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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■今度は泊まれる旅館に突撃! ~消えた遊郭・赤線跡をゆく特別編~

去年に「泊まれない旅館」こと京都の島原遊廓跡にある元揚屋の「きんせ」を紹介したけど、
その時のブログはこちら
ここはあくまで泊まりたいけど「泊まれない」旅館、せやけど今回はホンマに泊まれる旅館です。

場所は山口県の萩市、ここに遊郭の建物を使った旅館があります。
名前は

芳和荘

と言います。
売防法施行で赤線が廃止になった時、「転業」言うてそのまま赤線業やるわけにもいかんさかい、業者は他の職業に転職せざるを得なくなりました。
もちろん、今でも現役のとこも表向きは「転業」したってことになっとるさかい「営業」できとるんやけど、
ほとんどの赤線は旅館や下宿、アパートなどに変わっていきました。
それも建物や設備の老朽化や、立地条件上旅館作っても客が来えへんせいで閉めるとこが多くなり、
今でも現役でやっとる「遊郭旅館」(って俺の造語やけど)はかなり少なくなりました。
芳和荘は全国でも数少なくなった「遊郭旅館」の生き残りの一つで、更に築100年。
たぶん、今でもある「遊郭旅館」の中でも建物の古さは最古参の一つやと思います。
「”自称”遊郭・赤線界のインディージョーンズ」を名乗っとる以上、こんな旅館を無視しとるわけにゃいきません。
せやけど、萩はえらい遠い・・・と考えるまでもなく実際に突撃宿泊してきました!
俺は考えるよりまず行動が先に来てまう男やさかい(笑


* * *
で、いつもやったらここから延々と!?長々と文が続くんやけど、
今回は文章作る前にスライドショー作ってようつべにアップしてもーたさかい、
これを見たらある意味すべてがわかります。
萩の遊郭のことも触れとるさかい、どうぞご覧下さい。




見られへん方は、こちらから直でようつべのページまで飛んでくんなはれ。

ちゅーことで、今回の「遊郭・赤線跡を歩く」は超手抜き・・・やなくて超シンプルに終わってまいました。
え、今回はえらい手を抜いてるなってどっからか声が聞こえてきそうやけど、
し、失礼な~。この動画一つ作るのにゃ微調整も入れて2時間もかけたんや、決して手抜きやないわい~。
せやけど、なんか「これで終わりでええんかいな?」とこっちが気持ち悪くなってきたさかい、
スペース埋めるため・・・もといせめて萩にあった遊郭のことは文にしておこうかなと思います。
といっても、言うほど情報もないわけやけど(笑

萩遊郭は長州藩の時代からあったらしく、いつ成立したんか定かやないんやけど、
今の芳和荘がある浮島地区やのーて、越ヶ浜地区にあったそうですわ。
その越ヶ浜地区がどこかは、萩の地理のことは全く知らん俺は門外漢やけど、そこに明治中期まで遊郭が存在、
明治中期にゃ前小畑の長添村山の後ろ、姥倉運河のほとりにも三軒の廓が出来たみたいやけど、
明治42(1909)年に浮島地区に移転、その後は移転することなく売防法施行まで遊郭→赤線として残ったそうですわ。
ちなみに、芳和荘が作られたんは、遊郭が浮島地区に集められたほぼ同時期か、そのちょっと後くらいやと思われます。
何年に作られたんか、肝心なこと聞くの忘れとった(笑


萩の遊郭

平成23年のGoogle mapに遊郭やった地区を塗りつぶしてみたんやけど、
芳和荘のご主人いわく、この範囲が遊郭街やったそうですわ。
そして、元遊郭の建物は芳和荘以外残ってへんそうです。残念無念。
とは言うても、芳和荘自体がええ保存状態で残ってること自体奇跡に近いかも。
動画見たらわかるけど、2階客室部分の手すりとかの部分は建設当時そのままだそうで、それでもまるで10年前くらいに作られたかのよーな新鮮さを保ってます。よっぽどええ木材を作ったんやろな、その当時いかに金をかけたかがわかります。


昭和前期日本都市地図集成の萩遊郭

これは『昭和前期日本都市地図集成』っちゅー、一般人にはまず間違いなく死ぬまで用がないマニアックな本から抜粋してきた、昭和8~9年頃の萩市の地図です。
地図にくっきり「遊廓」と書かれとることがわかります。
この地図の「廓」あたりに芳和荘が建ってて、青い■を加えた所にゃ今はファミレスのジョイフルが建ってます。
芳和荘の弱点はとにかく周りにメシ食うとこがないんやけど、この芳和荘から歩いて1分のジョイフルのおかげで餓死せずに済みました(笑

萩遊廓跡にゃ、確かに芳和荘以外に当時の妓楼は残ってへんかったんやけど、
遺物っちゅーか残骸っちゅーか、ある意味レアなもんを見つけてまいました。


萩の遊郭跡

動画でも紹介しとるけど、これは芳和荘の隣にあるある妓楼の残骸。
外壁だけボロボロになりながらも残ってたんやけど、貴重なんはこの外壁自体っちゅーより、

「貸座敷」

と書かれとったと思われる玄関の門柱。
上の二文字は長年の風化で判別不可能やったけど、下は明らかに「敷」と書いとるんが画像からでもわかると思います。
遊郭街+「敷」=貸座敷(と書いとった)
って推定できるんやけど、まあこりゃ推定言うよりほぼ当たりでしょ♪


ちゅーわけで、萩に行ったら芳和荘にお泊りやす。っちゅーか、ここに泊まりに萩に行っても損やないでっせ。


最後に、芳和荘の予約先のリンクを貼って終わり。
うーん、やっぱこれで終わってええんやろか。罰が当たらないかちょっと心配です(笑


~おまけ~

11041002

萩市内をブラブラしとったら偶然見つけた弁当屋さん。
なんの変哲もなさそうなんやけど、

「萩で2番目においしいお弁当」

っちゅー看板が。
「ほんだら1番目はどこやねん!」と大阪人的には即ツッコミ入れたいとこなんやけど、
「うちが一番じゃ~~!」って胸をはるより、「2番目」って謙遜した(?)とこがやけに気に入った。
判官びいきなんか、こういう所を妙に応援したくなってくるんやな~。
せやけど、萩にある弁当屋・・・2軒だけやったり(以下自粛

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

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2014/09/23   # 

■ Re: 再び河内長野へ

>すずもとさん

他にネット予約で泊まれるとこ言うたら、五条楽園の「平岩」くらいかなーと思います。
大阪港の某旅館も「怪しい」と踏んでるんですけど・・・。
せやけど、「平岩」は外国人バックパッカー向けの格安旅館になっとって、ここみたいな趣はあんまし期待できへんかなーと。
どっちにしても、ここ数ヶ月以内に「平岩」に泊まって、京都の元遊郭・赤線を全制覇してみよーかと思います。
(中書島は「再訪」になりますけど)
あと、京都府立図書館がどーやら「宝の山」のよーやさかい、今のとこ全くデータなしの舞鶴の丸山新地のデータも探してみます。

河内長野、やっぱ「熱い」みたいですねー。
河内長野やったらすぐやさかい、要再調査してみますわ。
情報おおきにでした~。
2011/05/22 URL BJのぶ #- 

■ Re: すばらしい旅館

>イルサさん

もっと主人に話を聞いといたらよかったんですけど、また泊まった時に色々話を聞いてみますわ。
一泊4000円やさかい、萩に行ったら是非どうぞ。雰囲気だけやったら遊郭に4000円でお泊りできるよーなもんやさかい(笑

「現役」の場合は商売やさかい、やっぱ中はリフォームせざるを得ないかもしれません。
陰気臭かったら客が嫌がるし、我々みたいな趣味を持ってるわけやないですし(笑
そこは時代の流れやろーと思います。ある程度は仕方ないことで。
2011/05/22 URL BJのぶ #- 

■ 再び河内長野へ

いやはや お久しぶりです実際にとまれる旧赤線旅館なんてなかなか今の時代珍しい体験だとおもいますよでも旧赤線旅館の建物は結構いろんなものに転用されいると思います例えば河内長野のあのコンクリート建てのカフェ調の建物の前の旅館とか名古屋市中村大門の中にある旧遊廓なんか老人ホームに使われますよそれはさておき旧河内長野新地の跡にある八重別館ですが遊廓の建物ズバリという分けでありませんがかつてまだ新地が現役だったころその手の仲居さんやスナックなんかにいたその手の女性なんかがよく利用旅館だったそうです。ここ何年か休みのたびにここを訪れているんですがやはり昭和の新地や赤線のあったころの風情がいまでもあります
旅館の古ご主人というかたが戦後アメリカの進駐軍の人がよく利用してお土産にチョコレートをたくさんもらったとか置き屋さんがあったころの話とか新地が健在だったころのこといろいろ教えてくれます 貴重な活きた本物のお話だと思いますよ私などの素人が興味本意にきくだけでなく のぶさんのようなプロの本格的ななまの聞き取り調査を希望します戦前戦後にかけ生きぬいてきた方が健在の内に新地を間近で直に見てきたかたのお話を
2011/05/18 URL すずもと #DhbrllUw [編集] 

■ すばらしい旅館

こんにちは

すばらしい旅館を見つけられましたね、実際に映画とかで出てきてもおかしくないぐらい趣がありました。廊下や中庭なんかとくに。機会があればぜひ一度泊まってみたいものです。

そういえば最近松島遊郭を散歩してきましたが、昼間であったこともあり、そんなに趣がなかった気がします。中には入らなかったが、多分動画に出ていたような内装じゃないように思われます。現役のほうがこじんまりとしてしまっているのがなんかさびしいですね。
2011/05/08 URL イルサ #- 

■ Re: 日本全国赤線制覇

>宮原三菜さん

コメントおおきにです。
萩に行くことがあれば是非ここに泊まってみて下さいね。
旅行代わりに全国の遊廓・赤線巡りも面白いですよ。
2011/05/07 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 日本全国赤線制覇

なんて女の私でもしたい松下村塾のある小さな街に今もあれば住み込みする
2011/05/05 URL 宮原三菜 #- 

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