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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■中村久子

いつもの、メシの種にもならんことをセコセコ調べる悪癖でググっとったら、
ある人物のことにたどり着きました。

中村久子って聞いて誰かわかりますか?

いやはや、俺も最初は誰のことかわからんかったんですわ。

中村久子は明治~昭和にかけて生きた一人の女性なんやけど、
ある意味普通の女性やなかったんです。
ほな、彼女は他の女性とどこがちゃうかったんかと言うと。

手足がすべてなかった

と言うたらにわかに信じられへんかもしれませんな。
せやけど、彼女にはホンマに手足が全部なかったんですわ。
それも、先天的なもんやなくて、幼い時に凍傷が原因の、手足が腐っていく特発性脱疽(だっそ)になって手足を全部切断せざるを得なかったみたいですわ。
手足を切断せんと、どんどん腐っていくさかい仕方ないことやったけど、
こんな状態になってしもたら普通やったら本人はおろか、家族も絶望の淵に追いやられるんやけど、
中村久子にとってある意味ラッキーやったんが、祖母と母親の存在。
二人は彼女に厳しくしつけ、手足があらへん状態でも自立できるように育てたそうですわ。
20歳の時に自立して「だるま女」と呼ばれて見世物小屋行きになったものの、
持ち前の前向き精神とハングリー精神(?)で数々の困難を切り抜けていきました。

中村久子に転機が訪れたんは、1937年37歳の時にヘレン・ケラーと会った時と、42歳の時に「歎異抄」と出会ったこと。
これによって中村久子の中に悟りみたいなもんが生まれたみたいで、講演活動を通して「生きる力」と身障者の地位向上を唱え続け、
1968年、72歳でこの世を去ります。

この人生、こないして書きながらどっかで聞いたことあるな~と感じたんやけど、
たぶん、昔あった「知ってるつもり」っていうテレビ番組でやっとったような気がしますわ。
記憶があいまいやさかい、知ってる方教えて(笑

で、中村久子の言葉にこんなもんがあります。

「人の命とはつくづく不思議なもの。
確かなことは自分で生きているのではない。
生かされているのだと言うことです。
どんなところにも必ず行かされていく道がある。
すなわち人生に絶望なし。
いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」


生きているんやのーて生かされている。
これは何も中村久子だけが言うとることやないんやけど、
この境地に達するにゃかなりの人生経験、更に苦難の道を必要とすると思います。
まあ俺もまだこの境地に至ってへんけど、数年前に脳内出血で倒れた母親には、
「あんたは、病院に担ぎ込まれた時医者に見放されたくらい重症やったけど助かった。
助かったちゅーことは、何か、俺らがわからん存在によって生かされとるんやわ。
これからは『生かされとる』ちゅーことを考えた方がええで」
ってな感じなことを言うたんやけど、母親も何かを悟ったんか、
今は完全やないけどリハビリに励んで、医者もビックリするくらい元気になっとります。

日本人は、どうしても「死」ちゅーことを意識してしもて、
簡単に絶望してまう悪い癖があると思うけど、
まずは絶望する前に、やるべきことをやったんか、それを考えてみるべきやと思いますわ。
この年になって、中村久子の
「人生に絶望なし」
って言葉がわかるような気がします。20代やったら確実にスルーしとる言葉ですわな。
俺も七転び八起き、波乱万丈の人生やなーと自分でも自覚しとるけど、
絶望したい寸前になったら不思議と前に光がやって来て前に進んだということが何回もあります。
口が悪い友達にゃ、
「あんた普通やったら3回くらい死んでるで(笑」
って言われたりするけど、悩んで悩んで、頭抱えて「もうあかん!」って思った時、ふと出口が見えてきて・・・ちゅー感じかな?
残念ながら、うちの昔の同級生とかも自殺したって風のウワサを聞いたりすることがあるけど、
「人生に絶望なし」という言葉を贈りたかったな、と思いますわ。

生きてたら人生の岐路に立たされて悩むこともある。
崖っぷちに追いやられてどうしようもない(と自分で思ってる)こともある。
もう死にたい、と思うこともある。 
↑俺はこれだけはないんですわ。生への執着が強いのか(笑
せやけど、「最後の選択」の前にふと前を向いてみたら、光が見えてくることがあります。
ちゅーか、必ずどっかに出口があるはずですわ。
こんな、心に傷だらけ、まさに心が満身創痍の俺でもまだ元気にがんばってるんやから(笑
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