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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■仙崎の遊郭跡 消えた遊郭・赤線跡をゆく24 

旅人BJのぶは萩を離れ、日本海の荒波をバックグラウンドにしながら一路西へ西へと進路を向けました。
そして次にやってきたは仙崎。

11051301

仙崎は今は長門市の一部になっとって、萩からは車で1時間くらいの距離にあります。
地図で見たら遠そうやったんやけど、行ってみたら意外に近い。日本はやっぱし狭かった!?
仙崎は地図を見てもわかるよーに、日本海側にある港町で江戸時代は捕鯨の基地としても栄えたそうで、
捕鯨基地言うたら和歌山県の太地町が世界レベルで有名やけど、仙崎は日本海側の太地町って感じかもね。
捕まえた鯨にゃ、同じ哺乳類やからか、人間と同じように法名をつけて供養されとるらしくて、その過去帳も残されとるそうです。
また、捕まえた鯨に胎児がおった時も、水子供養と同じやり方で供養しとったらしく、自然と一緒に生きる海の民の鯨に対する敬意が込められとるよーな気がします。
海に生きる民は自然の怖さをいちばん知っとる存在、それを知ってる者同士は国や民族の垣根を越えてわかりあう存在と言われとります。
昔の人間と鯨は、そういう意味じゃ心が繋がってたんかもしれません。

ちょっと話が変わるけど、
世界にゃ国や民族関係なく分かり合える組織が3つあると言われとって、一つは「共産主義者」、まあこれはほとんど過去の存在やな。
二つ目は「クリスチャン」というか「カトリック」って言うた方が正解。
そして3つ目は「海軍」。海という自然を相手にする軍隊のせいか、陸軍や空軍と違って国際間での交流が盛んやったりします。
軍服も、ほとんどがイギリス海軍をベースにしとるせいか、水兵はセーラー服で士官は黒のダブルのスーツとほぼ世界共通(一部共産主義国は除く)で、「軍艦の艦長は大佐」も世界共通の習慣。
旧日本海軍もイギリス海軍を師匠としただけに端から端までイギリス式、同じ日本軍の陸軍とは全然話が噛み合わず、むしろ敵のアメリカ海軍の方が話が通じ合えたそうで、陸軍との話し合いを「日・日交渉」と内部じゃ言うとったそうですわ。

旧日本海軍の軍服は詰襟やったけど、儀礼で着る礼服はダブルの黒スーツやったし、大正時代後期に普通の軍服もダブルのスーツにネクタイ、つまり今の海上自衛隊と同じ軍服にして海軍内じゃほぼ決まりやったんやけど、
これに物言いをつけたのがあの東郷平八郎。
「ワシらはこの詰襟で日本海海戦を戦ったのじゃ」という鶴・・・いや、神の一声で軍服チェンジはご破綻、結局終戦後の海軍解体までそのままになってまいましたとさ。
個人的にゃ、東郷平八郎って最晩年に海軍内の人事に口を出して海軍はおろか、結果論的に日本の行く末を狂わせた歴史的大汚点からあまり好かんのやけど、
東郷平八郎を崇拝しとる人にとっちゃ、これはあまり世間一般市民に知って欲しくない「黒歴史」でもあり、実際海軍の歴史を知ってる人以外は知らない歴史でもあります。
ぶっちゃけ、東郷平八郎の人生から学ぶ「歴史の教訓」は日露戦争の日本海海戦やなくて、

「第一線から退いたらさっさと隠居して口も手も出さない」

ってことかな、と思ったりします。



11041403

ちゅーわけでやってまいりました、仙崎駅まで。
中は無人駅になっとって、自由にホームまで入れるよーになっとります。
wikipediaで見てみたら、2009年の1日乗降者数68人ってあーた(汗

110405

人間だけやのーて、お猫様も駅内フリーパス。
吾輩は猫である。名前は某県の某駅ようなタマではない。もちろん駅長でもない(笑

110404

仙崎駅のホームです。
以前の繁栄はどこへやら、やけに寂れたホームがちょっと淋しそうですな。


110406

駅の時刻表を見てもご覧のとおり。
何じゃこの本数は(汗
で、見てみたら12:45のところに「みすゞ潮彩号」というのがあるらしい。
下関からの直通列車で、現物は見たことないけど仙崎までの観光列車みたいですな。

ほな「みすゞ」って誰やねんというと、

110407

はい彼女です。

彼女の名前は金子みすゞ、大正時代の女性詩人で、短い生涯の中で素朴ながらも優れた詩を残した、短期間に大量の詩を出したって点からも「詩人版樋口一葉」みたいな人って言うてええかもしれませんな。
金子みすゞはここ仙崎生まれで、ここで幼少~青春時代を過ごしました。

仙崎は捕鯨の町って上で書いたけど、彼女が生きてた時代にゃ「鯨法会」という鯨の供養祭が行われとって、
それを彼女が詠んだ詩が残っとります。


「鯨法会」

鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。

はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、

おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。

海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。



俺に作曲のセンスがあったら、なんか曲つけて歌にしたいよーな詩ですな。


11051302

金子みすゞの生家跡にゃ、彼女の記念館が建っとります。
彼女はある意味ごく普通の生活をしてごく普通の結婚をしたんやけど、夫が今で言うたら社内の人間関係からリストラされて自暴自棄になってしもて、後ほど書くことになると思う下関の新地遊郭に入り浸り、性病を妻の金子みすゞに伝染させてまいます。
更に二人の間に生まれた娘の親権を巡ってドロドロとした争いになり、そういう葛藤から26歳で自殺してまいます。
どっかで見たことあるんやけど、彼女が自殺した直接の原因は淋病にかかってしもた精神的ショックと苦痛からやとも言われとります。
まあ、当時の男やから遊郭通いもしゃーなしやと思うけど、自分が汚したケツを他人に拭かせたらあきませんな。
遊廓のご使用は計画的かつ健康的に・・・。

西條八十に『若き童謡詩人の巨星』と絶賛されつつも、金子みすゞの名前は死後ほとんど忘れ去られた存在やったんやけど、
1984年に文学者が再発掘してから瞬く間に全国に知られることになり、確かこの数年後くらいに「知ってるつもり?!」でやってたよーな記憶があります。
リアルタイムでこれを見た記憶があって、「へー」と思ったんやけど、金子みすゞの詩は国語の教科書でも採用されて、東大の国語の問題にもなったことがあるとか。


で、仙崎に遊郭なんかあったんか?というと、実際にゃあったんです。
「港町に遊郭あり」っちゅー法則は、ここ仙崎にも当てはまっとったんですわ。
* * *
11051303

昔の資料によると、だいたい赤丸をした部分に小さいながらも遊郭があったらしくて、
地元の漁師や仙崎に寄った外国船の船員が立ち寄ったそうですわ。
仙崎に遊廓があったことは確かで、『山口県統計書』の明治45年(1912)と大正14年(1925)のデータによると、

~大正2年~

●貸座敷:5軒
●娼妓:18人
●芸妓:6人

~大正14年~

●貸座敷:6軒
●娼妓:37人
●芸妓:34人


となっとります。また『全国遊廓案内』には、

貸座敷は現在6軒あって、娼妓は約20人いる。店は写真店で娼妓は居稼ぎ制、
遊興は時間制、通し花制で廻しは取らない。
費用は一時間遊びが1円50銭、一泊の通し花は5円見当で、台の物はつかない。



とだけ書かれとって、これ以上の資料は特に無し。
昭和5年発行の内務省警保局の資料によると、昭和4年末当時で貸座敷4軒、娼妓15人、1年の来客数3,675人、売上高は6,854円となっとって、
数字だけ見たらやっぱりこじんまりとした遊廓やったみたいですな。
ちなみに、同じ時期の同じデータによると、

★仙崎から一番近い萩遊郭:

来客者数9,982人、売上高31,922円

★来客者数&売上日本一の松島遊郭(大阪):

来客者数2,040,990人 売上高6,366,183円


となっとって、決して大きい遊郭とは言えない隣の萩と比べてもだいたい規模は3~4分の1程度、当時の日本一、メガを超えたギガ遊郭松島と比べたら、何だかかわいそうにさえなってきます(笑


早速仙崎の遊郭跡を探索してみたところ、

10051304

お!早速香ばしい建物発見!!
仙崎に似つかわしくない・・・失礼、なんかあまりに周囲と浮いてるこの建物、妓楼の跡か!?



10051305

と思ったら、どーも銭湯の跡みたいですな。
名前のとおりここは「仙崎湯」という、まあ名前そのままの銭湯で、
昔は漁から帰ってきた漁師の憩いの場でもあったそうです。
ご覧のとおりの不純物無しの西洋風建築で、出来た当時はかなりハイカラな建物やったと思います。
なにせ今も周囲と比べて明らかに浮いてるさかい、ええ意味でね。
また、「仙崎湯」の文字が右文字なことにも注目。かなり古い時代の文字やと推定されます。

ここあたりは仙崎一の歓楽街で、遊廓だけやなくて旅館や料亭なんかが立ち並ぶ夜の街やったそうです。
もちろん、今はそんな面影なんか全くなし。
ただ、「仙崎湯」のやたら浮いた(←しつこい)西洋建築が当時の繁栄を物語っとる生き証人ですやろな。


10051306

その昔、妓楼が何軒かあったという通りは、ご覧のとおりの有様となっとります。
まあ、どこにでもある住宅街と化してました。
ここに「仙海楼」という妓楼が最近まで残っとったそうなんやけど・・・。もう見る影もありまへん_| ̄|○


11051307

「仙崎湯」の裏手あたりに、ちょっと古い建物が残ってたんやけど、
これは判定は・・・びみょーですな。

こりゃ収穫ゼロやな(「西洋建築マニア」としちゃ仙崎湯は収穫やったけど)、こりゃさっさと引き返すか、
と思って、車を置いた駐車場まで引き返そうとしたら。


11051308

これはまことに香ばしい香りがする建物やないですか(笑
残念ながら、どうも俺の怠慢で建物の全景は撮ってへんかったみたいなんやけど、建物の構造からして間違いはないでしょう。でも戦前やなくて戦後築かな?
仙崎が戦後も赤線として営業しとったって記録は、少なくても俺の手元にゃ全然ないしそういう情報もGETしてへんのやけど、
果たして真実はどうなんやろか?いかんせん資料が少なすぎやさかい。


これでちょっと元気が出た俺、諦めずに元々人並み以下の体力を振り絞って周囲を再探索してみたんやけど、
やっぱしこれ以上の収穫はなし、結局GETしたんは足腰の疲労のみ(笑
さっさと次の目的地へと車を進めました。




せやけど、転んでもただじゃ起きへんのが俺(笑
収穫あらへんかったら別のとこでネタ収集・・・もといちょうど昼飯の時間帯やったさかい、
「せっかく仙崎まで来たんやから、ブログのネタにちょっと美味いシーフードでも食うか」
と仙崎の港へと向かった時に、


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これよこれ♪
こういう魚市場の食堂を探しとったんよ。
まあ、うちの地元でもこういう食堂はないことはないんやけど、やっぱ日本海の幸を安くいただくにゃこういう所で食うに限る。

早速開いてた食堂に入ってみて刺身定食を注文してみました。


11051310

で、来たんがこのボリューム。
もうシーフード一色の役満ですやん(笑
味はもう書くまでもないけど、メチャウマーでした。
特に、イカの醤油煮(?)がやたら美味かったですわ。イカ自体もめちゃ柔らかくて食べやすくて、「メシが進む」とはこのことやろなと思いましたわ。


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そしてこの食堂、自家製イカの塩辛とワカメの醤油漬け(らしい)がおまけで食べ放題!
ぶっちゃけ、イカの塩辛は好きやないさかい、一口食っただけやったんやけど、こんなサービスまである港町の食堂バンザイ\(^o^)/

で、いちばんビックリしたんが、これでお値段¥800也。
おまけに「大阪から来た」と言うたらコーヒーがサービスでついた始末。
もちろん税抜っちゅーオチはありません(笑
大阪でこんなん食ったら、英世1枚じゃ確実に足りへんやろな~。
やっぱしシーフード(特にイカ)が安くて美味い港町バンザイ\(^o^)/


結局、仙崎にゃ遊郭を探索しに来たんかシーフードを食いに来たんか、どっちかわからんまま終わってしまいました(笑


そして、お次はついに本州の西の果てです。
まあ、こう書いたらどこかはだいたい想像がつくでしょう(笑


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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
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