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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■中国古典サプリ(2) リーダーの資質

中国の古典と言うたら、『論語』とか『老子』『史記』など、日本じゃまだ縄文時代の紀元前に書かれた書物のことを思い浮かべる人が多いけど、
日本で言うたら戦国時代とか江戸時代くらいに書かれた「古典」も存在します。
『論語』とかを「初期古典」と言うなら、後者は「後期古典」って言い方も出来るかもしれません。
今日のサプリも、そんな「後期古典」からの出典です。


深沈厚重なるはこれ第一等の資質

磊落豪雄なるはこれ第二等の資質

聡明才弁なるはこれ第三等の資質


「どっしりと落ち着いて物事に動じないのは、人間として第一級の資質である。
細かい事にこだわらず太っ腹なのは、第二級の資質である。
頭の回転が良く弁が立つのは、たかだか第三等の資質に過ぎない」


これは
『呷吟語』(しんぎんご)
という、呂新吾という人物が書いた書物で、これが書かれたんは今から450年前くらいで中国じゃ明の末期、日本じゃ織田信長とほぼ同世代の官僚で、
『呷吟語』は彼が58歳の時に書かれ、西暦で言うと1594年あたり、ちょうど豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した頃の書物で、それから死ぬまでの間に追加・校正されてまとめ上げられたものです。
それよりちょっと古い時代に「後期中国古典」の名作の『菜根譚』が生まれていますが、これに比べると『呷吟語』の知名度はいまひとつ、知る人ぞ知るような古典になっています。
しかし、これは明の末期に世の中が乱れていき、世の中の矛盾や不満などを冷静な目で書き記したもので、作者は官僚とは言え中世中国のマジメなサラリーマンのようなもの、現代人にも通じる世の中の無常さを綴っています。
『呷吟語』の「呷吟」はこの序文に「病気のこと」と書いていて、精神的な病、悩みとも解釈できます。作者が「サラリーマン」として悩んで頭を抱えて、吐き出すように書いた言葉、それが『呷吟語』というわけです。
* * *
この言葉で面白いのは、世間一般が「すごい」と思う「口が達者で頭の回転がいい」人を「所詮三流」と斬り捨てていること。
一般人から見るとこれだけでも「すごい」のですが、なぜ「三流」なのかというと、
口だけ良くてもなんか軽いというか、重みがないな、と感じることはありませんか?
部下と一緒に喜怒哀楽を表現したり、部下と騒いだりする上司がいますが、それ自体悪いことじゃありません。
でも、何か「軽い」んですよね~。
その「人間としての重み」という、野球の野村克也氏が言う「無形の力」を持ってないのはちょっとね・・・ということなのでしょう。
ということは、
「頭の回転が良く口達者な人」を「すごい」と思う人も「所詮三流」
ってことということか。これは耳が、いや心が痛い(笑

で、この言葉を見て俺がふと思ったのは、昭和の海軍で「海軍三羽烏」と言われた
米内光政

山本五十六

井上成美
の3人。
この3人の中で山本五十六だけが知名度はずば抜けていますが、米内と井上も海軍を調べるには必ず通らないといけない重要人物です。
時は昭和初期の日本が戦争に向かおうとする頃、日独伊三国同盟という、ドイツとイタリアとの軍事同盟を結ぶという話が陸軍から持ち上がってきました。
これは陸軍が外務省に無断かつ秘密にドイツと話し合いをしていたもので、ある程度話し合いがついていきなり内閣に出されたものですが、
それに猛反対したのが海軍、それも当時海軍トップにいた上の3人でした。
米内は海軍大臣、山本は海軍次官、井上は軍務局長だったのですが、海軍省を会社に例えると米内は代表取締役社長、山本は専務取締役、井上は取締役総務部長みたいなもので、
3人の共通した意見は

「こんな同盟結んだらイギリスと戦争になる。
イギリスにケンカを売る→アメリカが黙っちゃいない→戦争。
これじゃ日本が滅んでしまう!」


ということで、プラス米内はドイツ駐在、井上はイタリア駐在経験があり、
(山本はアメリカ駐在経験があり、海軍内のアメリカ事情通のようなもの。「アメリカと戦争してはいけない。したら負けるぞ」というのは、大正時代から言っていました)
ドイツ人やイタリア人は取るに足らず、そんな遠くの国と同盟して日本に何のプラスになるのか?という考えもありました。
この3人は同盟締結に猛反対、陸軍がどんなに押しても、陸軍にある意味洗脳された右翼が毎日のように海軍省にやってきて「殺すぞ!」と脅されても、その考えはビクともしませんでした。
実は海軍内でも「同盟結ぼうじゃないか」という考えがメインだったのですが、この3人がとにかくビクともしないために海軍内でも意見が落ち着いてきたと言われています。
海軍では大臣にものを言う時はまず次官、次官にものを言う時はまず軍務局長、という風に順番が決まっていて、
直属の上司を飛ばして上司の上司にものを言うことは「ショートサーキット」と言って厳禁でした。
陸軍じゃそれが当たり前になって「下剋上」が頻繁に起こったのですが、海軍じゃまずトップに意見を言う窓口は軍務局長、でもその局長の井上は当時の海軍きっての理論派、「同盟結びましょうや」と言おうとしても全部井上に論破されて門前払い、という状態でした。
それに関してのエピソードは今でも残っていますが、それは省略します。
米内は政府で「海軍としての意見」を述べ、山本はマスコミにこの同盟の否を述べ、井上は海軍内部の同盟の動きをピリャリと止め、一回は同盟を流産させることに成功します。
(結局、この3人が海軍省を離れた後すぐに同盟が結ばれてしまったのは歴史の通りです)

命を狙われても、殺すぞと脅されても自分の信念を貫いた3人を、海軍記者は驚嘆と尊敬を込めて「海軍三羽烏」と呼んだのですが、
この3人、『呷吟語』の上の言葉にぴったり当てはまります。

大臣の米内は、
「深沈厚重なるはこれ第一等の資質」

米内は無口で口を開いても一言だけ、悪く言うと「何考えてるのかわからない」という感じだったのですが、
体格も174cmという当時としては大柄な方だったせいか、
(当時は170cmなんて大きい方で、180cm以上あったという説もあります。ちなみに山本五十六は155cm。)
「相撲の親方のようだった」と言います。
関係ないけど、米内と山本が一緒に写っている珍しい写真を↓

10112601

恐らく、日独伊三国同盟締結でもめていた頃の写真と思われ。

その米内を、山本は
「人間誰しも欠点はあるよ。でも米内さんほど(人間的に)欠点が少ない人は珍しい」
「頭(の回転)は俺の方がいい。でも米内さんは肝が据わっている。だから海軍は安心だ」
と記者に話しています。
また、米内が中国派遣艦隊の司令長官をしていた頃、軍艦が事故ってしまい海軍に進退伺、事実上の辞表を出そうとしました。
しかし、日ごろから「この人は何かわからないけどすごい人だ」と思っていた部下が「こんな人を失くすのは海軍だけじゃなく日本全体の喪失だ」と思い進退伺を「私が出しますので」と奪い取り、そのまま出さずに握りつぶしてしまいました。
この部下はのちに海軍中将になり、戦後は衆議院議員にもなり海上自衛隊創設に間接的に関わり平成まで生きた人なのですが、
「この『辞表握り潰し』がなかったら日本は戦争でメチャクチャになり、発展が数十年遅れていただろう」
と言います。
(米内は終戦時の鈴木貫太郎内閣で副総理格の海軍大臣、軍部大臣としては唯一のポツダム宣言受諾派でした)
歴史的評価はさておき、米内という人物はどっしりと構えているだけで「この人はすごい」「この人がいるから大丈夫だ」と思わせる何かを持っていたということですね。

山本五十六は、
「磊落豪雄なるはこれ第二等の資質」

海軍の隠語に「名士」という言葉があり、これは世間で言う意味ではなく「奇人変人」という意味だったりするのですが、
山本は「大」に近い「名士」だったらしく、それにまつわるエピソードは挙げたらキリがないくらい多いのです。
とにかく「豪放磊落」にふさわしい性格で、陸軍が「贅沢は敵だ!」とパーマ禁止、男は国民全員丸坊主にせよ、ということを言い始めた頃、
連合艦隊司令長官だった山本は「バカじゃねーの?パーマはファッションな上に生活に余裕があるからしてるし、丸坊主にしたって精神力が上がるわけでもない」と記者に堂々と述べ、完全に陸軍を鼻で笑っていました。
ちなみに、山本は常に丸坊主だったのですが、これは単に「散髪が邪魔臭い」だけだと本人が述べてます。

山本五十六は有名すぎるので、詳しいことはグダグダ書きません。

井上成美は
「聡明才弁なるはこれ第三等の資質」

井上の武器は「論理的に筋を通せば海軍の右に出ない人はいない」というくらいの頭のキレ。
「井上さんは数学、英語、フランス語、物理、兵学など、ボタンを押したら何でも一瞬で出てくる」と元部下が頭の回転の良さを評価しているのですが、それゆえ理屈っぽいところもあって嫌う人もけっこういました。
というか、日本人全体が理屈っぽいのを嫌う傾向があって、情を重視するところがあるなーと思います。
それゆえ俳句とかの独特の文学が生まれたのもありますが、情に流されやすい=感情的になりやすい所もあって、それは何人かの歴史学者や作家が指摘しています。
公務には上司と言えどもコテンパン、めちゃくちゃ厳しい所はあるものの、私的には優しい所もあって、海軍じゃ芸者遊びはほぼ公認だったのですが、そこでの女性ウケも普通以上によかったそうな。
日独伊三国同盟締結で政府がひっくり返りかけていた頃、海軍内に三国同盟締結派のある部下がいたのですが、井上と議論してもコテンパンにされるだけ。
「あれは井上さんが椅子に座って自分は立っているから(議論に)勝てないんだ」と愚痴ったところ、それが井上の耳に入り、
「ならお前座れ。俺は立つから議論しようじゃないか」
と言われた部下は「結構です」と尻尾を巻いて逃げたそうな。
また、井上は戦争中に海軍兵学校という海軍の学校の校長になったのですが、
戦争中なので「英語を入試や授業から排除せよ」という要求を「英語が話せない人材など海軍からお断り」と即却下、
海軍兵学校の卒業式には、『蛍の光』を演奏しながら卒業生が練習船に乗り込む風習があり、
「蛍の光は敵国の歌じゃないか。すぐ止めさせよ」
とクレームがやってきました。
それも井上校長が
「名曲に敵も味方もあるか!」
と即却下、戦争中も続いて今も海上自衛隊に引き継がれています。

米内・山本と比べて井上は「すごい(頭がいい)のがはっきりしている」のですが、
やっぱり二人に比べると「何か近寄りがたい」と感じるものがあります。
海軍兵学校の伝説の校長と言われて、今でも防衛大学校の資料館に海軍軍人としては唯一掲載されている人なのですが、
自分の信念を通し過ぎて周りと摩擦を起こす性格もあるようです。
また、この3人の伝記を書いた阿川弘之は、「人間的にクセがある米内・山本に比べて、井上は人間的に面白くない」と評しています。
阿川が書いた「海軍三羽烏三部作」の中で、井上の伝記は本人に直接取材したこともあってボリュームはいちばんあるのですが、それを書いた本人が「面白くない」と評するのもまた面白い。

でも、井上が偉かったのは、「そんな自分自身の性格をよく知ってる」ことで、戦争も終わりかけの昭和19年に海軍大臣に復帰した米内に説得され「貫禄負け」して兵学校校長から、米内に首輪をはめられて江田島から東京まで引きずられるような形で海軍次官になったのですが、
その米内にある時「疲れた。大臣を譲るよ」と言われました。
並みの人間なら「大臣あげる」って言ったら「やったー!喜んで♪」と飛びつくのですが、
井上は「俺なんて大臣の器じゃない。大臣になるのは階級とかじゃない、貫禄の問題だよ」と戦後に言っています。
また、戦後に海軍大将を「1等・2等・3等」に分けて査定したことでも有名で、井上の手にかかればあの東郷平八郎も「3等大将」と容赦しませんでした。
「神様」でさえも3等呼ばわりする井上が選んだ文句なしの「1等大将」は、明治は山本権兵衛、大正は加藤友三郎、そして昭和は米内光政の3人だけ。
山本五十六は「条件付き1等」で、太平洋戦争してアメリカに勝てるのか?という質問に「半年1年は暴れてみせる」と言った発言がマイナス、この発言さえなければ1等ということでした。
実は井上自身も「大将」なのですが、「大将を格付けしやがって、自分はどうなんだよ?」という批判に、
「私は元々大将なんて器じゃないので論外」
つまり、井上は大臣はおろか大将でさえ「器じゃない」ことは自覚していたわけです。

『敵を知り己を知れば百戦危うからず』

って有名な言葉が『孫子』にありますが、井上はまだ「己を知る」ことはあったものの、日本海軍全体が「敵を知らず己を知らず」で戦争に向かっていったのは皮肉でしょうか。

でも、この基準を戦国時代の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に例えてみたら面白いことがわかりました。
あくまで個人的な見方やけど、

★織田信長:聡明才弁

★豊臣秀吉:磊落豪雄

★徳川家康:深沈厚重


ぶっちゃけ、人気と「リーダーの資質」が逆になってませんか?

世間は「聡明才弁」を「第一等」にする傾向があり、その「聡明才弁」の主も周囲にチヤホヤされて「第一等」を自称して自惚れることがありますが、
「上には上がある」の言葉通り、まさに上があるのです。
せっかくこの世に命を受けたわが身、「深沈厚重」を理想にしてまずは「磊落豪雄」を目標にしてみてはどうでしょうか?そうすれば「深沈厚重」に少しでも近付くと思います。
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テーマ:中国古典サプリ
ジャンル:学問・文化・芸術

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