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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■消えた飛田の墓をゆく

今はロンドンオリンピック開催中、オリンピックで夢中になってこのブログを見る人もめっきり少ないやろう、と言いつつこっそり更新しとるBJのぶです。

毎月お金を払って、「NHKオンデマンド」というサイトに登録しとります。
NHKの過去の番組を有料でネットを通して見れる、悪く言うたらNHKの集金箱のようなサイトやけど、さすがはNHK、けっこうためになる番組が多くて色々勉強になったりします。
月額¥945は伊達やない。¥945で見放題やりたい放題やったら、これは安いと言えば安いといえると思います。

その中に「BS歴史館」っていう番組があるんやけど、その中で大塩平八郎のことをやってました。
それをボケーっと見とるうちに、

「お?」

と俺の琴線に触れるもんがありました。
大塩平八郎の乱のことは学校の歴史のレベルやさかいここじゃ語ることはせーへんけど、大塩は乱が失敗した後も40日間逃亡したあげく、隠れ家を追っ手に見つかってそこを持ってた火薬に火を放って爆死、その屍は判別不能なくらいになりつつも、鳶田の刑場で乱に参加した同志とともに磔になったそうです。

12080301

はるか九州は松浦藩の藩主、松浦静山が大塩平八郎の乱に興味を持って、早馬で仕入れた情報をもとにして作った「甲子夜話」って詳細な記録があるんやけど、その中に書かれとる大塩平八郎以下の磔の図で、「BS歴史館」でも紹介されとりました。
赤で○をした部分が大塩平八郎です。

ここで俺のアンテナが反応しました。

「鳶田?」

鳶田、今のJR新今宮駅の南側周辺、に墓場があったって話は、ちょっと小耳にははさんでたんやけど、歴史学者によっては「明治維新の予行演習」と解釈する大塩平八郎の乱の関係者が処刑されたところ、そこが鳶田やったとは。
江戸時代、罪人の処刑場は千日前、いまのビックカメラがあるとこ周辺なんは有名やけど、ずっと「そこだけ」かと思ってたさかい、ちょっと目から鱗状態。そして、俺の好奇心を非常に揺さぶる事実。
これはちょいと調べてみよう、と思い始めたわけでやんす。
まあ、また変なもんに手を出し始めよったな~と思う人もおるかもしれへんけど(笑

* * *
で、早速調査してみると、江戸時代の地図にこんな記述を発見。

12080302

紀州街道の道沿いに「鳶田墓」と書いとるとこに、思いっきり「刑場」って書いとることに注目。
間違いなく飛田は大昔は処刑場があったことがこれで確定です。
おそらく、墓は処刑された罪人の墓やったんでしょう。
ちなみに、調べてみたら、千日前の方の処刑場は主に打ち首獄門用の刑場で、鳶田の方は大塩平八郎のような磔か、火あぶりの刑(主に放火など)用の刑場やったそうです。

そして、図書館で「大阪の古地図くれい!」と明治時代~大正時代の地図を見せてもらい、比較してみました。
まずは、「消えた遊郭・赤線跡をゆく 飛田遊郭編」で出した、明治16年(1883)の地図を。

12010503

これをちょっと加工してみました。

12080303

「天王寺駅」と「天王寺駅あたり」がビミョーにズレとるけど、まあこれは「仕様」と思ってスルーしてくんなはれ(笑
で、図書館でコピーした原本の赤い○をした所を見ると、わずかながら墓のマークが見えたりします。この画像じゃ見えへんけど。
場所は江戸時代に「鳶田墓」があった所と一致しとるさかい、規模はだいぶ小さくなっとるけど墓場は明治になっても存在しとったことがわかります。
こん時はミッションが飛田遊郭オンリーやったさかい、灯台下暗しとはこのこと、すっかり見逃してとりましたわ(笑
そして、同じく明治16年発行の「新雕大坂細見全図」という地図を見てみたんやけど、
やっぱし飛田のとこに「埋葬地」って表記がありました。

そして明治36年(1903)、日露戦争が始まる寸前くらいやけど、「第五回内国勧業博覧会」が大阪で行われました。「内国勧業博覧会」って舌噛みそうな名前やけど、まあ万博みたいなもんと思ってもらってもええでしょう。
その会場が今の新世界や動物園があるとこで、新世界はこの博覧会場の跡地に作られたもんなんは説明するまでもありません。
その博覧会が開催された時に作られた、会場マップも兼ねた大阪市の地図を見てみたら、鳶田にあったお墓は跡形もなくなって、ただの更地になっとります。
せやけど、明治41年(1908)の地図を見てみたら、地図上の記号に墓のマークがわずかに残ってました。
ということは、明治41年時点じゃまだ鳶田には墓があったってことで、
博覧会の地図はあくまで観光用の地図やったせいか、そういうのは省略されとったようですな!?

で、この博覧会の地図を見て興味深かったんが、博覧会の期間中だけ開業しとったと思われる駅の存在。
天王寺駅の開業は明治22年(1889)のことなんやけど、これは今の関西本線、今は通称で「大和路線」って言います、が開業した時にできたものです。
次の駅は今宮・・・え?新今宮は?と思う人もおるでしょうけど、新今宮駅って実は昭和39年開業の新しい駅で、南海側の新今宮駅はその2年後やさかい、それまで天王寺~今宮駅間には駅がありませんでした。今の感覚じゃ何とも不便やなー、南海乗り換えが不便やん!と思いますわな。
せやけど、新今宮駅が開業するまでずっと駅がなかったわけやなく、博覧会の期間中だけ「幻の駅」が存在しとったってことです。これは俺も知らなんだ。
こういう駅は、戦後の大阪万博の時にも、今でこそ千里中央止まりの北大阪急行やけど、万博の開催中は万博の正門まで鉄道が通って、万博終了で線路を撤去して千里中央までになったって実例もあったんやけど、それに先立つ約100年前に「大先輩」がおったってことですな。
え?千里中央って地下鉄御堂筋線ちゃうんかって?いやいや、御堂筋線は江坂までで、そっから先は「北大阪急行」っちゅーれっきとした私鉄で阪急の子会社やったりします。言い換えたら「阪急北大阪線」って感じですわ。その証拠に、地下鉄御堂筋線乗ってたらたまに北大阪急行の電車が来るけど、内装は完全に阪急電車式インテリアです。
せやけど、列車は相互乗り入れして千里中央まで直通やさかい、客サイドから見たら地下鉄でも私鉄でもどっちでもええやろうけど(笑

その仮駅がどこにあったんかというたら・・・

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図書館で写真を撮り忘れたんやけど、今のGoogle mapと『続 大阪古地図むかし案内』って本にあった同じ地図を照らしあわせたら、ここあたりやと推定できます。
ちょうどスパワールドの前あたりで、途中から別の線路を敷いて別線で駅を作ってたみたいです。
当時の鉄道は決して庶民の乗り物とは言えんかったんやけど、これで遠くから来る客を運んでたんやと思います。
新今宮駅の開業は確かに戦後の話やけど、その裏には数ヶ月で消えた幻の「元祖新今宮駅」(?)があった、これも歴史の大河の中のほんの一滴のしずくながら、確かにあった事実です。


飛田の墓の話に戻ると、
大正時代、昭和の地図を見てみたら、墓があったところはすっかり整地されて、釜ヶ崎の貧民街の巣窟になっとりました。
そして、ここに墓があったことは完全に忘れ去られましたとさ・・・。

まあこれは数十年前はおろか1世紀以上も昔の話やさかい、さすがに探索しても跡形も残ってません。
せやけど、
「何もない」
ってわかっちゃいるけど~。
どうせヒマやさかいまた行ってきました釜ヶ崎に(笑
去年秋の周辺調査から何かと縁がある釜ヶ崎、ここに来るんは一体今回で何度目やろか(汗)
JR新今宮駅東口をおりて、南へ向かってすぐのところにある交差点。その南側に墓場と処刑場があったなんて、到底信じられへんような、相変わらずな喧騒です。
何せもう1世紀以上も前の話やさかい、今の景色をみただけじゃ想像もつかんくてどこにあったんか推定が難しそうやけど、幸いにも江戸時代から変わってへん目印が一つあります。
それが、紀州街道。
紀州街道は大坂の中心部から住吉大社、堺や岸和田などを抜けそのまま南下して紀州(和歌山)に至る幹線道路やけど、始発の大坂から住吉大社までは、住吉大社までの参拝客も数多く通ってたさかい「住吉街道」とも言われとりました。
上にアップした江戸時代の地図によると、墓は紀州街道沿いにあったっぽいさかい、これを目印にしたらだいたいどこあたりにあったんか、容易に想像ができます。

12080305

江戸時代の地図と明治16年の地図と、google mapを見比べて作った予想図です。
江戸時代の鳶田墓は「けっこう広かった」そうやさかい、だいたいこのエリアかなーと。
ここあたりは、特に阪堺線から西は戦後で道路区画がかなり変わったせいか、なかなか確定しにくいとこもあったけど、幸い大正時代~昭和初期までは、江戸時代の地図に書いてた、墓を囲むようにクニャって曲がった道(川?)が残ってたさかい、それも参考にしました。
そこの南東隣に、大塩平八郎も処刑された刑場があったみたいですな。

で、飛田遊廓はこの墓場&刑場の跡に作られたっていう、まことしやかな俗説がネットで書かれたりします。
せやけど、こんなものは古地図と比べたら一目瞭然、まあ確かにギリギリではあるけど、飛田新地と鳶田の刑場は何の関係もあらへんことがわかります。書くんは勝手やけど、労力惜しまずちゃんと調べろっちゅーねん(笑
今の飛田新地の隣にある阿倍野墓地は上に書いた「千日前の刑場」の墓部門が明治時代に移転したもんで、刑場までは移転してへんさかい、鳶田の刑場とは何の関係もありませぬ。だいいち場所が全然ちゃうし~。
というか、飛田新地は昔は「堺田」って地名で、「飛田」は飛田遊廓が出来てからの俗地名(公式には認められてへん地名)、正式な「鳶田」(飛田)は今の新今宮駅南側周辺やったってのは、ブログでくどいくらいに書きました。

で、飛田新地にゃある謎があります。
それは、「何故か北西の角だけ取れとる」ということ。
この地図を見たら一目瞭然でしょう。

11122109

飛田遊廓は四方をぐるりと壁で囲まれとったのは、「「壁」を追って ~消えた遊郭・赤線跡を訪ねて特別編~」で書いたとおりやけど、北西の壁の部分だけ何故か不自然になっとることがわかります。それも何か意図的に、何らかの理由で。
ここは、大正はじめ、つまり飛田遊廓が出来る前は人家もない荒地か畑やったことは地図で確認済みやさかい、建物があってその都合ってことはないと思います。だいいち角を削らんとあかんくらいの建物密集地に新しい遊廓立てたら、当時は廃娼運動のピークやさかいとんでもないことになっとったことでしょう。
この「北西壁の謎」がずっと気になっとったんやけど、今回のことを調べとってある仮説を思い浮かべました。
「これって、もしかして魔除け?」
今回の調査で、飛田新地のちょうど西北、つまり角が取れとる方向に墓と刑場があったさかい、それに対しての魔除けかな?とふと思ったんやけど、うーん、ちょっと説得力ないかな?(汗)

まあそれはさておき、


12080306

ここあたりを、うなる、いや、溶けるような暑さと闘いながらくまなく探してみました。
くどいよーやけど、「何もない、あるわけない」と思いつつ、頭じゃわかっとるんやけど、やっぱし頭の奥底で「何かあったらええな~」的な下心が湧き出してきます。
せやけど、現在の「鳶田」にあるんは、料金がバカ安い現代の木賃宿と鉄筋コンクリートの森林、聞こえるのは車のエンジンと阪堺線のチンチン電車が走る音と、これは今も昔も変わらん風の音、鼻につくのは釜ヶ崎独特の、あの「小便と汗と安物の洗剤が混ざり合った、何とも言えない」においと、日本酒ともビールともつかぬアルコールのにおいだけ。
まあ、ないの元々やったさかい、暑さで熱中症になる前にさっさと退散させていただきました(笑
後でネットで調べてみたら、どうも「太子地蔵尊」というお地蔵さんがあって、それがどうもここに墓場があったことの名残らしき唯一の遺構やったらしいけど、それも今は更地になっとるそうです。
ここの露に消えた、誰かは知らんけど、名も知れぬ人たち人たちの無念は、今は都会の喧騒と共に完全に消え去ってしまいました。
まあ、それも数万年、数十万年という歴史の大河で演じられた劇の、ほんの一幕に過ぎないかもしれんけどね。


鳶田の露の亡霊は

歴史の土に埋もれたり

大塩無念の刑場の

ビルがかれらの墓標かな



~おまけ~

新今宮駅の交番前に古めかしい周辺地図があるんやけど、

12080307

思いっきり「飛田新地」の文字が!
警察の交番の横にある地図に「新地」の文字。何かの皮肉かこれは。
勇気ある方は、横におる警察官に「飛田新地ってどこですか?」と聞いてみましょう(笑

そして、時間が余ったさかいちょっと周辺を散歩しとると、

12080308

なかなか香ばしい建物発見!


12080309

このタイルな、まことに怪しい建物は・・・と思うんやけど、ここは実は飛田新地は言うまでもなく、釜ヶ崎の青線からもビミョーにずれてる地域にあるんですわ。
ある意味、ズレてたさかいこういう建物も見逃してたし、誰もマークしてへんかったわけなんやけど、たぶん、いやたぶんやで、これは「そう」かもよ。
いかにも「こっち見て~!」的なタイル使いやし、色あせてはおるけど色遣いもちょっと派手目。
東京やったら、間違いなく「発見( ̄ー ̄)9m」なんやけどな~。

さて、この釜ヶ崎外れの「建物X」が「あたり」か「ハズレ」か、それは過去のみが知る。。。なんちゃって(笑


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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: タイトルなし

>ぴーさん


いつもブログを見てもろておおきにです♪
しばらくブログは放置プレイやったけど、また書く気が出てきたさかい、「消えた遊廓・赤線跡をゆく」も含めてまた更新します、また見て下さいね~。
2013/06/19 URL BJのぶ #- 

■ Re: タイトルなし

>堺幕府さん

> 楽しく読ませていただいてます!

おおきにです!
そして、しばらく更新してへんことをお詫び致しますm(_ _)m
せやけど、ちょっと反省してまた書いてみようという意欲が芽生えてきたさかい、また懲りずに読みに来て下さいね♪


> なんとも言えぬ懐古感とかノスタルジックがたまりません。
> 諸行無常でんなぁ。

これが歴史の研究がやめられへん麻薬なとこやと思います(笑
掘り出したら色んな出来事や人物が出てくる・・・「どっからそんな人掘ってくんねん!?」という名人が司馬遼太郎さんやったわけやけど、「温故知新」の精神で頑張っていきます。
2013/06/19 URL BJのぶ #- 

■ Re: 本音と建て前

>最後の博徒 さん

>  いつも愛読しております。

おおきにです♪
そして、しばらく更新しなくてここを借りてお詫び致しますm(_ _)m
ちょっと反省してまた更新するさかい、またよろしくお願いします。


橋下さんの慰安婦発言、俺もあれを聞いた途端に飛田のことが思い浮かびました(笑
ははん、これは日本の「売春合法化」を示唆しとるな・・・と。
弁護士の橋下さんのこと、兵法三十六計の「指桑罵槐」なんてお手の物やと思うさかい、一連の発言の「本丸」は、ヨーロッパじゃどんどん合法化されとる売春を、日本も合法化してしまおうということかなと。
これをブログで書こうと思って下書きもしたんやけど、既に賞味期限切れみたいやさかい、敢えて記事にはしませんでした。
2013/06/19 URL BJのぶ #- 

■ 本音と建て前

 いつも愛読しております。

“従軍慰安婦発言”でワールドワイドになった大阪市長(前知事)、“飛田”の存在も世界に発信されました。

外国特派員から過って飛田遊郭の顧問弁護士だった事を質され、シラっと「料理組合であって合法」と躱しました(汗)。

平成の大塩平八郎(嘘)、風雲児も今や“土壇場”に、これまで蜜月の国内マスコミも敵に回しどうなりますやら…

遊郭・暴力団事務所・ポリボックスが共存する…日本って不思議の国ですネ(笑)

2013/05/29 URL 最後の博徒 #x7SNgv4U [編集] 

■ 

楽しく読ませていただいてます!
なんとも言えぬ懐古感とかノスタルジックがたまりません。
諸行無常でんなぁ。
2013/05/29 URL 堺幕府 #- 

■ 

飛田で働いてます(*´∀`)いつもブログ楽しみにしてます♪
2013/05/06 URL ぴー #- 

■ Re: タイトルなし

>jkbysさん

返信遅れて申し訳ないですm(_ _)m

俺の記事が「わからない」から「わかった!」になってくれてありがたいです。
こういうのが、ブログを書いてる快感やさかい(笑

またよかったら他の記事も見てあげて下さい。
2012/11/09 URL BJのぶ #- 

■ 

ネットで大阪の古地図を見てたら、新今宮のあたりに大きく「墓」と書いてあるのを見つけたので興味が沸き、検索してこちらの記事にたどり着きました。おかげさまでスッキリしました。他の記事も拝見します。
2012/11/03 URL jkbys #- 

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