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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■敦賀の謎

先日、ちょっと気分転換に旅に出とったBJのぶです。
俺の絶好の気分転換と言えば旅、人生を世界中フーテンの寅さんならぬ「フーテンののぶさん」やっとったさかい、旅が人生の、いや生活の一部となっとるような感じです。
そのせいか、しばらく旅してへんと身体に禁断症状をきたすっちゅーか、逆にストレスがたまっていく始末。
最近、「旅欠乏症候群」なんか何かと無気力になりつつあるさかい、日帰り旅行するか!と重い腰を上げてきました。

で、JRにはこんなチケットがあることを、最近知りました。
関西1dayパスちゅーもんなんやけど、関西の指定された路線が1日乗り放題という、期間限定のチケットのようでした。
これはたまたま見つけたもんやけど、これを知ったらもう旅に出ずには居られない。休日の普段の移動は車ばっかしやさかい、たまには「鉄分補給」でもするかと早速購入しました。


2013042101


そして、日帰りの旅へ出発〜。

せやけど、チケットを買ったんはええものの、素朴な疑問が残りました。

「さて、一体どこへ行こうか?」

おい!チケット買っといて行き先も決めてへんのかい!と激しいツッコミ必至の計画性のなさ。本人にとっては「まあいつものこと」やさかい、特に驚いてはおりませぬ。
「車買った。あとは免許か〜」
と数十年前の車用品のCMのフレーズを思い出しそうな本末転倒ぶりやけど、旅というものはそれでいいのだ、と勝手に納得させてみる。
このチケットの路線図は、いちばん遠い、というか遠そうな所が、福井県の敦賀。
敦賀は、北陸に車で行く時に、夜行列車さながら深夜に素通りなら何回もあるけど、目的地としては一度も行ったことはない。それに、数年前に京阪神を走る新快速が敦賀まで走るようになり、その時に行ってみようかと思ったままペンディングということもあるし、いっちょ行ってみるか〜と目的地を敦賀にロックオンしました。
そして、最寄り駅から敦賀までの片道で、切符代の¥3500の元がほとんど取れることも判明。もう敦賀に行くっきゃない!



* * *
2013042102


で、休みの日なのに仕事の出勤日よりはるかに早く起き、電車に乗ってはるばる敦賀へ。
せやけど、如何せん思いついたんが突然のことやさかい、敦賀についての基礎知識なんかほとんど頭に入っておりませぬ。

「敦賀って一体何があったんやったっけ?」

と、敦賀に着いてから考えるような計画性の杜撰さ・・・というかゼロやん(笑
まあ、「新快速で敦賀まで行く」というのも目的の一つやったさかい、それはそれで結構と自分に言い聞かせて、まずは適当に喫茶店を探し、そこでモーニングしながらスマホで情報と基礎知識の収集となりました。


敦賀は自然の良港の街で、その天然の良港ぶりは古代から語られていました。奈良時代の公文書には既に「敦賀」の文字があり、日本海の港として栄えていたそうです。
そして、早くから「国際港」としても開けていました。平安時代、今の北朝鮮からロシア日本海沿岸部あたりに、渤海国という国が栄えとりました。
渤海国は日本との交易と友好を望み、その迎賓館も兼ねて敦賀に「松原客館」という建物が建てられました。
戦国時代には、石田三成の親友で知られて関が原の戦いで戦死した大谷吉継が、一時敦賀を拠点にして敦賀城を建築しとります。
江戸時代は日本海周りの船の中継地として物資が集まって栄えたんやけど、敦賀が「世界のツルガ」になったんは、近代明治に入ってからでした。
明治に入って1899年(明治32年)に開港場、つまり外国との貿易港として指定されて、主に日本海をはさんだロシアとの交易が盛んになりました。その後シベリア鉄道の開通で日本からヨーロッパまで通しのチケットを買えるようになり、敦賀もその拠点の一つになりました。
それについては、また後で語るとしましょう。


三寒四温の季節がまだ続く4月とは言え、日本海側にしては妙なくらいな暖かさを感じつつ、敦賀の街を歩いてみたんやけど、駅前の通りや街を分断するように走る国道8号線などのメイン・ロード沿いには、あるものがやけに目につきます。
それは、

2013042103

こんなのとか、

2013042104

こんなの。

そして、よく観察してみると、


2013042105

バス停や、


2013042106

バスまでこの通り(笑

なんで『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』がこんなとこに?作者の松本零士と関係あるのか?
ああ、松本零士は敦賀出身なんや〜。
と頭のなかで勝手に納得しとる自分がおりました。

せやけど、調べてみたらどうも事情が違うようです。
松本零士は福岡県出身で現在は東京に在住していて、敦賀どころか福井県とは何のつながりもなさそうです。
せやけど、敦賀に松本作品のモニュメントが堂々とあることは事実やさかい、何か関係はあるんやろうな!?と。
その真相はこうだそうです。

時は1999年、敦賀市は近代港として開港して100年を迎えました。
近代からの敦賀の歴史は、船と鉄道を語らずして語れず、そこで敦賀市が連想したのが『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』。
敦賀市の観光課はアニメオタクが多いのか?(笑)という詮索はさておいて、開港100周年のイベントとしてモニュメントを作ろうと松本零士氏にコンタクトを取りました。
敦賀と何の縁もあらへん松本氏がOKするんかな?と心配しつつ打電したら、あっけなくOKだったそうですわ。
そして、敦賀のメインロードにこんなモニュメントがあるんだそうな。

今の敦賀を見ても、船はさておき、鉄道は・・・?という疑問を持つ人がおるかもしれません。
敦賀を通る北陸本線もそうやけど、敦賀の「鉄道の街」としてのスケールは、日本を飛び越えて世界レベルでした。
上にサラリと「シベリア鉄道の開通で、日本からヨーロッパまで通しのチケットが買えるようになり」と書いたけど、鉄道の歴史に詳しいオタッキーな方々は、「国際鉄道路線」と言うたら東京→下関→朝鮮半島→大陸へ、というルートを思いつくと思います。その証拠に、東京から下関へは看板特急の「富士」が走り、外国人の客も多いせいか英語が話せる乗務員を配置したといいます。
せやけど、「国際鉄道路線」と言うたら、この敦賀もそうやったりします。
その昔は、国際航路の発着に合わせて東京から列車が走り、敦賀駅を越えて敦賀港のフェリーターミナル、つまり船に横付けされる形で走っとりました。
当時は飛行機がなかったさかい、当たり前やけど船が海外へ行く唯一の手段でした。せやさかい、フランスのマルセイユ行きとかサンフランシスコ行きとか、今じゃ信じられへんくらいの国際航路が日本中の港に発着しとりました。
そんな国際航路に合わせて、列車も港にホームを作って、列車から船まで「ドアtoドア」で接続しようというサービスもありました。それを「ポート・トレイン」と言います。
敦賀もその「ポート・トレイン」が走る場所の一つで、港に「敦賀港駅」を作ってそこに列車が乗り入れてたってわけです。
まあ、「ポート・トレイン」「国際航路」って響きはええけど、現実は車両が1両だけやったらしいけどね(笑
せやけど、その「1両」というのがクセモノで、その車両は「1等・2等混合」の寝台車でした。
そして、その列車は東京から米原までは、神戸行きの急行「17・18列車」に連結されとりました。
これだけで、「すげー!タダモノじゃねー!」と思うのは、かなり「鉄分豊富」な方々だけでしょう、それも歴史に相当詳しい「マニアの鑑」のような(笑

今じゃ、今のJRの列車には「普通車」と「グリーン車」の区別しかないし、グリーン車だって乗ろうと思えば乗れる車両やけど、戦前は「1,2,3等車」の三段階でした。二等車が今のグリーン車にあたるんやけど、それでも一般庶民がおいそれと乗れるもんやのーて、寝台車になったら、金銭的・入手の困難度から更に乗れるもんじゃございませぬ。
一等車になったらもう一般ピーポーなんかは全くの無縁、金はもちろん特殊なコネがないと乗れない有様でした。
これだけでも、敦賀港行きの列車はたった1両にして「豪華列車」やと言うのがわかると思うんやけど、更に東京〜米原間で併結されとった「17・18列車」なるものが、当時「名士列車」と呼ばれとりました。この列車、1等と2等しかつなげてへん豪華列車で、同じ区間を走ってた特急の「燕」が3等車もつなげとったさかい、ある意味「特急より格上な急行」でした。
1等と2等しかない列車ということは、つまり「貧乏人お断り列車」ということで、「金ない一般庶民はこっち乗れ」とばかりに、3等ばかりの「13・14列車」がダイヤに並行して走っとりました。同じことが東京〜下関間の急行にもあって、今じゃ信じられへんかもしれへんけど、戦前の列車にはれっきとした、そして見えない「身分制度」があったのです。

俺が持っとる資料によると、「17・18列車」は戦前の列車の黄金期といえる昭和9年(1934)には11両編成で、

荷物車+1等車(寝台)3両+食堂車+二等座席1両+二等寝台5両

という編成やったそうな。敦賀行きは二等車の後ろの連結されとった模様です。
21:30に東京を出発して8:33に大阪に到着、神戸着は9:17(昭和9年の時刻表より)で、今で言うたら夜行で寝て起きたら大阪・神戸ですよ〜というダイヤが組まれとったようです。
この「名士列車」は戦争が激しくなった昭和18年に廃止になるんやけど、戦後すぐに東京〜大阪間の急行として復活します。そして、のちに『銀河』と名付けられました。せやけど、戦後の混乱と迎えつつある大衆化時代に「名士列車」は乗車率が悪かったみたいで、いわゆる「普通車」もつけて「ただの急行」になり、『銀河』もずっと東京と大阪を結ぶ夜行急行として残ってたんやけど、残念ながら最近廃止になってまいました。廃止になる前に一回乗りたかったんやけどな。

それはさておき、敦賀の鉄道の歴史を語る博物館があったりします。

2013042107

これが「敦賀鉄道資料館」です。
往年の「敦賀港駅」の駅舎をレプリカとして再現したもんで、中には敦賀の鉄道の歴史を物語る展示品がある「そうです」。
・・・って何で「そうです」なんって?
敦賀に行った時は月曜日で、実は敦賀に行く前からここの存在はおぼろげながら知ってたさかい、敦賀に行ったら是非行ってみよう!と思って、駅から歩くこと20分くらい、ようやく着いた〜と思ったら!

休館日

でした(笑
どーやら毎週月曜日は休館日みたいで、何で俺ってこういうのによく当るんやろか?と自分の運命を呪いたい気分ですわ。まあ、ただ計画性がない、事前に休館日をチェックせんかい!と言われたらそれまでやけどね。
まあ、ここは後日改めて車で行くことにしましょう。


というわけで、敦賀に松本零士作品のモニュメントがあるという「敦賀の謎」は、調べてみたら何とも他愛もない(笑
ちなみに、俺が見た限りやと鉄道と船に関係ある『999』と『ヤマト』以外のモニュメントはなかったけど、『999』絡みでキャプテン・ハーロックのはありました。写真を撮り忘れたけど。

2013042108


その代わり、エメラルダスの写真は撮ってきました。
ハーロックみたいな「いい男」には目もくれず、「美人」やときっちり写真におさめるスケベーな俺でした(笑



で、これだけで終わる俺やありません。

敦賀には、もうここまで来たらピンと来る人もおるかもしれへんけど、遊郭もちゃんと存在しとりました。
もちろん、敦賀に遊郭があったことは知識として入ってたんやけど、肝心の場所がさっぱりわからず。現地に着いて慌てて調べてみました。


2013042109


とりあえず、遊郭があった・・・と思われる場所の写真だけ撮ってきました。
遊郭跡を見てきた俺、テンションが上がりどうせ時間もあるさかい、図書館で資料収集や!と意気込んだんはええものの、その日図書館は

休館日

でした。どうやら「休館日」とやけに縁が深い今回の旅でした(笑

敦賀の遊郭については、まあこれから調べることとします。GWあたりに車で敦賀に行くことになるのかな?
この流れやと、「消えた遊郭・赤線跡をゆく」の復活(?)第一弾はどうやら敦賀になる予定かも。
乞うご期待・・・しないで待ってて下さい(笑

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コメント

■ Re: いっぱい調べていただきありがとうございます

>キングさん

コメントおおきにですm(_ _)m
そして、返事が遅くなってすみませんm(_ _)m

> 素晴らしい調査です◎

おおきにです(*^o^*)
何せ気まぐれで行ったさかい、調査不足でこれでも全然書き足りてません(笑
時間があったり、もっと事前に調査しとったらもっと掘り出せるもんがあったと思うけど、何せプロの作家やないさかい。

> また敦賀に行ってみてくださいね〜*\(^o^)/*

遊廓の調査でまた行こうと思ってるさかい、今度は事前調査して行こうと思います。
ところで、昔の敦賀出身で、有名どころ以外で「こんな人を採り上げてほしい」という人があったら、言って下さいね。その人を骨格にして、敦賀の違う面を調べていこうと思います。
2014/06/23 URL BJのぶ #- 

■ いっぱい調べていただきありがとうございます

素晴らしい調査です◎
私は敦賀出身、現在大阪在住です( ´ ▽ ` )ノ
なんと、1999年の夏、きらめきと言うイベントがあり、DJもしていました(^^;;
また敦賀に行ってみてくださいね〜*\(^o^)/*
2014/05/12 URL キング #- 

■ Re: おもしろい記事でした

>しんどばっどさん

コメントおおきにですm(_ _)m

> 現在の敦賀の人たちはどうも遊郭があったことを隠したいみたいで(笑)、

遊廓の存在は、観光名所にしたりする所もあれば、ひた隠しにする所ではっきりしてますね。
税金で書いた市史や県史も、一章を割いて詳しく書く所もあり、かと思えばまるで「遊廓なんてありませんでした」とばかりに華麗にスルーしたり、けっこう温度差が激しかったりします。

せやけど、先の戦争もそうですけど、遊廓や赤線もそろそろ純粋な「歴史」として総括する時がやって来たんやないかなーと思ったりもします。
太平洋戦争のことも、当事者がほとんどあの世に行ってから、ポツリポツリと真実が出てきたのと同じように。
どれだけ避けようと、真実を隠そうと、それは「歴史の事実」として確かに存在していたもんやし、自分らのエゴで封殺したら、そこで働いとった女性やその他の人も封殺することになるんでね。それじゃ彼女らが成仏しませんで(笑

>そのあたりも怪しいのに地元の人はほんとに知らないのか、尋ねるとぽかんと口をお開けになります。

まあ、知らないわけがありません(笑

そろそろ敦賀で資料収集といくところなんで、しんどばっどさんもちと調べてみませんか?
上にも書いたように、そろそろ遊廓のことも「歴史」として調べてみる価値はあると思いまっせ。
2013/07/03 URL BJのぶ #- 

■ おもしろい記事でした

今私は敦賀に住んでいますが、現在の敦賀の人たちはどうも遊郭があったことを隠したいみたいで(笑)、在敦賀の(敦賀で)有名な歴史サークルも、そういう歴史をきちんと調べて取り上げてくれたことがありません(^_^;)

のぶさんのこの記事の写真のように元町から西の金ケ崎付近が遊郭だったのはよく知られています。
あと、江戸時代に「お茶屋」街だったらしい川崎町、ここも明治~昭和初期まで小遊郭だったろうに地元の人は認めない。それと木崎に三味線川という風流な名の川があり、そのあたりも怪しいのに地元の人はほんとに知らないのか、尋ねるとぽかんと口をお開けになります。

この地にいる間に、なんとかして探ったろーと思ってます(^_^)
2013/06/28 URL しんどばっど #GCA3nAmE [編集] 

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2013/04/26   # 

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