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■Doblogアーカイブ■ 上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第一章

5月末で残念ながら閉鎖になるDoblogからの、
このままネットの奥底に眠らせておくにゃもったいない日記を、
アーカイブ方式にして移転することにしました。
移転する日記を選択するために、めっちゃ久し振りに自分のDoblog時代のブログを見てみたんやけど、
いやはや恥ずかしい日記やら何やら、文章が幼稚なとこもあって、
自分のブログ創世記を見とるみたいで、懐かしいやら恥ずかしいやら(笑
まあ「約」をつけたら5年前になるさかいしゃーない部分もあるけど、
そない思ったら、自分の文章力って上がってるんかな?と思ったりもします!?

で、Doblogからのアーカイブ日記第一弾は、
上海に滞在しとった頃にライフワークにしとった、

租界散歩

でやんす。
上海はその昔、「租界」言われる事実上の欧米列強が管理する植民市で、
大きく分けて米英共同管理の「共同租界」と、フランスが管理する「フランス租界」とがありました。
植民地言うたらダークかつマイナスなイメージがつきまとうのが常道やけど、
上海も確かにその例に漏れへんかもしれません。
せやけど、その時世界中の建築家が建てた個性的な建物が今でも上海のあっちこっちに残されとって、
こういう建築大好きな俺にとっちゃ、まさに宝の山、街ごと宝物庫のよーなとこでした。
上海市政府も重要な建築物は残す方向にしとるさかい、北京みたいにオリンピックか何とかで胡同を容赦なくぶっ壊すことはせーへんみたいやけど、
それでも全部が全部残すことはできへんさかい、壊されていく建物はどんどんなくなっていっとります。
そういう建物の数々を、せめて自分のデジカメで写して画像として残したい。
こんな思いで休みの日はよく街中の散歩にいそしんどりました。

特に俺が思い入れを持ったんは、かつて上海に10万人は住んどったと言われる日本人の足跡を訪ねる旅でした。
日本人は、通称「日本租界」と言われた、虹口って言われる地域に多く住んどって、
そこに行ったらかつて日本人がそこに住んどったという痕跡が、わずかながらあったりします。
これも時代と共にどんどん歴史の奥底に追いやられていく運命にあるけど、
同じ上海滞在者として、70~80年前に確かにそこに住んで生活しとった先輩たちの足跡を見つけよう、というミッションを自分に課しました。
そんな街角散歩を日記にしとったんやけど、Doblogがなくなる今、これだけは絶対に今のFC2に移転したい、そして今書いても新鮮さは失われてへんやろ、ちゅー思いから移転を決意しました。

これを書いたんはもう5年前になるんやけど、
(ちゅーことは、俺が上海におった頃は5年前か、時がたつのも早いもんじゃ・・・)
5年前、俺が何を考えて日記にしたのか、そして上海に残る日本人の足跡とは何か、
恥ずかしさと懐かしさが交錯しながら自分も第三者として見てみたいと思います。

では、どーぞー↓
(2004年10月29日 の日記)

今日は、久しぶりにいい天気なんでひたすらフィールドワークの日と決めた。
今日の目標は黄浦区あたり。
携帯する本は「上海歴史ガイドブック」。
租界時代の建物の位置等が地図上に書いてある本だが、
とにかくかなり詳しく、租界の足跡を調べるには絶好の本である。
まずは腹ごしらえして、バスと地下鉄を乗り継いで南京東路外灘へ。
外灘の入り口に、まるで東大寺の仁王像のようにそびえる和平飯店。
もう数十回は見ているので見飽きたかと思ったら、
改めて見てみると彫刻がきめ細かい。

和平飯店は、今更説明は不要とは思うが、緑のとんがり帽子が特徴的な北楼は、別名「サッスーン・ハウス」と呼ばれ、上海の大財閥であるユダヤ系イギリス人サッスーンが己の力を誇示するかのように、当時上海で一番高かった土地に建てられた。
5階から10階までは「キャセイ・ホテル」として営業、
最上階はサッスーン本人の自宅兼事務所が置かれた。

現在の和平飯店南楼は、北楼よりも古く、「パシフィック・ホテル」という別のホテルだったが、
1965年に和平飯店に事実上吸収された経歴がある。

外灘の建物は次回以降に説明するとして、
俺の今回のフィールドワークの目標は、
戦前の上海に一大勢力を築いた日本人居民の足跡を尋ねる旅である。
戦前、日本人にとって上海はパスポートなしで行ける気軽な外国であり、
学生から社会人、そして事情で日本に住めなくなった不穏分子まで、
実に様々な人種を呑み込んでいった。
その人口は2万とも3万とも言われているが、
これはあくまで登記をした人口であって、
実際の人口は今もってわからない。
太平洋戦争勃発時の1941年には、10万人以上もの日本人がいたという。
文化人を寄せ付ける魅力も兼ね備えていたらしく、
芥川龍之介や金子光晴、谷崎潤一郎、
連続テレビ小説「あぐり」で有名になった吉行エイスケ等も上海を訪れ、
様々な場所に足跡を残している。
当時の上海がどのようなものかは、彼らの旅行エッセイを読めば
よくわかるだろう。

日本人が特に多かった居住地を俗に『日本租界』と言い、
上海を左右に横断する蘇州河より北の北四川路(現四川北路)
呉淞路をメインロードとした地域に多く住んでいた。
しかしながら、「日本租界」と言っても日本が独自に租界を設けたことは
上海にはなく(天津や杭州には本当の日本租界は存在した)、
英米の共同租界の延長上にある「越界路」沿いに住んでいた。
日本人だらけだったので「日本租界のようだ」と言われていただけのことである。
しかし、そこままさに日本そのままだった。
彼らは日本語をしゃべり、日本式に改良された住宅に住み、
和服を着ながら日本料理屋に足を運んでいた。
正月になればおせち料理を食べ、凧を揚げ、盆には盆踊りもあったという、

そんな世界が敗戦とともになくなってはや60年近くたつ。

実は11年前に上海に留学していた時にも
「日本租界」の足跡を訪ねたことがある。
その時はまだまだ当時の建物が残っており、
特に四川北路は、昔の写真通りとあまりに変わってないので
ビックリした記憶がある。
かつて日本人と一緒に汗を流したという中国人もたくさんおり、
そこには確実に「日本」が残っていた。
彼らが持ち込んだ日本が、現在虹口地区には、もう部分的になってしまったが、
かつての住人を静かに待ってるかのように残っていた。
しかしながら、その時俺は二つの失敗をした。
一つは調べるための資料がほとんどなかったこと。
もう一つは、写真をほとんど撮らなかったことである。

それから11年の月日がたつと、当時残っていた建物も
老朽化や道路の拡張などでどんどん壊されていっている。
それは時代の流れなのである程度は仕方ないが、
せめて上海在住の先輩たちの足跡をデジタル永久保存版にしよう、
これが俺の上海赴任時に自らに与えたミッションである。
この中国・上海の発展からして、5年後に残ってるという保証はどこにもないのだから。
これを負の遺産と言う人もいる。
しかし、ここに実際名もなき日本人が住んでいた証拠がここにあり、
彼らは彼らなりに必死に生きてきたのだ。
それを負と決め付けてしまっては、彼らの霊が浮かばれないのではないか。

前置きが長くなってしまった。
外灘を少し離れ「外白渡橋(ガーデンブリッジ)」を通り、虹口地区に入る。
ガーデンブリッジを渡ると、左に「上海大廈」、右に今も昔も位置が変わっていないロシア領事館、そしてつい10年くらい前まではバックパッカーのたまり場でもあった「浦江飯店」が、虹口地区の門番のようにそびえ、数十年間上海の歴史を見守ってきた。
それらの建物の説明は今回は略す。時間を置いて一つ一つじっくり説明したいと思う。
浦江飯店だけを語ってもかなりの文字数になるので。

虹口地区に入ると、何気に懐かしいような気がする。
恐らく気のせいなのだが、何か不思議な感覚がするのは俺だけなのだろうか。
ガーデンブリッジを渡り終え、そのまま右に渡り、
昔アメリカ領事館やドイツ領事館があった跡に建てられた海鴎飯店を通り過ぎると、
何気にクリーム色の無機質な建物が見える。
今は「黄浦大楼」と名を変え、海軍招待所や上海銀行が入っている
あまり存在感がない古ビルが、日本人の足跡第一弾である旧日本総領事館である。
「上海歴史ガイドマップ」によると、現存のものは1911年に建てられた2代目とのこと。
その向かって左2軒目には、旧日本郵船会社の建物がそのまま残っている。
そして行き道を戻って浦江飯店の裏に回ってみる。
そこには、もういつ壊れてもおかしくないマンションのような、
古ぼけた赤い色の屋根を頂いた建物がある。
そこが旧礼査飯店(浦江飯店の前身)北楼で、
日中戦争中は日本軍によって接収され、
日本陸軍の将校クラブである「偕行社」が開かれた場所である。
現在は金山大楼として普通のマンションになっているが、
ここでも何か日本人との関わりが持てるとことは。

090521 1

旧礼査飯店北楼
(日本人将校クラブ、偕行社)
現在はタダのマンション。


090521 2

写真の前方の建物がロシア領事館
後ろが浦江飯店です。
外白渡橋(ガーデンブリッジ)から撮影。


090521 3

旧日本総領事館
現在は海軍招待所及び上海銀行(黄浦大楼)
軍事関連施設なので、我々外国人は中には入れない。
日本領事館跡の天井のネオンがTOYOTAなのは
偶然か?それとも皮肉か?

第二章はこちら
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■Doblogアーカイブ■ 租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第二章

~注意~ この日記は、2004年10月29日にDoblogで公開した日記です。 紹介されている建物が現時点で存在しているかは定かではないので、 各...

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Re: お久しぶりです
>I.Zさん

お久しぶりです、うちのブログ訪問おおきにです~。
Doblogもあと残り10日を切ってまいましたな。なんかもの悲しい気分です。
よー考えたらどぶたんはブロガー同士の横のつながりが強いいいブログサイトでしたな。
オフ会もしてI.Zさんにゃお世話になりましたm(__)m
FC2に移ってからも密かにDoblog復活を企んどったけど、結局それも叶わずのまま閉鎖、なんかさびしいですな・・・_| ̄|○

ところで、I.Zさんの移転先はどちらでっか?
こちらでリンクも張らせていただくさかい、また教えてくださいね。
またうちのブログもまったり見に来て下さい\(^o^)/
お久しぶりです
のぶさん、お久しぶりです。
いやぁ、せっかくのぶさんと出会えたDoblog、いよいよあと10日で閉鎖ですね。
なんだか、悔しい結末です。

ボクの方も今は不慣れな引っ越し作業中です。
新しい記事のデータの崩れ方が激しく、ダウンロードしてきたデータは、一切のタグがなく、改行指示も消えた単なる文字列。
マメに書いていたのがアダになるっていうのか、引っ越しに続く修復作業もけっこうたいへんです。
まあ、ゆっくり直していきますわ。

これからまた、頻繁に伺いますので、改めてよろしくです。
久しぶりに上海の記事、読ませていただきました。

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