のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

大阪人の、大阪人による、大阪人のため・・・のブログ!?

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。 面白い!と思ったらクリックしてあげて下さいm(_ _)m



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 近代化遺産へ

よろしく!








blogram投票ボタン






ブログ内検索

プロフィール

BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

質問・お問い合わせはこちら

名前:
メール:
件名:
本文:

人気ブログランキング

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

■■■■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第三章

~注意~
この日記は2004年10月29日にDoblogで公開した日記です。
紹介されている建物が現時点で存在しているかは定かではないので、
各自でご確認をお願いします




第二章はこちら


0905221 1

三角マーケット跡地、元警察官舎を背にして、一路北へ向かう。
道はざわざわした小道を抜け、「呉淞路」という大きな道に入る。

呉淞路は1856年に敷設され、虹口地区のメインロードの一つとして早くから栄えた。
日本人が虹口地区に住むようになったのは明治時代からだが、
大正時代には、呉淞路あたりは日本人街の中心として栄えていた。
呉服屋、お菓子屋、書店、文具屋、薬局・・・、日本にあるものはここにも
すべて揃っていた。
その光景は、まるで日本の下町のようだったという。
1927年の上海日本総領事館の調査によると、
呉淞路近辺の人口は7582人を数えていた。のちに1930年代になり、
その人口は更に増えていくことになる。
後に「日本租界」とまで言われた北四川路(現四川北路)とは、「北虹口」「虹口」と分かれた言い方をされ、二大日本人地区を形成していた。
しかし、現在でも「日本租界」当時の風景をかなりの形で残している四川北路に対し、
呉淞路は再開発の波に呑まれ、かつて道沿いに並んでいた日本家屋は
ほとんど姿を消してしまった。

左手に金富運大酒店・公安局出入国管理局が見え、右手にかつて日本旅館が並んでいたという場所が見える。
今は再開発の最中で、高層ビルの土台が虹口地区に、人工の山のようにそびえ建っている。
ここから200mくらいまでは再開発地区で、特に変わった風景はない。

そのまままっすぐ進むと、左右にこれまた大きな道にぶつかる。
海寧路と呼ばれるその道は、昔の日本人地区を
南北に二つに分けるように横切り、現在は呉淞路とで虹口地区の大交差点を形成している。
その呉淞路と海寧路の交差点に、ひっそりを余生を過ごすように建つ小さい建物がある。

0905221 4

歩道橋に隠れてその存在すら容易に確認できない建物、
そこが「大阪毎日・東京日日新聞社跡」である。
芥川龍之介の上海滞在記に、『上海游記・江南游記』という本がある。
芥川は、1921(大正10)年に大阪毎日新聞の海外視察員として、4ヶ月の間上海や南京などを回り、中国の現実を目の当たりにしてきた。
上海に来て早々、芥川自身が病気で倒れてしまい出鼻をくじかれたせいか、それとも中国の水が合わなかったのか、紀行文としてはまずまずの内容なのだが、さすが大作家と言える洞察力で当時の中国・上海がどのようなものであったか、
この1冊でよくわかることだろう。

0905221 3


呉淞路と武進路の交差点、北を向いて右側に、「虹口救火会」の建物が見える。
小さいながら、両手を広げたような、左右に広がる建物に、
物見櫓のような塔がそびえる。建物の知識があれば、すぐに消防署とわかる建物である。
現在でも消防署として使われており、たまにここから消防車が出て行く姿を見ることができる。
その東側隣にあるのが、「中部日本小学校」である。
上海4校目の日本人小学校として1929年4月に設立され、
鉄筋コンクリート造4階建ての校舎が今でもそのままの姿で残っている。

0905221 2

虹口救火会の向かい側に建つ堂々とした建物がある。
ここは日中戦争以降、「海軍陸戦隊租界部隊本部」として日本軍が占拠し、
終戦まで使われていた。
現在は虹口区政府となっているこの建物は、外から見るとそれほどの大きさではないが、
普段は硬い鉄の扉で閉められている扉の隙間から覗いてみると、
広い中庭があり、面積はかなり広いものに見える。
裏手には工部局病院もあり、当時の病棟と看護婦宿舎が、
高い塀の外からも確認でき、いい形で残っている。

0905221 5

「海軍陸戦隊租界部隊本部」裏にある看護婦宿泊所跡です。
かなりはっきりと建物が残っています。

第四章へ続く
スポンサーサイト

テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

コメント

■ コメントの投稿










トラックバック

≫ http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/tb.php/726-ad5801d5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)