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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■ある人の海外遊廓報告

俺みたいに、ジャンルはさておき「近代史」を調べるのに必ずお世話になるんが、
トキオにある国立国会図書館のHPであります。
ここに、

「国立国会図書館近代資料デジタルアーカイブ」

っていう、早口で発音したら舌噛みそうな名前のポータルサイトがあります。
ここは、国会図書館や国立公文書館とかが持っとる、近代史の史料をPDF化したもんを検索・閲覧できるよーになっとって、
正直、「遊廓」って検索したら途方にくれるくらい史料が多すぎる有様なんやけど、
これを丹念に調べていったら、ここってかなりの宝の山やったりします。
「”自称”遊郭・赤線界のインディー・ジョーンズ」を名乗っとる以上、ヒマさえあったら史料に目を通してるんやけど、
参考になるよーなもんがあったら、ブログに常に反映させとります。
もちろん、全部を本気で見ようと思ったら、ホンマ気が遠くなるくらいの時間と労力がかかるんやけど、
昔は現物見たけりゃ東京まで行ってややこしい手続きして、やっと見れるよーな労力かかると思ったら、
PCの前で昔の機密資料なんかが無料で見れる・・・ええ世の中になったもんや♪21世紀バンザイ(笑

まあそれはさておき、
どうせヒマやさかいあれこれ国会図書館の史料版夢の島・・・やなくて宝の山を丹念に探索しとったら、
ちょっとおもろいもんが見つかりました。
大正後期、今の国連の前身の、第一次世界大戦後に出来た国際連盟が大正13年(1924)に「世界中の売春婦の実態を調べましょう」って決めたらしく、
外務省が全世界の領事に「というわけで、調べてね」って命令したみたいです。
で、世界中の領事からその回答が、当時外務大臣やった幣原喜重郎に届いたんやけど、それが今ネットで公開されとります。

「機密」

っていかついハンコが押されとるさかい、当時は外交機密文書扱いで、一般市民はおろか外務省内でも関係者以外は目にすることはできへんかった秘密の史料でもあります。
サクっと流しで見てみたら、中国を中心にアジア各地からの遊郭・私娼(街)などの実態が報告されとるんやけど、
「おや?」
と目についたんは、中国の天津からの報告。
中国の天津って、中国に詳しくあらへん人にゃ「天津甘栗」くらいしかイメージないと思うけど、
今も昔も中国ではけっこう重要な都市でありました。
明治~大正~昭和初期までは、列強諸国によって半植民地化しとった中国各地に「租界」というのがありました。
「租界」言うたら上海のあれが有名やけど、中国にゃ他に「租借地」ってのがありました。
「租借地」言うんは外国が中国政府に「ここ、無料でレンタルさせてもらいまっせ」と無理矢理中国から土地を借りることで、事実上の植民地であり、英語じゃコンセッション(Concession)と言います。
まあ、「レンタル」言うても期限は99年やさかい事実上の割譲でもあります。
「租借地」は、イギリスがアヘン戦争で分捕った香港や、日本が「租借」した大連がええ例やったりします。
大連は第二次大戦の日本の敗戦で自動的かつ自然に「租借契約」はチャラになったんやけど、
香港は99年ってレンタル期限があったさかい引き続きイギリスが「無料レンタル」って形になって、その99年の契約が切れて中国に返還って流れになったわけですわ。

対して「租界」は、簡単に言うたら中国の地主に土地代を払って契約にのっとって土地を借りることで、
「租借地」と違って中国政府や外国の領事は直接交渉することはありません。
上海の租界やと不動産会社や個人が中国と土地のレンタル契約を結ぶこともあって、「租借地」と比べて国は表に出てきまへん。
せやけど、「租界」も中国にありながら中国の警察権力が及ばんことは「租借地」と同じで、
事実上形を変えた植民地って言うてもええでしょう。
「租界」って英語でもConcessionやけど、やり方はSettlementで「法に基づいた不動産契約」みたいなニュアンスです。
有名な上海の租界は、イギリスとアメリカの租界が合体した「共同租界」と、フランスの「仏租界」がありました。
俗説で「日本租界」もあったって言うけど、正式にゃ「共同租界」の中の日本人が多く住む地域を「日本租界みたいやな」→「日本租界」と言われとっただけで、上海に公式な「日本租界」があったって記録はありません。
せやけど、「共同租界」の運営に当たる外国人の評議員(議員みたいなもん)に1930年代に入ったら日本人が多くなったさかい、事実上「英・米・日」の共同租界やったって見る学者もおります。

これについては、もう7年前になるんやけど、上海に住んどった時に「日本租界」を実際に歩いてブログにしたことがあるさかい、
ヒマ+興味があったら読んでみてくんなはれ。
ちょうど世の中にブログってのが出てきて、「こりゃおもろいわ」とブログ書き始めた創世記の文章やさかい、ちょっとお見苦しいところもあると思うけど、
今の「のぶログ」とちょっと違う文体でもお楽しみ下さい(笑


■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第一章

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■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第六章





* * *
で、天津の租界なんやけど、
天津には”ちゃんとした”「日本租界」があって、他に「イギリス租界」「フランス租界」「ロシア租界」「オーストリア=ハンガリー租界」「ベルギー租界」「イタリア租界」「ドイツ租界」ってのがあって、

11120301

こんな感じやったそーです。
天津の日本租界は、日清戦争の下関条約によって作られて、各租界と連携しながら都市計画に基づいて整備され、
1943年の第二次世界大戦中に日本軍がイギリス・フランス租界を接収、日本租界と合わせて中国に返還して消滅したんやけど、
日本租界の遺物は今でもかなり残ってるみたいで、天津の租界を研究した論文によると、「他の都市と比べて保存状態が良い」とされとります。
その理由は、天津市が日本租界に残った建物が市重点建造物、日本風に言うたら「市の重要文化財」に指定されたもんが多いということもあります。


11120401


11120402

天津の博物館にあった当時の日本租界の写真です。


11120302

今のGoogle mapから日本租界だけ赤く塗ったら、こんな地理関係になります。
昭和15年(1940)当時の天津日本租界の復元地図を見てみたら、
小学校あり、お寺あり、ローカル新聞社(もち日本語の)あり、大衆食堂ありと、租界の中はまさに「プチ日本」そのものでした。
その日本租界のど真ん中に日本総領事館があったんやけど、ここにある歴史上の人物が総領事をしとった時期がありました。
国会図書館の史料の提出主を見てみたら、聞いたこともあらへん名前が並んどるさかい「ふーん」で流しそうになったけど、
その中にかなりのビッグネームがありました。
俺が売春婦事情@海外を調べとって「おや??」と思った理由がそこにあります。
それが、

吉田茂

でした。
吉田茂って・・・あの吉田茂?と調べてみたら、その吉田茂らしい。
吉田茂はさすがに説明不要なくらいの一般教養レベルやさかい詳しいことは省略するけど、麻生太郎元総理の母方のおじいちゃんにあたります。
で、経歴を調べてみたら、確かに大正11年(1922)年3月から14年の9月まで天津の総領事をやっとりました。
俺が見つけた史料は、その総領事就任中に吉田が外務大臣に提出した「売春婦事情@天津」ってことで、
他の領事がたいてい10ページ20ページ以上も割いて詳しく書いとるのに、吉田はたった6ページ、紙にして3枚分。
吉田茂の性格なんか、それとも単にやる気がなかったんか(笑
せやけど、たった3枚分ながら肝腎なポイントはきちんと押さえとるとこがさすが後の首相。

その吉田茂の報告によると、
大正13年当時の天津日本租界の売春事情は、日本の遊郭のよーな公に認められた売春街はなかったものの、
私娼が酌婦として営業許可を得た「准公娼」として黙認されとって、その数は、

★日本人:17人

★朝鮮人:42人

★中国人:17人


となっとります。
天津って、行ったことある人はわかるけど街自体そんなにデカいってわけやなく、その中に各国の租界がひしめく過密空間、
昭和12年(1937)の、日中戦争が始まった当時の日本租界のデータは、
★面積:1.39平方キロメートル
★人口:約36,000人(中国人:外国人=7:3)
★人口密度:26.3人/平方キロメートル

やさかい、
その中で事実上の「遊郭」やと数は少なくてもしゃーないでしょう。というかそこまでの「需要」しかなかったと言うてよし。
ちなみに、天津の日本租界がどれだけ「狭い」かというと、日本の行政区(市町村&政令指定都市の区)の中でいちばん小さい大阪市浪速区の面積が4.37平方キロで60,386人(2011年9月現在)、その3分の1以下の面積に人が約半分、人口密度はほぼ倍という感じやとイメージできるでしょうか?

まあそれはさておき、彼女らはいちおう「私娼」言うても「准公娼」やさかい、毎週土曜日に性病検査を行なっとるとしとって、
日本人の私娼は日本人の嘱託医師が行なっとって、数がもともと少ないさかい性病も少なかったそうやけど、
朝鮮人&中国人は「日本人と衛生概念が全然違う」「下層社会を相手にしている」せいか、「多クハ有毒者ト云フテモ過言ニ非ズ」とぶった斬っとります。

また、芸妓についても書かれとって、これも数は

■日本人:107人

■中国人:4~500人

としとるけど、中国人芸妓は「芸妓ト称スルモ殆ド娼妓ト同一ノ稼業ヲ為ス」とほぼ私娼と同じ扱い。
せやけど、定期健診は「諸事情」によりほとんど行われてへんらしいさかい、「公衆衛生上頗ル危険ナ状態ニ在リ」としとります。

そしてその後に各国の租界の事情が、簡単というか手抜きというか、書かれとるんやけど、
吉田茂の総括は、

「各国租界亦大同小異ニシテ到ル処ニ『魔窟』アリ売笑婦跋扈シ」

という状態だそーな。

当時の天津の売春婦の国別統計を見てみたら、

第1位 中国人:5,947人

第2位 ロシア人:692人

第3位 日本人:59人 (朝鮮人含む)

第4位 アメリカ人:25人

第5位 イギリス人:20人

第6位 フランス人:1人

(天津市の全地域の統計・・・だそーな)


となっとるんやけど、中国人はさておき、次に多いのはロシア人。
これは何でか言うたら、1917年にロシア革命が始まってたくさんのロシア人が陸伝いの中国に逃げてきて、
吉田茂の報告によると、ハルピン→瀋陽を経て天津まで流れてきた亡命ロシア人だそーです。
着のみ着のままで逃げてきたロシア人たちは、とりあえず食うために身体を売る、という事情があったよーで、
これは戦後すぐの日本の事情とも重なります。
敗戦後の日本も、特に大陸から引き揚げてきた人たちは、真っ先に食うために引揚者が集まって一つの組織売春を行なっとったことは確かで、
トキオの新宿の花園街青線や、岐阜市のど真ん中にあった伝説の青線、「国際園」などがその典型やったりします。
これは俺の勝手な推定やけど、ロシア人たちもメシ食うために集団で身体を売っとったことでしょう。
これも、悲しいけどこれって戦争なのよね、やなくて歴史なのよね。

吉田茂の手抜き(?)のせいか、今回の収穫はこれだけなんやけど、
これだけでも大きな歴史の中の1ページを垣間見れたと思います。
こないして書いてみたら、海外の遊廓跡も訪ねてみたくなってきたな~と思う今日この頃。


まあ、それにしても・・・



吉田茂って字が汚いというかクセがあるというか、
たった6ページやのに解読するのにめちゃ時間かかったやないかい(笑

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
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