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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■聖徳太子は予言者だった!?

まずは、何か懐かしい「特命リサーチ200X」という、昔テレビでやっとった番組をどうぞ。






今から11年前にテレビでやっとったこの動画のお題は

「聖徳太子には予知能力があった!」

ということ。
聖徳太子が残したという予言書が残っているそうですが、
そこには、聖徳太子が亡くなった千年後の未来のことが書かれていた、ということ。

この「特命リサーチ200X」の内容だけを見たら、
「そうなんや、聖徳太子すげー!」
となるんやけど、「テレビが言うとることはすべて正しい」なんておめでたいことを言うとる人に、
「ちょっと待った~!」
と敢えてケンカを売ってみます(笑


中国古典の『論語』には、孔子と弟子のこういうやりとりがあります。

子張問う。十世知るべきか。
子曰わく、殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)る。損益するところ知るべきなり。
周(しゅう)は殷(いん)の礼に因(よ)る。損益するところ知るべきなり。
其の或いは周(しゅう)に継ぐものは、百世といえども知るべきなり。

(為政第二―23)



『論語』は2500年前に書かれた書物(と言われている)ですが、
この文を現代っぽくかつ俺の勝手な解釈で訳したら、
弟子が「百年後の未来を予測することは出来るんですか?」と質問したのに対して、孔子は「ちゃんと過去の歴史を数百年分調べたら、百年先どころか千年先の未来でもだいたい予想できるよ」と答えたものです。

動画の2:55くらいで語られている、聖徳太子の言葉の
「過去1000年のことがわかれば、未来1000年のこともわかる」
というのも、

『論語』のパクリやん!

ということがわかります。
儒教は仏教と同じ時期に日本に伝来したと言われとります。仏教が日本に伝来したのはちょうど聖徳太子の頃、というのは中学校の社会の授業レベルの一般常識ですね。
その時に、『論語』が日本に入ってきても何ら不思議やない。
というか、聖徳太子が作ったと言われる『十七条憲法』の有名なフレーズの「和をもって貴しとなす」って、『論語』にも同じことが書いていて、聖徳太子めカンニングしたな(笑)、ということがわかります。
聖徳太子はもちろん大陸からの先進的な知識である『論語』も読んでいて、
「和をもって貴しとなす」はもちろん、「過去1000年のことがわかれば、未来1000年のこともわかる」という部分も「我が意を得たり!」と思ったのか流用させていただいた、
という見方もできます。
今やったら「それ我らのパクリアルよ!」と締め上げられそうやな(笑

じゃあ、聖徳太子の予言と言われる書物にゃ色々当たってることも書いてるやん!
という反論もあるかもしれません。

でも、これは「先見性」があれば何百年先はさておき、「ちょっと先のこと」なら読めたりします。

* * *
旧日本海軍に、井上成美という人がいました。
彼はあまりの頭のキレと理屈っぽさから「カミソリ井上」「井上1トン爆弾」と言われ、のちに「最後の海軍大将」として歴史に名を残すことになります。
その井上が軍艦の艦長(大佐)だった時、海軍の青年将校が起こした515事件という事件が起こります。
のちに井上は横須賀の鎮守府の参謀長(少将)になるのですが、

「515事件が海軍主導で行われて、陸軍は絶対に『先を越された!次は我々だ!』と思ってる。
515事件のような、いやそれ以上の大事件がここ2~3年で必ず起こる」



と「予言」しました。
実際、226事件という形でそれが現実になってしまったのですが、
井上は自分で「予言」してたせいかあらかじめ準備していて、新聞記者から226事件の速報を聞き「ほら来た!」と横須賀の海軍でもあった「226事件の青年将校に続け!」という動きをピシャリと抑えて、身動きが取れないようにしておきました。
226事件って陸軍内のクーデターって見られていますが、実は海軍内でも同調する動きがあって、事実東京の軍令部と、弱気な海軍省の首脳は陸軍の動きに同調するつもりだったのですが、
(※軍令部総長の伏見宮元帥が陸軍の「皇道派」と似たような考えで、今でも「226事件の黒幕」と言われてる真崎甚三郎(陸軍大将)と頻繁に電話していたことが、平成になって見つかった電話盗聴記録から明らかになっています。また、真崎は226事件の一報を聞いて参内するまで3時間も「行方不明」になっています。一般常識で言えば天皇に報告するために皇居にすっ飛んで行くはずやのにね。これは226事件研究家の間で「真崎の謎の三時間」と言われていて、おそらく伏見宮に会って対策を相談しに行ったのだろう、という説が有力です。伏見宮元帥は皇族なので元海軍軍人でも「触らぬ神になんとか」ですが、俺は個人的に彼は非常に「怪しい」と踏んでいます)
東京も警備範囲の横須賀鎮守府の長官、米内光政と井上のコンビ、そして聯合艦隊司令長官が「アホか!我々は独自の行動を取らせていただきます」と中央の命令を無視したことは、意外に知られていない「海軍側から見た226事件」だったりします。

この毅然とした対応が評価されたのか、長官の米内はのちに海軍大臣、井上は軍務局長という、会社で言えば常務取締役兼総務部長のような地位につき、
考え方が同じだった海軍次官(海軍ナンバー2。今風に言えば防衛省事務次官)の山本五十六とトリオを組み、
米内・山本・井上の「海軍省スリートップ」がのちに「海軍三羽烏」と言われる活躍を見せます。
この時期の山本五十六の活躍を中心とした映画が、実は来月に公開されるのですが、
(山本は役所広司が演じるそうです)
「山本五十六=聯合艦隊司令長官=真珠湾攻撃」しかイメージのない人は、是非見に行って下さい。イメージが180度変わると思いますよ。

で、アメリカとの戦争が避けられそうにない状況になった昭和16年初頭、井上成美は海軍首脳に爆弾のような内部文書を出します。
「新軍備計画論」という、題名だけなら他愛もないものですが、内容は「これからは航空戦になります。戦艦なんかただの鉄の塊になります」「アメリカと戦争すれば、日本全土が焼け野原になりますよ」というもの。
「これからは飛行機の時代だ」は、日本海軍内でも
「軍艦どうしの大砲の打ち合い(艦隊決戦)で決める」
という大艦巨砲主義が常識だった考えに、
「あんたらアホか。お前ら明治時代から脳みそ進化してねーじゃねーか」
と冷水をさしたものですが、これを理解できたのは「同志」だった山本五十六くらいだったと言います。
今の時代になって、我々が昭和初期を歴史として見たら、「飛行機の時代」なんて一目瞭然やし、軍艦どうしの決戦に賭けとった海軍軍人はアホかと思えます。
せやけど、上にも書いたよーに大艦巨砲主義は当時の海軍の常識で、アメリカ海軍でさえそう思っていました。
今でこそアメさんのお家芸というか専売特許になっとる「空母機動艦隊」ですけど、世界初の空母機動艦隊作ったんは日本海軍なことは、当の日本じゃ全然知られてませんわな。
そして、「戦艦なんか時代遅れ。大和・武蔵なんかスクラップにして全部飛行機にしてしまえ!」「それが出来ないなら大和と武蔵を空母にしろ!」「いや、空母も作らなくていい。太平洋の島に飛行場を作って『不沈空母』にしてしまえ!」とまで言い放った井上の思想が、当時の常識から見たら先を読みすぎてキチガイ扱いされたってことですわ。

また、「潜水艦を使って輸送船破壊をやりますよ」というものもあるのですが、
これもアメリカ軍はその通りやって、輸送船が通る海路に潜水艦を大量に忍ばせて、資源が豊富な南方から物資を日本に輸送して持久戦に備える、という日本側の皮算用を見事に打ち砕きました。
物資輸送から見た太平洋戦争を書いた、大井篤(元海軍大佐)が書いた「海上護衛戦」という本がありますが、
これを見ると昭和19年夏には日本は輸送面で「脳死」になっていて、逆に言うと「脳死」から1年も持った日本ってすげー、と感心したりします(笑

この「アメリカと戦争したら、我々の方が壊滅しますよ」という爆弾文書のせいで、井上は中央から追い出されて左遷されてしまうんやけど、
「人間万事塞翁が馬」とはよー言うたもんで、左遷された上に更に左遷の海軍兵学校校長に就任したことが、のちに今でも「伝説の校長」と語り継がれ、防衛大学校や海上自衛隊の教育方針にも受け継がれる活躍を見せます。
時は戦争まっただ中、
「英語は敵国の言葉なので廃止しましょう」
という声に
「英語は国際共通語である。これ国際常識。英語がしゃべれん人材など海軍に要らん!」
と突っぱね、兵学校の卒業式に流されとった「蛍の光」が
「敵国の曲なので廃止しましょう!」
(※ご存知のとおり、「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡)
という声も
「世界的名曲に敵も味方もあるかアホ!」
と突っぱねました。
また、
「戦争中なので兵学校の教育を短縮せよ!」
という海軍大臣からの命令も、
「私が校長してる間は断じてお断り!」
元帥の永野修身や昭和天皇の弟宮の高松宮が説得に訪れても、NOったらNO!を突きつけました。
「非国民」と海軍内部、いや、兵学校の生徒からコテンパンになじられても絶対に意見を曲げなかったのですが、
そんな当時の空気に徹底的に反発した井上には、ある信念がありました。それは・・・

「日本は絶対に戦争に負ける」

ということ。
要するに、「戦争に負けた後に日本を立て直す人材を作っておく」のが井上の本心で、もちろん軍人としては「そんなこと口が裂けても言えなかった」(戦後の井上談)んやけど、
戦争に負けるまでは誰にも言わなかった本心に気づいたかもしれん唯一の人物がおりました。
それが、終戦時の総理大臣で海軍大将でもあった鈴木貫太郎。
ある日、鈴木貫太郎は兵学校を突然アポなし訪問したのですが、いきなり井上に向かって「井上君、兵学校の教育の効果が現れるのは20年後だよ、20年後!」と言い放ちました。
井上はその言葉を笑顔で聞いていたそうですが、横で聞いとった井上の秘書は昭和40年、つまり「20年後」に鈴木の言葉の意味と井上が頑として教育方針を曲げなかった理由がわかったそうです。
のちに井上は昔の上司やった米内光政が海軍大臣に復活した時に、米内の三顧の礼に「貫禄負けして」て海軍次官として復活、影で終戦工作を行い、鈴木貫太郎は終戦時の総理大臣、「日本丸」の艦長として昭和天皇との阿吽の呼吸で日本を終戦という港に無事入港させることに成功します。

ちなみに、これにゃ個人的な「後日談」があります。
数年前にYahoo!知恵袋で井上成美の質問があったさかい何気に答えとったら、
ある人の回答で、
「私は井上校長時代に兵学校を卒業した者です。今でも井上校長を尊敬し、敬愛しております」
というのがありました。
当時兵学校を卒業した人って、どんなに若く見積もっても80代前半になる年齢、
井上成美の教育って今でも残ってる、教育って何十年も残るもんなんやなと感心しました。
まあ、「80代もネットする時代なんや~」と違う意味で感心もしたけど(笑


また、陸軍側にも堀栄三という参謀(少佐)がいて、陸軍ではレアな情報専門の参謀でした。
彼はアメリカ軍のフィリピン上陸の行動をすべて先読みして当てて、それがあまりに当たるので「マッカーサー参謀」というあだ名をつけられたのですが、堀栄三自身は「フィリピンの地形を調べ、過去のアメリカ軍の動きを分析し、『自分がマッカーサーならどう動くか』を考えたに過ぎない。他愛もないこと」と自伝に書いています。
堀栄三が天才やったわけやのーて日本軍ってそんな見識もなかったわけで、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」って言葉が『孫子』という兵法書に書いてるけど、「敵も知らず己も知らなくて勝てるわけがない」と続いていたりします。
情報と敵を侮りすぎた日本軍は「敵を知らず己を知らず」、負けるべくして負けたってことですわな。
堀栄三氏は旧陸軍じゃ「特殊能力」とも言える情報分析能力と、情報を軽く見過ぎた旧軍の反省から陸上自衛隊の情報専門家になり、海外勤務を主に経験して陸将補までなっとります。
この堀栄三の自伝は、今でも「情報はタダと思ってる」日本人の情報音痴ぶりを批判もしていて、今のビジネスマンも「イタタタ・・・」と心が痛くなるよーな内容になっているので、読んでみると面白いですよ。
ちなみに、この堀栄三氏のお父さんは堀丈夫と言って、上に書いた226事件を起こした青年将校が所属しとった師団長、つまり青年将校たちの上司の上司の上司にあたり、事件後に管理責任を取らされて予備役(クビ)になっとります。

つまり、

幅広い知識と先見性があれば、ある程度は「予言者」になれる

ちゅーことで、
聖徳太子も当時「世界最先端」の知識や技術を取り入れるにつれて幅広い知識や見識を身につけ、
当時からしたら「とんでもない物知り」だったことでしょう。
そして、それを基にした「先見性」で先の未来をある程度読めた、それが伝説になって「予言者」という説が出てくる理由でしょう。
ぶっちゃけ、特命リサーチ200Xはテレビ番組なのでオーバーに表現してますが、
知識と見識を蓄えて「ちゃんと歴史を勉強する」と不可思議でも何でもなかったりします。
テレビ番組もオーバーやなー、「ネタ明かし」したら、堀栄三の言葉借りたら「他愛もないこと」やん(笑


せやけど、アホーな俺がそこまでの境地に至るのは、生きとる間は無理やわ・・・(汗

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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: 歴史ファン

>すずもとさん

遊郭・赤線以外の話も気分転換にはいいでしょ?

> 聖徳太子は実在しなかったという学説があるのをご存知ですか

これは知ってますよ。有名な肖像画も実は蘇我馬子とか、全くの想像だとか何とか、いろいろ説はあるみたいですけど、俺は「実在はした」説を取っています。でも「十人同時の話を聞けた」とかのスーパーマンではなく、当時卓越した知識を持った政治家・学者としてです。

この時代は確かに謎もめちゃ多いさかい、興味をそそる時代でもありますね~。
極論を言うたら、当時のこと書かれた日本書紀もどっか都合のええよーに改ざんされとる可能性もあるけど、真実は一つ。
遊郭のこともそうやけど、今まで常識と思っとったことをひっくり返すんがまたたまらん快感なんですわ(笑
2011/11/18 URL BJのぶ #- 

■ 歴史ファン

拝啓 のぶさま いつもの赤線ネタではなく またには歴史上のお話しもいいですね 関西は聖徳太子のみならず日本文化の歴史の起源があり本当にいいとこだと思いますよ ところで突然ですが 聖徳太子は実在しなかったという学説があるのをご存知ですかべつにのぶさんのお話しに水を差すとかそういう意味ではないですが 結構聖徳太子とか推古天皇とかあの時代には日本国 建国にまつわるいろいろな 謎か沢山あり私個人的に興味深い時代だと思います たまにはこういった話もいいですね ではまた 敬具
2011/11/17 URL すずもと #- 

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