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消えた遊郭・赤線跡をゆく 大阪一DEEPな所編 探索2回目

先日、「あいりん地区」こと釜ヶ崎にあったという青線の残骸を訪ねた探索に行ったんやけど、
気候もだいぶ涼しくなって天気も良好、寒くなって「猫はこたつで引きこもる」前に第二弾探索隊とあいなりました。
男は黙ってサッポロビールな有言実行、やるったら必ずやるのだ(笑
前の探索はこちらね。

家から最寄り駅のJR新今宮駅までは定期券1枚、電車も一本、電車の中で爆睡しとったら勝手に着いてるよーな感じです。


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釜ヶ崎よ、私は帰ってきた!

・・・と言う程でもないか、前回行ったの2週間くらい前やし。

それはおいといて、まずは紀州街道を南下します。

11092402

紀州街道は名前の通り、大阪と当時は徳川家の親藩が治めとった和歌山を結ぶ道で、遊郭の絡みで言うとこの道沿いに乳守遊郭と貝塚の遊郭がありました。
また、住吉大社へ参拝する道でもあったさかい、住吉までは「住吉街道」って名前でも呼ばれとります。
その昔、1910年頃(明治43年)にはこの紀州街道沿いには旅人のための安い宿場が点在し始めたと記録にあるけど、大正10年(1921)の『大阪朝日新聞』によると明治37年(1904)に釜ヶ崎にドヤ(木賃宿)が創立されたとしとって、その創立当時の宿には一泊する客はほとんどおらず、賃貸マンション代わりに住み始めた人間ばっかと書いとります。
前章にも書いたよーに、その前には今のでんでんタウンあたりにあった「名護町」っちゅー貧民街を追い払われた下層住民が、新しい場所を求めて「安宿」があった今宮周辺に集まり、今の釜ヶ崎になったという流れやけど、
ここの設立って意外に謎な部分が多くて確定要素はまだありません。
今は隣に敷かれた堺筋の方が道がデカいし交通量も多いけど、今でもここあたりが「あいりん地区」のメインロードであります。

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前回回ったとこは、上の地図の青で塗ったとこやったんやけど、
釜ヶ崎の青線は今の南海本線の萩之茶屋駅の北、南海本線沿いまであったと警察の地図には記されとります。
つまり、青で塗った部分+赤で塗った部分が青線やったってことね。
ちなみに、萩之茶屋駅前にも天下茶屋近辺探索の時に「いかにも」って建物があったんやけど、
手持ちの地図じゃ駅前(昔の東萩町)は青線区域にゃギリギリ含まれてへんみたいですわ。
まあ、あくまで「ギリギリ」やさかい、実際はどーやったか、「極めて濃いグレーゾーン」やったんちゃうか?っちゅーのが俺の見解です、証拠はあらへんけど(笑
今回は、地図で言う赤で塗った部分を主に探索します。

で、ちょっとその前に!
「何を今更」的なとこもあるけど、「青線」って何ぞや?
遊郭や赤線は聞いたことあるはずやけど、「青線」はこういうのに興味があってうちのブログ覗いてくれとる人でも、あまり知識量が多くない人やったら「???」になるはずやさかい、ちょいと解説しよう。←ヤッターマン風

日本は昭和33年の売春防止法施行まで、売春は合法やったけど、何もどこでも無条件でOKというわけやなく、
『遊廓(遊郭)』という、決められた区画でのみOKというものでした。
遊廓は内務省警保局(今の警察庁)と各都道府県の警察、そして各県の厳しい管理下におかれました。
俺がよく出典に出す『◯◯県統計書』とかに遊廓のデータがあるのはそのためです。
せやけど、それはあくまで表向きというか建前だけ、実際は遊廓以外でも売春行為は行われとって、
戦前はそれを「私娼街」とか「私娼窟」と呼んでました。
また、ほとんど語られることはないけど、そこらへんにある大衆食堂の二階で「裏営業」しとったり、母子家庭なんかで隠れて自宅で売春行為を行ってたり・・・ということもあったみたいで、
前者は海軍のこと調べとったら元軍人の回想録にあった話で、後者は、母娘が同じ男と「穴友達」に・・・というエロビデオを見たことがあります(笑

そして戦後、遊廓はアメリカによっていったん廃止されるんやけど、色々すったもんだがあって復活します。
その「すったもんだ」は本気で書いたらブログ一個分になるさかい、後の機会にするとして、
元遊廓や私娼窟やった所が昭和21年の内務省通達「風紀上支障のない地域に限定して、集団的に(売春を)認めるように措置する」という、何が言いたいのかわからんお達しが出て形を変えて復活するんやけど、
警察が管理する地図にはその地域を赤いペンで囲っていたそうです。
そのため、戦後に復活した遊廓や私娼街でかつ警察が認めた所を「赤線」というスラングで表現し、それが「赤線」の語源であります。
警察は売春行為を行う店を『特殊飲食店(カフェー)』という何とも胡散臭い名前で許可したさかい、赤線の正式名称は『特殊飲食店街』と言い、赤線のことを「特飲街」とも言いました。

せやけど、時代は戦後の混乱期、この時代は今の日本人の想像をはるかに超えた無法地帯でした。
「赤線」はちゃんと警察に認められた所やけど、やっぱし「モグリ」もいっぱいおって、
そこは「飲み屋」とか「食堂」「旅館」などで営業しつつも実は・・・ってエリアがありました。
主に大陸から流れてきた引揚者や、家族を失ったりした女性が、生活のために手っ取り早く金になる売春を集団として行ったとこや、赤線の周りに構えて「おこぼれ」を頂戴するような所が多く、
そこは売春を敢えて堂々とすることによって警察に既成事実を突きつけて黙認してもらおうというわけで、
実際はたまに取り締まりはあるものの、実際はほとんど黙認状態でした。
もちろん警察もそこはマークしとるさかい、内部の地図には赤線と区別するために青いペンで囲っていました。
それが「青線」と呼ばれるようになった由来であります。

有名な青線は、ここ釜ヶ崎の他には、東京にあった新宿2丁目遊郭の後進の赤線の周りに出来た青線(花園神社周辺、歌舞伎町など)や、吉原遊郭の周辺に出来た山谷あたりなどがあり、
大きな赤線(元遊郭)の周りに衛星のように存在するので、そこらを俺は「赤線衛星型青線」と勝手に呼んでおります。
また、岐阜県岐阜市のど真ん中にあった、大陸からの引揚者が神社に不法滞在してそこが青線になった「国際園」なんかも東海の住民で知らん人はおらんかったというくらい有名で、ここはお上公認の赤線の「金津園」と真っ向から対抗して対立した所であります。
あとは、大阪なら今でも現役の「信太」「滝井新地」や、天六こと天神橋筋六丁目や今の阪神百貨店の裏あたり(俗に「大阪駅周辺」)、以前ブログでも書いた河内長野などがあり、人の記憶や『全国女性街ガイド』なんかは「赤線」としてるけど、大阪府や大阪府警のデータは「青線」やさかい、少なくても公的機関は赤線とは認めてへんかったということになります。
ま、やっとることは同じやさかい、客にとっちゃ赤線やろーが青線やろーがどっちでもええやろーけどね(笑
ちなみに、今の風俗街も形は「料亭」」とかで登録しとるさかい、分類すれば「青線」になったりします。

また、エリアはある程度決まってるものの、神出鬼没の立ちんぼが立っとる所は「白線」(「はくせん」、または「ばいせん」)と呼ばれていたそうで、「黒線」「黄線」「桃線」なんてものも大阪にはあったらしいけど、詳しいことは知りません。

赤線は「一目で『それ系の店』ってわかるように、ケバい外観にせんかい」って警察からご指導があったさかい、
旧赤線の場所はケバい装飾のタイル貼り装飾が残ってたりするんやけど、
青線はモグリやさかい、たいがい見た目は普通の家やったり店やったりします。
せやさかい、赤線跡と違って場所の特定も建物の発見も非常に困難になっとります。
せやけど、ほとんど「準赤線」みたいな青線やと、赤線と同じくタイル貼りのケバい色使いや、かなり凝った外観のとこもあったみたいで、
トキオの新宿にあった赤線の周りにあった青線を、作家の五木寛之はこない表現しとります。

「西日を浴びた建物は何となく白けた感じで、ネオンのガラス管や、タイル張りの壁や、洋風のレリーフや、ギリシャ建築まがいの円柱などがしんと静まり返って立ち並んでいる」

『青春の門』より



わかる人にゃ、「赤線と変わらんやん(笑」って感じるやろーけど、青線によっちゃ赤線と変わらんかったりしとったみたいですな~。
ちなみに、五木寛之は最近スピリチュアルに走っとる傾向にあるけど、赤線・青線に通ってた世代の一人、
『青春の門』は新宿2丁目の青線を、エッセイの『風に吹かれて』は千住の赤線通いのことを書いとるさかい、
こういうのを調べとる人は必須の書やと思って一回読んでみてくんなはれ。

この説明を踏まえて探索・・・なんやけど、
前回の動物園前や飛田商店街あたりは、別にデジカメ片手に鼻歌まじりで歩いとっても危険は全然感じへんかったけど、
「チンチン電車」こと阪堺線を越えて西へ向かったら、空気読めない鈍い俺でも1秒で認識できたくらい流れる空気がガラリと変わりました。
どない表現してええかわからんのやけど、一言で言うたら「ガラが悪くなった」って表現してもええでしょう。
仕事にあぶれたか、昼間から道端で酒を飲んでとぐろを巻いとる初老の男、スタンドから聞こえるカラオケの熱唱、どこからか聞こえる男の奇声、そして「大便と小便と汗と安物の洗剤のが混ざったような独特の臭い」が、「ただならぬ」空気のハーモニーを奏でとるよーでした。
そして、俺の脳の最高司令部が「第一次戦闘配備」を発令した瞬間でもありました。
相手が釜ヶ崎やさかい、出来るだけ「小汚い格好」をして行ったつもりやったけど、それでも明らかに俺は浮いとる・・・。
ここは明らかに、昼間でも女性の一人散歩はかなり存在が浮くと思われます。それでも、白昼堂々と身ぐるみ剥がされるって程でもないと思うけどね。歩いてるだけじゃ生命の危険までは感じません、たぶん・・・。
まあ、これが外国の本物のスラム街やと、俺はこの時点で確実に身ぐるみ剥がされた上に殺されて放置・・・ってところでしょ(汗

頭と体は「第一次戦闘配備」のまま、時々突き刺さる、「お前何やねん」的な視線を感じながらもそれを無視しながらお目当ての遺物を探しとったら、

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明らかに
クロ
な建物発見!
この建物の作りは間違いない、そして説明不要でしょう。


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上の建物の向かいには、「二見ホテル」と書かれた建物が。
「あいりん地区」には全然似つかわしくない、いつ建てられたんかは知らんけど、当時はかなりモダンな建物やったと思います。
まるで、うちの元地元の堺の浜寺の高級ブルジョア住宅街にあってもおかしくないような洋風建築、
せやけど玄関の色使いのケバさから、何か違うっぽいのが写真からでもわかると思います。

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窓に金網がしとるんは建てられた当時からなんか?
いや、ここあたりの「ガラの悪さ」を示しとるのか?

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この建物の玄関先も撮らせてもろたら、これはもう確定。昔の生き残りでんな。
きれいなタイルとなっとります。


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とある居酒屋なんやけど、
居酒屋にしては建物の前がやけに独特な上に、やけに奥行きありすぎちゃうかい?とツッコミ入れてまいそーな感じなんがわかると思います。
これは昔はアパートで、その昔は・・・まあそういうことでしょう。


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やけにデザインがおもろいというか、アクが強いというか、パッと目についた建物です。
せやけど、この写真を撮った途端にどこで気づいたんか、この2階の窓が突然ガラリと開き、スキンヘッドのおっさんが俺を睨みつけてきました。
おお怖、やっぱここは怖い(汗



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そして、釜ヶ崎の「ガラの悪さ」を象徴しとるよーな建物がこれ。
やけに高いフェンスで囲まれたこの建物・・・実は小学校やったりします。
こんなとこに小学校が!?て言われても、あるもんはあるんやけど、
まるで刑務所もどきのよーな厳重さ、ここは「日本で唯一今でも暴動がある地域」って言われとるとこやさかい、投石とかそーゆーのがあったり、
小学校に住み着いて居座る輩がおるからかもしれませんな。
まあ、この1枚でここがどんなとこか、ある程度はイメージできるはず!?


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怖いもの見たさ(?)で裏路地を歩いとったら、こんなもんを見つけました。
どっかの福祉団体がやっとるんか、労働者のための「貸本」なんやけど、貸本言うてもレンタル無制限&登記不要=無料で本あげるってことやろな~。
そうか、ブックオフでも売れず、図書館でも寄付受け入れてへんよーな本は、こういうとこに「貸して」あげたらええんか。
今度大量に本を寄付しに行こうかしらん。
ヘタにブックオフに引き取ってもらって廃棄処分されるよりは、こっちに寄付する方がまだ社会貢献しとるか!?


で、ここ釜ヶ崎周辺は、明治時代から今でも続く「ドヤ(木賃宿)」の密集地帯なんやけど、
新今宮駅周辺は、前回に書いたよーに外国人バックパッカーの溜まり場になっとって、日本語と英語が併記されとったりしてやけにインターナショナルになっとるものの、
ここ紀州街道西部は世界中の修羅場をくぐってきた百戦錬磨のバックパッカーも怖がって近づけないのか、それとも新今宮駅周辺で需要が事足りてるんか、
とにかく今でも不純物なしの「ドヤ」が立ち並んどるドヤ街になっとります。
いちおう形はホテルやけどほとんど「賃貸マンション」になっとる状態、それがまたやけに安いのであります。
部屋は4畳くらいやけど冷暖房完備、テレビと冷蔵庫付き(風呂とトイレは共同)で3万円くらい。
市街地の真ん中でこれは安い方やと思います。
そして、一泊で泊まったら・・・

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安!!

日本で「3ケタ」で泊まれるホテルが、1000円札1枚出してお釣りが来るホテルが存在するとは、話にゃ聞いたことはあるけど実際に見るのは初めてですわ。
東の「ドヤ街」こと東京の山谷地区は、最近かなりクリーンになってしもたらしく「ガラの悪さ」はほとんど感じへんかったけど、
その分物価も上がって、今は1000円台のホテルを探すのはけっこう難しい状態やさかい、ここあたりが「日本最安値」のホテル街かもしれませんな。

せやけど、こういうとこに泊まれる労働者はまだ恵まれた方らしくて、その「安!!」な家賃さえ払われへん人は正真正銘のホームレス、ここの近くの公園はホームレスが住むバラックが立ち並ぶ無法地帯になっとります。
最近はボランティア活動が盛んやさかい少なくなったけど、昔は凍死や餓死がザラやったらしく、野垂れ死んどる老人がそこらへんにおったそうな。
ここはさすがに部外者が近寄ったらあきません、もちろん写真なんてとんでもない!そんな雰囲気やありません。
俺もさすがにそこまで命知らずやありません、まだまだ生きてやりたいこといっぱいあるさかい、まだ死ぬわけにゃいかへん(笑


そんな「DEEPな地帯」を離れ、もう一回「魔界」こと釜ヶ崎東部に戻ってみました。
いや、萩之茶屋周辺の方がよっぽど「魔界」やったか。
前回回るだけ回ったつもりやったけど、見落としたとこが絶対にあるはず!と何の根拠もない確信を持ってました。
強いて言うたら長年のカンと言うべきか、それともここで働いとったオカマ・・・やなくて女たちが「こっちへおいで」と誘っとるんか。
前回根拠地にした、飛田新地へと続く「動物園前一番街」という商店街をまた少し外れて探索しとったら、

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廃線になった南海天王寺支線沿いに見つけた旅館。
これは、復習と次の予習用にようつべで見とった南海天王寺支線の車窓動画にもある旅館なんやけど、
ここは何かあるな、とカンがそうささやいとりました。
そして、ちょっと入口を拝見・・・


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やっぱし!!
この鮮やかな青いタイル使いは(以下説明不要


また俺は「魔界」の奥へと進みます。

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ん?何か発見。


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こ、こんなものが残ってました。
タイルの色は風化して剥がれとるみたいやけど、円柱はしっかり残ってる青線の遺物、こんなもんまで残っとったとは。
せやけど、残念ながらこの建物は近日中に解体されるみたいで、建物にはロープに「立入禁止」の張り紙が。
写真に撮るんやったら今のうちでっせ。

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今はアパートやけど、黒いタイルがまだ残っとる貴重な建物です。
ここらへんは、何か昔の雰囲気が残ってそうな、どんよりとしとるというか、何か呑み込まれそうな雰囲気でした。


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塗装が禿げたタイル貼りの一部が残ってたり、


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逆に綺麗な真っ青なタイルが残ってたり、


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奥の奥にあった、明らかに普通の家やない3階建ての建物。
この建て方は、昔々は何らかの「店」やったはずです。



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こんな旅館も残っていました。

探したらけっこうな「掘り出し物」がたくさん、たぶんこういうのを調べとる人からはあまりマークされてへんかった分、
発見した時はかなり新鮮でした。



そして最後に・・・ちょっとだけ飛田新地をつまんでみることにしました(笑


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これは、前回に出した1970年代後半か1980年代と思われる飛田新地の大門前の写真なんやけど、

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前回のあれが頭に残ってたさかい、「その20年後」ってお題で似たようなアングルで撮ってみました。
上が「使用前」、下が「使用後」・・・やなくて、下が今日撮りたてホヤホヤの写真です。
上の方の右側にある「アジア」って書かれた建物は今でもあるけど、タイルな部分はリフォームされたみたいで、2階部分に何となく面影があるな~!?ってな程度になっとります。
うーん、ちょっと残念じゃ。

で、これを撮った跡に飛田新地をフラフラ回ってみたんやけど、
大通りを自転車に乗った子供が走りまわってたり、近くの女子高生が数人、キャッキャ言いながら歩いてたり、松島みたいに「お兄さんお兄さん」と声かけられることもなかったし、「なんや、飛田ってこんなもんか」と拍子抜けしたな感じ。この拍子抜けはええ意味でね。
行った時間帯が昼前で店がほとんど営業してへんかったってのもあったと思うけど、これやったらつい数十分前に行った萩之茶屋周辺の方がよっぽど空気が異様やったわい。
まあ、ここも夜になったらガラリと変わるんやろなー。
せやけど、それでも俺は
「一番美味しいものは一番最後に取っておく」
主義やさかい、写真は敢えて撮りませんでした(笑

まあ、記念に


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かの有名な料亭「百番」はきっちり撮っときました(笑
今年の年末、忘年会も兼ねてここで遊郭・赤線オフ会でもしてみたいなーと思う今日この頃。


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ついでに、店が集まってるとこから少し外れとったせいか余裕で撮れた一枚。


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最後に、超安全圏から飛田新地を眺めてみる。
下の緑で塗った道が、もちろん大門から続く飛田遊郭の大通りです。
俺が写真に撮ったとこは遊郭の「東門」やったそーで、最近まである程度の面影があったみたいやけど、数年前の阿倍野の再開発できれいさっぱりお掃除されちゃったみたいです、残念無念。

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昔の東門です。
その昔は、門沿いに一杯飲み屋みたいなのがズラリと並んどって、上の写真にもチラッと写ってるけど、
今は「ホンマきれいさっぱりと・・・」とため息つきたいくらい、見事に面影も何も残ってませぬ。

せやけど、飛田新地の東側がこんな高台になっとるとは思わんかったわ。



というわけで、釜ヶ崎探索はこれで終わりなんやけど、
あとはクライマックスの飛田遊郭って期待が・・・

フフフフ、


「いちばん美味しいものは一番後に残す」

さかい、ここまで来といて天邪鬼というか往生際が悪い俺でした(笑

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Comment

Re: 初めてカキコミます。
>カワシさん

返信が遅れてしもて申し訳ないですm(_ _)m

飛田はさすがの俺もカメラはちょっと・・・ね。そこまでの根性おまへん(笑
百番は完全予約制&2名以上が条件やさかい、仲間がおらんとなかなか入られへんけど、
写真撮り直しリベンジはしたいさかい、またオフ会やって募集かけますわ。
カワシさんも時間があったら参加してみて下さいね、ここでも告知はするさかい。

ではでは、こちらこそよろしゅーお願いしますm(_ _)m
  • 2012-04-25│23:49 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
初めてカキコミます。
始めまして!
私は建物が好きで遊郭の写真をよく撮るのですが、飛田ではカメラを持ち歩くことが出来ず、夜中に百番さんを見たり、円窓のステンド眺めるのがいっぱいいっぱいです。

百番さん、入り口から中の様子を伺うことが出来ますがここまで凄いとは思いませんでした。全国的にも数少ない当時の姿のまま生きている建物はなかなかありませんよね。

京都五条と橋本の話なら多少は出来ますので良かったらお仲間にして下さい!

ヨロシクお願い致します。
Re: タイトルなし
>アラレさん

宮古の遊廓が残ってたんですか、今回の津波で跡形もなく消えてしまったみたいですね、残念。
ほな、塩釜や石巻、釜石や陸前高田にあった遊廓跡も絶望的ですね・・・。

今まで色んな所に行った経験やと、遊廓を黒歴史化してる所と「事実としてあったのだから」とオープンにしてる所がくっきり分かれてるけど、
(黒歴史化したい所は、花街が赤線(青線)化したり、裏商売で事実上の遊廓やったとこに多いかも!?)
宮古のは地元に貢献して地元と一体化しとったんやろなーと思います。
そういう所も何ヶ所か見てきたさかい。
  • 2011-10-03│22:40 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
Re: 忘年会参加したい
>おおやまさん

mixiのコミュでも誰もやらなさそうやさかい、
年末と言わずにオフ会やってみたいですね~。
ちょいと計画してみるさかい、手はずが整ったら連絡させていただきますわ。
  • 2011-10-03│22:32 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
Re: ありがとう
>掛川のすずもとさん

「魔界」やからこそ残ってたんかもしれへんし、資料もいっぱいあったんやと思いますわ。
せやけど、他のとこも探したら、我々が見逃してるだけでまだ隠れとる所があるかもしれませんな。
これで更に探索がおもろなってきましたわ。
  • 2011-10-03│22:28 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
こんにちは(^-^)

遊廓跡は宮古市の鍬ヶ崎遊廓です。地域住民の方からも「趣があった」と惜しむ声があったそうです。鍬ヶ崎遊廓のいいところは、周りが黒歴史扱いしないところですかね。なんというか、「遊廓」なんですが不潔なイメージがなく一般市民からも白い目で見られていないというか…。
  • 2011-10-02│11:56 |
  • アラレ URL│
  • [edit]
忘年会参加したい
ほんと、よかったら誘って下さい!
ありがとう
釜ケ崎の青線第二弾についての調査ありがとうございます。普通青線などの非合法な地帯など資料など場所が場所だけに普通はほとんどなく消滅したらその痕跡すら捜すのはむずかしく歴史の闇に埋もれしまいその存在自体忘れ去られてしまうのにここまで詳しく調べ上げることができるのはなかなかできないでしょうさすがの一言です。でもこういった場所柄はかなりやばい人たちや事務所がいつばいありそうなので(ここだけじゃないですが)のぶさん気をつけて
  • 2011-09-28│08:11 |
  • 掛川のすずもと URL│
  • [edit]

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