目を通し、サインをしとったってことです。

他の人は「金借証」一枚だけなんやけど、森たつ嬢には他にもう一枚、謎の借用書が存在します。

娼妓証文5

うーん・・・とにかく字が達筆すぎて何書いてるかほとんどわからへんのやけど、収入印紙が貼られてるさかい、手書きとは言え公的に効力を発揮するれっきとした書類やし、最初の「金九円也」がキーポイントやと思います。
文字がさっぱりわからん!という前提での俺の勝手な推定やけど、森たつ嬢、やなくてその親は、後払いの借金とは別に楼主から金を「金九円」の借金をして、その借用書みたいなもんかな?と。
なぜならば、「身売り」で九円はちと安すぎということ。
当時の「九円」は、森たつ嬢が娼妓になった全く同時期の物価換算で言えば、今の10万円±3万円程度です。

そして、この「九円」が娼妓の借金価格ではないことの証拠その2は、

娼妓証文6

海老ヤエ嬢の娼妓証文の一つの借用書なんやけど、ここには「金壱百参(?)拾円也」(※おそらく130円)と、

娼妓証文7

苗字不鮮明の「さと嬢」は「金壱百捌円也」(※108円)とはっきり書かれとるさかい、なんぼなんでも「九円」はないやろう、という根拠であります。

娼妓証文4

「特約書」
と書かれた書類です。
詳しく見てみると、これがいわゆる「本契約書」ですやろな。被契約者は「さと嬢」です。

明治33年7月20日、「さと嬢」とその親は、どんな気持ちでこの書類にサインをしたんやろか?と思うと、113年後とはいうても、まだ彼女らのぬくもりが残っているような気さえします。

せやけどこの書類には、ハンコがなくてサインのみやったりします。
「さと嬢」と「海老ヤエ嬢」の書類には印鑑なし。この印鑑なしにごっつい違和感を感じるんです。
これは何を意味するのか?
特に意味はない?まあまあ、そんなんで片付けたらそれで話が終わってまうやん(笑
日本の印鑑文化を長々と語るどころか、調べとるヒマもないさかいここじゃ何も書かんけど、そこからが「想像力」の出番です。
ちょっと想像力を駆使して考えてみると、この二人の家庭は印鑑を作る経済的余裕がない、もしくは文字が書けない(文盲)で、誰かが代筆したのか、という仮説が浮かんできます。
とある遊郭の本で、遊郭事務所で書記として働いとった人の回想があります。それによると娼妓たちは小学校卒がやっとの低学歴が多く、自分の名前もロクに書けない、書けてもひらがなが関の山な人が多かったそうです。
ちなみに、この証文から数十年あとの昭和初期でも、今の高校にあたる高等女学校卒の娼妓はほぼゼロで、高女卒なら田舎の小学校の代用教員(無免許の教師)なら全然なれる時代です。ちゅーわけで、わざわざ娼妓にならんでも働き口はなんぼでもあるっちゅーことで。
おそらくそういう理由で、高女卒が娼妓になろうとしても、「もっとまともなとこで働け」と警察の審査で却下されとったと思われます。
(※娼妓になって遊廓で働くには、「遊廓で働かざるを得ないまっとうな理由」と共に警察の審査が必要です)
玉の井などの、いわゆるモグリの私娼なら、家が没落したとかなんとかで高女卒がごくわずかながらおったそうやけど、それでも「超レア」な存在でした。
確かに、よく見てみたら署名がえらい「達筆」ということに気づくことができます。親はまだわからんでもないけど、おそらく小学校出てるか出てへんかのレベル、ヘタしたら「未就学」という、学校にすら行ってへんかもしれへん程度でこんな「達筆」はあり得んと思うんやけど、これ如何に!?


真実はどうかわからへんけど、他の人はちゃんとハンコ付きやのに、彼女ら(及びその親)だけサインのみ、というのは明らかにおかしい。
まあ、ただ単に「あ、ハンコ忘れちゃったい♪」という仮説も成り立つんやけど(笑


娼妓証文8

で、お次は「副契約書」と書かれとる書類です。
これは画像を見たらすぐに内容がわかるけど、敢えて書くとこれは「本人が毎月支払うべき諸経費一覧表」みたいなもんで、服装代も実費として天引きされとったことがわかります。
「雑費」はおそらくは食費などで、他にも「事務所の組合費」や借金の利子などもあって、これを合わせたら毎月かなりの額が飛んでいくことになります。
おまけに、娼妓の給料は固定給やのーて、今風に言うたら完全歩合制です。稼ぎが悪かったら「諸経費」も「借金」になることは明白。
更にさらに!
「消えた遊郭・赤線跡をゆく 東岡町遊郭編」でも書いた内容やけど、当時の奈良県の『娼妓取締規則施行細則』によると、病気になった時の治療費まで娼妓側の全額負担やったりします。労災どころか国民健康保険もない時代、病気になったら一発アウト、結核や梅毒なんかになったら仕事も出来へん→借金返せない→借金がどんどんふくらむという、進むも地獄退くも地獄の悪循環。
せやさかい、娼妓は無理してでも「仕事」せなあかんかったんやけど、それが遊郭で働く娼妓たちの平均寿命を短くした(東京某遊郭で死亡した娼妓の平均死亡年齢が24歳)原因ですやろな。

ちなみに、これが改正されて治療費が全額「楼主側負担」になったんは、奈良県の場合この証文から26~27年後の大正15年(1926)です。

これじゃほとんど「ぼったくり」な内容やん!借金の返済なんか出来るんかいな!?と思ったんは、俺だけやないはずです。まあ、「返せるほどに働け」ということやろうけど。それでも親のため、家族のために、自分の身体を粉にして健気に働いた彼女らが確かにこの世に生きとった、この世の存在証明書とも言えるんかもしれません。


ここに名前が載っていた4人の女性たち、彼女らは果たしてその後どないなったんか。
残念ながら、この史料では何も語ってくれません。
おそらく、彼女らのその後は時代の大波に呑まれて、歴史の大海の底で眠りについているやろうと思います。
それを掘り下げるのは、100年もの歳月が過ぎてしまった今では手がかりも残骸もない以上不可能、我々の想像力に任せるしかありません。
彼女らが確かに遊郭で生き、頑張って働いとった時代から1世紀、いや110年が経ち、図書館の書庫の奥底から掘り出した遺物を見て感慨にふける俺の姿を見て、彼女らが
「やだ、恥ずかしいわ」
と顔を赤らめながら、泉下でひそかに微笑んでいることを祈ります。


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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: 突然すみません

>れいさん

はじめまして、返信がめちゃ遅くなってすみませんm(_ _)m

>
> さと嬢の苗字はおそらく、「成尾」かと思われます。

情報おおきにです。くずし字(?)の知識が全然ないのでチンプンカンプンやったけど、そう言われると「成尾」に見えなくもない・・・!?
2015/07/18 URL BJのぶ #- 

■ 突然すみません

私も昔からなぜか遊郭や花街の変遷に興味があります。
のぶさんのように探訪ブログを書いてくださっていると参考になります。
女の私にはお客として立ち入れない場所なので…。

さと嬢の苗字はおそらく、「成尾」かと思われます。
2015/05/29 URL れい #7VnExjLU [編集] 

■ 

そういえば、先日、郡山の川本楼で聞いたら「遊女は、北陸地方からの人が多かった」っと聞きました・
2014/04/07 URL ラッコ #frUh5rcM [編集] 

■ Re: どーもです!

>らむっちょさん

うちのブログへよーおこしやす!
そしてコメントおおきにです(^o^)
こういうのに興味持ってる人は、実はけっこう多いみたいやけど、モノがモノだけになかなか難しいもんがありますね。
日本は「臭いものにはフタをしろ」という文化があるけど、俺はかつて司馬遼太郎が言ってたよーに「(歴史の)事実はそれが良いものだろうが悪いものだろうが事実として認めるべき」という史観やさかい、敢えて公開&発信しとるわけで。
冬は基本的に遊廓探索は休業やさかい、そろそろ暖かくなってきたから冬眠も終わりにしましょうか(笑
仕事が忙しいさかい、気合いとは裏腹になかなかブログ更新できへんけど、これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
遊廓もんだけやのーて、また見に来て下さいね~。
2014/04/05 URL BJのぶ #- 

■ どーもです!

初コメです(>_<)
私もこの時代のこととても興味を持ってます!最近のぶさんのブログを読み始めたのですが、めっちゃためになります♪♪これからもブログ更新楽しみにしてます!!
2014/04/03 URL らむっちょ #- 

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