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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■ぶらり電車の旅 ~水間鉄道~

またまた更新が遅れてしもたBJのぶです(汗
最近生活に追われてしもてめっきりネットする時間もなくなってしもたけど、まだまだ俺は不滅です(笑

先週の週末あたりに大阪は夏の一歩手前くらいまで暖かく・・・どころか暑くなったけど、
また急に寒くなって部屋でガタガタ震えとります。
寒いんが苦手やさかいはよ春が来えへんかな~と首を長くして待ってる日々やけど、
あと1か月もしたらちょっとは暖かくなると思うさかい、それを待つことにしますか~。

で、休みの日は何しとるんか言うたら、恥ずかしながらお金節約のために買い物以外はほとんどヒッキー生活です(笑
まあ、その間にしっかり読書とかもしとるさかい、今までまとまってできへんかった読書が出来て不満やないけど、
やっぱしたまにゃ外に出んと精神衛生上良くないわな。
というわけで、今日は遠出言うまでもないけどちょっくらプチ旅してきました。
以下、今日の電車ぶらり旅エッセイでやんす。
書き込み調がちゃうけど、まあそりゃ勘弁してくんなはれ(笑
* * *
大阪の南部に住んでもう30年以上になるのだが、地元すぎるせいか意外とどこに何があるのかはわからない。
もちろん、ぶらりと回ったこともあまりない。
正直なところ、生まれ育った故郷より、数年間住んだことがある中国の上海や広州、香港や台湾の方が詳しいのではないか、
と思うし恐らくそうであろう。
「いつでも行けるからいいか」
という気持ちが強いというのもあるのだが、この年になって地元のことを知らな過ぎることに少し罪悪感すら感じるようになってきた。
車という機動力もあるのにもったいない、ということもあり、まずは近場からじっくり回ってみることを決意した。

大阪府南部に貝塚市という所がある。
その名の通り、恐らく貝塚があったのだろうか、それとも海が近かったのか、とにかく少し古代を感じさせる名前の所があるのだが、私にとっては少し遠い所だと感じていた。
20代は中国をはじめ海外に常に目が向いていたこともあり、大阪にありながら中国より遠い存在に感じたものであったのだが、
先月から岸和田市に引っ越しをしてから貝塚という地名が日常生活によく出てくるようになり、貝塚はもちろん「異国」のようにさえ感じていた大阪南部に目が向くようになったのは何かの因縁かもしれない。
そして、ふと思ったのが水間という所である。
水間とくれば水間観音という連想ゲームが成り立つのだが、私の場合は水間鉄道を思い浮かべる。
そこは「鉄」らしいと自嘲してしまうのだが、大阪に住んでながら水間鉄道とは全く縁がない生活をしていた。
しかし、地図を見てみると我が家とそれほど距離も遠くなく、地図だけを見てみると自転車でぶらりと行けそうな距離にさえ感じる。
「ここはちょっと乗ってみるか」
という気持ちにさせるまで時間はかからなかった。
本日は風が強く寒い日ながら天気は晴れ。「鉄る」には絶好のコンディションである。

090218 水間駅

家から車で行くと30分もかからない距離に、水間鉄道の水間駅がある。
水間鉄道は大正15(1926)年に、水間観音への参拝用の鉄道として開通し、以後80年以上にわたって水間観音へのアクセスとして栄え、年末には初詣客のために深夜運行もあったという。
一見田舎を走る目立たないローカル鉄道だが、その「役割」は重要なものであったらしく、地元住民の大切な足としても使われている。
しかし、水間鉄道はバブル期の負債により2005年に会社更生法を適用、いったんは経営破綻をきたしてしまう。バブルのツケはこんなローカル鉄道にも多大な影響を及ぼしたのである。
しかし、地元の飲食業者の傘下に入り経営再建を図り、現在は何とか持ち直していると聞いている。
道路網の整備やモータリゼーションなどによって鉄道会社は苦戦を強いられているのは最近に始まったことではないが、
こういうローカル鉄道には頑張っていただきたいものだ、とつい一人の「鉄」として判官贔屓になってしまう。

この水間駅は1925年の開業当時からの駅舎で、築年齢は数え年で84歳になる。
水間観音への最寄駅らしく寺院のような風貌だが、当時は最先端の建築方法である鉄筋コンクリート造りである。
その風変わりな駅舎のせいか、平成10(1998)年には国の登録有形文化財に指定されている。
右文字で「水間驛」と書かれた看板に、古めかしさと駅舎を鉄道と地元が大切にしているのであろう。
平日の昼間ということもあるのか、水間駅周辺はこれといった店もあまりなく、ひっそりとした田舎そのもの、門前町という雰囲気もあまりないような感じである。
しかし、私にとってはそれが素朴で飾り気のない町なんだとむしろプラスに思えるのである。

090218 水間駅2

駅に入り切符を購入する。貝塚までは¥280である。
かつて筆頭株主であった南海電鉄のお下がりの自動券売機と自動改札を通る。
生まれは南海電鉄の沿線だったせいもあり、この自動改札には懐かしささえ感じるもので、
もしかして幼い頃に通った駅の自動改札機が、第二の人生を水間鉄道で過ごしているものなのかもしれない、という想像、いや半分妄想のようなものを頭の中で繰り広げてみる。

090218 水間駅3

改札口を通ると、終着駅らしい終端式のホームが我々を歓迎してくれる。
といってもホームは静かなもので、私が改札を通る時に偶然貝塚からの電車が到着し、地元の人が数人下車してきた。
その電車が折り返しの12:05の貝塚行きとなる。
現在の水間鉄道の電車は、東京の東急電鉄から払い下げられた中古の車両で、以前は南海電鉄の戦前の車両を使い、私も幼い頃に貝塚駅を通り過ぎた際その車両を何度か見たことがある。
朱色とクリーム色に塗られていたと思う当時の車両にはもちろん乗っていないのだが、今にしては惜しいことをしたと思っている。
その車両は、現在水間駅の構内に保存されている。水間駅のホームから見えるのだが保存状態が少し悪いのか、所々に腐食が目立ち可哀そうな気もする。保存するならもう少しまともな保存の仕方を考えないといけないと思うのだが、それも経費がかかるので難しいところなのかもしれない。

090218 4

現在の車両は冷房もあり払下げの中古と言ってもまだまだ地方に行けば働けるものである。
東急というところは、地方鉄道に自分の車両を譲渡したり売ったりすることも前提にして車両を作っているという話を聞いたことがあり、それ専門の営業も本社にいるという。
それ故か、東急の車両は第二の人生を歩むべく全国の地方鉄道に渡り、水間鉄道も例外ではない。
個人的には、リサイクルする所はきちんとリサイクルする、日本の「もったいない精神」が表れて良いと思う。
現在は遠く大阪で老後(?)を過ごしている車両が、元東急の車両であることを証明するようなものがある。

090218 5

電車に乗りふと吊革を見てみると、渋谷109の宣伝広告がそのままになっていたのである。
さすがに吊革までは変えることはなかったのか、これが
「私は今は大阪に住んでるけど、元は東京生まれですよ」
と車両が吊革でさりげなく自己主張をしているようにも思える。

12時5分に水間駅を出発した電車は、すぐに大阪外環状線の道路と交差し、ほんの30秒もしないうちに三ヶ山口駅に着く。
ここで客が一人乗ってきて乗客数は15人ほど。
次の三ツ松駅でも一人乗車し、次の森駅では10人以上乗ってきて電車の中は少し慌ただしくなってきた。
本来、水間あたりはのんびりとした田園、または泉州名物の玉ねぎ畑だけの風景だけであったと思うのだが、
現在はここあたりまで住宅地になってきているらしく、水間駅にも駅前あたりにワンルームマンションがいくつかあったような気がする。

電車は水間から10分ほどで名越(なごせ)という駅に到着する。
ここは水間鉄道唯一のすれ違いが出来る駅で、ここで私が乗った貝塚行きは少し停車し、水間行きの電車を待つことになる。
今はホームだけがあるもの寂しい駅だが、かつては駅舎があったらしくその跡らしきものは住宅予定地になっているようである。
水間行きの電車が名越駅のホームに到着したと同時に、貝塚行きは発車ベルもなく静かにドアを閉め出発した。
次の駅は清児という駅で、これを素直に「せちご」と読める人は地元以外ではなかなかいないだろう。
「清児」は大阪には掃いて捨てるくらいにある難読駅名の一つであるが、最近ここに温泉が出来たようで「清児の湯」というスーパー銭湯もオープンしたせいか、少しは知名度も上がった・・・かはわからない。
ここで、また6人ほどの乗客が乗ってきたのだが、逆に下車した乗客はほとんどおらず、清児を過ぎると平日の昼間にもかかわらず立つ乗客も出てきた。
そこで車掌が懐かしいハサミの音を立てながら車内検札にやってくる。
水間鉄道は、現在水間駅と貝塚駅以外はすべて無人駅なので車掌が途中の駅から乗った客に料金の支払いを催促し、切符や回数券にハサミを入れて目印をつける。
水間鉄道はワンマンカーの設備もあるのだが、どうやら主な乗客層である高齢者がワンマンカーの制度に馴染めず、仕方なしに車掌が乗りこんでいるという。
それ故、地方の鉄道、そして昔の鉄道の風情が残っている数少ない鉄道かもしれない。
都市部の駅はすべて自動改札になってしまったので、駅員のハサミと言っても20代前半の人は何のことかわからないかもしれないが、
私中学生の頃までは国鉄、今のJRは自動改札ではなく駅員がハサミをカシャカシャという音を立てて切符に穴を開けていたものである。
こういうローカル鉄道ではワンマンカーが当たり前になってきた時代だが、こうして車掌が乗り切符を切っている風景を見ると、忘れていた日本の一風景が見えてきて、実家に帰ってきたような感覚さえ感じる。この鉄道に乗るのは初めてというのに。

電車は清児を過ぎ、石才という駅を過ぎ、石才駅を出発して100メートルほどでJR阪和線と交差する。
水間鉄道が阪和線の下をくぐる形で、後輩である阪和線が先輩の水間鉄道の上を跨ぐなど失礼千万な行為と、お年寄りな方は怒るかもしれないが、
鉄道の世界では上を跨ぐのが「先輩に対する礼儀」なのである。
元々阪和線も「阪和電鉄」という私鉄で、かつては当時の超猛スピードで大阪~和歌山間を走り抜けていた伝説の私鉄でもあり、
そういう「礼儀」はちゃんと踏まえていたものと思われる。
しかし、今は特急も通る関西国際空港へのアクセスラインとなっている阪和線に対して、水間鉄道はそこだけ時間が止まったかのようにのんびりと変わりなく走っている。まるで関空など「関係ねーよ」と無視するかのように。

電車は近義の里、貝塚市役所前駅と過ぎ、貝塚市役所駅を過ぎると車輪が大きく音をたてて右へカーブし、終点の貝塚へと到着した。
南海電鉄の貝塚駅の片隅にある水間鉄道のホームには、1番線に待合室と化した電車が止まっている。
廃車になった電車を駅舎や待合室にする例は他にもあるが、今にも動きそうな、休眠中の電車を待合室に使うのもまた面白い。

また南海電鉄のお下がり改札口を通り、少し周辺を散歩してみる。
貝塚市は昔東京オリンピックで名を馳せたバレーボールチームのお膝元であり、そこの通勤客で栄えていたのだが、
今は「つわものどもが夢の跡」としてショッピングセンターになっている。
貝塚駅もやけにひっそりとしているのだが、ここはかつてブログに書いたように、遊廊からの歴史がある赤線があった所でもあり、数年前に一度探索したこともある。(リンクはここ
次の電車待ちの間に久し振りに回ってみたのだが、その風景は数年前とほとんど変わっていることはなかった。たった3~4年なので大袈裟だが、ここも時間が止まっているような感じさえうける。
しかし、以前探索した時に見逃していた建物をいくつか見つけた。

090218 6

写真の角度が少し微妙なのでわからないかもしれないが、昔のカフェー建築の特徴がすべて出ている典型的なカフェー建築の建物である。
現在は普通の民家になっているが、何でこんな建物を以前は見逃していたのだろう、と自分の不明を恥じてしまうが、ここは以前と比べて知識も目も肥えているということだろうか。少なくてもそういうことにしておこう。

090218 7

一見普通の家なのだが、少し変わっているのはわかるだろうか?
何故か玄関が道路に面していくつもあることにお気づきだろうか。
普通の家であれば、こんなに近くに玄関を増殖する必要はないのは少し考えればわかるので、恐らくこれも昔の遊廊建築の名残だろうと推定される。
(あくまで推定なので悪しからず)
昔の遊廊建築・赤線のカフェー建築などは、客が鉢合わせないように玄関を何か所も作っていたのも特徴の一つなのだが、これも出来れば名残であって欲しい、
というのはこういう建築好きのエゴなのかもしれない。

090218 8

これも恐らく元遊廊建築の名残であろう。
旧貝塚遊廊のメインストリート沿いにあるこの家、2階の窓の下の格子がハート型に見えなくもない。
こういう普通目も向けないところに趣向を凝らしているのも、昔の建築好きにはたまらないところである。

こうして数年ぶりに貝塚を回り、1時間は時間を潰したかな、と思ったのだが、貝塚駅に戻ってみるとほんの15分くらいしかたっていないことに気づいた。
私は旅の時には時計を持って行かない、ほとんど携帯電話の時計に頼りっぱなしなのだが、
今回は本当に時間が何分か止まったのではないかと思ったくらい、密度の濃い時間を過ごせたかのように思える。
12時48分発の水行きの電車に乗り込み、水間へと戻る。その電車は、名越ですれ違った水間行きの電車が水間で折り返し、貝塚に戻ってきたものであった。
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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

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