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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■玉造散歩第一章 三光神社

休みの日は、いつも
「どっか出掛ける」
「家で引きこもり」
のどっちかなんやけど、月曜日は資料収集に行きたくても愛すべき(?)図書館がよりによって休み。
ときたら「家で引きこもり」ってパターンがほとんどなんやけど、
最近どうも考えすぎか気分的に晴れやかにならんさかい、ちょっと大阪市内の散歩にでも行くか、
とブラリ散歩に出かけてきました。

向かったんは、大阪市内の真ん中・・・のちょっと東寄りの天王寺区玉造って所。
一風変わった名前やけど、この地名の由来は大昔に勾玉を作る人が移り住んで、名前の通り「玉」を「造」っとったことかららしい。
昔から「まあそのままやろな」と思っとったけど、改めて調べてみたらやっぱしそのままやった(笑
JR大阪環状線に「玉造」駅があるさかい大阪人にゃお馴染みやけど、通勤通学以外で敢えて降りたことある人はあんましおれへんやろなーと思ったりします。
かく言う俺も、大阪人やって30数年、大阪に住んで20年以上(あ、これは海外に住んどった期間は除くね)で初めて降り立ちました、玉造に。
駅で言うたら、玉造の間にある鶴橋とか森ノ宮やったらなんぼでも降りたことあるんやけど、玉造は初めてやさかい大阪市内やのにドキドキでした(笑
やっぱこの刺激、大阪市内とはいえ初めての地を歩く何があるかわからんドキドキ感、これに飢えとったんやろな、最近。
ちゅーか、この刺激が欲しくて敢えて足を踏み入れたことあらへん玉造を選んだっちゅーのもあるんやけどね。

せやけど、別に何も下調べせんでここに来たわけやありません。
ちゃんと、いちおう「目的地」があってここに来たわけであります。
* * *
その目的の一つが、玉造にある

1009131

ここ。

玉造駅から西へちょっと、3分くらい歩いたとこにある神社であります。
周りは普通の住宅街なんやけど、ここだけちょっと高台みたいになっとって、うっそうと木が茂って少し離れたとこから見ても「ここ神社やな」ってのがわかります。
玉造駅からの「三光神社はこっち」っちゅー行先表示でもあるんかな?と思い込んでたさかい、
地図もロクに持ってこえへんかったけど、この森とやっぱ文明の利器iPhoneとGoogle mapですぐ見つけられましたわ。
で、神社を発見したところで気づきました。


あ、デジカメ持ってくるの忘れた(笑


いつも肝腎な時にデジカメを忘れる癖がある俺、これからの写真は全部iPhoneのカメラで撮ったもんです。



1009132

この三光神社は第18代天皇の反正天皇の時代に創建された神社って言われとって、西暦で言うたら330~410年の間。
言い伝えがホンマかどうかはさておき、1700年近い歴史を持つ由緒正しい神社であります。
それ以来、武内宿禰の末裔と言われる武川氏が神職として奉職、今で86代目らしいです。ある意味天皇家並みの息の長さですな。
元々は「姫山神社」って名前やったんやけど、明治時代に三光社も祀るよーになって「三光神社」と改名したそうで、その「三光社」は全国でも珍しい中風(脳内疾患の後遺症)封じの神社、この神社は中風封じのご利益もあるそうです。
ここじゃ毎年6月に中風除けの神事が行われとるさかい、知る人ぞ知る神社でもあります。
うちの親も数年前に脳内出血で倒れて、今はリハビリで多少は動くよーになったとは言え要介護の状態やさかい(体が動かんよーになった分、口が前の数倍、いや、数十倍くらい動くよーになったけどw)、いちおう「良くなりますように」っちゅー願いも込めてお祈りしときました。


1009133

ここの鳥居の前に、片っぽだけになった鳥居があります。
今の鳥居は昭和55年くらいに寄進されたもんで、片っぽだけのは以前からあった鳥居なんやって。
で、何で片っぽだけになってしもたかと言うたら・・・
戦争の空襲はこの神社にも被害を及ぼして、爆弾の直撃を食らったんか、鳥居の半分が吹き飛んでしもて片っぽだけになってしもたってわけです。
この鳥居をよ~~く見たら、上の部分が黒く焦げとるのがわかると思います。これはたぶん火に包まれて焦げてしもたんやと思いますわ。
戦争のことを忘れないように、と新しい鳥居を作る時に敢えて残したそーで、さりげなく残る戦争の爪跡ってやつですな。

で、この鳥居をアップすると・・・

1009134

寄進した人の名前が書いてるんやけど、
「陣幕」「不知火」「藤島」「押尾川」その他・・・
このキーワードの共通点は、わかる人にゃわかりますよね。
その答えは「相撲」。はい、全部相撲の年寄(親方)の名前であります。
特に、「陣幕」は元千代の富士が引退後に短期間やけど名乗っとった年寄名(今は九重親方ね)、「藤島」は「平成の大横綱」って代名詞がつく貴乃花が所属しとった部屋(後に二子山部屋に)、
「不知火」は横綱土俵入りの「不知火型」に名が残っとります。今の横綱の白鵬がやってる土俵入りの形が「不知火型」ね。
この神社と相撲って何の関係があんねん?というと、角力(すもう)の神様の野見宿弥(のみのすくね)を祀る末社がここにあって、
昔の相撲の関係者の信仰を集めとったことが伺えます。




で、この神社にゃちょっとした謎があって、その謎はこれ。

1009135

柵にゃ何故か六文銭のマーク。
そして、六文銭と言うたらそれを旗印にした真田幸村
この神社は「宰相山」、またの名を「真田山」と言われとって、江戸幕府が成立して豊臣が邪魔やったさかい徳川家康がインネンつけて戦争になった「大阪の陣」で真田幸村が陣を構えた、通称「真田丸」の跡と言われとって、
真田幸村はここに出城を作って、同じ場所に陣を構えた加賀百万石の租前田利長の軍勢を鉄砲隊で撃退した場所でもあるらしい。
上の写真の柵の奥にゃ人工的に掘られた洞窟があるらしく、これは「真田丸」から大阪城へ続く抜け穴と言い伝えられとります。
ホンマに大阪城まで続いとるんかはわからんけど、今から400年前に真田と前田が「真田丸」を巡ってドンパチやったんが今の玉造ってのは歴史的にも地理的にも明らかで、
「真田丸」が造られた大阪冬の陣が起こったんは1614年(慶長19年)やさかい、あと4年で「400周年」。
せっかくの節目やさかい、ここの発掘とかのイベントがあったらおもろいなー、と勝手に妄想しとります(笑

1009136

で、その縁か境内に真田幸村の像があったりします。
台座は真田家の菩提寺の信州上田は長谷寺から取りだした石(真田石)で出来とります。
ちなみに、幸村である意味有名になりすぎた真田家自体は兄の信之が継いで江戸時代にも松代藩として幕末まで存続、明治以降も華族(子爵→伯爵)として残って、直系の子孫は今でもおったりします。
(途中で養子が入ったさかい、血はつながってへんけどね)
そして、大阪の陣で公には途絶えた真田幸村自身の血筋も、実は次男が伊達政宗で有名な仙台藩の重臣、片倉重長(二代目片倉小十郎)に保護されて、一時は片倉家を名乗っとったけど、のちに真田姓に戻って「仙台真田家」(伊達家の家臣)として生き残ります。

で、本来の散歩はこれで終わりなんやけど、ちょっと散歩しとると、予想もしてへんかった「とんでもない副産物」を見つけることになりました。
それは。。。

次へ続く。

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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

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