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■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第二章

~注意~
この日記は2004年10月29日にDoblogで公開した日記です。
紹介されている建物が現時点で存在しているかは定かではないので、
各自でご確認をお願いします



第一章はこちら

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~2009/5/22 改訂マップ~(下の画像をクリックしてね)
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金山大楼を離れ、次の目的地へと足を向ける。
戦前は熙華路(Seward Road)と呼ばれた長治路あたりも昔の建物がよく残り、
租界時代の住宅地の名残をよく留めている。
数年前、放浪の旅の途上で浦江飯店に滞在し、
この道は毎日のように通っていたのだが、改めて通ると昔は宝の山を目の前にして
宝の価値がわからない故に見逃していたことがわかった。
無知なのは悪くはないが、無知を続けるのは愚かなことであろう。
長治路を何気に歩いていると、武昌路との角になにやら気になる建物が。

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見事な赤レンガ造りだが、特に目立つということはない。
似たような建物は回りにけっこうあるのだが、どうも俺の直感がそこを離れさせない。
「上海歴史ガイドマップ」を紐解いてみると、
そこは大日本航空会社のオフィス跡だという。

大日本航空会社とは、1939年(昭和14年)9月1日に、
日本と中国・満州の航空連絡の便宜をはかるため、
日本航空輸送(株)と満州航空(株)の子会社、国際航空(株)が合併し
設立された会社で、今のJALの前身であるとのこと。
こちらに昭和15年の時刻表があるが、当時から上海までの定期便も飛んでいたらしい。

長治路をそのまままっすぐ向かい、ミン(門構に文)行路を左に曲がると、
典型的な租界風建築と瓦屋根の妙な組み合わせの建物が目の前に見える。

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ここが、戦前上海にあった日本旅館の中で、規模・風格ともに筆頭に挙げられていた
「萬歳館」の跡である。
1904年創業で、上海で一番有名な日本旅館だけあって、文化人もここによく宿泊し、
芥川龍之介・佐藤春夫等もここに滞在し、上海ライフを楽しんでいたという。
特に芥川龍之介に至っては、3階に住んでいた頃にここのメイドに惚れてしまった
というほのぼのエピソードまで残っている。
今は1階が部分がレストランになっているが、瓦屋根は中国にしては妙に違和感があり、
恐らく当時のものを流用しているのであろう。少なくともそう願いたい。


090522 4

ミン行路峨眉路との交差点を右に曲がると、
右手に3階建ての赤レンガの立派な建物が見える。
周りの建物が古ぼけた白い建物なので余計に目立つ。
そこはかつて魯迅の主治医をしていた須藤五百三(いおぞう。1876-1959)が1919年に開いた須藤医院の跡である。
2階が診療室になっていたといい、ここに医院を開くということは、周りの住人は
ほとんど日本人だったと容易に推測できる。
そう思うと、何か祖先を訪ねる旅の途中でたどり着いたオアシスのような感じがした。
須藤医師は、上述の通り魯迅の最晩年の主治医であり、
ここから魯迅の家まで往診に行っていたという。
「上海歴史ガイドマップ」によると、魯迅の日記には須藤医師の名前が150回以上も出てくるという。
また、これは面白い話だが、須藤医師魯迅暗殺説なるものがある。
これは魯迅の息子(名前失念中)が著書の中で言い出した新説なのだが、
根拠は「(彼が)1961年に来日した時に彼が来なかった」からだそうな。
おいおい、1959年に亡くなった人が会いに行けるかよ、
と本にツッコミを入れたことがある。
それ以外にも彼が魯迅を殺したという動機が全くなし。
まあ息子の妄想なのだろう。

須藤医院跡をそのまままっすぐ行くと、次の交差点の右手に、
ツタで囲まれた校舎のようなものが見える。
校舎には「虹橋区第一中心小学」と書いてあるが、
このツタの校舎といい、何かありそうな感じがした。
嗅覚が働き、またガイドブックを開いてみると、
漢壁礼蒙女堂(Thomas Hanbury School for Girls)ということらしい。
ここは不動産商のハンベリーの寄付によって、欧亜混血児のために作られた
小学校を起源とし、戦争中は日本領事館警察となったところでもある。
その隣には、上海の伝説にもなった三角マーケット(虹口マーケット)の跡がある。
三角マーケットは、その名の通り三角の形をした公設マーケットで、
戦前の上海を語ると必ずと言ってもいいほど出てくる伝説の市場である。
何故伝説なのか、租界という性質から世界中の品物が集められ、
その品揃えは日本から来た者を驚かせたという。

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戦後もそのままの形で市場として使われていたが、
1990年代前半についに取り壊しになり、現在は跡地に高層ビルが建設中である。
11年前にここを訪ねた時は、伝説の三角マーケットは確かにここに存在していた。
当時のままの姿で、まだ現役の市場として活動していたのだが、
その時の面影は今は全くない。
ある意味いちばん取り壊して欲しくなかった建物だったのだが、
既に瓦礫の山、否ビルになっているので、今更嘆いても仕方ない。
その三角マーケットの道の対面にそびえ、こことは対象的に
全く姿が変わっていない建物がある。租界警察の日本人宿舎である。
1931年に建てられた鉄筋コンクリート8階建ての、
丸ビルを小さくしたような形の建物は、
当時最新鋭だったエレベーターを完備し、日本人巡査の家族が住みこんでいた。
今も「公安大楼」として現役の家族寮である。

~2009/5/22 追記~

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これが租界警察の日本人宿舎(現公安大楼)です。
Doblog時代は画像投稿枚数の制限からアップしなかったんですが、
今回画像倉庫を漁ってたら見つかったので、追記としてアップします。
今でも8階建てという建物がかなりの威圧感を持ってそびえていますが、
当時はさぞかし目立った建物だったことでしょう。



第三章へ続く
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