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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■八王子の遊郭跡をゆく 消えた遊郭・赤線跡を訪ねて9

「消えた遊郭・赤線跡を訪ねて」東京遠征編第二弾は、第一弾の武蔵新田からはるか西、八王子へ向かいます。

武蔵新田から蒲田へ、そしてJRに乗り換えて新宿へ。

中央線特別快速

中央線の特別快速に乗って30分くらい!?

10060902

はぁ~るばるぅ~来たぜ八王子~♪←これも北島三郎のメロディーでどうぞw
まあ、同じ東京都やさかい「はるばる」ってわけでもあらへんけど、意外に遠かった、大田区から八王子市は。
で、今回のシリーズ(?)を見てくれとる方+関東の地理に詳しい方は、
某所から新宿に向かった時に途中で八王子で降りたらよかったやん」
と思うでしょう。
はい、その通りなんですわ。俺もそないしよーかなーと思ったんやけど、「スーパーあずさ」の中で爆睡してしもてそのまま新宿まで行ってしもたわけです、はい(笑
車掌も車内検札しとるんやから起こしてくれたらよかったのに、と今頃思ってもしゃーないっちゅーわけで。

で、さてミッション開始!
と八王子駅を降りたら・・・

10060903

ありゃま~!
これじゃ大都会やん♪
さすがはトキオのベッドタウン、駅前はある意味すごいことになっとりました。
あ~あ~、果てしない~、夢を追い続けぇぇ~~~♪
ってそれはクリスタルキングの「大都会」や!
嗚呼、これは30代後半以上しかわからんジョークやな、失礼しました(笑

これで昔の遊郭とか赤線跡なんて残っとるんやろか?
と一抹どころか五抹くらいの不安を抱えつつ、八王子駅から徒歩15分くらいのとこにあるという「田町遊廓」の跡へ向かいました。
江戸から甲府・信州方面へと向かう甲州街道までは、そこらへんの日本の地方都市並みの繁華街が続いとるんやけど、
甲州街道からふと北へ抜けたら・・・

10060904

急に田舎・・・やなくてのんびりとした昔ながらの町っぽくなってきました。
女に例えたら、派手な化粧しとったケバケバな勝ち気キャバ嬢がが急にしおらしい乙女になったような感じです。
・・・ってこの例えは合ってるんか?(笑
まあそれはさておき、これやったら遊郭・赤線の跡が残っとるんは十分期待出来る!
と胸を膨らませて目的の場所へ。

ここでちょっと話は変わって、遊郭・赤線跡を訪ねる時、地元以外はたいてい土地勘があらへんとこをウロウロするわけやけど、
方向音痴な方はもちろん、方向感覚にゃ絶対の自信を持っとる方向音痴とは500%無縁、自称「歩く方位磁石」の俺でも初めて訪れる土地にゃ不安がない、って言うたらウソになります。
方向は合っとっても場所が違っとったら意味あらへんし。
家で地図をプリントしとくんがベストやけど、そんなヒマもあらへん時もあったり、休みの日に朝起きて突然「行くぞ!」っていう時もあったりしますんやわ。
そんな時に役に立つんが、文明の利器ケータイ。
俺はiPhoneやさかい、常にGPS機能で地図を表示させて移動しとったら、まず目的地まで迷うことはあらへんと思います。
もし、2年前に調査した鳩の街玉の井の時にこれがあったら、無駄な体力使わんかってよかったのに、
と思うけど、後悔先に立たず。
せやけど文明の利器に頼り過ぎてもあきまへん。まずは場所の特定をしてだいたいの周囲の地図を頭に入れつつ、ケータイの地図(特にGPS機能)を見ながら行ったらまず間違いはないと思います。

で、甲州街道の車の往来とはまるで無縁のよーに静かになった住宅街を北へ進んだら・・・

* * *
10060905

「田町遊廓」跡に到着!

と、ちょっとここで八王子の遊郭のことについて解説を。
八王子は江戸時代から栄えとった宿場町で、横山宿・八日市宿・八幡宿など15の宿場に分かれとったそうで、
その中でも横山宿と八日市宿がメインの宿場でした。
その宿の中にゃ、大名とかの身分が高い人が使う「本陣」と、庶民が使う「旅籠」とランクがあったんやけど、旅籠にゃ「飯盛女」って言われとった宿の従業員、事実上の遊女がワンセットのよーについてくるんが相場。
有名な「東海道中膝栗毛」にも、主人公の弥次・喜多が遊女に誘われて絡まれるシーンがあるけど、
そんな感じで八王子にも「飯盛女」が数十人~百人以上はおったやろうと推定できます。
幕府の公式見解は「飯盛女は売女にあらず」やったんやけど、「遊女に近きものである」と暗に認めとったりもします。いったいどっちやねん!ってツッコミ入れたいくらいですな(笑
ちなみに、江戸時代の法律によると、
「『飯盛女』は旅籠一軒につき二人まで」
「衣類は木綿に限る(つまり吉原とかと違って派手に着飾るなってこと)」

と決められとって、その条件からはみ出たら「隠売女」つまりモグリ売春婦として捕まって、今の東京付近の宿やと吉原行きになったりもしたそうな。

そして明治30年になって八王子の町を焼く大火事が発生、宿場町としての八王子は灰になってしもたそうな。
その時に街中にバラバラになっとった「宿」を郊外に集めたんが、今の田町っちゅーわけです。
今の田町界隈は静かな住宅街やけど、移転当時は周りに田んぼ以外何もあらへんかった僻地で、
とにかく周囲に田んぼしかあらへんかったさかい、「田町」って名前がついたそうですわ。
その閑静な田んぼだけの風景は昭和30年代まで残っとったそうで、
「全国女性街ガイド」にゃ、

「夕暮れ時はねずみ啼もきこえて来ようという、東京周辺では、昨今めずらしい色里である」

と八王子の紹介のオープニングにこう記しとります。
中心部じゃ都会化が進んで自然がなくなっとるけど、八王子にゃまだ東京都心が置き忘れかけたような昔ののどかなとこが残っとる、とこの文章を見るだけで何か当時の田町周辺の情景が浮かんできそうですな~。
ちなみに、昭和5年発行の『全国遊廓案内』によると八王子遊郭の「お店」の数は14軒、女性の数は100人程と書かれとります。
同じ時期の吉原の3500人、洲崎遊廊の2900人に比べたら、八王子はこじんまりとした方やけど、
全国的に見たら中程度の規模って感じやと思います。
そして終戦後の赤線時代になったら、手元にある「モダン日本」って雑誌にあった昭和25年8月現在の「お店」の数は13軒、女性の数は50人。
店の数はほとんど変化なしやけど、働く女性の数は半分になっとることがわかります。
まあこれは雑誌にも「移動性甚だしき故固定数字ではない」って注意書きされとるさかい、あくまで参考数字かもしれませんな。


10060906

で、これがYahoo!地図から抜粋(?)してきた今の田町の地図なんやけど、
この地図を見ただけで田町に「ん?何じゃこりゃ?」と感じたあなたは勘が鋭い!
そう、周辺の地域と比べて区画に「違和感」があるのを感じることが出来るでしょう。
それは・・・
「何でこんなとこにこんな幅が広い道があるねん!」
ちゅーこと。
普通の住宅街とかやったら明らかに道の幅を平等にするやろし、ここだけやたら道が広いんは何故?
ちゅー疑問が浮かぶことでしょう。
それが消えた遊廊の跡をネット上で探すヒントにもなったりします。
「明らかに不自然な、周囲の道を見ても普通あり得ない『違和感』がある道」
は八王子だけやありません。

10060907

これは、日本のどっかにある「とある遊郭跡」の地図なんやけど、ここ八王子田町遊郭程の違和感はないものの、
赤線で囲んだ道は周囲の道と比べたら明らかに不自然やったりします。
とにかく道幅が不必要なくらい広いんやけど、実際訪ねてみたらもっとビックリやったりします。
ここは数年前に行ったことがあるけど、「ただの地方の古い住宅街」やのに片道3車線分もあったりします。
両側を入れたら大阪の御堂筋とまではいかへんけど、四ツ橋筋にも負けへんよーなくらいの道幅、セスナ機やったら着陸できそーなくらいの広さやったりしました。
おまけに中央線が街路樹のような跡になっとるし、住宅街として開発されたんやったらここまで大きな道にせんでええはず。明らかに「あやしい」のです。
ただいま、日本全国に500か所くらいあったっちゅー遊郭の場所を特定しとる作業をしとるんやけど、
たまにこういう「ナンデスカココハ!?」的なとこに当たったりするんですわ。

こういうとこは昔の遊廓のメインロード、「大門通り」とか言うとったとこで、
中~大規模な遊廊の入り口にゃ「大門」って呼ばれる門があって、八王子にしてもかつては上の写真あたりに明治時代に作られたっちゅー大門が、赤線が廃止になる昭和33年まであったと言います。
上の写真がまさにかつての田町遊郭のメインロードで、地図で言うたら「道幅がやたらデカくなっとる」所です。
画像で見たら、そして現代の感覚で見たらさほど広くは見えへんかもしれへんけど、実際はかなり広く見えるし当時の常識で言うたらかなりの大通りっぽい感じやったと思います。

10061001

これは田町遊郭の「大門通り」を反対側から撮ってみた画像やけど、こないして見たらけっこう広いことがわかりますやろ?
かつてはこの大通りの真ん中に柳や桜の木が植えられとったらしく、ある意味色街らしい風情を醸し出しとったとか。
手元にある、大正時代のここの簡単な地図にも、道の真ん中に柳と桜が植えられとったことが書かれとりました。
で、旧遊廊にゃ必ずとは言わんけど、たいてい柳の木が植えられとったりします。
吉原の柳は有名やし、遊郭にゃ「柳町」とかいう地名がつけられることも多く、それが今でも地名だけ残って遊郭跡を断定する材料にもなっとるんやけど、
遊郭に柳の縁、それは中国の遊里にも柳があるさかい中国と関係があるんかな?と思ったりするけど真実は未だ闇の中。

今の田町は会社のビルや倉庫、住宅が立ち並ぶ静かな住宅街やけど、


10061002

その間にまだ遊郭時代の建物が残っとったりします。
遊廊時代のことは後述するとして、赤線時代の田町を「全国女性街ガイド」はこう伝えとります。

「明治32年10月建立の石の大門をくぐれば、小砂利を敷き詰めた玄関の奥まった店や、文明開化作りの青楼など15軒、暮色蒼然と軒をつらねている。
都心からわずかの遠征で、これだけの古典的風物に接するとは、日本も捨てたものではない」


ある意味絶賛ですな。
文章は短いけど、当時の雰囲気をよく伝えとるなと思います。
上に書いた「モダン日本」も、東京の赤線紹介の欄で八王子の特徴を簡潔に述べています。
「部屋持、長い火鉢の前で三味の味のある土地、昔の古い家」
と、この数年後に『全国女性街ガイド』を書いた渡辺寛が訪れた時と変わってへん雰囲気なことが何となくわかります。
八王子は戦争の空襲で被害を受けへんかった数少ない東京の遊廊の一つで、吉原なんかは空襲で綺麗さっぱり焼けてしもたものの、八王子・千住・品川の3つだけは戦災を免れたせいか、今から70年前の人が訪れた時でさえ「ノスタルジックな気分」を味あわせてくれた明治時代の遊廊の面影が残っとったんでしょうな!?

で、上の建物は、『赤線跡を歩く』によると「蓬莱」ちゅー屋号の妓楼やったらしいけど、
俺が持っとる大正時代の地図によると、ここは「弥生楼」って名前の妓楼やったことがわかります。「蓬莱」って屋号の建物は地図のどこにも見当たりませぬ。
どっちが合ってるかはさておき、たぶん建物自体は変わってへんと思うし、屋号が後になって変わった可能性も否定できへんさかい、真偽はもうあの世の世界で聞くしかあらへん(笑
今回は、『赤線跡を歩く』に敬意を表して、この建物は「蓬莱」って名前で統一しときます。

10061003

「蓬莱」を近くから写してみたもんやけど、2階部分の丸い電灯がかなりええ感じですな♪
建物自体は築何年かさっぱりわからんさかいかなり老朽化しとるのは否めんけど、やはり何かしら「オーラ」を出しとります、ここ。


ちなみにこの建物、まだ「現役」でアパートになっとって、洗濯物も干してあったさかいまだ住人がおるみたいです。

1006106

「蓬莱」を裏から撮ってみました。
『赤線跡を歩く』の時からかなり簡易的にリフォームされとるみたいです。


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そして田町に残るもう一つのビッグな妓楼がこれ。
堂々とした玄関もさることながら、玄関の横にある木柱(?)の上の、何か怪しい紅いものも艶めかしいちゅーか何ちゅーか。
大正時代の地図とこの妓楼の場所を照らし合わせてみたら、たぶんここは「大万」って名前の妓楼やった可能性があります。はっきりしたことはわからへんさかい、ここは「大万(推定)」にしときましょか。

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そして、裏道へ回って「大万(推定)」を上から撮ってみました。
T字型に建物が構成されとって、正面からは全く想像もつかへんくらい奥行きがあることに驚きです。
遊廊の妓楼って何か法則があるんか、たいていこないな感じで奥行きがあって、正面からじゃその奥行きがわからんよーになっとります。
それが遊廓建築のミステリーって言うたら言いすぎかもしれへんけど、その特殊さ故に人を引き付けるもんがあるんかもしれませんな。
『赤線跡を歩く』の写真じゃ屋根の色が青になっとるけど、少々リフォームされたんか屋根が白になっとります。


10061007

そして、田町の大通り沿いに残っとったもう一つの建物がこれです。
蔦に囲まれて半分廃墟になっとるよーな感じやけど、玄関に「旅館 松屋」と書かれとったのを確認しました。
「松屋」は手元の地図にも、『全国遊廊案内』にも、そして『全国女性街ガイド』にもない名前やけど、
玄関にこう書いてあった以上、「松屋」は「松屋」ちゅーことで(笑

10061008

「松屋」を横から撮ってみたもんです。
整然と部屋が並んどるのがよーわかります。
こない見たら純和風の建物に見えるんやけど・・・

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玄関横はちょっぴり洋風やったりします。
以前貝塚の「深川」で高級料理を食べた時に中を見物させてもろた時も、純和風の建物の玄関横に洋風の「待合室」があったんやけど、
(詳しくはここをどーぞ)
これも恐らくは待合室やったんやないかなーと想像できます。



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「八百松」と書かれた、田町の大通り沿いにある建物です。たぶん料亭か何かでしょう。
建物自体が周りのと比べて新しいさかい、戦後以後の建物かリフォームされたんかのどっちかやと思うけど、
建物の構造といい、やけに小さい窓といい、

100061012

やけに奥まった玄関と言い、断定はできへんけど恐らくは元妓楼やったと思います。


で、田町遊郭を語る貴重な本に、

「八王子遊廓の変遷」
(わだち∥編 かたくら書店)

というのがあります。
何故か「八王子 遊郭」ってググっても、OPACで検索しても出てこえへん、ミステリアスなんかマイナーなんかわからん本なんやけど、
(俺も何で引っ掛かったんやろ?忘れちゃったいw)
八王子遊廊の歴史から隠れたエピソードまで、マイナーながら内容は濃い本やったりします。
中でも貴重なんが本出版当時は存命やった、田町で営業しとった食堂の女将さんが見た田町の歴史。
明治→大正→昭和、戦前→戦後、遊廓→RAA→赤線と変化していく田町遊郭をずっと見続けとった人やからこそ語れる遊廊の素顔みたいなもんで、
田町遊廊にゃ大門があったことはもう書いたけど、昔は遊廊の周りに幅4尺(≒120cm)の溝というか堀があって、吉原とかみたいに溝に囲まれた遊郭やったことがわかります。
この本にゃ「(溝は)まだ残ってる所もある」って書いとったけど、俺が確認したところそんなのは確認できず。
1mもあったらすぐわかるはずやし、もしかして俺が見落としてしもた可能性もあります。
また、「どこの遊廊でもそうだけど」ちゅー前置きをして、田町にゃ「牛太郎」って言われた男の客引きがおって、正式にゃ「妓夫」って言うとったんやけど、
彼の役目は客引きの他に、客と遊女のトラブルを仲裁する役目を負っとったこと。
廓の掟で「牛太郎」は警察の厄介にゃならないってのがあって、昔の「牛太郎」はそこらへんを上手く収めとったらしく、そういう技量も必要やったそうです。
で、何で「妓夫」のことを「牛太郎」って言うたかと言うと、その昔遊廊の女は「狐」、客は「狸」って表現しとって、遊廊は「狐と狸の化かし合い」ってな感じに例えられとったそうな。
そこで、遊女は騙すのに「尾はいらない」ってことで「花魁(おいらん)」って名前がついた・・・ちゅーのは落語の世界やけど、
妓夫は「牛」って表現しとったことからついたそうな。
また、遊女の年齢は早くて15~16歳、平均年齢20歳くらいやったそうで、労働基準法なんかなかったご時世、若いけど過酷な「労働」を強いられて25歳くらいで亡くなってまう人がいちばん多かったそうです。
25歳なんて女盛りのピーク、そんな時にこっそり亡くなってしまうとは悲しい現実ですな。
ちなみに、東京の某遊廊の遊女を弔っとったある寺には、明治時代からの遊廊の女性たちの「死亡年齢」や「死因」が書かれた台帳が残ってるらしいけど、
(江戸時代やなくて明治時代からやさかい、たぶん法律で死因を書くように義務づけられたんやと思います)
年齢は平均でだいたい25歳、当時は数え年で年齢を計算しとったさかい、満年齢で言うたら23~24歳ってとこでしょうな。
死因でいちばん多いんが「梅毒内攻性」と「肺結核」
肺結核は最近抗生物質が効かん結核菌が出てきて再び「昔の恐怖」が蘇りつつあるとかで知ってる人多いと思うけど、梅毒は今はあんまし聞かん病気やと思います。
梅毒は今でこそ初期症状で治療したらケロリと治る、怖くも何ともない性病の一つやけど、今から7~80年前までは感染力が強いさかい恐れられてました。エイズはウイルスやけど梅毒は原虫、治療法はなかったことはないけど根絶するのはかなり難しかったそうで、
当時の成年男子が必ず受けた徴兵検査でも性病検査をするんやけど、明治から終戦まで性病にかかっとる20歳男性の率は24%くらい。
梅毒の場合は「エッチ」して罹るだけやのーて、親が梅毒に罹っても子供に遺伝するのがある意味恐ろしくて、それを保有したまま大人になった人も多かった、ってのを物語ってます。
また、梅毒は死亡率も高くて、急性伝染病として死亡率が高かった腸チフスや赤痢の死亡率が6~7%、それと比べて梅毒での死亡率は9%以上、こう見るだけでも放置しとかれへん病気です。
せやけど、梅毒はゆっくり、何年、人によっては何十年単位で進行する病気で、梅毒の原虫が潜伏してから5年10年たって症状が出る人もおるそうな。
そして、梅毒って末期症状になったら毒が脳にいってしもて精神的におかしくなるんやけど、それによる「精神錯乱」も上位にランクインされとるそうな。
せやけど「病死」やったらまだマシ、中にゃ「負傷出血(今で言う出血性ショック死)」、「絞死」「殴死」ってのもあって、これって犯罪ちゃうのん?って思えるようなものもあります。
男と女の「情事」によるトラブルもあったと思うけど、中には「廓の掟」を破って制裁されて死んでしもた人もおったんやないかと。

せやけど悲しいことばかりでもないよーで、無事ここから抜け出して幸せな結婚をした人もたくさんおったそうな。
この話で興味深かったのが、

「商売女と結婚するなら芸者はいけない。女房にするなら遊女が良い、と昔はよく言ってたものよ」

という下り。
語り部の女将さんいわく、
「遊郭の遊女は日ごろ質素で節約もしているので貧乏にも耐えられる。
それに遊女だって恋をする。好きな男のために自分が働いて(男に遊廊に来る)お金を立て替えたり、他の客に金を落としてもらったり、深い情がある。
芸者は金があるうちはチヤホヤするけど、金がなくなったらはいさようなら、縁が切れてしまうことが多くて情がない、と昔からよく言われているのよ」

芸者は「芸」を武器にし、遊女は「体」を武器にする。「芸」より「体」の方が情が生まれやすいのもあるかもしれへんけど、芸者の場合はホンマの貧乏人は近寄れんさかい客は金持ちとか身分が高い人中心。
海軍下士官やったうちの爺様も、料亭で芸者遊びなんて士官がすることで金がかかってとんでもない、兵隊と下士官はうどん屋と遊廊が関の山って言うとったけど、
カネ回りもええ人ばっかりやさかい金銭感覚も常識とは狂ってまうことが多いかもしれませんな!?
芸者はキャバクラ嬢、遊女はフーゾク嬢に例えたら、
「キャバ嬢とフーゾク嬢、どっちと結婚する?」
って言われたら・・・うーむ、「今までの経験」から考えたら後者を選ぶ・・・かな?
まあ、女将さんの言葉をオレ流に解釈したら、
「普通に付き合うなら芸者、結婚するなら遊女」
ってな感じか!?
女将さんのこの話、妙に説得力があって「うーん」とうなってしまうんやな、何故か。

他にも色々裏話に近いことを書いてあるんやけど、他は実際に本を読んでね。


田町で残っとった建物は以上やったんやけど、
ここで終わる俺やありません(笑
確かに田町遊廊は見るだけ見たんやけど、「区域内」は見ても「その周囲」にも何かありそう・・・。
俺の直感は確かに此の時そう俺を駆り立てました。
こういう時は「もうないやろ」っちゅー理屈より直感に頼った方が当たるもん、残りの体力を使って遊郭・赤線やった範囲を探索してみたら・・・。

10061013

遊廊跡の大通りの終点に「何故か玄関が3か所もある家」を見つけました。
建て方は特に普通の家なんやけど、普通玄関を3か所も、それも角に作る必要あるか?
ちゅーめちゃ素朴な疑問が・・・。
そしてもっと探してみたら、もっと「ダウト」な建物が!

10061014

「謎のアーケード」がある家です。
まあこれだけやったら特にダウトでもあらへんのやけど、この家にゃ「状況証拠」がいくつかありました。
まずはこの家も「玄関が二つある」ちゅーこと。
「アーケード」を玄関その1としたら、円柱型の石柱を両脇に抱えた、これより立派そうな玄関が一軒の家に二つ。
「石柱」の玄関をその2としたら、その2は今は使われてへんっぽかったけど、他にも玄関の装飾が細かかったりもしました。

10061015

奥のが「謎のアーケード」がある玄関その1、手前が石柱がある玄関その2です。
俺の何の脈略もあらへん勝手な推定やと昭和初期~戦後くらいに作られたっぽいけど、誰かの邸宅かもしれへんし、はたまた・・・??
謎はアーケードと共に深まるばかりです。いっぺんでもええから家の住人の方に話でも聞きたいもんですわ。

この二つの「謎の建物」、遊廊・赤線時代に残った遺物か、それともただの家か、その真実は神のみぞ知る。
後は想像にお任せするしかないですな。

以上、八王子編終わり。
次回予告は・・・ついに「総本山」に上陸します、乞うご期待!?
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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

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