のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

大阪人の、大阪人による、大阪人のため・・・のブログ!?

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。 面白い!と思ったらクリックしてあげて下さいm(_ _)m



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 近代化遺産へ

よろしく!








blogram投票ボタン






ブログ内検索

プロフィール

BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

質問・お問い合わせはこちら

名前:
メール:
件名:
本文:

人気ブログランキング

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

■■■スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

■■■【後編】港新地をゆく 消えた遊郭・赤線跡をゆく16

ホンマは前の港新地編で一気に書き上げようと思ったんやけど、
意外に長くなってしもたさかい、ちょっと分けてみました。

港新地を探索した後、ふと手元の資料を見てみたら、
港区にもう一つ、「怪しい所」としてマークされとった所がありました。

そこは・・・

地下鉄中央線のかつての終点、大阪港周辺でした。
大阪の貿易港は今は南港周辺に集まっとるけど、昔は今の大阪港駅の先にある、咲洲トンネルの入り口あたりの「中央突堤」に桟橋があり、明治時代には大型の船が停泊できるように一大工事が行われました。
それまでは、川口という安治川を6キロほど上った場所が開港地やったんやけど、
川を上るっちゅー不便さと、底が浅いさかい大型の西洋の船は通れず、次第に神戸港に地位を奪われていきました。
そこで、「こりゃあかん!」と思ったんが大阪市。
外国人測量師の「天保山周辺が新港に適している」というアドバイスもあって、何と当時の大阪市の予算の30倍っちゅーべらぼうな予算で大阪港建設が始まりました。
神戸港が政府のプロジェクトで開発されたのに対して、大阪は全部市営のプロジェクト、
「国の援助は受けん!」ちゅー大阪人の民間反骨精神が現れてそうですな。
明治36(1903)年には今の中央突堤の部分に大桟橋が完成して「新大阪港」がスタートしました。
同じ年に大阪港桟橋まで、公営の鉄道としては日本初の市電が開通して成り物入りのスタート・・・のはずやったんやけど、
お目当ての大型船が全然来えへんかって、市電も釣りや夕涼みの人がメインで「釣り電車」と呼ばれとった時期もあったそうな。
そんな前途真っ暗な大阪港に追い風が来たんは第一次世界大戦の頃。
成金が日本中にわんさか現れた「戦争バブル」で大阪港が活気づき、大阪の民間の力で拡張され昭和初期には横浜・神戸と並んで日本三大港となったそうです。

昭和初期の大阪港

これは昭和初期の大阪港桟橋の写真です。ちょうど戦前の大阪港最盛期の頃やと思います。

そんな大阪港も、室戸台風やジェーン台風などの災害で大ダメージを受けながらも、戦後の大阪の復興は大阪港の復興から、っちゅー大阪市の大号令のもと、大阪港は戦争前以上の発展を遂げました。
船なんて今時古いんちゃう?今の輸送は飛行機やろ!
と思う方もおるやろーけど、21世紀になった今でも輸送のメインは船、
海外から日本に来るモノの99%は船での輸送ってデータもあります。
俺も前は商社で貿易業務しとったさかいわかるけど、飛行機での輸送なんて電子部品みたいに軽いものか、飛行機で空輸した方が安い少量のもの、緊急で必要なものかくらい、実際はほとんどが船での輸送でした。
日本と中国を結ぶ旅客船に「蘇州号」「新鑑真号」ってのがあるけど、中国へ旅行に行く人は乗ったことあるかどーかはさておき、名前くらいは聞いたことがあるはず。
大阪から上海まで2日かかる代わりに料金は安い、と貧乏学生旅行者御用達のよーな船やけど、
実はあの船のメインは貨物輸送で、旅客輸送など「もののついで」のよーなもん、そりゃ旅客輸送がメインやったらとっくに会社潰れてるわな。
閑散期に「蘇州号」乗ったら、客が俺を入れて5人だけ、客より乗務員の方が多いなんてことも何回かあったし。
今は知らんけど、10年以上前の「蘇州号」なんか上海に着いたら貨物を先に下ろして人間はその後、上海に着いたのに船の中で1時間以上待機、「はよ降ろせ~!」とブーブー言うとったこともよくありました。
その「蘇州号」は中国へ行く時や日本へ帰る時に「旅客」としてお世話になったんはもちろんやけど、貿易やっとる時にもさんざんお世話になっとって、
「蘇州号」は日本~中国の貨物船としてはいちばん速いクラスの高速貨物船やったさかい、
大きな荷物を緊急で送らんor受け取らんとあかん時はいつもこの船でした。
貨物船っても、目的地までいろんな港を経由して荷物積みながらまったり行く「各駅停車」から、「蘇州号」のよーに目的地まで寄り道せんとノンストップっちゅー速達便の「特急」まであって、
「蘇州号」は貿易で使う貨物船としては、関西で言うたら近鉄のアーバンライナーのよーな「ノンストップ特急」なわけですわ。まあ、アーバンライナーを「名阪ノンストップ特急」なんて言うとった頃は、もう30年も前の話・・・。

その輸送のメインが今でも船やさかい、その船の輸送をストップさせられたら・・・日本の輸出も輸入も大ダメージを受けるわけです。
そんなことがあるのかって?はい、すぐそこに。
最近、海上自衛隊が遠くアフリカのソマリアまで護衛艦と哨戒機を派遣したけど、
派遣されたソマリアって船の輸送の大動脈、そこの治安が海賊によって悪くなりました。
そこの治安が悪くなったら船が襲われて日本にとってもかなりのダメージ、「日本の国益」と関係大ありなんです。
ソマリアって遠いとこまで自衛隊を、それも世界最強の哨戒能力と言われる海上自衛隊の哨戒機を2機も派遣したんは、
何もアメリカの言いなりになって・・・やのーて日本のためでもあるんです。
自衛隊派遣反対とか、そんな「関係ないとこまで」とか言うとる人は、すぐに「井の中の蛙」を改めて広い視野を持ちませう。

また、沖縄からすぐ目と鼻の先にある台湾海峡、中国と台湾があれこれ揉めて「台湾海峡波高し」なんは常識レベルやけど、
あそこは日本への船が必ず通る日本にとっちゃ生命線、あそこを抑えられたら日本は死んだも同然になってまいます。
もし中国が台湾を武力併合して台湾海峡を抑えたら・・・法外な「通行料」取られるならまだマシ、「ここ通るな」なんか言われたら日本は心臓を止められたようなもんで死あるのみ、
中国に言わせたら「戦わずして勝つ」と笑いが止まらんわけで。
せやさかい、俗に言う「台湾問題」は「内輪」のケンカだけやなく、日本にとっても人事やないんです。
でも、ソマリアにしても台湾にしても、ここまで考えとる人って日本の政治家の中でも何人おるやら。知ってる限りやと元総理の中曽根さんと麻生さん、都知事の石原さんくらいやけど・・・。大丈夫か?
我々一般ピーポーもこういう問題に目を向けて考えんとあきません。


遊廓・赤線の話をするはずが、国際政治の話にまで脱線してしもたけど、脱線はこれくらいにしといて。

大阪港が発展するにつれて船員の数も増えてきます。
その娯楽施設を作るんも「発展」の一つやけど、その「娯楽」の一つに「女遊び」もあります。
舞鶴龍宮編でも書いたけど、船乗りってずっと鉄板の男社会の上で過ごしとったら「土と女」がむしょうに恋しくなるみたいで、
大阪港も「松島」と「港新地」がその役目を果たしとりました。
この二つ、伊達に大阪港駅がある地下鉄中央線の直線状にあるわけやありません。今でも大阪港は現役の貿易港やさかい、日本円握りしめて地下鉄一本でバビューン♪と(笑

まあそれはさておき、
昔の遊廓は船が停泊する港のすぐそばにもかなりの数があったことは歴史上の事実、
やったら、大阪港もすぐそこにあったんやないか?
という推論も成り立たんこともありません。
「港新地」のことをあれこれ調べとったら、その資料の後に大阪港のことが書いてあって、
やはりかまさかか、大阪港に船員向けの「施設」があることがわかりました。

その大阪港周辺の「施設」とは?

* * *
10013101

地下鉄中央線の大阪港駅です。
今はもう少し先の「コスモスクエア」まで線路が伸びてるけど、昔はここ大阪港が終点でした。
ちなみに、逆の「朝潮橋」が前に書いた「港新地」にいちばん近い駅です。
大阪港駅あたりを中心に、天保山運河から西の地区を「港頭地区」とも言います。

その「港頭地区」に、船員を主に対象としたと思われる散娼地区、つまり「ちょんの間」が存在しとったことが資料に書かれとります。
戦前は前述した松島新地や港新地があったさかい簡単に「処理」が出来たさかい、港頭地区にそういう所を作る必要もなかったんやけど、
その二つは戦争による空襲で跡形もなく焼けてしもて、港新地が「特飲街」として復活するんが昭和23年、松島新地も色々すったもんだがあって本格営業するんは昭和24年はじめやさかい、そのスキにここに「慰安施設」が出来たものと推定されます。
資料によると、昭和26年にカフェーがオープンして、そこから雨後のタケノコ式にどんどん増え、昭和32年にゃカフェー&小料理屋が26軒、旅館が21軒になっとります。
ここは国が指定した特飲街でもないことに注目。青線的に既成事実を作って黙認してもらえ的な所みたいで、
ここでおもろいんは、売防法施行で数が減るかと思いきや、カフェーも小料理屋も

26軒(昭和32年) → 49軒(昭和35年)

とむしろ増えとります。
女給の数は推定200人ほど、客はほとんど外国から来た外国人やさかい日本人にゃ馴染みがあらへんかったか、日本人お断り的なとこやったんかもしれません。
増えるってことはそれだけ需要があるっちゅーことで、資料も「(カフェーも小料理屋も旅館も)売春をしてるものと思われる」と書いとります。
客が日本語がわからん外国人相手やと、当然外国語を喋る女性が必要なわけで、進駐軍相手に商売しとった女性(洋パンと言われとったらしい)がここに流れとったことが推定されます。
せやけど、外国語それなりに話せるんやったら、ちょっと訓練したらもっとマシな職業にも就けたのに、と思うんは現代の感覚やからやろか?
また、小料理屋や旅館だけやなくて、近くのアパートに住んでる、今風に言うたら「フリーの売春婦」も数十人おったよーで、
ここは戦前風に言うたら「大阪の玉の井」的な私娼街やさかい実数はGod only knows、神のみぞ知るやけど、フリーも含めて250人くらいとすると、数字だけやったら中規模の赤線並みの数やったことがわかります。

ちゅーわけで、ここ界隈を歩いてみました。

といきなり!


11013103

カフェー建築やないけど衝撃的なお店が(笑
どーやら外国人向けに着物の生地とか服を売ってるお店みたいですわ。
大阪港を訪れる船員はもちろん、最近は近くに海遊館とかも出来たさかい、そういう人たちも対象なんやろな。
それにしても、Tシャツとかけっこう安かったけど日本人は恥ずかしくて国内じゃ着られへん(笑


11013104

街を歩いてたらコインランドリーを見つけました。
英語でわざわざ書いてる所から見ても、これは明らかに船員向けやろな。
せやけど、"Coin laundry"って・・・和製英語やないの?これじゃ「コイン洗濯場→コインを洗濯するとこ」になりまっせ(笑
確か「コインランドリー」って英語じゃ"coin-operated laundry"とか"launderette"、"laundromat"やなかったっけ?
また話が脱線しそうになるさかい英語の話はこれまでにして、
ここ港頭地区にゃ英語表記のお店がけっこう目立ちます。外国人が来えへんかったらそんな必要もあらへんわけで、港町やなーっちゅーのが何かひしひしと感じます。



11013102

港頭地区のある所やけど、資料の地図によるとこの道筋に昭和20~30年代にゃずらりと旅館や小料理屋、カフェーが並んでたらしいです。
せやけど、今は特に何の変哲もない町並みになっとります。確かに何軒か旅館は残ってるけど、めちゃ目立つよーな特異な建築らしきもんは見当たらず。

ただ・・・

11013105

如何にも古そーな、既に主がおらんそーな建物が一つ。
地図によるとここにかつてカフェーがポツンと一軒あったらしゅーて、その残骸かな?と思ったりもします。
実際に見たら「そうかも」と思うんやけど、写真で見たら何か違うような・・・。


11013106

大昔から残ってそー建物の旅館です。
港頭地区に残っとる旅館は、こことあと何軒かあったけど、海遊館にも近いしUSJへもシャトル船で一本、大阪港駅からも近いさかい大阪城まで電車一本、なんばと梅田へも乗り替え1回、こりゃええロケーションやな。
今度誰か大阪に遊びに来たら、ここあたりの旅館勧めてやろう。
上の写真の旅館は「丸三」と言うて、ホームページを見たら映画のロケにも使われた「純昔ながらの旅館」らしい。料金も安いし一回「観光客」気分で泊ってみよかな?


10113107

この筋にも昔は小料理屋なんかが並んでたらしいけど、今はこの通りでございます。何の面影もない。

まあ、モグリやさかい何もないやろなと思ってたものの、現実に何もあらへんと寂しいもの。
こりゃ素直に帰ろうか?寒いし・・・と思いつつ、諦めずに探しとったところ。

11013108


玄関が二つの建物発見!
この古さといい、いかにも怪しそうな玄関といい、ここあたりでいちばん「怪しい」建物でした。
せやけど、建物の老朽化か、それとも地盤沈下か、建物傾いてるやん(笑


11013109

海遊館横にある「大観覧車」です。
夜になったら青色LEDのライトアップでめちゃ綺麗らしいけど、昼間はこのとおりただの観覧車(笑
せやけど、昔はこの観覧車下あたりにも「旅館」が何軒かあったらしゅーて、地図上でマークされとります。
もちろん、今は跡形もないけどね。


11013110

写真右奥に見える建物が「海遊館」です。
今はスッキリして新しい観光名所にもなっとるこの区域やけど、
昔は海遊館や観覧車があるとこは貨物線になっとって、写真手前の道にゃ大阪市営電車、つまりチンチン電車が走っとりました。


11013111

今のGoogle map上に書いたらこんな感じなんやけど、
黒い線がチンチン電車が走ってたとこで、黒い●が停留所赤い線が旧国鉄の貨物船(浪速貨物線)でした。
チンチン電車(正式にゃ大阪市電築港線)は昭和35年に、貨物線は昭和61年に廃止になって今は面影が全くありませぬ。
ちゅーか、こんなとこにチンチン電車が走ってたこと自体信じられへん人も多いと思います。俺もその一人なんやけど(笑


ちゅーわけで、今回の「発掘」は終わり。
せやけど、数々の名もなき女性がそこに辿り着いた大阪港は今も健在、ということは・・・?
それは"God only knows"、神のみぞ知る。
スポンサーサイト

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: 関西の遊廓は

>掛川市 十九首遊廓 さん

はじめまして。
庄内って豊中のことですか?
豊中には青線があったそうですが、それ以上のことはわかりません。
神埼と初島と戸の内は尼崎のことやと思いますが、尼崎のはちょっと情報は仕入れてません、すみません。
2011/03/04 URL BJのぶ #- 

■ 関西の遊廓は

拝啓 初めまして
突然ですが 庄内 戸の内 神崎 初島 の新地についてお聞きなった事おありですか?
2011/02/19 URL 掛川市 十九首遊廓 #- 

■ コメントの投稿










トラックバック

≫ http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/tb.php/833-eb4c832d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。