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消えた遊郭・赤線跡をゆく 大阪一DEEPな所編

そこはかつて、最下層の人が住む「スラム」であった。

そこはかつて、公権力さえ立ち入れない「カオスの世界」だった。

そこは今でも、日本一(?)DEEPな町である。

その名は

釜ヶ崎

そこを包む小便とも大便ともつかない独特の異臭は、たとえ目隠しされて耳を塞がれてもその「臭い」を鼻で感じると誰もが「キターーーー!」とわかる。
釜ヶ崎、そこは売春、麻薬、喧嘩、博打、アウトロー・・・
権力を拒絶する結界が張り巡らされた負の幻想郷
そして、その結界の中にはかつて大阪最大の「青線」があった。

・・・とちょいとシリアスに小説風に始めてみたけど、今回はその釜ヶ崎です。

釜ヶ崎は通称「あいりん地区」と言われ、そっちの名前の方が全国的に知られとる「日雇い労働者の町」、そこはまるで俗世間から切り離されたかのような別世界です。
好奇心だけでうかつに近寄ったら、強烈なしっぺ返しを食らう可能性がある所でもあります。
・・・っても、昔よりかは全然マシにはなったとは思うけどね。
昔は母親に「用事があっても近寄るな。用事がなければ尚更近寄るな」と固く行くのを禁じられとったんやけど、
母上様、わたくしは禁を破った不肖の息子です(笑

そんな「あいりん地区」も、最近はちょっとした変化が訪れとります。

070317安宿1

070317安宿2


前にもブログでちょろっと書いたんやけど、ここは底辺の労働者のための「ドヤ宿」と言われる安宿が固まって存在しとる所、それに目をつけたんが海外を貧乏旅行しとる外国人バックパッカー。
日本は治安がええのは世界A級やけど、物価の高さも世界A級。
俺もバックパッカーとして世界中を彷徨ってたからわかるけど、バックパッカーは「如何に少ない旅費で滞在できるか」がモットーであります。

英語じゃ「旅行」って”travel”(トラベル)と”tour”(ツアー)があるけど、"travel"は"trouble"(トラブル)と語源が同じで、生きるも死ぬも自己責任、オーバーに言うなら「片道切符の旅」ってこと。
英語で言う「旅行」は元々は"travel"で、昔は旅の途中で盗賊に襲われたり病気に罹ったり「トラブル」が多かったのであります。正直、生きて帰ってこれない確率の方がはるかに高い。
昔は、陸なら悪性マラリア・ペスト・コレラ・赤痢・天然痘など、船なら壊血病(これは病気というよりビタミンC欠乏症)が容赦なく旅人の命を奪い、
三蔵法師で有名な玄奘は高山病+マラリア(三蔵法師のマラリアはインドで罹ったみたいで、中国に帰国後死ぬまで苦しめられてます)、『東方見聞録』のマルコ・ポーロは中国行きの途中で結核に罹って1年間今の中央アジアで療養を余儀なくされ、そして日本じゃ知ってる人はあまりおらへんけど、「世界初の旅行作家(プロの旅行家)」と言えるイブン・バットゥータはペスト+赤痢を乗り越えて、各地で病気になっては死にかけながらも揃って長寿をまっとうしています。
当時の"traveler"は常に死と隣りあわせ、彼らも人間離れした体力と生命力、そして強運に恵まれたからこそ、歴史に名を残した「旅人」として目的を達成したと言えます。

対して"tour"は「円」が語源で、ぐるっと回って元の所に帰ってくる旅ってニュアンスです。"travel"と比べたら「ちゃんと五体満足、平穏無事に帰ってくる」のが前提で、医学が発達して病気の原因や予防法が出来て、旅行医学が成立して安全かつ誰でも旅行できるようになり、世界初の旅行代理店のトーマス・クックがイギリスに出来た19世紀頃に出来た比較的新しい単語やったりします。
ちなみに、「旅行」で思いつくもう一つの"trip"は、語源が「つまずく」「転ぶ」の昔からイギリスにある言葉で、比較的短期間の旅行というニュアンスです。
「安心・安全・安定」が大原則の日本人がイメージする「旅行」って"tour"の方やろーと思うけど、元狩猟民族か遊牧民族で"travel"がDNAに組み込まれとる欧米人なんかはバックパッカー形式が非常に多い。
日本人的には常識はずれな、「大学教授バックパッカー」「家族もろともバックパッカー」にも実際に何組も会ったことがあります。
欧米人は数十日単位の休みの「バカンス」や、アメリカ企業や学者の世界に多い「サバティカル休暇」(7年おきに来る1年間の長期休暇。日本でも上智大学などキリスト教系の大学にある所も)、そしてイギリスなんかは「大学入学前の1年間の『入学猶予(?)』」がある文化やさかい、
たっぷり休みが取れるというのもバックパッカーが多い特徴やと思います。

そして、『世界一の物価』を誇る日本で如何に安くあげるか、彼らは「スラム街」にある「ドヤ宿」に目をつけました。
そしてそれが口コミやネットの旅行掲示板を通して伝わり、今やあいりん地区は「バックパッカーのたまり場」とも化してます。
よりによってこんなところに泊まらんでも・・・と思うやろーけど、「スラム街」っても世界の「本物のスラム街」と比べたら、命の危険を感じへん分かわいいもの、地を這うような旅をしとる彼らにとっちゃ「かわいいもの」でしょう。


「最近、新今宮駅周辺って外人多くないか?」
と思った方は別に気のせいやありません。特にこの2~3年やたら多いです。
「あいりん地区」はただ安いだけやのーて、奈良や京都、世界遺産になった高野山、そして関空へも電車一本か乗り換え一回で行ける交通の利便性などもバックパッカーが目をつけた理由でもあります。
確かに、ここは地理的に見たら市街地の真ん中のよーなもんやさかい、こんな都心部に物価安いエリアがあるなんてシンジラレナーイ!と彼らも大喜びでしょう(笑
で、釜ヶ崎がいつ「こんな町」になったのか?
それは明治時代にさかのぼると言われとります。
明治初期、大阪の日本橋には「明治の日本三大貧民窟」と言われたらしい、下層社会でもどん底の人が住むスラム街がありました。
そこは今のでんでんタウンあたり・・・って今じゃ想像も出来へんと思うけど、
そこはかつて「名護町」と言われた暗黒街がありました。
不衛生で悪臭に満ちた犯罪と疫病の巣窟、今のでんでんタウンからは想像の「そ」も出来へん「名護町」の貧民窟、今は地元の人でも知ってる人はほとんどおらんと思います。
大阪でコレラなどの疫病が流行った時は「またあそこか!」と毎度の如く犯人扱いされ、事実そうでした。
せやけど、あまりに「魔界」すぎて警察さえも手が付けられへんかった貧民街も、明治18年の大阪コレラ大流行をきっかけに「貧民街クリーン作戦」に乗り出し、近くの「新世界」で第五回内国勧業博覧会が明治36年に開かれる予定になってから、行政・警察が全力を挙げて彼らを強制撤去させ貧民街を壊滅させました。
せやけど、それで貧民窟の貧民が消えたわけやありません。
彼らは次の居場所を求めて南へ移動、そこに新たな「結界」を作りました。
それが今の釜ヶ崎です。

これが釜ヶ崎、「あいりん地区」の由来の通説で世間的にはこれが定説なんやけど、社会学者や歴史学者の中にはこれに異論を唱える人もおって、
「名護町」の住民が釜ヶ崎に移住した時には既に日雇い人夫や遊芸人、そして犯罪者崩れの無法者が住み着いとって、そこに「名護町」の貧民が移住してスラムとして混沌とした世界が出来上がったと言われとるけど、、
事実なんは「名護町」の下層社会の人たちが、新たな居場所を釜ヶ崎に得た時がここの歴史の始まりちゅーことです。

大正15年に今宮町が作った「今宮町志」によると、

「各地よりの落伍者が集り、風紀衛生は醜汚で、思想も険悪極まり、警察官ですら職務を充分に執行しえない状態である。また行路病人が極あて多く、一般に貯蓄心にかけ、健康なときは酒肉に親しんでいるが、病気になると医療費はむろん、宿泊料にも困り、野宿あるいははいかいする者、あるいはモルヒネ注射を行って中毒にかかるなど、遺憾に堪えざるものが多く(以下自粛)」



と、ある意味コテンパンにこき下ろされとります。せやけどこれが実態やったんやろな。
そしてもう一つの謎なんが、「釜ヶ崎」という地名自体。
何かめっちゃ古くからありそーな地名やけど、実は「名護町」貧民窟の人が移住してきた時にはこれといって地名はなく、
「鳶田(飛田)」「今宮」「天下茶屋近辺の一部落」「関西線ガード下の紀州街道沿い」
(すべて明治後期の『大阪朝日新聞』より)
と呼ばれとって(「飛田」「鳶田」が一番多い)、呼び名が一定しとらん上に範囲も曖昧なことがわかります。
遊廓・赤線を調べとる人は一度はお世話になったことがある『花街――異空間の都市史』っちゅー本を書いた加藤政洋氏(立命館大学文学部准教授)の論文によると、「釜ヶ崎」って名前が出てきたんは大正時代に入った1915年からで、1918年の米騒動から定着したとしとります。
また、大正後期あたりから「釜ヶ崎」の範囲もはっきりしてきて、「関西線ガード下から南海(本)線より東側にある木賃宿(ドヤ宿)が集まる所」がそれとされました。


そしてこの釜ヶ崎にはもうひとつの顔がありました。それが

「男娼」

のメッカやったっちゅーこと。
「男娼」とはいわゆる「オカマ」や「ゲイ」が春を売る、娼婦の男版のことやけど、今やと「ゲー!」と思う「男が男を買う」文化は戦国時代からあって、江戸時代から明治時代までは武士階級じゃ別に珍しくもなかったのは意外に思うことでしょう。
京都の宮川町には「男娼」専門の遊郭、いわゆる「陰間茶屋」「若衆茶屋」があったくらいで、日本は同性愛やバイセクシャルには、実は歴史的にはけっこう寛容でした。
それが「ゲ!」と思うよーになったんは、明治時代以降にキリスト教的倫理観が入ってきてからと言われとります。
キリスト教的には「同性愛」はタブー中のタブー、昔のイギリスは「同性愛者は問答無用で死刑」って法律があって、法律としては1960年代の死刑廃止まであったそうです。
また、「マスターベイション」や「オナニー」も厳禁で、見つかったらさすがに死刑にはならんかったけど、20世紀初頭までは常習者は気◯がいと見なされて隔離病棟行き、避妊具ならぬ「避マスターベイション具」「避オナニー具」があったそーです。
欧米は最近同性の結婚や「事実婚」を認めたりする傾向にあって、それには寛容とかイメージがあって「日本遅れてるなwww」と偉そうなこと言うとる人がおるけど、実は日本の方が歴史的にも文化的にも欧米よりはるかに寛容やったというわけで。

昭和11年に書かれたという『売笑婦と男娼』ちゅー小論文にゃ、今宮、つまり釜ヶ崎が「男娼」の街やったってことが書かれとります。


釜ヶ崎の簡易宿に於ける男女の割合は男子が女子の三倍であって、その差は三千に及ぶのである。従って此の三千の過剰男子(下級労働大衆)を相手にする売笑婦の数も亦多いわけである。密淫売の置屋は三二軒にて、売笑婦は約八〇、その看視人は約三〇である。又男娼置屋は九軒にて、男娼は約一三〇人ある。
(中略)
彼等は八時頃から夜の十一時頃まで、絶へず客引に出て居る。昼間は其筋の目の届かない住吉街道の路地の入口や、地下鉄用地、今宮第三小学校を北へ入つた通や、四恩学園の北の通り、関西線の南側、阪堺線と東田交番へ通ずる道路の交叉点等に出没するのである。然し午後十時以降になると街道筋にも路地にも至る処に出没する。

男娼の中には下級俳優崩れや変態性慾者と知らずに遊んで自ら男娼に堕せしものや、又落ち者として拾われた少年が浮気して棄てられ流れ込んだものも多いのである。

男娼の仕込場所は主として天王寺公園の×××であって、次に一心寺裏、茶臼山、日本式公園の東屋等を挙げることが出来る。若し落ちものの少年があれば、京阪神奈良方面の紳士や富豪でその道の猛者が千金を惜まずやって来て、少年を風呂に入れ衣類も新調して白浜や有馬方面に遊湯に出かけ一週間もしてからそろそろ奥の手を出して一人前に仕込むのである。それが一人の主人に飽足らずして浮気をなし主人に棄てられて男妾から男娼に堕し今宮に燻るに至るのである。今宮は男娼と売笑婦の街である。



この文章から、戦前から今宮周辺はある意味玉の井みたいな私娼窟になっとることがわかるけど、
玉の井と明らかにちゃうのは、ここが女の娼婦だけやのーて、男の「娼夫」もおってその数の方が多い、「男版玉の井」やったってことです。

また、『今宮釜ヶ崎の特異性』(塩井文夫 昭和12年)ちゅー小論文にはこう書かれとります。

密淫売、変態性慾者等所謂闇烏の跋扈、之亦(これまた)部落不名誉の一大特色である。
密淫売は大要之を(一)親抱、(二)自前「流し」、(三)美人局の三種に分類することが出来る。
親抱とは親方と称する媒合常習者に抱へられたもの、自前とは主として新世界、飛田筋等の盛場を流して客を曳き、宿屋間借等に連込んで淫行をなすもの、美人局とは夫婦者であり乍(なが)ら妻に売淫を為さしめ、夫が之を見張るものを云ふのである。
淫売は紋日等一日実に数十人の客を取り多額の対価を得てゐるものもあるが、中には親方等に搾取せられて、一日の収入は皆無のもの乃至(ないし)は二十銭のものもあるといふ。

変態性慾者は、俗にオカマと称する男性である。
彼は男性であり乍ら先天的に或は後天的に、女性的心理を有し、立居振舞、言語等全く女型で中には全然女の服装容色を造るものもあり、勿論専ら本能的に同性にのみ愛着を覚えるものであって、更に又一定の夫を持って据養(すゑやしな)ひをしたり、所謂売淫行為を事として暮すと云ふ洵(まこと)に厄介な存在である。


で、この小論文でおもろいのは、戦前にゃ既に「オカマ」という言葉があったことです。
何せこれは論文やさかい「オカマ」なんて俗な言葉は使われへんのやけど、スラングとしては既に世間で使われとったことがこの文章からわかります。

また、「オカマ」の語源はここ釜ヶ崎という説もあり、
最下層の労働者は近くの飛田遊廓や、徒歩で行こうと思ったら行ける難波新地で遊ぶなんてのは金がかかりすぎてできへん、でも「欲」は男である以上溜まる。
男娼の料金は飛田の半分くらいやったらしく、「しゃーないさかいカマ(釜ヶ崎の男娼)にしとくか・・・」ってな感じでそれが「男娼」→「女装する男」を「カマ」→「オカマ」というようになったとか。

また、釜ヶ崎にゃ「男の夫婦」がおったこともあるみたいで、周囲公認の「夫婦」でもカミングアウトすることなく、そして周りも余計な詮索をすることもなかったそうな。もちろん法律じゃ今も昔も同性の夫婦は認められてへんさかい、「男同士の事実婚カップル」ってことですやろな。
お互い我関せずな所は、今もあるよーな都市の「隣の人何するものぞ」的な冷たさもあったかもしれへんけど、江戸時代から同性愛に寛容やった古い日本文化が戦前まで残ってたってことかもしれません。

その釜ヶ崎の「オカマ伝説」はどうやら戦後になっても残ってたみたいで、
我らがバイブルにも、釜ヶ崎の紹介でこない書いとります。

大阪を語る以上釜ヶ崎は女娼より首頭に語る必要がある。オカマの別称を釜ヶ崎というほど大阪の男娼は有名であり、上野の比ではない。
(※俺註:東京の「釜ヶ崎」は今は新宿2丁目やけど、当時は上野が有名でした)
現在は18歳から43歳までが約30名屯している。歌舞伎を毎日にように見て、身のこなしやもてなし方を研究するというから色っぽい点はうけ合い、暗がりなら扇雀はだしの美女がいる。
(中略)部屋は女よりも清潔、といっても洋服ダンスの中に炭も下駄もお乳パットも放り込んであるから、タンスを開けて見せてくれるようになったら馴染である。
遊びは素泊別で300円、泊りは1200円くらい。ただしだますと執念深く「捨ててみやがれ唯おくものか」と後を追っかける代物である(住所氏名は知らせぬがよい)。
女の味のなかに、この項を入れるについて相当長い時間検討を試みたが、酔ったりすると女よりも女らしく色っぽく、完全な錯覚を起すから、瞬間的には女の味だろうと、挿入することにした。

『全国女性街ガイド』(昭和30年)



釜ヶ崎には青線があったのに、そのことについては語らずただ「オカマ」について語るのみ。
それくらいここがインパクトあったってことやろーけど、おもろいんは「オカマの別称を釜ヶ崎という」所。
当時は、「オカマ」の隠語に「釜ヶ崎」があったことがわかります。
上述したよーに、戦前は私娼窟を「玉の井」言うたり吉原を「トロゲン」(由来は吉原編で)言うたりしとったけど、
それと同じよーに「釜ヶ崎」が使われとったってことやな。
今の釜ヶ崎にゃオカマも何もあらへんけど、いつかここに「オカマ発祥の地」の石碑でも建てられる日が来るのやら(笑
まあ、これは決して表に出ることがあらへん「大阪の黒歴史」でもあります。
釜ヶ崎を語らずして大阪の黒歴史を語ることなかれ。


なんか「消えた遊郭・赤線跡を訪ねて」がオカマちゃんで変な方向に行きそうやさかい、ここでちと軌道修正。

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当時の警察資料と平成23年のGoogle mapを照らし合わせたらこんな「赤線・青線地図」が出来上がります。
赤で塗った所が今も昔も「飛田遊郭」で、青く塗った所が警察が「要注意地帯」とした青線です。
飛田遊郭は今も「現役」でエリアも変わってへんさかいすぐわかるけど、
青線のとこは町の名前も昭和41年に消滅して今の地図じゃどこがどこかわからん上に、道筋もかなり変わってとるさかい多少の推定や誤差はある、って言うておきます。

そして、緑で線を引いた部分に南海の天王寺支線という鉄道が走っとりました。
かつて天王寺駅と南海本線の天下茶屋駅を結んでた路線で、平成5年(1993)に全線廃止になったさかい昭和終わりや平成生まれの人は記憶にないかもしれへんけど、
俺くらいの世代やとここに鉄道が走ってた頃をはっきり覚えております。
小さい時は天王寺駅の片隅で2両編成の電車がこじんまりと発車待ちをしとった時は俺もはっきり覚えとるんやけど、
結局一回も乗らずじまいで廃止になってまいましたわ。
線路はほとんど撤去されたけど、天王寺駅から少しの間は線路どころか架線の柱まで今でも残っとって、
関空快速か大和路線で天王寺駅から新今宮駅に向かうと、向かって左側にフェンスで囲まれた線路が残っとります。
俺は天王寺支線をリアルタイムで知っとる世代やさかい、別に不思議でも何でもないけど、南海天王寺支線のこと知らん人は「何でこんなとこに線路が?」と思うかもしれまへん。
廃線跡巡りも、お笑い芸人の中川家がマニアらしいせいかけっこう有名やけど、そういうマニアにとっちゃこの天王寺支線跡はけっこう「萌え」、せやけど地域の特殊性か近寄るに近寄られへん・・・って感じかも(笑

そして、今の飛田新地に行くにゃ、JRか南海の新今宮か地下鉄の動物園前、俺らジモピーは「チンチン電車」言うたら通じる阪堺電車の今池駅が最寄り駅になるんやけど、
かつては今池駅の所に天王寺支線の「今池町駅」があって、飛田新地への最寄り駅になっとりました。
かつては天王寺駅で国鉄から南海に乗り換えたら一駅、電車が天下茶屋行きでも夜の男たちの終着駅は「飛田行き」か「釜ヶ崎行き」やったかもしれませんな(笑
また、今池駅から平野線というチンチン電車もかつてはあって、飛田新地のすぐ南側に「飛田」ちゅー駅も存在しとりました。


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これが平野線の「飛田駅」の昭和30年代後半か40年代あたりの貴重な写真やけど、写真の「壁」に注目。
これがかつて飛田遊郭を囲っとった「壁」で、今はこの南面は撤去されたはずやけど、
「嘆きの壁」
と言われた遊郭を四方に囲っとった壁の高さがかなりのもんやったってことがわかると思います。
写真の人が170cmくらいとしてもだいたい5mくらい、傍目から見たら刑務所やな。

で、実は新今宮駅が出来たんは案外新しく、赤線が廃止になった後の昭和39年(南海側は41年)やさかい、飛田の赤線や釜ヶ崎の青線が栄えとった時は新今宮駅なんて存在しとらんかったんですわ。
そして、案外古いんが地下鉄の動物園前駅。ここの開業って昭和13年(1938)で「え?そんなに古かったん?」とビックリするジモピーもおるはず。ちなみに駅自体は御堂筋線の方ね。
ということは、飛田が戦前の遊郭時代の最盛期に開業したってことで、もしかして飛田遊郭の客を運ぶために開業したっちゅー「黒歴史」があるかもよ!?
実際に動物園前駅から飛田新地方面へ歩いて行くと、だんだんとテンションが上がって行って入り口あたりに着く頃にはテンションがハイになっとるような距離、更に昔は飲み屋が軒を並べとったと思われる商店街が余計にテンションアップを誘うような気がしますわ。

うちの地元の堺龍神・栄橋遊郭の近くの「龍神駅」(※現存せず)の昼間の顔は
「(当時リゾート地やった)大浜海岸の海水浴客を運ぶため」
でも降りる方向を間違えると
「”裏リゾート”な遊郭」へ・・・
という「夜の顔」もあったさかい、
「動物園前」という名前は表向きで、裏の名前は「飛田遊郭」やったりして・・・って俺の勝手な妄想やさかい放置プレイで(笑

まあそんなことはさておき、
昭和31年(1956)の出典不明の資料によると、「釜ヶ崎」全体で、

業者数:約200軒

娼婦数:約320人


とあり、
同じ時期の飛田新地が

業者数:203軒

接客婦数:1350人


松島新地が

業者数:195軒

接客婦数:1020人


※おまけ及び比較材料
昭和28年当時の吉原(東京)
店数291軒 女給数898人

と比べたら、当時日本最大クラスの赤線、飛田に匹敵する青線が横にあったっちゅーことになります。
当時の大阪府や警察資料を見てみたら、青線は「飛田遊廓」っちゅー惑星の周りにある衛星のような感じで、当時の町を一つの衛星としたら、「山王町」「東田町」「今池町」「東入船町」「西入船町」「海道町」「甲南町」「霞町」と8つの「衛星」が飛田新地の北側を回っているかのよう。
これに「限りなくクロに近いあやすぃ地区」な「東萩町」なども入れたら飛田はまるで木星やん(笑

この青線は売防法施行と警察の取り締まりでなくなった・・・と思ったらそうは問屋が卸さないみたいで、
売防法施行から3年経った昭和36年11月の大阪府警刑事課の調べによると、
釜ヶ崎地区の「隠れ売春」しとると確認された者は

女娼:261人

男娼:88人

と、まだまだおったことがわかります。
「女娼」と「男娼」と分けとるところを見ても、「お釜」は数が少なくなったちゅーても不滅やったみたいで。

ちょうど警察の調査の頃の釜ヶ崎を、こんな人がこんなことを書いとります。

好きものの旅行者たちが、新世界・飛田周辺を歩いてひどい目にあった、という話をときどき聞く。
むりもないのだ。背のすらりとした美人に言い寄られてしかるべく交渉して、いざ寝てみると男だったというのである。
この界わいは男娼が多い。かつては、もと陸軍軍曹やもと海軍少尉の男娼もいた。かれらは、戦場で鍛えた勇気もあり、腕力もあった。客が気づいて、
「モノが違うやないか」
とひらきなおっても、腕では負けていなかった。当然、かれらが受け取るべき正当の代価を取り上げた。
べつに私はかれらを悪いとは思わない。間違う客のとんまさに責任がある、というのがこの界わいの論理なのだ。

司馬遼太郎 昭和36年12月のエッセイより



司馬遼太郎が特に物好きというわけやなかったんやけど、それだけにサラリとながらこういうことを書いとるのはなかなか貴重でもあります。「こういうの」に興味がなかった司馬遼太郎も、ジモピーとして(当時は西区のマンションに在住)知ってるというくらい、「釜」の男娼は有名やったってことですやろな。
せやけど、今の釜ヶ崎は住民の平均年齢が高くなったせいか、「オカマ」はどこへやらになってまいました。


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釜ヶ崎地区を貫く「飛田本通商店街」です。
通天閣がある「ジャンジャン横丁」を南に向かってまっすぐ行くと国道43号線にぶち当たりますが、それを越えるとこの商店街、そして終点がかの飛田遊廓です。
今は別に何の変哲もない庶民的な商店街、夜は知らんけど昼間に限ってはデジカメ片手にiPhoneで音楽聞きながら歩いてても、後ろから殴られて身ぐるみ剥がされることはありませんでした(笑
まあ、敢えて普通の商店街とちゃう所は、立ち呑みスタンドらしい店が多くて昼間から酒飲んでカラオケ歌っとるおっさんが多いことくらいかな?
おしゃれな喫茶店もあったりして「ここがホンマに貧民街やったんか?」と疑問符がついてまうんやけど、
この商店街から道を一本外れると、そこは戦前の玉の井を彷彿とさせる「魔窟」、いや、玉の井が「魔窟」ならここは「魔界」って表現してええかもしれません。
玉の井が「ぬけられます」やったら、ここは「いきてかえれます」って感じやろか(笑

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まずは、「やたらケバい建物」その1です。
これはある意味商店街沿いって言うてええ位置にあるさかい、注意して歩いてたらすぐ発見できる建物でもあります。
今はアパートになっとるみたいやけど、この「タイルさ」といいケバい配色といい、当時の生き残りにゃ間違いないやろ。

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この「ケバイのその1」の奥へ進んだら、そこは「魔界」
思わずデジカメを無意識にポケットに隠してまうくらいの独特な雰囲気でした。ここで「ここから先に行ったらあかん・・・」と脳内警報が発令されて引き返した人もおると思います。
ここあたりになると、釜ヶ崎独特の、あの「小便と大便と汗と安物の洗剤が入り交じったようなあの何とも言えん臭い」が強くなり、慣れてへん俺は思わずむせてしもたくらいでした。
せやけど、この先にゃ、

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こんな素敵な建物が!!
前のケバいのと比べたら、タイル使いが淡い色に統一されとってスッキリした感じに見えますな。

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上と同じ建物なんやけど、このタイル使いからしてここも「元入口」やったちゅーことがわかります。
どうも、ここは全体的に淡いタイルで統一されとるみたいです。
ちなみにここ、入居者募集の張り紙見てみたら1ヶ月の家賃は2万円らしい。
誰か住んでみる?すみません、俺はそこまでの根性ありまへん(笑


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好奇心旺盛というか、怖いもの知らずというか、無謀というか何中華、俺は更に釜ヶ崎の奥へと進みます。
たいていは普通の家っぽくて、これと言うて珍しい建物はあまりあらへんかったんやけど、
やっぱ神様は俺に運をくれたんか、それともここで働いとったオカマ・・・もとい女が導いてくれたんか、

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奥の奥にこんなタイルな建物が。
何か数年前に歩いた東京の「鳩の街」を思い出すよーな色使い、これは間違いないでしょう。

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釜ヶ崎の真ん中には、「オーエス劇場」ちゅー庶民的な劇場があったりします。
今でも舞台をやっとるみたいで、俺が探索しとった時も舞台の休憩中やったんか、カツラかぶった役者さんとファンらしい若い女性が前で劇場の前で談笑しとりました。

そんな劇場の前にも・・・

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「タイルなやつ」やないんやけど、見るからに「オーラ」を放っとる建物が一つ。
そしてその隣にゃ・・・


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戦後に流行ったと言われる「斜めについた取っ手」があるドアです。
赤線跡に行ったらたまに見かけます。
これ、どっかで見たことあるよな~と思ったら、

080822 鳩の街カフェー建築3

数年前に行った東京の「鳩の街」にあった有名な「斜め取っ手」と同じやないですか~。
また、『赤線跡を歩く1』の東京の千住のとこに載ってた建物のドアも同じような感じやさかい、これも赤線によくあったカフェー建築の名残かもね。

この「ドア」な建物を遠くから見てみたら・・・

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やっぱ何か怪しい。

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他にも「貧民街」にゃ似つかわしくない(!?)、やけに和風かつデカい家もありました。
この角度からじゃわかりにくいけど、玄関がやたらデカいさかい何かの店やった可能性が大、「あやすぃ」。


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一見ふつうの家なんやけど、ベランダの作り方がやけに「あやすぃ」。


これだけでも収穫は十分、お腹いっぱい、地域性が地域性やさかいさっさと退散したいとこやけど、
上で紹介した建物なんか吹き飛んでまうような、とんでもない建物が「魔界」の奥の奥にひっそりと残っとりました。



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!!





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そして、これがその全景です。
こ、これは・・・・

ナンジャコリャアアア!!

と太陽にほえろ!の松田優作のセリフをパクってみたけど、
あまりのインパクトの強さ・・・否、あまりのケバさに先ず圧倒されて、次に目が点になり、次に唖然呆然。とにかく言葉が出ーへんとはこのこと。
今まで遊廓・赤線跡を訪ねて色んな建物を見てきたつもりやったけど、その中でも圧倒的なケバさを誇ります。
まるで、好きな男との初デート前に気合入れすぎ厚化粧してドン引きされる女のように(笑

今でもアパートとして現役で使われとるみたいやけど、よーく見たら所々老朽化しとるなーと。
こういう建物は是非残してもらいたいもんですわ、ホンマ。

で、この建物の横には、

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廃墟と化した「タイルな建物」の成れの果て(汗


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「タイルな建物の遺体」の入口やけど、ここも見事なタイルで旅館として使われとったよーです。
ドアの下の見事なタイルにも注目。



もうこれで十分やわ♪
と思って天王寺駅方面へ帰ろうとしたところ、

11091320

こんな古い建物発見。
俺が持っとる警察の資料の青線地図じゃ範囲ギリギリのとこにあるんやけど、
よーーく見たらけっこう外見が凝ってることがわかります。
「こりゃただの旅館やないな」
と妖怪アンテナ・・・やのーて直感が働きました。


11091321

ちょいと奥を拝見。
ん?何かがある・・・

11091322

古いながらも見事なステンドグラスですな~。
ステンドグラスって意外に高いもんで、今でも1m×1mの正方形のステンドグラス制作費が20万円以上+工賃する代物、
この旅館は「ただの旅館」の割にゃ贅を尽くしてるもんやと、このステンドグラスだけでもわかります。
そして、和風な旅館に丸窓ステンドグラスは遊郭の建物にもよくあるパターン、確たる証拠はないんやけど、場所が場所やさかいな~(笑



そして最後に・・・

11091001飛田遊廓正門

かの飛田新地の正門です。
ここからやったら勢いのまま飛田の建物も!といきたいんやけど、
今回は敢えて中には入りませんでした。
「いちばん美味しいものは最後に取っておく」のが俺の主義やさかい(笑

11091005

これはおまけ画像やけど、
1970年代後半か1980年代と思われる飛田遊郭正門の写真です。
写真右端がかなりタイルやなしかし。こんな建物が今でもあったら俺が見逃すわけないさかい、たぶん今はないと思われます。


で、勇気を振り絞って「魔界」探索を終えて帰ってきて、さてブログの下書きするかと改めて調べてみたらわかりました。

なんやまだ(青線地区の)半分しか回ってへんやんか!

ということを(笑

ちゅーわけで、気が向いたら「第二次釜ヶ崎潜入隊」を派遣しようかと思います。また何か見つかるかもしれへんさかい。
というわけで、これも「その日」までTo be continued...



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  • 2014-12-29│10:34 |
  • [edit]
Re: すばらしい
>おおやまさん

いつも見てもろておおきにですm(__)m
釜ヶ崎には「ある」って話はずっと聞いてたんやけど、ここまで調査した人もなかなかおらんでしょう。
自分で言うのもなんやけど(笑

「お釜ヶ崎」のことは、今回調べてはじめて知りましたわ。
  • 2011-10-03│22:12 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
すばらしい
へー、こんなところにも残ってるんですね

ってか、こんなところにもあったんですね

いつも愛読させて頂いとります

第二段、お供したいぐらいです

トラベル。。。になりますかね
Re: タイトルなし
>アラレさん

コメントおおきにですm(__)m

> 先日、知恵袋で大和郡山について質問したのは私です^ロ^;ここで言うのも何ですが、回答ありがとうございました

あれってそうやったんですね(汗
そうとも知らずに熱い回答してまってこちらこそ失礼しました~。
というか、ここで質問してくれたらよかったのに(笑


> 話は変わりますが、実は私の住んでいる町にも遊廓跡がありました。とても独特な雰囲気に包まれているのに地域住民からも愛され大事にされていた建物でした。ですが残念ながら今回の津波で流されてしまい、凄くショックを受けています。のぶさんもご存知の建物かもしれないですね。

ということは、東北地方ですかね?
石巻とか釜石、気仙沼(やったっけな?)には遊廓があって、確か石巻は海沿いにあったって聞いてたんで。
津波じゃ自然のあれなんである意味仕方ないですね。
津波だけじゃなくて老朽化で人工的に壊される建物ももちろんあるので、思い立ったらなんとかで遊廓の建物はどんどん写真に収めて、せめて写真の中に保存しておきたいものですね。
遊廓の建物は、あまりに内装が凝りすぎ+上等な素材を使いすぎて修復不可なものが多く、新しく家建てた方が安上がりらしいので。
  • 2011-09-20│23:56 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
Re: いつもお世話になります
>掛川のすずもとさん

いつもコメントおおきにですm(__)m
ここは青線やさかい資料なくてもいいかーってノリで行ったのですが、後で調べてみると地域的な特殊性か資料が案外ありました。
でも、地元住民のヒアリングは失敗でした(汗
画像見せてもみんながみんな「知らん」の一点張り、「あんた知らんわけないがな!」とツッコミ入れることも出来ず。
釜ヶ崎の口はかなり硬いです。


> それと 以前 予告されました 住吉 生玉 布施の新地の調査はこれからでしょうか?

ちょっと仕事も含めてやらんとあかんことが溜まってるので、もうちょいお待ち下さい。
まだ半年前に行った北九州の遠征編も書いてへん状態なんで(笑
  • 2011-09-20│23:50 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
こんばんは。
先日、知恵袋で大和郡山について質問したのは私です^ロ^;ここで言うのも何ですが、回答ありがとうございました(笑)知恵袋の方でも改めてお礼させていただきます。

話は変わりますが、実は私の住んでいる町にも遊廓跡がありました。とても独特な雰囲気に包まれているのに地域住民からも愛され大事にされていた建物でした。ですが残念ながら今回の津波で流されてしまい、凄くショックを受けています。のぶさんもご存知の建物かもしれないですね。
  • 2011-09-20│17:25 |
  • アラレ URL│
  • [edit]
いつもお世話になります
のぶさんのいつもながら詳細かつ綿密な調査には脱帽します。私も西成のどや街には毎年長野の温泉にいく途中に必ずよって何泊かしますが 飛田の周辺にかつてかなりの規模の青線があったとは聞いていましたがここまで詳しくは知りませんでした。普段何気なく泊まっていたドヤの宿が意外と青線時代に使われていたものかと今更ながら驚きました。 それにしてもここ何年かで西成のまちも急速に変わりつつありますよ。明らかに青線時代の建物かと思われた物も次の年にきてみたらなくなっていたりしていて地元の方には不躾な言い方ですが何か残念な気がします。 それじゃ写真でも撮っておこうかなぁと思ったりしますが何か恐い人に見つかるとヤバそうだからやめにします。 のぶさんには是非ともこの続きを聞かせいただきたいです。よろしくお願いします。
それと 以前 予告されました 住吉 生玉 布施の新地の調査はこれからでしょうか?




  • 2011-09-18│21:47 |
  • 掛川のすずもと URL│
  • [edit]

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