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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■飛田の「嘆きの壁」を探して 消えた遊郭・赤線跡を訪ねて35

師走になってますます寒くなってまいりました。
それに比例して、財布の中もますます寒くなってきとるBJのぶです(笑

先日、釜ヶ崎ことあいりん地区のことをブログで書いた時に、飛田新地のこともサラリと書きました。

消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪一DEEPな所編

消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪一DEEPな所編 探索2回目

そん時に、かつて飛田新地を囲っとったという「壁」のことを書きました。
もちろん、今はそんな壁はないはず・・・
いや待てよ、どっかにまだ残ってるんちゃうか?
っていう素朴な(?)疑問が残り、隠れミッションを実行致しました。
確かに、釜ヶ崎を回った時にそーゆーのを見たよーな気がする。
名付けて、プロジェクト・・・

ファインディング ザ ウォール (Finding the wall)

って英語で書いただけでそのまんまやな。せやけど英語で書くと何か格好ええ(笑
まあ、事実上の「あいりん地区探索3回目」みたいなもんと思ってくんなはれ。
* * *
飛田新地俯瞰図



Google Earthから切り取った飛田新地あたりの俯瞰図です。
赤で塗った部分が、元々の飛田新地の範囲です。
今は店の縮小うんぬんで多少は範囲が変更になっとるけど、飛田新地が出来たんは大正7年(1918)で、
今の難波の道頓堀あたりにあった「難波新地」と呼ばれたとこが火災で燃えてしまい、
その乙部、つまり娼妓中心のとこだけ郊外の飛田に移したことが始まりです。
「郊外」って・・・めちゃ市街地やん!
と思うかもしれへんけど、それは「今を見たら」の話で、飛田新地が出来た時は畑が広がる農地で、
大阪市の観点で見たら、家一軒も建ってへん「ド郊外」やったわけなんです。
大阪府立図書館で、飛田新地が出来る前の貴重な写真を見たことがあるけど、まぁ~「昔のここって何もなかったのねんw」っちゅーくらいの、のんびりとした畑でした。
ちなみに、今宮あたりはレンコンが名物やったそうです。

その飛田遊廓が出来た時、周囲をグルリと「壁」に囲まれとりました。

飛田新地の壁の地図

昭和6年の地図を元に、平成23年のGoogle mapの上から編集してみたんが上の地図です。
だいたいこんな感じでよろしいかと!?
赤く塗った遊郭を、青線の壁が取り囲んどることがわかります。
また、南側と東側には緑の線も引いてあるけど、地図を見たら壁が二重になっとります。
これはホンマに壁なんか、それとも他に何かがあったのか、それとも地図の誤植かは知らんけど、
別に壁を二重にする必要がさっぱりわからんさかい、とりあえず謎としときます。
そして、飛田遊廓には4つの門があって、普段は西にある大門から出入りすることになります。
今も大門前にゃ交番があるけど、これは飛田遊郭が出来た時から存在しとって、出入りの客を鋭い目で見張っとったと言います。
ついでに、大門のそばにある郵便局も大正11年の地図に同じ場所であるさかい、当時からあったもんやと推定できます。

犯罪者は、大金を持ったり大事を起こした後は、どうも騒ぎたくなったり女の懐に潜りたいもんみたいで、
そういう人って何か変なオーラでも持っとるんか、遣手や娼妓も「あやすぃ」と感が働くらしい。
逆に言うたら、そういうカンが働かんかったら一人前と認められへんかったみたいで、
「あやすぃ」と警察に踏み込んでもらったら・・・客は全国指名手配中の凶悪犯やった!ということがよくあったそーな。
元々江戸時代に遊郭が許可されたんは、「犯罪者逮捕のゴキブリホイホイ」という役目もあったさかい、
人間の心理っちゅーもんは、時代が進んで文明が進化しても変わらんってことなんでしょうな~。
また、交番は地元住民が金を出しあったり、維持費を地元が出す条件で作られることもあって、東京の戦後の玉の井や武蔵新田にあった交番は、赤線の組合が金を出して警察を駐留させたものでした。
飛田大門前のもたぶん遊廓側が陳情して、維持費を出すっちゅー条件で作られたんやと思います。

で、何で壁なんか作る必要があったんかというと・・・。
一つは、ここで働く遊女の脱走を防ぐため。
もう一つは、娑婆(俗世間)との境界。
ここに限らず、全国の遊郭は壁や溝、あるいは自然(川とか)で仕切られたとこも多く、「ここは俗世間ちゃいまっせ」ということを示しとったんやけど、

吉原遊廓明治時代の地図

東京の吉原遊郭を囲ってた「お歯黒どぶ」と言われた堀も有名ですな。

飛田のこの壁は特に有名で、高さが4mはあったと言われて通称「嘆きの壁」と言われとります。

以前、この飛田新地の南側にあった、阪堺平野線の「飛田駅」の古い写真を載せたんやけど、
ええと・・・どこへ行ったっけな?

飛田の嘆きの壁

お、見つけた。これです。
この駅の後ろには大きな「壁」がそびえとるけど、これがかつて南側にあった壁です。
飛田駅は飛田遊郭が出来た時には設置されてへんかって、出来たのは昭和2(1927)なんやけど、
飛田遊廓の南門に近い所に作られたさかい、おそらく遊廓の客のために作られたんやないかと。
写真は戦後の昭和40年代の写真やないかと思います。

阪堺飛田駅

青い●あたりに飛田駅があって、かつては緑の線で引いたとこに線路が走っとりました。


阪堺飛田駅跡

それから40年後の平成23年の飛田駅跡周辺やけど、
阪堺平野線が1980年に廃止になって、駅も壁も跡形もなくなくなって写真の面影はきれいになくなっとります。


新地東側に残る飛田の嘆きの壁

新地の東側には、今でも壁が残っとります。
ここが現在、一般的に「嘆きの壁」って呼ばれとるみたいでんな。
壁の向こう側は高台になっとるせいか、これってパッと見道路の土台のようやけど、
これもれっきとした壁の一部だそーな。
何でこれだけ段差があるんかというと、「上町断層」という断層の影響だそうで、見てのとおりかなり落差があります。
ちなみに、この「嘆きの壁」が大阪市の西成区と阿倍野区の境目になっとります。断層で地形に落差があるさかい、境目としてはわかりやすいせいか!?
要するに、「千と千尋の神隠し」のキャッチフレーズ風に言うたら、「壁の向こうは阿倍野区でした」ってことであります。


飛田新地大門付近の嘆きの壁

まずは、飛田新地の大門から商店街沿いに進むと、早速壁の一部が残っとります。

飛田の嘆きの壁の門柱

大門から道一本分北の方にある所の門柱と壁です。

まあ、ここまでやったら他のサイトにも載っとるのやけど、
ここで終わったらわざわざ別にブログを書いた意味があらへん(笑

更にこの壁を追って釜ヶ崎の奥へと進むと・・・


飛田遊廓の北門にあった嘆きの壁の一部

これは旧遊廓の北門にあった門柱及び壁の一部です。
隣のアパートとほとんど一体化しとるさかい、よ~~~く見んとわからんけど、奥に壁が残っとることがわかります。

飛田新地の小道

商店街の奥に、こんな小さな穴のような小道が残ってるんやけど、
この小道を奥へ進むと。

5メートルほどもある飛田の嘆きの壁

かなりはっきりと壁が残っとります。
これが当時のままの壁やったら、ちょっと剥き出しになった骨組みから鉄筋コンクリートの強固な壁やったことがわかります。
もう壁だけやったら、刑務所かベルリンの壁か外国の城塞都市の城壁やなこりゃ(汗
せやけど、そんな城塞都市ならぬ「城塞遊郭」が大阪にあり、今でも「城壁」が残っとっったりするのよね。
偶然か、「ベルリンの壁」と「飛田の壁」の高さはほぼ同じ約5mやったりします。もしかして「人が登れそうで登られへん、そして向こう側が見えへんよーな高さ」って科学的か習慣的に確認とれとって、それが「約5m」なんかもしれませんな!?

原型をほぼ残す飛田の嘆きの壁

ここらへんの壁を遠くから見てみたら、こんな感じになります。
壁の前の建物と比較しても、壁がけっこう高かったことがわかるでしょう。
資料の通り4mくらいかなと思うけど、実際に見たらそれ以上の大きさを感じます。
それくらい「威圧感」があるんやろな、そんな存在感は今でも残っとったりします。


飛田新地南側の嘆きの壁の跡

逆に、大門より南へ行ったら、ここにもわずかながら壁の跡を見つけることができます。
戦前の昭和初期の地図を見てみたら、西側には壁がないっぽいけど、まあそれはあり得んでしょう。
飛田新地は戦争の空襲を一部受けてて、松島遊郭みたいに「きれいさっぱり」とまではいけへんものの、
大門より南、遊廓の西の部分の一部が焼けたそうです。
せやけど、ネットでの情報やと、「ほとんどが焼けた」「一部が焼けた」「焼けていない」と情報が錯綜しとります。果たして真実はどれ?

全国主要都市戦災概況図

これは「全国主要都市戦災概況図」という、昭和20年の12月に第一復員省(旧陸軍)資料課によって作られた地図から抜粋した飛田周辺の地図やけど、
赤で斜線を引いた部分が空襲で焼失した部分です。
ブログで何回か書いてるけど、新今宮駅はあくまで今の地理の「基準」で、駅自体は昭和39年(南海側は41年)やさかい、当時は駅なんて存在しとらんことをあらかじめ加えておきます。
これだけを見たら、ギリギリながら飛田遊廓は被害を受けてへんみたいですな。
・・・と思ったら、これって「復員する人のために作られた地図」やさかい、遊廓はある意味関係ないみたいですな!?
その証拠に、「きれいさっぱり」な松島遊廓は赤斜線に入ってへんさかい、飛田のどこが焼けたんかは「宿題」として置いておきましょう。


で、ちょいと時間が余ったさかい飛田新地をウロウロしてみました。
「あわよくば写真を・・・」と思ったものの、こりゃ撮れたもんやないですわ。
いや~、とてもとても「写真でも撮ろうっと♪」って雰囲気やあらへんし(笑
あの「プレッシャー」は松島以上やった・・・。 呼び込みの「重力」に逆らうので精一杯やし(笑

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: ●飛田貸座敷免許指定地の範囲は?

>朝汐さん

旧年中は大変お世話になり感謝に堪えません。
今年もよろしくお願い致します。刺激あるブログが書けるかどうかプレッシャーです(笑

> さてブログにある飛田の壁の形って不自然ですよね。
> 特に北西角の壁って凹んでて絶対に理由がありますよね?

確かにこれ、えらい不自然なんですよね。
何かiPodのアップルのロゴのかじったリンゴみたいですね(笑

俺もGoogle mapを塗りつぶしとるうちに「あれ?」と思ったんですけど、
飛田新地の移転前の写真を見たら、一面畑だけなんですけどね~。
普通はきちんとした方形に作った方が、「壁」の作成費も安く済むでしょうし美的にも整っているはずですよね。
単に地主の所有してた土地の都合かな?とも思ったんですけど、安直ですかね?(笑


> また南側も市道津守阿倍野線&南海平野線で
> 切り取られた形になってますが、
> 「飛田新地が出来た時は畑が広がる農地」
> だったとしたら変ですよね?

平野線の開通は大正3年(建設は大正2年)なんで、飛田新地が出来る前には開通してたってことで、
おそらくここを新地の南の境にしたんでしょう。
それを跨いでまで遊廓を作るのは、常識的にあり得ないと思うんで。
飛田駅開通は昭和2年なことは確定なんで、飛田駅は間違いなく遊廓の客を見込んで作られたものでしょう。
恵美須町駅前には市電の駅があったんで、ある意味乗り換え1回で遊廓まで行けるという利便性がありますしね。

新地が出来る前の地図はスルーしとったさかい、地図見たら「謎の凹み」のヒントがあるかもしれません。
また図書館行って資料あさってきますわ。
2012/01/04 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ ●飛田貸座敷免許指定地の範囲は?

新年明けましておめでとうございます。
今年も刺激のあるブログを期待しております。

さてブログにある飛田の壁の形って不自然ですよね。
特に北西角の壁って凹んでて絶対に理由がありますよね?
(2011.9、.13のノブさんのブログの飛田の範囲よりも
 壁は西側が伸びてますよね。)

また南側も市道津守阿倍野線&南海平野線で
切り取られた形になってますが、
「飛田新地が出来た時は畑が広がる農地」
だったとしたら変ですよね?

飛田の壁(と言うか範囲)って
開廊後に変更されたんでしょうか?

この辺の事情や時系列を御存知ありませんでしょうか?

よろしくお願い致します。


P.S.
忘年会の幹事ありがとうございました。
おかげさまで貴重な時間を過ごせました。

2012/01/03 URL 朝汐 #Tzwnz1rc [編集] 

■ Re: タイトルなし

>noraさん

コメントおおきにですm(__)m

飛田のバリアーはなかなか厳しいです(笑
でも、上の北河内さんのコメントも見て、ちょっとダメモトで行ってみようかなーと。
ブログ更新しなくなったら、飛田で名誉の戦死したと思っておいて下さい(笑
2011/12/31 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ Re: 朝早くがお勧め

>北河内さん

と言っても、なかなかカメラ出すのは躊躇しますね~(汗
う~ん・・・一回朝に行ってみます(笑


> そうそう枚方の桜新地には行かれましたか?

実はまだ行ってないんです。橋本は3回も行ったのに(笑
検番跡、資料館か何かになってませんでしたっけ?ちょいと早めに行った方が良さそうですね。
2011/12/31 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 

昼間に一番有名な相生を撮りたかったので前の店のやり手婆に建物が撮りたいと尋ねたらどうぞどうぞと言ってもらえた。別に怖いお兄さんなんか出てきませんでしたよ。出勤途中のお姉さんにはここでそんなことするのは危ないと注意はされましたが。
2011/12/26 URL nora #- 

■ 朝早くがお勧め

壁内側の撮影は、朝9時位までがお勧め
シキテンのお兄さんもいてませんし
やり手お姉さんの出勤もまだですんで。

だけど、防犯カメラの多さにちと撮影を尻込みしませけど。

そうそう枚方の桜新地には行かれましたか?
ほとんど昔の影が残っていない所ですが、検番跡の建物が空家になっていましたので、もしかすると取壊しになるかも知れません。
まだでしたら、お早めに!
2011/12/26 URL 北河内 #JalddpaA [編集] 

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