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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■【後編】八日市延命新地をゆく 消えた遊郭・赤線跡をゆく34

前に書いた消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 八日市延命新地編 前編の続きやったりします。
あまりに前すぎて、どこまで書いたんか書いた本人も忘れてまいましたわ(笑


前編に引き続いて滋賀県八日市市にあった遊郭、「延命新地」を回ってみます。


11112405

延命新地の今は、半分住宅地、半分飲み屋街のよーな感じになっとるんやけど、スナックのよーな呑み屋の跡がなかったら、どこにでもありそうな住宅地でんな。


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今は主がおれへんっぽい呑み屋跡やけど、ここにゃ延命新地の復元地図によると「平政楼」か「清定楼」ちゅー妓楼があったそうです。

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何とも言葉にできそうにもない建物も(汗
シャッターに「すき焼き部」「小売部」とか書いとるけど、これ、一体何やったんやろか???


* * *
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さて、延命新地の片隅にぽっかり穴が開いたよーな小道がありました。
人生裏街道ばっかし歩んでるせいか、こないな小道が大好きなオレ(笑
この、いかにも妖しそうな小道を進んでいったら・・・


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何かおもろそうな装飾の飲み屋発見。
外側はめちゃ新しいんやけど、内側の黒タイルは近くで見たらけっこう古い。少なくても外側と内側は違う時期に作られたものやと思われます。
黒タイルといい、タイル自体のボロさといい、もしかして昔の生き残り?


11112410

これも、黒タイルで囲まれた飲み屋が。
どうも延命新地の赤線時代は、黒タイルが流行っとったらしい!?

黒タイルの真実はさておき、
延命新地を何周もして細かいとこを見ていったら、けっこう面影が残る建物もあったりします。


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さりげなく2階のとこに面影があったり、


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妓楼の象徴とも言える「赤い壁」の一部が、一部やけどくっきり残っとる家とか、


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ヘタしたら見逃しそうな路地にこんなのがあったりと、
「おおおおお!」
っちゅー強烈なインパクトを与えた建物はあんましないんやけど、「小粒」なんがポツポツと・・・って感じですわ。

延命新地の遊廓時代には、敷地内に洋食屋がありました。
何故か遊廓にゃ洋食屋が最低一軒はあるんやけど、お客さんの接待用なんか、それとも遊女や業者たちの憩いの場やったんかはわからんけど、
延命新地にあった洋食屋は「八景亭」という名前やったそーです。

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その洋食屋はさすがに残ってへんかって、今はご覧のとおり駐車場であります。

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逆に、大正時代の地図じゃ更地なところに「いかにも」という建物が。
これは間違いあらへんと思うんやけど、何せ手元の資料にゃ「更地」やさかい、詳しいことは不明です。



で、延命新地巡りも一段落してふと遠くを眺めてみたら・・・


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お???

なんか俺が好きそうな建物発見!
和風なよーな洋風なよーな、もしかしてこれは遊郭の生き残りの建物かも!?

と思って、この建物の正面を探して商店街の中へと入っていきました。


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謎の建物の正面まで来てみたら、どーも洋風で遊郭の建物やなさそーです。
せやけど、この風格といい、とんだ場違い・・・失礼、「何でこんなとこにこんな建物が?」的な不思議さを漂わせた、ちょっとオーパーツのよーなこの建物、
早速手持ちの文明の利器アイポンで調べてみたところ、この建物は

旧住井歯科医院

と言うて、昭和5(1930)に作られた建物らしいですわ。
びっくりしたんは、外見はどー見ても「洋風」やのに中身は「木造2階建て」だそーで、日本の風土に合わせたある意味和洋折衷ものなこと。
外観だけやったら、一昔前の中国は上海の旧共同租界地区にゴロゴロ転がってたよーな建物やけど、上海のはレンガ作りでこっちは木造、うーん、建築というやつは奥が深いよーで。
で、この建物を設計したんは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカ人の建築家で、
建築家の顔を持ちながら滋賀県を本拠地に置いた実業家でもあり、「青い目の近江商人」と呼ばれてメンソレータムを日本に普及させた人物でもあったそうな。
建築家としては今でも残る同志社大学今出川キャンバスの校舎や神戸女学院大学、関西学院大学の校舎などの設計も手がけた人物で、
戦争中もずっと日本に滞在して日本国籍も得て、結局日本で死去した人でもありました。
近江八幡市にゃヴォーリズ記念館っちゅー、彼の自宅を開放した記念館があるみたいやけど、
彼の人生を調べとったら、日本風な木造の洋風建築も彼のセンスから来たもんで、日本を第二の故郷として戦争中もアメリカに帰ることがなかったヴォーリズの日本に対する造詣の深さが垣間見えます。
レンガ造りにしたら、日本の気候風土やと通気性が悪すぎて湿気がひどい初夏~夏には地獄になるさかい、木造にして暑い夏も快適に過ごせるように配慮したんやと思います。


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どうも今は現役やないみたいやけど、門構えや門の壁は当時のままなんだそーな。


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どうやら、邸宅の奥側は住宅になっとるみたいですわ。
せやけど、どっからどう見ても「木造」にゃ見えん。


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延命新地の西側には、「延命公園」という公園があります。
市民の憩いの場として延命山という小山を整備して作られた公園で、桜の木が植えて春になったら花見の名所にもなるそうですわ。
ちなみに、遊廓の「延命新地」はこの延命山からつけられたもんです。

そこに、ひっそりとある石碑があったりします。


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「忠魂碑」

という、戦争で亡くなった人の霊を慰めるために作られた石碑です。
石碑の前にある五芒星(☆マーク)からして、陸軍関係なことは素人の俺でもすぐわかるんやけど、
八日市から出兵した人たちのか、八日市にあった飛行聯隊の戦死者の共同慰霊碑かな、と思って近づいて見てみたら、

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一個人、それも一兵卒の忠魂碑やったりしました。
昔、大阪市内のど真ん中にある日本最古の陸軍墓地、真田山陸軍墓地のことを書いたことがあるけど、
同じ軍人のお墓でも一兵卒の墓は質が悪い墓石を使っとるさかい崩壊が激しいけど、将校などの偉いさんのは質がええ石を使っとるさかい、100年経った今でも保存状態がええって話をしました。
この八日市の忠魂碑にある「高瀬清太郎」なる人物は、上等兵っても一兵卒の中でも古参兵な程度、軍隊に3年おったらほぼ自動的にGETできる階級です。
上等兵一人のためにこんなええ石使った忠魂碑が建てられるなんて異例中の異例ですわな。

この忠魂碑の保存状態は至って良好で、画像見てもわかるよーに石に彫られた文字もはっきり読み取れます。
それによると、明治29年12月15日に台湾の大坪頂という所で23歳で亡くなったそうで、
明治29年(1896)って何があったのか?というと、
前の明治28年に日清戦争が終わって、下関条約によって台湾が日本の領土になりました。
中国(清)側から見れば「あんなとこ(台湾)くれって・・・日本バカじゃねーの?あんなとこくれてやるわい」的な処置やったけど、
台湾に住んでる漢民族の一部が「日本の言うことは聞かん」と武装蜂起して「台湾民主国」って国を作って独立宣言したものの、日本軍がやってきたら見事に崩壊してしまいました。
それどころか、崩壊した「台湾民主国」の軍隊が盗賊化して街を荒らす始末で、地元の知識人が「日本軍さん、どうにかして」と日本軍の陣地に駆け込んだくらいだったそうな。
で、そんな乱暴狼藉を働く人間を追い出して、明治29年に台湾総督府ができてめだたしめでたし。
・・・とそうは素直に問屋が卸さんかったよーで、原住民を中心に日本には従わんグループが武装蜂起して、駐留してきた日本軍を悩ませたりしました。
それは明治31年(1898)に児玉源太郎台湾総督と後藤新平民政長官のコンビが、有名な「生物学的統治」によって地元住民懐柔策を取るまで続いたんやけど、
当時の日本軍を悩ませたのは、実は原住民の反乱やのーて、台湾に蔓延しとった病気のこと。
台湾は「瘴癘(しょうれい)の地」と言われとって、熱帯性の病気が蔓延してどうしようもない状態でした。
特に熱帯性マラリアはマダライエカという蚊が媒介しとるさかい防ぎようがなく、実際にドンパチして銃弾が当たって死んだ人より、マラリアで死んだ人の方がはるかに多い始末でした。
この忠魂碑にある「高瀬清太郎」なる人も、石碑にゃ「戦死」って書いてるけど、実際はマラリアで死んだんやと思います。

で、彼が戦死した「大坪頂」ってどこじゃ?と気になって調べてみました。
もちろん、「高瀬清太郎」氏のデータはないんやけど、台湾に住んでたことがある俺もこんなマイナーな、どこにでもありそーな地名は聞いたことあらへん。
台湾のサイトで調べてみたら、『大坪頂』って何ヶ所かあったんやけど、いちばん可能性が高いのは、今の台中市と台南市の間にある「雲林県」という所にあった「大坪頂」。
今は地名としては残ってへんけど、ここは原住民がいっぱい住んどったとこでもあって、1896年4月に日本統治に反対する地元と日本軍混成第二旅団で激しい戦いが行われとります。
「高瀬清太郎」氏が戦死したんは12月やさかいこの戦闘とは関係ないけど、「大坪頂」があった雲林県で日本軍はかなり手荒いことをしたみたいで、国際的にも日本軍のモラルのなさを指摘される事態になったそうです。
日本領になったとは言うても、当時は反乱に継ぐ反乱で内戦状態やった上、熱帯気候でマラリアの巣窟やった台湾は「異国」言うてもええ存在、
そんな故郷から遠く離れたとこで死んだ彼は、どんな気持ちで当時を見てたことなんでしょうか。

せやけど、上にも書いたけどたかが一兵卒の高瀬清太郎なる人物の忠魂碑が何故こんなに立派なん?
という謎が俺の頭の中に残ったりします。
陸軍中将くらいやったらこの大きさはわかるんやけど・・・。
忠魂碑自体は、明治32年(1899)に作られたもんやとは忠魂碑自体に書いてるんやけど、
「高瀬清太郎」さんの父親あたりが地元の実力者とかやったに違いない。

この忠魂碑の謎を残して、八日市編を締めようと思います。



さて、お次の予告編は・・・

やっと


やっと


やっと


海を越えます(笑

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: タイトルなし

>mihoさん

コメントおおきにですm(__)m

> 私はむかーしから遊郭跡を見ると、切ないような悲しいような何とも言えない気持ちになっていたというかなり変わった小学生だったわけなんですが
> こないだ視えるヒトに「前世は女郎さんだったよー」と言われてしまいました・・(^_^;)

遊郭に興味ある女性に聞いてみたら、こういう感覚の人多いみたいですよ。
男から見たら遊郭とか赤線なんて「黒歴史」中の黒歴史、生理的に拒否反応起こしてもおかしくないんちゃうかな?
と思うんですけど、女性で興味ある人は予想以上に多いですね。
もしかして、俺も前世は遊女かもしれません!?
今男やからって前世も男とは限らんさかい(笑
2011/12/19 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ Re: 海外!?

>おおやまさん

淡路島・・・行きたいですね。
せやけど、俺やったらそのまま四国に行ってまいそうで(笑
2011/12/19 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 

こんにちは。
以前河内長野の件でコメントしたものです(*^_^*)

久しぶりにのぞいてみましたら、いやー読み応えあります!
写真も良いですし、遊郭跡フリーク(?)の自分には嬉しい限り・・ほんと昔の建物は素敵すぎます。
そんなたくさんの古い建物や街並みがなくなっていくのは嫌ですね~。
私も億万長者だったら買い取るのに、と思うこともしばしばです。
私はむかーしから遊郭跡を見ると、切ないような悲しいような何とも言えない気持ちになっていたというかなり変わった小学生だったわけなんですが
こないだ視えるヒトに「前世は女郎さんだったよー」と言われてしまいました・・(^_^;)

オフ会とかいいですね~。
大阪にいたなら参加したい!
長々失礼しました(^.^)

2011/12/01 URL miho #LPbGJ9wA [編集] 

■ 海外!?

ついに!

淡路島ですか。。。
2011/11/27 URL おおやま #- 

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