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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■『全国遊廓案内』の謎

もう気分は家におらず、南国へと向かっとるBJのぶです。
何故かというと、もう予告しとくとあさってから連休やさかい和歌山方面に
「遊郭・赤線跡を訪ねる旅」
をいたします。
こんな寒い冬は南に逃避するに限る♪
数年前の同じ時期に紀南方面にドライブに行ったことがあるけど、その時の白浜あたりの気温何と17℃!!
大阪が3~5℃やった時の17℃。プリウスの温度計壊れとるんちゃうんか?と思いました。
もう沖縄を通り越えて常夏もどきの香港並みの気温やん!と思ったんやけど、
あの時の「17℃」をもう一度って感じです(笑
連休っても2日間だけやけど、出来るだけ多くの遊郭・赤線跡を訪ねてみようかなーと。
そのために(?)デジカメも新調したし、プリウスのナビに打ち込む用のマップコードも万全。
ホテルの予約も完了、頭の中のドライブシミュレーションもバッチリ。
準備は全部OK牧場、もうあとは寝るだけ(笑


で、今回はこんなことが本題やないんです。
ある巨大SNSの遊廓・赤線コミュに、当時の住所で言うと佐賀県佐賀郡東川副村諸富にあった通称「諸富遊廓」のことについての質問がありました。
「佐賀県佐賀郡東川副村諸富」って今の佐賀市諸富町大字徳富あたりみたいやけど、
諸富遊廓のことは我らがバイブル『日本遊廓一覧』と『全国遊廓案内』にもサラリとやけど掲載されとります。

『全国遊廓案内』の記述は・・・

「東川副村諸富遊廓は佐賀県佐賀郡東川副村諸富にあって、汽車は長崎本線佐賀駅で諸富行電車がある。
それを利用して諸富で下車すれば宜ろしい。
目下貸座敷は十一軒、娼妓は約百三十人位居て、主に九州地方の女が多い。
店は陰店制で御定まりは一泊五円位。又時間で三円五十銭でも遊興ができる。台の物が附く。
有名な筑後川は町の東を流れて居る」



ある意味、事実のみを淡々と語っとるよーな感じの書き方ですな。
佐賀県の、それもそんなに有名やない所(?)で130人も遊女がおったってことは、
まあそこそこ繁盛しとったってことかもしれへんけど、
Google mapを見てあれこれ状況証拠を調べてみようとしても、こんなとこに昔遊廓があったんか?ちゅーくらいの、ごく普通の集落みたいですな。

こういうマイナー(?)遊廓はなかなか情報がないさかい、俺も暇人・・・やなくて興味が湧いてきて
「本丸を落とすには、まず外堀から埋める」
っちゅー持論のもと、そこあたりの歴史を出来る限り調べてみました。
まずは、鉄オタ(?)の本領発揮、『全国遊廓案内』の本文にある

「汽車は長崎本線佐賀駅で諸富行電車がある。
それを利用して諸富で下車すれば宜ろしい」



って所に注目。
佐賀駅からはJRになる寸前までは佐賀線っちゅーローカル線が走っとって、確かにそこにゃ「諸富駅」が存在しとりました。
佐賀線は国鉄がJRになる前の1987年(昭和62)に廃止になって、諸富駅の跡は体育館になっとるってWikipediaに書いとったけど、
佐賀線は廃止になるまで全線非電化やったさかい、本文にある「電車」は記述間違い、『全国遊廓案内』って誤字脱字とか記述間違い(記憶違い?)がけっこう多いさかい、
(うちの地元遊廓の『龍神町』も『龍初町』って書いてるし)
迂闊に信用したら痛い目に遭うっぽい。「バイブル」は絶対じゃございませぬ。「バイブル」と言えども鵜呑みにせんと事前の裏付、つまり批判精神が必要でございます。

で、普通ならこれで
「『全国遊廓案内』に書いてる鉄道は佐賀線やねんな、はい終わり」
なんやけど、更に調べていくうちに「あれ?」とある謎が浮かびました。
『全国遊廓案内』って昭和5年、1930年に発行された本なんやけど、実は佐賀線の開業はその翌年の昭和6年で路線が名前の通り佐賀まで伸びたんは1935(昭和10)年のこと。
諸富駅もその時開設やさかい、『全国遊廓案内』が発行された時は佐賀線はもちろん、諸富駅なんて影も形もないのであります。
ほな、『全国遊廓案内』に書いとるのは一体なんやねん???
この「5年間のギャップ」は何やねん???
という「謎」が浮かび上がってきます。
『全国遊廓案内』は重版を重ねて内容が訂正されたんか?
もしかして、筆者は5年先を見通せた予言者なのか?(笑


* * *
謎が謎を呼ぶこの「5年間のギャップの謎」、
実はあっけなく自己解決しました(笑

今日はデジカメを買いに行って大阪市内へと向かってたんやけど、
その時に電車の中でこの「謎」をずっと考えとりました。
おかげさまでせっかくの電車っちゅー「寝ながら移動できるツール」やのに寝られへんかった上に、
デジカメを買ってからデジカメに頭が移ってしもてすっかり忘れとったんやけど、
その間に無意識に脳が考えを「発酵→醸造」させるってのは伊達やないみたいで、
家に帰ってから
「チ~ン!」
とあることが思い浮かびました。
まるで一休さんかドラクエ8の錬金釜のようや(笑

佐賀に路面電車走ってたんちゃうか?

これやったら『全国遊廓案内』の筆者の「電車」の謎が一気に解決できる。
今じゃ考えられへんかもしれへんけど、その昔は車なんて大金持ちの乗り物やったさかい、一般ピーポーなんて手が出せる代物じゃなく、
移動手段はもっぱら鉄道が主でした。
ある意味大正時代~太平洋戦争が起きる前の時代は日本鉄道の黄金期やったわけやけど、
今じゃJR以外、いや、JRさえも通ってへんよーな所にも鉄道があったりしたんですわ。
そんなことを思いついて、佐賀市にチンチン電車なんかがあったかな?と思って調べてみたら・・・

これがビンゴでした!!

佐賀市には、市電やないけど明治時代~昭和初期まで路面電車が走ってて、
「川上軌道」と「佐賀馬車軌道」という二つの会社が鉄道を走らせとりました。
この二つの会社が合併して「佐賀軌道」って名前になって、更に1927(昭和2)年に「佐賀電気軌道」に改名します。
そのうちの一つ、「佐賀馬車軌道」が実は1904(明治37)年に遊廓があった諸富まで馬車軌道を開通させとったことがわかりました。
ちなみに、「馬車軌道」とは現存せーへんさかいどんなんかわからへんと思うけど、
簡単に言うたらチンチン電車の車両を馬が引いて走らせとったよーなもんで、
動力は言うまでもなく電気やなくて馬、馬が引く路面電車が線路に沿って走っとった鉄道なんですわ。
「それって鉄道なんか?」と思うやろーけど、レール敷いてるさかいれっきとした鉄道であります。
引いてるのが馬なんかまだ驚くに値しません、その昔列車を「数人」が引いとった、人力車ならぬ「人力鉄道」さえあって、ちゃんと当時の時刻表にも載ってたくらいであります。

で、その「佐賀電気軌道」、「電気」と書いときながら実は電車やなかったりします(笑
佐賀駅から諸富まで結んどった旧佐賀馬車軌道の路線は、実は昭和3年に廃止になるんやけど、
廃止まで電化されずに、小型SLか小型ディーゼルカー、またはその名の通り馬車が引いてたと思われます。
電化されてへんのに会社に「電気」をつけたんは、恐らく「会社のビジョンとしては将来的に電化しますよ」っちゅー意気込みやったんやないかなーと思います。
せやけど、ここでまた「謎」が浮かびました。
あるサイトによると、佐賀電気軌道の経営は好調やったみたいで、温泉地と駅~市内中心部を結んでるせいか乗客は多かったそうで何で急に佐賀駅~諸富間が廃止になったのか?ということ。
これも俺の頭の中の予想なんやけど、その時に鉄道省の佐賀線の建設が決まって、路線が「佐賀電気軌道」の旧馬車路線とダブったさかい、「明け渡せ」と国から言われたからちゃうかな?と。
当時の国の権力はすごいもんで、上から言われたら原則絶対服従、権力で引き渡し食らったら内心はイヤでも渡さんとあきません。
まあ、その分ちゃんと国が「明け渡し料」払うだけでもまだ善良やろうけど、諸富までの路線が廃止になったんはそれが理由と予想できます。
事実、そういう例は色々あるし、佐賀線の路線は諸富あたりは旧馬車鉄道とほぼダブっとります。

まあそんなことはさておいて、
『全国遊廓案内』に書かれとる「諸富駅」は、佐賀線のやなくて旧馬車鉄道の方やと推定できます。
たぶん、その可能性の方が高いしそれやとすべての謎と矛盾が解決できます。
いや~~、調べてみるもんやな~と思いますわ♪

せやけど、またここで謎が!
『全国遊廓案内』の発行は、上に書いた通り昭和5年やけど、諸富までの路線は昭和3年には廃止になっとる、
この「2年間のギャップ」は何やねん?
せやけど、これは何のことはない、容易に想像できます。

1.『全国遊廓案内』の筆者の調査が昭和3年以前

2.筆者が廃止になったのを知らずに紹介した


まあ、このどっちかやと思うけど、当時はネットどころか電話すらロクに普及してへんさかい、
(意外や意外、電話が全国的かつ各家庭に普及するんは昭和40年前後やったりします。戦後の赤線廃止時でもカフェー10軒に半分軒電話がつながってたらいい方って有様やったそうな)
情報が届かなくて古い情報をそのまま採用したんちゃうか?と思われ。
どっちにしても、『全国遊廓案内』が出版された時には、本文に書かれとる「電車」はないっちゅーわけで、
これを見て「諸富遊廓」に向かおうとした人は、あるはずの鉄道があらへんさかいさぞかし狼狽したでしょう(笑
ちなみに、本文に書かれとる「電車」は、路線が「佐賀電気軌道」って名前やさかい、筆者が「電気=電化されとる」って勘違いして「電車」って書いたんちゃいますかね?
これは勘違いしてもしゃーないけど、そんなもんは現地に行ったらすぐわかることで、筆者は現地調査してへんな!?

そして、もっと調べてみたら、ネット上で昔の佐賀県の地図をGET。
そこには諸富までつながっとった馬車鉄道の路線が載ってました。
それによると、馬車鉄道の「諸富駅」と佐賀線の「諸富駅」は位置が少しズレとって、前者の駅は筑後川沿いの国道444号線沿いにあったっぽいです。
前者と後者の「諸富駅」は距離にして約600mくらい違うわけで、ここの遊廓を調べとる人はここを間違うとえらいことになりかねませんのでご注意を!?

結局、「謎」は自己解決したさかいこの疑問は俺の自慰で終わったわけやけど、
「本丸」やのーて「外堀」を調べるとホンマ色んなことがわかってきて非常におもろいです。
うちのブログを見てくれとる人の中には、遊廓や赤線に興味持ってググったら偶然辿り着いたって人も多いと思うけど、
こういうことを調べるにゃ、「本丸」に向けて一気に突撃もええし、それが日本人の特徴でもあるけど、
まずは「急がば回れ」とばかりに「外堀」から埋めていくのも近道の一つかもしれません。
そないして調べていったら、次から次へとわからんかったことや非常に興味深いことがわかり、もう寝るヒマもございません、毎日睡眠不足です(笑
せやけど、それくらいハマれるもんがあったらそれだけでも幸せ、毎日やることがなくてグータラして時間の浪費をしとるよりは、「急がば回れ」した方がええと思いまっせー。
それが絶好の「暇つぶし」になりますから(笑
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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

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2011/01/23   # 

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