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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■池田新地跡をゆく 消えた遊郭・赤線の跡を訪ねて10

しばらく冬眠・・・いや、夏やから「夏眠」しとったBJのぶです。
最近の暑さはたまりませんな、もうクーラーなしじゃ生きてられへん体になってまいました。
せやけど我がプリウスは未だ燃費のためにノーエアコンを貫いとります。
このままじゃ車上で脱水症状による脳内出血で倒れそうやな・・・
そうなったら「名誉の戦死」で靖国行き!?(笑

まあそんなことはさておき、
しばらく梅雨で雨ばっかしやったさかい、その間に「晴耕雨読」とばかりに情報収集や整理にいそしみ、
梅雨が明けつつある今、久しぶりに「赤線発掘」とばかりに足を延ばしてきました。


今回の「ターゲット」は大阪府池田市。
兵庫県との境目にある所で車のダイハツの本社がある所なんやけど、大阪府民以外はいまいちピンとこえへんと思います。
おまけに、ベッドタウンとしては隣の豊中市や兵庫県川西市に押されて、池田市民にゃ失礼やけどバブルの時の放漫財政のせいで大阪府のお荷物まで言われた時期もあったそーな。
せやけど、池田市の歴史は意外に古く、平安時代から「呉服」(くれは)と呼ばれて荘園もあった所、
江戸時代にゃ堺と並んで日本の清酒の一大産地でもありました。
(ちなみに、池田は今でも地酒を作っている酒造があります。堺は兵庫県の灘に酒造が移った上、唯一残った業者が阪神大震災で廃業して完全に滅びました)
あと、大阪府民にゃ「池田銀行」っちゅーローカル銀行があった場所としても有名っちゃ有名やったりもしますな。
(先々月、うちの地元の泉州銀行を吸収して「池田泉州銀行」になったけど)

生まれも育ちも泉州の俺にとっちゃ、池田と言うたら閑静な住宅地ってイメージで、
そんなとこが「赤線」って全然イメージが湧かん、ちゅーか「池田にまさか~」って感じやけど、
資料を色々調べてみたら確かに赤線は存在しとりました。
そこで問題なんは、赤線があったことは確かやけど、それがどこにあったか、っちゅーこと。
我らがバイブル「全国女性街ガイド」を見たら確かに池田に赤線があったことが書いてるんやけど、

「池田はアチラさん名残の町だけあり、70名ほどいる女性は美系が多く」

とほんの1行。ほとんど「その他の赤線」扱い。池田のどこにあったかなんてどこにも書かれてませぬ。
せやけど、「アチラさん」って何やろ?こっちの方が気になる(笑
そして、懲りずに池田市の歴史を書いた「池田市史」を見てみても、赤線の「あ」も書かれとらへんし、こりゃホンマに「黒歴史」化するかな?
と思ったところ、ある方からいただいた、「史料」と化した「資料」にその場所がはっきり書かれとるやないですか!
それもかなりはっきりと!
池田に赤線があったのは、地味なせいかあんまし知られてへんと思うさかい、これは貴重な資料かつ情報。
たぶん当時の建物は残ってへんやろな、といつもながらあんまし期待せんと、とりあえず梅雨明けを待って早速行ってきました。


* * *
10073001

池田の赤線は、「綾羽」という、池田駅から北に延びる道路の先にある地区にあったそーです。
地図だけ見たら、ここにホンマに赤線なんかあったんか!?
ちゅーよーな所やけど、資料にゃ確かにここにあったと書いてある。それも当時の店の名前まではっきり書かれとる。
せやけど、考古学たるものまずは実地主義、とりあえず百聞は一見に如かずっちゅーことで。

資料によると、池田の赤線は他の所とちょっと違った、変わったとこがあったみたいで、
それは箇条書きしたら、

・住宅地に出来たこと

・地区は限定されとるとは言え、住宅地に散在しとること


ふつう、赤線言うたら風俗営業法によって管理されるさかい、「ある地区」に「集中的に店がある」のが常識というたら常識なんやけど、
池田の場合は上の地図で囲んだ道筋、つまり「ある地区」に限定されとることは確かなんやけど、
資料を見てみたら店が道に沿ってズラリと並んどるわけやのーて、一つポツン、そしてまた一つポツンと島のよーにあるのが特徴。
今まで全国の色んな・・・って言うほどは回ってへんけど、調べたり現地に行ってみたりすると、
こういうケースは案外珍しいと思います。
俺が今まで行った所で他にこういう所は・・・兵庫県の龍野(たつの市)くらいやさかい、これを俺は勝手に「龍野型」と言っとります。
龍野は実はサボってまだブログに書いてへんさかい、またヒマがあったら書いてみよーと思います。


で、池田の話に戻って・・・と。
池田の赤線、通称「池田新地」は、戦前~戦争中に小料理屋が自然に集まってそこで隠れ売春が行われとった所で
戦後に今の大阪空港を接収したアメリカの進駐軍の要請で一般の家を改築し、飛田や松島の業者や地元の人によって「赤線」と化したそーです。
私娼街から赤線に・・・というのは「玉の井型」と勝手に言うとるもので、
東京にあった「玉の井」のよーに「モグリ」から「公」になったタイプの一つです。
せやさかい、戦前からあった遊廓のよーに歴史はあらへん戦後新設型赤線とも言えます。

で、場所は確定したさかい、行く前に復習とばかりにもう一回「池田市史」を見てみたら・・・
「池田市史」にゃ各地区ごとの歴史とかを紹介しとる項目があるけど、赤線があった「綾羽」、つまり「池田新地」の欄を見てみたら、
やっぱし赤線の「あ」も触れてへん始末。
この「池田市史」が発刊されたんは赤線が廃止になってからそんなに月日が経ってへん時期やさかい、
(赤線廃止:1958年 池田市史:1967~1970年)
編者の都合と言うても一言でも書くべきやと思うんやけどなー。

歴史小説ならさておき、公式な歴史は書く人や書かせる人の都合とかは関係なし、
あくまで「事実」と「真実」を書けばいいし、書くべきである。それがたとえ「負」の歴史であっても。


というのは俺の持論なんやけど、「歴史」は人が勝手に「黒歴史」にしてはあきません。
過去を書く現代の人に過去を消したりする権利はない、と言うたら言い過ぎかもしれへんけど、
「事実」を都合が悪い、面目がないと言って勝手に「黒歴史」にすべきではありません。
それは「歴史」を知ろうとする者にとっては堂々と嘘をついとるのと同じことやから。
そんな「嘘」はいつか、誰かによって暴かれます。
そしてそのツケはいつか払わされることになります。
天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず。←by老子

せやけど、戦前の『大阪府統計書』を見とったら、大正13年から「花街」に「池田」の文字が出てきたりします。
大阪にゃ池田言うたらここしかないさかい、ここには間違いないとは思うんやけど、
統計書の数字と時期を追っていったら、昭和9年のから実数が出てきます。
統計書によると芸妓の数は、

昭和9年(1934) 32名
昭和10年(1935) 46名
昭和11年(1936) 40名
昭和13年(1938) 26名
昭和14年(1939) 28名
昭和15年(1940) 24名



となっとるんやけど、戦前の池田に花街があったなんて聞いたこともなかったし、
この花街が戦後の赤線と関係があるんかどうかも、現時点では謎であります。
これは今後要調査となるけど、戦後に大阪の北部に突然現れるには唐突すぎる池田新地の誕生における重大なヒントになるかもしれません!?
今里新地と言い港新地といい、住吉新地といい、大阪の赤線は「元三業地」な実例がてんこ盛りやさかい・・・。



10073002

今の「綾羽」地区です。
今は何の変哲もない住宅街・・・なんはどこの赤線跡も変わらんことやけど、
ホンマにこんなとこに赤線なんかあったんか!?と首を傾げたくなるくらい、ごくフツ~~の住宅街です。
せやけど、資料にあった地図を見ると、この道筋なことは間違いなし。
とりあえず地図とにらめっこしながら散策してみました。

10073003

どこにでもありそーな家とかアパートの間に、いかにも古そうな建物が残っとりました。
地図と家の位置を見比べたら、この建物は「二勝の家」っちゅー店と位置がピッタシ一致。
この家の古さからして、たぶん赤線時代の生き残りかもしれません。

10073005

更に歩いてみたら、また古そーな建物発見。
資料の地図によると、ここは「呉服」(くれは)っちゅー名前の店やったそーで、
売防法施行後は小料理屋に転身した、と書かれとります。
まあ、「小料理屋」には見えんこともないし、位置的にも間違いはなしやさかい、これはビンゴかな?

10073004

そしていかにも「怪しい」のが、この家の奥行き。
奥に「何か」がありそうなこの奥行き、ちょっと入ろうと思ったけど、思いっきり家の敷地っぽい上に怪しすぎてさすがの俺も入られへん(笑


10073006

ここにゃ、かつて「中○治」っちゅー店があったとこです。
名前が「○」になっとるんは、資料の地図が手書きで文字が判別できんかったさかい、敢えて「○」にさせてもらいました。
建物からして赤線時代の建物やなさそーやけど、敷地はそのままアパートと店になっとるみたいで、
なんか面影があるかなーと思ったりもします。


10073007

資料によると、「池田新地」の組合事務所があった建物です。
これは建物の古さからして、当時のままの建物と思われます。あくまで俺の直感やけどね。

10073101

入り口がやけに奥まっとって、玄関が二つあるのにも注目。
どーやら構造的に「その後」はアパートにでも転業したっぽいけど、今でも現役のアパートっぽいですな!?


10073102

赤線があった道を一つ外れたら、人一人通れるかどーかの細い道があったりします。
ここあたりにも一軒あったらしいけど、前の建物がそうかどうかはわかりません。
何せ「一般家屋を改良した」店が多かったらしいさかい、カフェー建築とかのように明らかに「それ」とわかるものがこの「池田新地」には極めて少ないんですわ。
まあ、その昔はあったかもしれへんけどね。


10073103

懲りずに、当時の地図を頼りに建物を求めて歩いとったら、
かつて「初音」という店があった場所に、こんな建物がありました。
これは明らかに怪しい。直感はそう俺にささやきかけるようでした。
ちなみに、地図によると隣にゃもう一軒店があったらしいんやけど、見事に駐車場になっとりました、アーメン。


そして、「池田新地」の地図を見たら、一軒だけポツンと、それこそ孤島のよーにある店がありました。
「大和屋」っちゅー名前の店なんやけど、まるでハグレ一匹狼のように孤高に(?)あるこの一軒、
たぶんもう建物自体は残ってへんやろな、とダメモトで行ってみたら・・・。


10073104

そこにそれらしき建物(?)がありました。
たぶんリフォームはされとるよーな感じがするんやけど、

10073105

玄関が二つあるのと、玄関の妙な斜め具合がちょっとピンときました。
建物の位置と地図を照合したら場所的には間違いないさかい、当確サインは出されへんけど、かなり怪しいものであることは確かなようです。


そして、資料にはこういう記述もありました。

「この新地に接続して小料理屋の密集地帯が数カ所あって相当の顧客を吸引しており、(以下略)」

ということは、
池田の赤線(綾羽地区)に隣接して「青線」もあったっちゅーことで、その跡もあったらいいなーと探してみたんやけど、
如何せんそこまで詳しく書いてるわけやないし、ちょっと周囲を探してみても痕跡は全く見当たらず。
「青線跡」探しは諦めることにしました。

今回も、正直あんまし期待せんで行ってみたんやけど、
わずかながら痕跡はあったようですわ。
赤線がなくなってはや50年以上経つものの、諦めずに探せばまだ「つわものどもが夢の跡」は見つかるかもしれません。
そこは「遊廓・赤線考古学者」の腕の見せ所。でも金と時間プリーズ(笑
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テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

コメント

■ 港新地

>すずもとさん

こんばんは、お久しぶりです。
港新地は少ないながらも資料が手元にあります。
全部書き出すとキリないけど、戦争中に出来た所で戦後は赤線として警察資料にも出てきます。
今読んでる資料によると、売防法寸前には港新地の業者数33、女給の数は147人だったそうです。

生玉新地は、江戸~明治時代にあった馬場先の遊里のことだと思いますが、
旧松島新地が出来た時にすべて移動させられています。
でも、よー考えたら今そこラブホ街になってますね(笑
2011/01/20 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 大阪市内の赤線跡

お久しぶりです早速ですが港区夕凪 に港新地というものがあったということですがご存知でしょうか 生玉新地 あと奈良県の猿沢池というお茶屋があったときいています。
2011/01/19 URL すずもと #- 

■ Re: 素晴らしいです

>タガネの錬金術師 さん

コメントおおきにです。
同じ泉州人からのコメント、ホンマ嬉しいですm(__)m
遊廓・赤線探索は他人から理解されへんことが多いけど、
(まあ趣味ってそんなもんやと思いますけどねw)
それにめげずに頑張っていきましょう~。
池田は赤線としてはほとんど知られてへんし、データもほとんどあらへんと思います。
「まさか!?」ってとこですもんね(笑
せやけど、伊丹空港が接収されて進駐軍の「慰安所」として作られたとかいう歴史を勉強したら、さもありなんとも思ったりします。

またよかったらこのブログを見に来て、コメント下さいな。
2010/08/23 URL BJのぶ #qDfdtOiE [編集] 

■ 素晴らしいです

偶然ネットサーフィンしていて貴兄のブログに巡り合いました。
小生もこういう赤線跡大好きです。
池田にあるなんて全く知りませんでした。
ちなみに小生も泉州人です。
2010/08/19 URL タガネの錬金術師 #mQop/nM. [編集] 

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