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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■泊まれない旅館に突撃! ~消えた遊郭・赤線跡をゆく特別編~

遊廓の建物に限らず、いかにも「日本的」な建物がどんどん姿を消しつつあります。
まあ、ヨーロッパとかの石の建築と違って日本は木の家やさかい、家自体の寿命が短いんは仕方あらへんけど、
建て替えたら前のと似ても似つかん、正直どこにでもありそうな現代建築じゃ正直興ざめやったりします。
せやけど、決して立て替える側に非があるわけやのーて、日本建築の良さを十分わかっとっても、
元の建物を維持しつつリフォームしたくても、やっぱ金がかかるのと昔の装飾品なんかを修復する職人がおらへんっちゅー悲しい事情もあるらしいです。
ある遊廓を探索した時、元妓楼の子孫の方の話を聞いたことあるけど、遊郭の妓楼の凝りに凝った建築の素晴らしさは承知してるんやけど、修復したくてもやっぱ「先立つもの」と「先立つ人」がないらしく、正直ぶっ壊して今風の家建てた方が安上がりなんだそうな。
なんか、こんなとこにも日本の古いものをお粗末にするお寒い現実が垣間見えたような気がします。
俺も宝くじ三億円当たったらそういう建物をリフォームして住みたいんやけど、そんなこと夢のまた夢か(ため息

せやけど、そんな明日にでも取り壊しになりそうな建物を見事別のものに生き返らせた所がある!
ちゅー情報をGET、早速善は急げと向かってみました。

10101901

向かったんは京都。
今は「嵯峨野線」って愛称がついとるJRの山陰本線の丹波口駅
実は嵯峨野線を京都から乗るんは約20年ぶり、ここが電化されて電車になってからは初めてやったんやけど、
京都駅もえらい変わったもんで、嵯峨野線のホームがわからず京都駅で迷子になりそうになりました(笑
まさかあんな「奥」にホームがあるとは・・・。
で、そのホームの隣にゃ、あれ?どっかで見たことある電車が。
そりゃ見たことあるんは当たり前、地元で毎日のよーに見とる「くろしお」に「はるか」やないですか~。
「はるか」に「くろしお」よ、地元以外でこんな所で遭うとは奇遇ですな。
せやけど、よー考えたら地元から特急に乗ったら京都まで乗り換えなしやったわけで、わざわざ電車2本乗り換えて京都まで来たんがとんだ時間と労力のムダやった、というのに気付いたんは京都駅に着いてからでした(笑
次に京都に来る時はリッチに特急で来てみよう。
更に、今の山陰線は快速も走ってるらしく、何も考えずに快速に乗ったものの、なんか胸騒ぎがしていったん降り、停車駅をチェックしてみたら・・・。
あら、丹波口は通過やんけ!!
危ない危ない、そのまま乗っとったら丹波口素通りやった(汗

で、丹波口を降りて向かった先は。


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ここ。
ここってどこやねんって?
さあ、どこでしょう?

ってなったら話が続かんな。
ここは

「島原」

と呼ばれる、昔は江戸の吉原に匹敵した歴史と格式がある遊廓があった所です。
この大きい門は「大門」と言って島原遊廓の入り口にあたる所です。
この門は慶応3年(1867)年に作られた築140年の門なんやけど、島原遊廓の歴史はまた別に書きます。
これ書き出したら肝腎の本題が薄れてまうさかい(笑


10111903

島原の大門をくぐって昔は「胴筋」と呼ばれたメインロードをまっすぐ行ったら、

10111904

なんかいかにも「お呼び」かのよーな窓がある建物が。
それも、この家けっこうデカい。遊郭時代はさぞかし大楼やったに違いない。
窓がごっつい凝ってるちゅーか変わってるっちゅーか、こういうのに「萌え」な俺。
せやけど、周囲を見たところ、ここにゃ人が住んでなさそうな模様!?
庭も雑草が生えて人の手が加わった形跡もなさそうやし!?
そっか、空き家か、もったいないなー、とその窓がある家の入り口までやってきたら・・・


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ありゃ、あの「窓」の家が目的地でした(笑
ここがホンマに遊郭内にある古い建物をリフォームしたカフェなのか?
見た限り普通の和風の家なんやけど・・・。
せやけど、前に「きんせ」って書いとるから間違いはなさそう。
ちゅーか、営業しとるんか?もしかして定休日やったりして(笑
色々複雑な思いを心の中に巡らせながら、「ごめんくださ~い」と玄関をガラリと開けてみたら、そこは見たこともない世界でした。

* * *
10112402

ナンデスカコレハ!!!

「和」の家をくぐってみたらそこは「洋」だった。
玄関だけですごい「カルチャーショック」、中はもっとすごいかも!?
せやけど、ここって靴を脱いで上がるのか?それともそのままか?
玄関横に下駄箱あるけど、靴は全然あらへんし、かというて靴のまま上がるにゃ抵抗あるな・・・
と玄関でソワソワしとったら、ふと看板が。

「そのままおあがり下さい」

なんや、そのままでええんやん(笑

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ちなみに、これは玄関を反対側から見た角度の画像です。

はい~♪と玄関先にある、いかにも「洋」で古そうなドアを開けてみた。
ギィ~~~!!っちゅー、なんかホラー映画に出てきそうな音を立てて扉は開く。
そこで俺が見たものとは!!!!











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ナンデスカコレハ アゲイン!!!

玄関先もくすんでまうような、まるで大正時代にタイムスリップしたか、はたまたドイツかオーストリアの貴族の別荘に来たかのよーな内装と雰囲気、
まさしく写真で見た現物が目の前にありました。

ここは「きんせ」という旅館で、元々は「金清楼」っちゅー揚屋(関東風に言うたら「引手茶屋」)でした。
島原が色街としての歴史を閉じた後は旅館として使っとったけど数十年前に休業してそのまま放置しとったものを、ここのオーナーさんが喫茶店に生まれ変わらせた、一風変わった「遊郭カフェ」。
決して「カフェー」じゃございません。それじゃ赤線時代のあれやん(笑
去年の12月オープンの、まだ開業して1年たってへん所やけど、知る人ぞ知る存在になっとります。
「きんせ」はそのまま取り壊しになるか、荒れ放題になるんかな?と心配しとったけど、こんな形で復活とはありがたい。
俺が来た時は、他に女性4人組も来とって、標準語しゃべっとったところを見ると観光客っぽい。

せやけど、どうも肝腎のオーナーさんが不在やったらしゅーて、「お手伝いさん」に話を聞いてみました。
「私はそっち(遊廓うんぬん)は全く興味ないので・・・」とは言うとったものの、この建物のことはよく教えてくれました。
この「きんせ」は旅館の前はどうも揚屋やったみたいで、揚屋とは逆が芸者や花魁(太夫)を呼びよせて遊ぶ所、島原は遊郭やったさかい、芸妓や上級遊女の太夫をここに呼んどったってわけか。
逆に、三流遊女と遊ぶにゃ妓楼に直接行けばええ話で、そういう下級の遊女は揚屋に上がることはありませんでした。
で、上の写真にある、今はカフェとしてのホールは元々はダンスホールやったらしく、
年代は定かやないらしいけど、大正後期に改造されてこんな洋風のホールになったらしいですわ。
このホール、去年にリフォームされとるとは言うてもほとんどは当時のまんまらしくて、

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例えばこの天井もほとんどてつかずで当時のままなんだそーな。
まあ、年月が経ってもよーそのままで残っとったもんやわ、と感心しきりですわ。
ちなみに、天井に下がってるシャンデリアは、さすがに去年リフォームした時に新しくつけたもんやけど、
昔も同じようなシャンデリアがぶら下がっとったらしい。
せやけど、第二次大戦の金属供出で持って行かれたとかなんとからしい。
なんかエピソードが時代を感じさせます。

そして、今も「現役」で使われとるホールの椅子も、カウンターのを除いたらすべて大正時代のもの。
その代わり、シートはリフォームの際に「発掘」された時は破れとったり古くなっとったりして朽ち果てとったさかい、シートを張り替えたりして「復活」させたらしいですわ。
実際その椅子に座って久しぶりにワインをいただいたけど、クッションが硬からず柔らからずのええ感じで、
何か時代を感じました・・・ってホンマに感じたんかい(笑

せやけど・・・

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この「青いシートの椅子」は保存状態が良かったんか、張り替えもせんと当時のままらしい。
なんかこの「青色」が大正ロマンを感じさせるよーな色やなー、と直感で想ったりしました。
時代を経て生き残った貴重な「文化財」の保護のため、内部の写真は一切フラッシュなしの高感度撮影やったさかいブレまくりの写真やけど、椅子の色は青です。

そして、この「きんせ」のもう一つの特徴的な内装は、

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当時の贅沢を尽くしたようなステンドグラスの数々。
ステンドグラスは教会にもあるし、うちの家の近くの南海高師浜線高師浜駅にも大正時代のステンドグラスが残っとるけど、
一ヶ所にこれだけの数の大正時代のステンドグラスが残ってる場所は日本でも数少ないらしゅーて、遊郭ハンターだけやなく「ステンドグラス研究家」の皆さんもここを訪れるそうです。
「趣味」は違えど、こういう昔のノスタルジーに惹かれて愛する人は多いみたいですな。

そして、あれこれ興奮しすぎてトイレに行きたくなってきました(笑
そしてトイレに行ってみたら・・・



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ナンジャコリャ!!

思わずOH MY GOD!!と叫びたくなってくるトイレ、ここにも「大正時代」がありました。
トイレから帰ってきて聞いたところ、やっぱこれも大正時代からそのままらしく、以前貝塚遊廓の「深川」の赤絨毯トイレにもビックリしたけど、
その時の模様はこちら
ここも「和」と「洋」のギャップがものすごい。
ちゅーか、このタイルの色使いがやけに艶めかしい、というかいやらしい(笑
まるで赤線のカフェー建築やん。

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洗面所も、その窓も大正時代やな~と感じさせます。

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昔はトイレに続く廊下やった所も、よ~く見たらタイル張り。
これも、「遊廓・赤線のインディージョンズ」から見たら何か遊廓とか揚屋とか大正時代というより、戦後の赤線時代のあれを感じさせます。

で、戦後の赤線カフェー建築は奇抜なタイル張りが大きな特徴なんは、こーゆーのを研究しとる人にとっちゃ書くまでもないんやけど、
これは戦後から始まったもんやないみたいで、
『赤線跡を歩く 2』によると、大正時代はじめに大阪府議会で

『遊廓の便所と洗浄場はタイル張りにすべし』

っちゅー条例が可決されたそうな。
たかが大阪府のローカルルールなんやけど、お上っちゅーのは前例主義なんは今も昔も変わらず、大阪府に右へ習えで全国に「タイル張り」が広まったと推定できます。
ここ『きんせ』のトイレのタイルも、京都府からの指導が入ってこんな形になったんかもしれませんな!?


そして、ある意味「きんせ」の中でいちばん気になったもんがこれ↓

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ホールにさりげなく飾っとる、興味あらへんかったらスルーしそうな額やけど、
名前をよーく見たらビックリ!!なんとまあ、

載仁親王やん!!!

え?これって誰やって?お前だけビックリするなって?
では解説しよう ←ヤッター・マン風

載仁親王は、本名を「閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)」と言うて、「親王」ってのと名前に「仁」がついとることからわかる人はわかるよーに皇族でやんす。
「親王」って今じゃ天皇の直系の子供なら「○○親王」女性やったら「△△内親王」を名乗れるけど、
明治時代までは天皇の子供でも「親王宣下」ちゅーことがなかったら「親王(内親王)」は名乗れませんでした。
今は「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫が親王及び内親王である」と皇室典範に書いとるさかい親王宣下の制度なはなく、
この載仁親王はその「親王宣下」を受けた歴史上最後の人物やったりします。
せやけど、この載仁親王は、昭和史に詳しい人やったら絶対に知ってるよーな、というか知ってんとあかん人物やったりします。
なぜならば、載仁親王は昭和初期の激動の時に陸軍の参謀総長になった人で、昭和6(1931)年から昭和15(1940)年まで9年間陸軍のトップにいました。
その間に日本は軍国一辺倒になっていき、後はご存じの通りなんやけど、その激動の昭和を軍のトップとして見続けていた人でもあります。
まあ、参謀総長っても皇族総長はお飾りやさかい実権はあんましなかったんやけど、満州事変から226事件や日中戦争、日独伊三国同盟まで、太平洋戦争に突入する寸前まで陸軍の統帥を握っとったキーパーソン、彼は昭和20年に亡くなるんやけど、もし生きてたら軍事裁判に巻き込まれとったかもしれへんくらいの重要人物です。人の死をこう言うのも何やけど、終戦前に亡くなったのが個人にとっても日本の歴史にとっても、けっこうラッキーやったと言えます。

ここで、日本が戦争に向かって走って行った時代の話をしましょう。
昭和15年はじめに海軍大臣を歴任した米内光政が総理大臣になったんやけど、これは「もう戦争への流れを止めるのは米内しかいない」という昭和天皇の意向を受けたもの。建前上は内大臣の湯浅倉平の推薦になっとるけど、実際は米内を信頼する天皇の逆指名なわけで。
天皇が「こいつ総理にする」と指名するのは大日本帝国憲法違反なんやけど、昭和天皇って実は、歴史の表に出てきただけでも生涯に3回「憲法違反」、1回「未遂」をやっとったりします。まあ、これは解釈によって回数が違うけど、有名な終戦の「ご聖断」は明らかに憲法違反やったりします。

それはさておき、その米内内閣の陸軍大臣が畑俊六という人物で、米内内閣はその畑の大臣辞任、後任は置かないという事で内閣は崩壊しました。
戦前の内閣は大臣が辞任して後任を置かなければ即総辞職、という決まりで、昭和の陸軍が自分の気に食わない内閣を潰す絶好の武器としたんやけど、これはその典型的な「事件」として昭和史にはっきりと刻まれております。
そして、昭和天皇が「戦争防止の切り札」として用意した内閣はあっけなく内部崩壊してしまい誰も止める者はなし、日本はそのままアメリカとの戦争へとまっしぐら、となりました。
事実、昭和天皇は戦後に「米内内閣が続いていれば、(太平洋)戦争はなかったかもしれないな」と側近に漏らしていたそうです。せやけど米内本人はその後、「内閣が続いてたら(戦争反対を)貫いてましたか?」という歴史のifの質問に、「もちろん!でも間違いなく(暗)殺されてましたね」と答えています。
で、この「米内内閣が崩壊した原因」にツッコミを入れたもう一つの組織がGHQ。
GHQもこの陸軍大臣単独辞任が「その時歴史が動いた」のような日本の歴史のキーポイントとみなし、その当事者の畑俊六を戦犯として逮捕、あの極東軍事裁判(東京裁判)で裁きました。
その畑の罪状の証人として出廷したのが、総理やった米内光政。
ホンマは自分の内閣を潰した張本人やさかいボロカスに言うてもええんやけど、米内は軍事裁判の中で「覚えてませんな」「記憶にございません」と、とぼけてとぼけてとぼけまくる戦術を使い、イライラした裁判長に

You are the most stupid prime minister I have ever seen!
(こんなアホな総理大臣を見たのは初めてだ!)


と罵られるくらいでした。
もちろん、ホンマに「記憶にございません」のではなく、米内は当時体がボロボロやったものの頭はしっかりしており、
戦前は部下やった山本五十六に「人間誰しも欠点はある。でも米内さんほど欠点がない人はいない」「頭(の回転)は俺の方がいい。でもうちの大臣は肝が強い。だから海軍は安泰だ」と言わしめて無条件に尊敬した人物、
海軍の元軍人の中でも、「海軍の歴史で偉大な軍人を3人挙げよ」と言われたら、まず7~8人は名前出すような人でもあります。
そして、あの東郷平八郎は海軍の当事者の中じゃ案外名前が出てきません。
日本海海戦の英雄が何で?と思うかもしれへんけど、東郷は最晩年に海軍内人事に介入して混乱させた汚点があることは、歴史を知らん人はほとんど知らん、ある意味東郷を崇拝しとる人が隠しとる「黒歴史」です。
これは海軍、果ては日本にとってもかなりのマイナスで、海軍内の派閥抗争に強硬派が東郷のネームバリューを利用して担ぎ出し、東郷は御神輿に乗ってただけとも言えるけど、これで海軍の良識派と言われる人材がどんどんクビになり、ここから海軍の歯車が狂っていきました。
米内と山本五十六の下で働いた「最後の海軍大将」こと井上成美は東郷を「国賊」とまで言うとる始末で、なんぼ偉大な功績を挙げても最後の一手が悪かったらすべて台無し、っちゅーことを東郷の人生は語っとります。

で、話がちょっと外れたけど、
米内の大舞台での大ボケは、「畑をかばうためにわざと知らないフリをした」ことでも有名です。
米内内閣が崩壊して戦争への歯止めが完全になくなったきっかけの、「畑陸軍大臣単独辞任事件」の黒幕が実は参謀総長やった閑院宮載仁親王なわけで、
畑は戦争強硬派やのーてどっちかと言うたら穏健派、昭和天皇にも「米内内閣に協力せよ」と厳しく命令され畑もそれを守るつもりでした。
せやけど、天皇の望みとは逆に既にこの時期には国全体が戦争っちゅー避けられない道に踏み込んでたわけで、「弱腰内閣」と叩く世論を盾に強気な陸軍が皇族総長の威光を使って畑に辞任を迫ったわけで、
米内もそれを知ってて、そんな総長や大臣を指名した昭和天皇に危害を及ぼすわけにはいかない、そして畑は陸軍という大きな歯車の一つにすぎず彼一人に責任を負わせるのはかわいそうやないか、とボケまくったわけで、畑も「実は総長に言われて」なんてことは一言も言わず、汚名も一緒に墓場まで持って行ってしもたわけです。
結局、畑はこの米内の大芝居のせいもあってか死刑を免れて終身刑(6年後に釈放)、米内はこの大ボケの翌年に亡くなります。
もしかして連合国が「日本が戦争に向かった『その時』の責任者」の載仁親王が戦後も生きとったら、戦犯として逮捕されとる可能性は十分にあったわけで、
こう書いたら、何気ない額にもすごい歴史が刻まれとるんやなーということを感じることができるでしょう。

ちなみに、載仁親王は皇族って言う気品の高さと、今風に言うたらかなりのイケメンやったらしく、写真を見てもなかなかええ顔しとります。

で、なんでこんなとこに載仁親王直筆(?)の額があんねん!?
と聞いてみたら、
「さあ、倉庫にあったらしいですが・・・」
と。
もちろん、いつ書かれたかもわからへんらしく、とにかく「家に古くからあった」ことだけは確からしい。
せやけど、これってしれぇ~っと飾っとるけど、もし載仁親王が筆不精で直筆が少ない、かつ親王の真筆ってことが証明できたら「なんでも鑑定団」で何百万~何千万の価値どころか即博物館行きの代物やでこれ。
もし載仁親王がここで遊んだときに書いたもんやったら、時期はわからんとしても皇族がチンケな所で遊ぶことは周りが許さんわけで、「きんせ」が相当格式の高い揚屋やったことがわかります。
載仁親王が京都の連隊に所属しとったとかのデータはないさかい、恐らく京都出張とかで遊びに来た時に、「ちょっと一筆」みたいなノリで書いたんやと思われ。
それにしても、従業員さんは「載仁」を
「たかひと」
か何か言うとったけど、正解は
「ことひと」
です。
そこはチェックが厳しい俺、ちゃんと勉強しませう(笑

俺はこれだけでもボルテージ上がりまくり。
この勢いで、
「2階も見せてもらえませんか?」
とお願いしてみました。
実は、俺がこの「きんせ」を知ったブログに2階の画像があって、それを見て「すごい!」と思ったのが今回来たきっかけ、
是非是非2階も!!!
と思ったんやけど・・・

「2階は生活空間なので・・・」

と断られてまいました。どうやら2階部分は誰かに間貸ししとるみたいで、既に人が住んでるので、ということやけど、
見事に京都名物(?)
「一見さんお断り」
を食らってまいました(笑
まあそんな冗談はさておき、また話を聞かせてもらうと、この「きんせ」は何回か改築された跡があるらしく、
ホール部分の「ダンスホール」もそうなんやけど、他の部分も築年代がかなりたっとるみたいでリフォームは何回かしとるらしい。

10112413

これは、玄関にある喫煙所から見た、ホールの横にある「お茶室」の部分やけど、
ここはどうやら築200年以上らしい。もちろん細かいリフォームはされとるらしいけどね。
せやけど、普通の町屋が200年以上ももつもんなんやね~。
以前、京都の町屋に住んでる外国人のジェフ・バーグランド氏が言うとったけど、京都の町屋は今の家みたいに密封させたら寿命が一気に短くなって、風通しを常に良くしとったら300年400年は持つもんだとか。
そうなったら夏は常に虫が入り、冬はめちゃ寒いらしいんやけど、「不便なんが京都の町屋のええところ」とジェフ氏はテレビで言うとった記憶があります。
まあ、俺もコネと金があったらこんなとこに住んでみたいな~と思いますわ。やっぱ今年の年末ジャンボ買うか(笑


何せ島原のど真ん中にある建物やさかい、遊郭に興味ある方はもちろん、大正時代にロマンを感じる方、アンティークが好きな方、ステンドグラス萌え~な方、
そして特に何も興味ない方でも、ここは一見の価値ありまっせ~。
まるで『和洋折衷建築のフルコース』というか、『千と千尋の神隠し』の洋風版のよーなこの内装と雰囲気、是非味わってみてくんなはれ。

また、12月からここで

「色里奇譚 夢のまちを訪ねて」

っちゅー、「赤線跡を歩く」でお馴染みの木村聡氏と青山均氏による写真展が行われます。
期間や値段など、詳しくはこちらに書いとります。

★泊まれない。きんせ旅館

京都市下京区西新屋敷太夫町80
JR山陰本線(嵯峨野線)丹波口駅から徒歩3~4分ほど
市バス「島原口」または「梅小路公園前」から徒歩約5分

075-351-4781

ホームページはこちら

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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ Re: 改装余話

>朝汐さん

リンクおおきにですm(__)m
改装①の方は実は既に知ってたんですけど、あのブログに続きがあったとは。
椅子の件もブログを見て「なるほど」と思いましたわ。
「色里奇譚」に行く時に、休み取れたらホテルに泊まって京都市内の遊廓・赤線跡を全部総なめにするつもりです。
でも、島原だけでも書くのになんぼ時間がかかるんやろか(笑
2010/12/10 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 改装余話

>> ナンデスカコレハ!!!

ネットで遊んでたら、この泊まれない旅館(?)を
リフォームした建築事務所さんのブログがありました。

 改装① http://d.hatena.ne.jp/expo_kyoto/20100208
 
 改装② http://www.expomade.com/works/kinse.html#0

 椅 子 http://blog.goo.ne.jp/gigons129/e/1aa9a0a3ed1e34813550e96ad06427e7


2010/12/08 URL 朝汐 #eYj5zAx6 [編集] 

■ Re: タイトルなし

>kinsanさん

コメントおおきにですm(__)m
また今月に寄らせてもらうさかい、またよろしくお願いします。
次は「角屋」などもじっくり行く予定なんで、じっくり島原のことを書く予定です。
またよかったらうちのブログを見ていただけたら幸いですm(__)m
2010/12/04 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 

 写真展『色里奇譚』の宣伝、ありがとうございます。
 会期中ぜひお立ち寄りください。
 お待ちしておりますe-251
2010/12/01 URL kinsan #- 

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