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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■【前編】港新地をゆく 消えた遊郭・赤線跡をゆく15

冬の寒さのピークが来て出無精になりつつあるBJのぶです。
真夏生まれのせいか、それともしし座寅年っちゅー「ネコ科」性質のせいか、
冬は「こたつで丸くなる」のが習慣になってまいつつあるけど、
そんな自分に鞭打って出かけてまいりました。

そんなアホ寒い中向かったんは、
大阪にあった赤線の一つ。
大阪の赤線跡ときたら、今でも「現役」の飛田とか松島はもちろん、江戸時代からあった貝塚や堺龍神や枚方、元々は「芸者タウン」やった今里新地が、遊郭・赤線に興味あるんやったらすぐ思いつかんとあかんくらい有名なところやけど、
意外と知られてへんマイナーなところやったら、北部の池田なんかがあったりします。
「現役」の信太山とか滝井新地、「隠れ」の河内長野は、赤線なんか青線なんかいまいちはっきりせーへんとこがあって、
(警察とか大阪府の資料やと青線扱いやさかい、まあ青線やとは思うけど)
白黒はっきりつけるにはちょっと証拠が足りんとこがあるけど、
そこは今後の調査を待ちましょう。

で、今回行ってきたんは、

港新地

です。
港新地は大阪市港区夕凪(ゆうなぎ)地区にあった、戦前からあったとこなんやけど、
歴史が古い(?)割には資料が少ないせいか知らん人は知らん赤線やったりします。
試しにググってみても、やっぱりかまさかか、全然出てこえへん。
何せうちのブログは長いのが定例になってしもたさかい、資料が少ないと何かと書くんが億劫になってまうけど、
ここはそれに負けずに知ってる限りを書いてみましょう。

港新地は大阪港が貿易港として発展して人の出入りが多くなり、昭和3(1928)年頃に芸妓がおる「花街」としてスタートした、と手元の資料にあります。
最初は「池田新地」って名前でスタートしたらしゅーて、池田市にあった赤線の「池田新地」と紛らわしいけど全くの別物みたいですわ。
港新地は、安治川土地会社という不動産会社が持ってた土地を利用して作られた、敷地約1万坪の新地やけど、
元々は大正時代にかの松島遊郭の移転先候補として挙がった所でもあったそうです。
せやけど、松島の移転問題は中央政界はおろか現役の首相まで巻き込んだ一大スキャンダルになり、
「松島疑獄事件」っちゅー戦前最大の汚職事件として歴史に名を残します。
それがあやふやな結末を迎えた直後、その後始末の如く急に港新地は誕生しました。

太平洋戦争前にゃ待合の数50軒、芸妓の数250人もおってかなり繁盛しとったみたいやけど、
戦争の足音はこういう商売を衰退されるんがいつものパターンで、「国家総力戦やっとるのに芸者と遊ぶとは何事か!」ってこと、平成23年の世の中の言葉に直したら「空気読め」っちゅーことです。
これは太平洋戦争の時だけやなくて、日清戦争や日露戦争の時もそうで、戦争の度に水商売系の遊廓は客足が途絶えて大打撃を受けとることが、各遊廓の資料とか本を見てもわかります。
よく、
「太平洋戦争の時、アメリカと戦って負けるとか思ってへんかったんかな?それやったら何で戦争反対って言えへんかったの?」
って言う人がおるけど、
その答えは、めちゃ強引に一言で言うたら
「『空気』が口を封じた」
って言えます。
当時の「空気」は鬼畜米英、アメリカ憎し!イギリスを叩け!の大号令。新聞もガンガン煽っとりました。
そんな中、「アメリカの国力を見よ。勝てるわけないやん」って数字出して正論言うたもんなら、

「空気読め」

で終わり。
それどころか「非国民」として憲兵か特別高等警察(特高)に捕まって、「思想犯」として刑務所行きならまだラッキー、ヘタしたら拷問であの世行き。
要するに、平成23年の「KY」を昭和10年代風に言い直したら「非国民」「国賊」「思想犯」になるわけで、
正論言おうものならまさに「KY」扱い、当時2ちゃんねるがあったら「空気嫁」でスレッドが埋め尽くされとったやろな(笑

もちろん、戦争反対を叫んでた「KY」は陸海軍の中にもいっぱいいました。
日中戦争を泥沼化させて、それが原因で東京裁判で死刑になった武藤章もその一人で、
国力の違いを数字で挙げて「勝てるかよ!」と「鬼畜米英」で固まった参謀本部で毎日大喧嘩しとったらしく、
最後は「戦争したければ貴様ら個人でやれ!国を巻きこむな!」と投げ出してしまいました。
中国に対しては完全にナメてかかっとって日本を誤った方向へ向かわせた武藤章も、アメリカに対する見方は全く正しかったわけで。

海軍でも戦争反対の人間はいっぱいいて、その代表格が山本五十六。
「え?山本五十六が?」
と歴史をサラッとしか知らん人はそう思うでしょう。
かの真珠湾攻撃の発案者かつ実行者の山本が反戦?んなアホな!
と思うんは仕方ないですわな。
山本五十六って連合艦隊司令長官ってイメージが強すぎて海の武人ってしか思いつかんかもしれへんけど、
元々はアメリカの駐在武官も経験して英語もベラベラの海軍きってのアメリカ通、
戦争が始まった後も中立国のスウェーデンの駐在武官経由でアメリカの雑誌を購読しとって、アメリカ情勢を冷静に観察しとりました。
山本は大正時代から「アメリカとは戦争するべからず」論を展開しとって、武官時代にアメリカ中を視察しとるさかい、国力の違いをその目でしかと確認しとりました。
「デトロイトの工業地帯とテキサスの油田を見たら、(アメリカと)戦争なんて愚かなことだって誰だってわかるよ」
と海軍次官時代に海軍記者に公言しとりました。

山本の心境を伺わせる手紙が今に残されてます。

「個人としての意見と正確に正反対の意見を固め、その方向に一途邁進のほかなき現在の立場は誠に変なものなり。これも命というものか。」

これは、真珠湾攻撃数カ月前に親友だった堀悌吉に宛てた個人的な手紙やけど、
「個人としての意見」はおそらく信念やった「戦争を避けること」、「正確に正反対の意見」はたぶん真珠湾攻撃=アメリカとの戦争の決意のこと。
「正確に正反対の意見」を「固め」た後、「これも命というものか」とほとんど諦めの境地なことが伺えます。
これが平成の世の中のケータイメールやったら、
ε=(・д・`*)ハァ…
っちゅー顔文字つけたいくらいの心境やったことでしょう。

これだけやったらただの愚痴やけど、相手が堀悌吉なのに注目。
この手紙の相手の堀悌吉って、よっぽどの海軍人物通でない限り聞くことない名前やけど、
元々は海軍兵学校の同期で、「神様の傑作の一つ、堀の頭脳」と言われたほどの人材でした。
そして、堀は「軍隊とは戦争しないために存在するものなり」と言った初めての人物で、
イギリスで生まれた「フリート・イン・ビーイング」(戦争抑止力のための軍隊)ちゅー考えを日本に初めて持ちこみました。
今じゃ「フリート・イン・ビーイング」なんか常識やけど、当時はかなり過激な考えやったらしく、その頭の良さと先を読む力を危険視されて、海軍内の派閥争いでの粛清人事に巻き込まれて事実上海軍を追い出されてしまいます。
堀がクビになった時、山本五十六は「堀の頭脳と巡洋艦、どっちが大切なんだ!」と激怒、「こんな海軍やってらんねー。モナコに行ってギャンブラーにでもなろうっと」と辞表を出しそうになったけど、
堀に「貴様は残れ。海軍を立て直すのはもう貴様しかいない」と止められてそのまま残ります。
歴史にifは禁物やけど、もし堀が海軍に残ってたら日本の歴史は少なからず変わってたはず、上に書いた「粛清人事」で堀だけやなくて海軍内じゃ良識派言われる人材のクビがどんどん切られ、
彼らが残ってたら、果たして歴史はどないなってたんやろか?と思います。もっとも、堀がおったら山本は歴史の表舞台に出ることはなかったかもしれへんけど。
そんな「同志」やった堀にしか語られへん「本音」がこの短い手紙に表されとると思いますわ。「お前しか俺の気持ちわかってくれへん」ってな感じで。

日本人の大きな弱点は、

「空気読み過ぎて空気に呑まれてしまう」

っちゅーことは、歴史の事実から証明済み、
またいくら正論を言うても「空気読め」で片づける性質もあります。要は感情的になりやすくて論理的な正論は感情的に排除してしまうこと。
そして、「みんな言ってる」「みんなそう思ってる」と「みんな」を武器に数で押し、正論を封じ込めてしまうんです。日本人にとって「みんな」は葵の御紋、
「ほな、『みんな』って一体誰よ、どこのどなたか具体的に名前を挙げよ」
と言うても「周りのみんなやん!」と逆ギレして答えになってへん答えを言うだけ。何故ならば、当人頭使ってへんから答えようがないのと、そもそも「みんな」なんて自分の意見を数で押して正当化するだけの幻想に過ぎへん、「みんな」はそもそも存在せーへんからなんです。
日常生活でも「みんなが言ってるから」「みんなそう思ってるよ」というシーンがあるけど、
それは単に理屈で説明できへん人が「空気」っちゅー目に見えん、実際にゃ存在せーへん化け物を出して脅しとるよーなもん。つまり当人は頭悪い、何も考えてへんってことだけですな。
賢い人はそこをきっちり見破るようにしましょう。「みんな」って言われて引いたらあきません。むしろ「頭悪いね~」と論理でビシバシ突っ込んで差し上げましょう。相手はまず答えられへんさかい、相手が逆ギレしたらこっちの勝ち(笑

日本が戦争に向かったのも、一言で言うたら「一億総玉砕」ならぬ「一億総感情的」になったからであって、
戦後にマッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳程度だな(笑」ってとんだ迷言(?)吐いたんも、この感情的になりやすい性質を理解したからかもしれません。
このバカにするよーな発言を聞いて「むかつく!」と怒るんはそれこそ「精神年齢12歳」であって、
俺に言わせたら、言っちゃ悪いが「脳が爬虫類並みに退化してる」ってこと。あたしゃマッカーサーより言い方キツいよ(笑
「大人」やったら「何でマッカーサーはこんなこと言うたんやろか?」と頭で考えて考えて考えてみる、怒るんはそれからでも遅くない、それが「大人の対応」ってやつやと思います。
日本が戦争に向かって行った原因を「空気」に注目して本に書いとる作家は、山本七平と半藤一利くらいしか知らんけど、
同じ過ちを繰り返さんためにも、日本独特の「空気」の取り扱いにゃ十分注意ってことです。
これが「歴史に学ぶ」ことであり、何で歴史を勉強せんとあかんのか、っちゅー理由でもあります。


で、熱くなったとこで(笑
港新地の話に戻ります。

港新地は戦争で首を絞められて衰退した上に、昭和20年の6月1日にあった「第二次大阪大空襲」で焼けてしもたことが、松島遊廓からの資料から明らかになっとります。
そん時の港区あたりの写真を見たら、違う意味で「見事やな・・・」と思ってまうくらいの一面焼け野原、その時の火は遠く奈良県生駒からもはっきり見えたそうです。
その港区の壊滅具合がよくわかる数字を。
昭和15年(1940)の港区の人口は、322,231人でした。それが空襲から5ヶ月後の昭和20年11月には8,672人と激減しとります。減少率は何と97.3%、この数字は大阪市一の減少率で、大阪市全体も325万人→111万人と3分の1になっとることからも、空襲のすごさがわかる数字となっとります。
減った人すべてが空襲で亡くなったわけやないけど、人口統計的には港区は明らかに「全滅」でした。そして港新地も焼失、いや「消失」してしもたと思われます。

そして戦後、昭和23(1948)年ごろに業者が戻って復活、昭和29(1954)年に夕凪地区に移転して売防法施行の前の昭和33(1958)年2月20日に、「関西のトップを切って」全店自主転業した、と資料に書いとります。
売防法施行を目前にして、スタートした時の純粋な芸妓の街に戻ろうとチャレンジしてみたそうやけど、
どうも上手くいかんかったみたいで、転業しても「ちょんの間」としてモグリ営業をして警察にマークされ、売防法違反で検挙された所もあったとか。
手元のデータによると、昭和32(1957)年2月現在の業者数34軒、女性の数200人と記録されとって、
自主転業時点では業者数33軒、女性の数130人となっとります。
また、上の時期の中間くらいの昭和32年10月末に「大阪府売春防止対策本部」ちゅー公的機関が調べた数は、業者数33軒、女性の数147人とあります。
これはいずれも大阪府の下の公的組織が出した数字やさかい、比較的信頼できる数字やと思います。

概要はこんなもんで、さて港新地が消滅して50年以上経った平成23年にゃどないなっとるでしょうか?

* * *
10012701

今は地下鉄中央線も走っとる中央大通り近くに、港新地はありました。
今のこと考えたら、「こんなとこに赤線あったの?」ってなとこやけど、確かにあったんです。
手元の資料にある港新地の地図を最初見た時は、けっこう地図が略されとる上に、戦前の「池田新地」やった地区ばっかし探しとってなかなか見つからんかったけど、
夕凪地区の周りがえらい変わってるさかい、それで場所確定するのにえらい苦労しましたわ(汗
この地図の位置は昭和29年に移転してからのやけど、それ以前はたぶんその北にある地区にあったと推定できます。
ちょうど夕凪地区の真ん中あたりに、ポカンと空いた公園と神社の敷地があるけど、

11012702

公園から北の方向を、新デジカメに新しくついたパノラマ撮影モードで撮ってみた写真です。
この写真に特に意味はありまへん、ただ撮りたかっただけで(笑

で、旧港新地をあれこれ歩いとっても、

11012703

ただの閑静な住宅地になっとって、フラフラ歩いてとってもそれらしき痕跡はなかなか見つからず。
スタンドバーや飲み屋がチョロチョロ散見するんが唯一の面影か!?
ネットでの事前調査でもほとんど残ってへんって情報やったし、まあこんなもんか。
google mapでこの地区を拡大してみると、この地区に「旅館」が数件残っとることがわかります。
こんなとこ(って失礼?)に旅館って・・・これは「生き残り」に違いない!?
と思って、まずはmap上に「都旅館」って書いてるとこを捜索。すると!


11012704

あちゃー _| ̄|○
どうも"It's too late"ちゅーか、一足遅かったか?
まあ、「都旅館」自体の建物は見たことあらへんさかい、どうなってたんか知らんけど、
とりあえず遅かった、ちゅーことだけは事実です。

で、気を取り直して更に進んだら・・・

11012705

まあ、こんな古めかしい建物発見♪
ここは「佐保寮」って書いとるけど、事前調査によるとこれは新地時代の建物の生き残りとか何とかで、
確かに見様によっちゃそう見える。2階部分の手すりもやけに赤いし。
俺の長年の(?)カンやと、これはビンゴやと思います。

そして、また夕凪地区をブラブラ歩いとったら・・・

11012706

「旅館 別府荘」
でげす。←どこの方言やねん
外観は塗りなおされてリフォームされとるみたいやけど、建築当時の面影は残してる建物みたいで、
これも新地時代の生き残りか?
写真にゃ撮ってへんけど、この旅館を横から見てみたら中庭がありそうな感じで、意外にデカいかもしれません。今度ここに泊まってみようかな?


11012707

「新地」の名前が残る店を見つけました。
営業してへんのか、それともたまたま定休日やったんか、シャッターは閉まってるけどここに「新地」があったっちゅー間接的な証拠です。


11012708

これは当時の生き残りかどうかは知らんけど、なんか妙に気になったさかい写真に撮ってみました。


11012709

夕凪地区にある三津神社です。
遊廓や赤線近くとか範囲内にある神社にゃ何か間接的なもんがあるかも!?
といつも現地で調べるんが毎度現地調査の習慣になっとるけど、ここにも何かあるかな?と思って調べてみました。

すると!!!


何もあらへんかった(笑

玉垣を全部調べてみても、どうも新地の建物らしき名前はなし、うーん残念。
せやけど、後で調べてみてわかったんやけど、そりゃそのはず。
なぜならば、この三津神社は新地が形はなくなった後の昭和42年に今の場所に移転したらしくて、
前は別のとこにあったそうな。
まあそりゃしゃーない、素直に諦めましょう。

港新地は、元々芸妓の街、つまり遊廓と違って純粋な「花街」としてスタートしたんやけど、
法律じゃ芸妓と娼妓(遊女)ははっきり線引きされとったものの、それは有名無実みたいになっとったそうで、
港新地もスタート時点の理念は知らんけど、だんだんと「そっち系」に移ってしもた形跡があります。
その形跡はまた今度書くとして、戦後に赤線になったんもやっぱ伏線があったっちゅーことやと思います。

ちゅーわけで、港新地の話はここまでやけど、
これにゃちょっとした「おまけ」があります。
それは次の章で・・・。

To be continued...

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/06/17   # 

■ Re: いつも恐れ入ります

>すずもとさん

港新地の件、すずもとさんのコメントを見てブログにしたろと思いつきました(笑
逆に言うたらこれが今持ってる情報のすべてやさかい、また図書館に行って「大阪市史」でも読んでみることにしますわ。なんか載ってるかもしれへんし!?

>伊丹新地 生玉新地 布施新地 奈良県の猿沢池とかお聞きになったことありますかよかったらまた教えてください。

そこあたりは、布施新地以外はまだ何も資料持ってません。
次は布施新地と今里新地でも攻めようかしら(笑
2011/02/14 URL BJのぶ #- 

■ いつも恐れ入ります

いつも関西の新地についての貴重な情報ありがとうございます。 港新地なんて名前は聞いたことありましたがここまで詳細な情報はわかりませんでした。感謝感激です。 あのついでに質問といい分けでわないのですが、伊丹新地 生玉新地 布施新地 奈良県の猿沢池とかお聞きになったことありますかよかったらまた教えてください。
2011/02/13 URL すずもと #- 

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