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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■■Doblogアーカイブ■ 台湾の歴史Ⅲ 戦後編

~注意~
この日記は2005年3月25日にDoblogで公開したアーカイブ日記です。



日本の敗戦により日本統治時代が終わり、台湾は中国に「返還」されました。
しかし、これが台湾の茨の道の始まりやったとは、当時の人は思わなかったに違いありません。

「犬が去って豚が来る」
という言葉が台湾にあります。
犬とは日本人のこと、豚とは中国人のことですが、
「犬」はワンワンうるさいけど、賢いし守ってくれる。
しかし「豚」は食うだけ食って何もせず、ただ散らかして太っていくだけ、
ということを上手く表現したものです。
今でも、口の悪い台湾人は中国人のことを「豚」と言ったりしますが、
中国の兵隊がやって来た時点で、既に何かしら嫌な予感はあったようです。

終戦後、日本の代わりにやってきたのは、
「中華民国」の軍隊でした。
彼らは日本軍と違い、隊列はバラバラ、手で鼻水を切ったり、裸足の兵隊もいたそうです。
「武士は食わねど高楊枝」の日本軍を見慣れた台湾人は、
このだらしない軍隊を見て幻滅したようです。
「こんな奴らと一緒なんてイヤだ!」
と日本人にまぎれて日本に逃げた人もいたらしく、
祖国復帰の喜びが一気に冷めてしまったそうです。

台湾が中国に「返還」された後、超インフレによって物価は大上昇、
日本時代には夜に戸を開けてても泥棒が入らないようなところでしたが、
治安も急激に悪化し、バスにも警察が乗って警備しないと何が起こるかわからない状態になってしまいました。
また、台湾の要職はすべて中国大陸からやってきた人で占められ、
台湾人はロクに仕事に就けず、失業者も激増しました。
また、大陸からやってきた役人の腐敗、国民党軍兵士の強奪、狼藉も甚だしく、
日本の統治で「先進国」に近い生活をしていた彼らにとっては、地獄に落ちたようなものでした。
台湾人の怒りはますます増大し、ついに「あの時」を迎えます。
「あの時」とは、台湾史最大の闇と言われる、

228事件

です。
1947年2月27日、中年の台湾人女性が、商品の密輸タバコの没収だけでなく、所持金までも取り上げたため、
林はひざまづいて現金の返却を懇願したのですが、返却されないばかりか銃で頭部を殴られ、血を流して倒れてしまいました。
憤慨した群衆が一斉に取締員らを攻撃したため、取締員らは逃げながら発砲、流れ弾が傍観の一市民に当たり即死となりました。
それが一層刺激し、近くの警察局と憲兵隊を包囲して逃げ込んだ取締員らの引渡しを迫ったが拒否された、
というものです。

翌日28日、怒った群衆は専売局台北分局に抗議し、分局長と3名の職員を殴打して、書類などを路上で燃やしました。
午後になると長官公署前広場に終結した群衆は、抗議デモを行い、政治改革を要求したんですが、
長官公署の屋上から憲兵が機関銃を乱射し、数十名の群衆が死亡しました。
それでますます事態は緊迫し、台北市内の商店は閉店、工場は操業を停止、学生も授業をボイコット、数万の市民が抗議の列に加わり市中騒然となりました。
警備総司令部は戒厳令を布告。市民は放送局を占拠し、全島に向けて事件の発生を知らせました。

228事件に関しては話すとキリがないんでこれくらいにしておきますが、
それから台湾人が怒り、ラジオを通して全国民に蜂起を呼びかけ、外省人を襲い始めました。
同じ漢民族やのに、どうやって区別したのか?というと、それが日本語です。
台湾人は初等教育の浸透で8割の人が日本語OKになっていて、
人を捕まえては日本語をしゃべらせたり、君が代を歌わせたりしていました。
歌えない人は「台湾人じゃない」ということでリンチを食らいました。
228事件の悲劇はここから起こりました。
国民党幹部が台湾人をなだめてるうちに、蒋介石は台湾に軍隊を送り込み、
台湾人に対して殺戮と虐殺を繰り返し、
未だにはっきりとした死者の数がわからないという未曾有の悲劇となりました。
228事件は怒れる台湾人が自然発生的に起こしたもので、
元日本軍人(もちろん台湾人のです)が地域的に指導はしてたものの、
これといった指導者もいなかったため、弾圧を容易にしました。
そのどさくさで日本時代の教育で成熟した知識人が多く殺され、
台湾の発展がかなり遅れたといわれています。
また、彼らは「日本語」を通して近代文明を吸収し、台湾の発展に寄与したんですが、
「返還後」に言語が北京語になることによって、近代的なものを吸収できなくなり、台湾の発展を阻害したといわれています。

現在、台湾には、先祖代々から台湾に住んでる「本省人」と、蒋介石と一緒に台湾へ渡ってきた「外省人」、他にマレー・ポリネシア系の「原住民」の3種の人がいますが、
228事件によって、今でも続く「本省人」「外省人」の溝が決定的になりました。
この「本省人と「外省人」の溝は外見的にはなくなってますが、
お年寄りの世代を中心に今でも根強く残っているそうな。
ちなみに、上に挙げた「豚」という表現は、「外省人」に対しても使われます。
「終戦」から228事件直後までを描いた映画が、名作『非情城市』です。
台湾映画ですが、日本語もふんだんに出てきて日本とも密接な関係があるんで、
日本人も見逃してはならない映画やとは思います。
事実、「非情城市」のキャストやスタッフにも日本人が関わっています。
歴史背景がわからないと難しいですが、台湾の歴史を語るには必見の映画、
悲しい台湾の歴史の一面を垣間見ることができます。

そして、1949年に大陸で中華人民共和国が成立、
蒋介石をはじめとした「中華民国」は台湾に亡命という形で逃げ延びました。
それからも、知識人への弾圧や「本省人」への差別など、暗黒の時代が続きました。
意外に知られていないことですが、台湾では、一時的にだけ発令される戒厳令が、1949年より40年間も続き、もちろんこれはダントツのギネス記録となっています。
この「台湾亡命」後、言論や思想の弾圧が強化され、台湾中に「特務」と呼ばれるスパイ(実態はヤクザですが)を張り巡らせ、
要注意人物にいろいろ言いがかりをつけては投獄し、李登輝総統の出現までシャバに出ることはありませんでした。

政治的には暗黒でしたが、経済的には順調に発展し、「経済加工区」が高雄にできてからは、貿易も好調となりました。
ちなみに、中国の「経済特区」は台湾の「経済加工区」の真似です。
中国オリジナルのものではありません。

その経済発展を支えたのが、本省人です。
要職はすべて外省人に取られ、政治的発言を抑えられていた彼らは、
経済力を身につけるにしたがって政治的発言力も増していき、
そして、蒋介石が死に、息子の蒋経国が後を継いでから、台湾は劇的に変化していきました。
1984年10月の「江南殺害事件」をきっかけにアメリカから台湾の暗黒体制に圧力が入り、
蒋経国も、本省人を無視するわけにはいかない、と感じたんでしょう、
戒厳令が解除され、言論の自由が保障され、だんだん自由になっていきました。
その政策を引き継いだのが、皆さん御馴染みの李登輝前総統です。
本省人、生粋の台湾人としては初の総統になった彼は、蒋経国の政策を引き継ぎ、
いわば無血革命に匹敵することを成し遂げました。
李登輝さんの政策に傷をつけるつもりはありませんが、彼の政策は蒋経国の政策の延長であり、
李登輝さんは彼の政策にジェットエンジンをつけたに過ぎません。
でも、二人で成し遂げた「革命」は、当時中国が天安門事件で民主化運動を武力で弾圧したのと全く逆の方向に動いた、という点でもまさに革命でしょうね。
意外に知られていませんが、世界が天安門に集まった民主化を求める学生や民衆に注目してた頃、
台湾でも民主化運動が起き、学生たちが抗議運動をしていました。
中国の方は武力弾圧という形で終わりましたが、
台湾は当時李登輝総統、民主化の意見を受け入れ、台湾の「解放」が更に加速しました。

李登輝前総統はまた、中国4000年の歴史初のことをやらかしました。
それが「総統直接選挙」です。
国のトップを選挙で決める、俺たちにとっては当たり前のことですが、
実は「中国」では4000年間一度も行われたことがありませんでした。
日本のマスコミは台湾報道は小さく扱ってるに過ぎないんで、
(ずっと台湾支局がある産経新聞は除く)
「中国史」から見ればこれも「小さな革命」なんです。

そして、第一回目の総統直接選挙は、李登輝氏の圧倒的勝利で終わり、彼は再選されました。
その時に中国ができる限りの妨害をしたことは、覚えてる人は覚えてるでしょうが、
これが完全に裏目に出て、
「台湾人の団結」
という結果をもたらして、民主化を潰そうとする中国に対して、
李登輝総統の下に台湾人が一致団結しました。

そして、任期が終わったあと、野党である民進党の陳水扁が総統に就任、
前の選挙でも再選し、現在に至っています。

・・・と以前に書いたものの、現在は国民党が政権を奪い返し、大陸系の馬英九氏が総統に就任しています。
馬英九総統は中国との接近を重視していますが、
「中国に媚を売りすぎ!」
という反発も強く、次の総統選挙で台湾住民がどう判断するか、俺はじっくりウォッチングしていきたいと思っています。
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テーマ:雑記
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