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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■遇と不遇は時なり

今はホンマに不況やなーと思うことが多々あります。
90年代も不況とかなんとか言われとったけど、求人件数はうなぎのぼり、
求人雑誌は「不況」に反比例して厚くなるばかり。
おまけに急激にホームレスとかが増えたり、食うに食えない貧困層のスラムが出来とるわけでもなく、
(冗談半分で大阪の一部地域をスラムとか言う人もおるけど、本物のスラム街を見てきた人間に言わせたら、あんなんスラムでも何でもありまへん)
不況や、金ないとか言いながらブランド品を買いあさる(笑

せやけど、今回は求人件数だけを見てきたらホンマに不況やなーと思います。
いつもやったら今頃からどんどん求人件数が増えていくはずなんやけど、
求人サイトウォッチングしとったら、今年は増えるどころか減る一方、
今年の就職・転職戦線はかなり厳しい戦いを強いられることは必至ですわな。

で、そんな暗い話はさておき、
生きてたら人生の一回や二回はこんな時期があると思います。
「遇と不遇は時なり」って言葉は『荀子』(じゅんし)って古典に書いとる言葉なんやけど、
「順境もあれば逆境もあり」ってことで、
俗な言葉で訳したら、「人生楽ありゃ苦もあるさ~」ってことですやろな(笑
「遇」の時は何やっても上手く行ってまさにウハウハ、怖いものなしの勢いで誰が何しても上手くいきます、ちゅーか何もせんでもすべて歯車がええ方向に動いてくれます。
問題は「不遇」の時をどないしてやり過ごすか。
これに人間としての器量が試される試練の時でもあると思うんやけど、
その答えも古典に書いとったりします。

中国古典の中でも誰でも名前くらいは知ってる『論語』にこんなエピソードがあります。
孔子とその弟子が放浪中に、二国間の戦争に巻き込まれて身動きが取れんよーになって、
食うもんもなくなって飢餓状態になりどうしようもなくなってしまいました。
せやけど、当の孔子様はただじっと落ち着いて、一見何もしてないように見えました。
元々は町のチンピラで勇猛果敢でまっすぐな性格、事実上の孔子様の一番弟子扱いの子路(しろ)という人が、その孔子の態度に憤慨して、

「先生!普段先生は君子君子って言うけど、君子もこんな時があるんでっか!?」
(原文:子路慍りて見えて曰く「君子も亦(また)窮(きゅう)することあるか」)

それに孔子様が答えたのは、

「そりゃあるわな。せやけどな、君子はいつも冷静に自分を保つ。小人は逆に慌てふためいて頭に血が上り自暴自棄になる。君子と小人の違いはこんなとこに現れるもんやで」
(原文:子曰く 君子もとより窮す 小人窮すればここに濫(みだ)る)
『論語・衛霊公篇』

と勝手に自己流翻訳な上に大阪弁に変換したけど、「不遇」の時の身の置き方の答えはこの何気ない、『論語』を見ても意識せーへんかったらスルーしそうなやり取りに隠されとると思います。

「不遇」の時は、とにかく何しても上手くいかん、これは誰でも一回は経験あると思います。
かく言うワシも、そない見たら人生ほとんどが「不遇」なんかも(笑
せやけど、「不遇」の時にやったらあかんことは以下のことに集約されると思います。

1.じたばた動かない。悪あがきすること。
(気持ちに余裕があらへんさかい、何やっても裏目に出て泥沼にハマってまいまっせ)

2.自分の責任は棚に上げて愚痴ばっかしこぼしたり、人や社会を恨んだりしたり責任転嫁する。
(やったことで何のプラスにもならんどころか、逆に「何やこいつは」と周囲の反感や軽蔑を買う。同じ愚痴るんやったら、同時に「じゃあどうすればいいのか」って建設的な考えをすべし)


台風が来たらじっと過ぎるのを待つ、せやけどじっと待つだけやのーて台風が過ぎたらすぐ行動に移れるように態勢はきっちり整えとく。
君子自重、まずは騒がず慌てず落ち着いてじっと情勢を見極めること、これが古典が教えてくれる「不遇」の過ごし方なんですやろな。
いやはや、自分にそう言い聞かせとこ(笑

中国の古典って「かび臭い」とか「読みにくい」とか言うて敬遠する人が多い、特に戦後になってかなりおざなりになっとるけど、
中国だけやのーて日本の思想にも大きな影響を与えて日本人のバックボーンにもなっとるもん、
江戸時代は武士どころか農民でさえ『論語』『孟子』『史記』『十八史略』くらいは常識として読んどったみたいですわ。
近代日本経済の基礎を築いて民間から日本を発展させた渋沢栄一は「論語と算盤」って常々言うとったけど、元々は今の埼玉県の養蚕農家、今風に言うたら中堅サラリーマン家庭で当時としては比較的裕福言うても農民は農民でした。
(渋沢自身、農作業を手伝いつつ11歳で長野県まで行商に出かけてます。決してグウタラしても金が入るご身分やなかったわけで)
我々が学校で習った歴史じゃ「農民は文字も読めずに搾取されてうんぬん」ってなっとるけど、
もちろんそーゆー人もおったけど、古典を読むチャンスは少なくてもなんぼでもあったみたいで、
学校で習った歴史がイコール真実ではないことがよーわかります。
また、明治時代の発展は世界史レベルで見たら奇跡以上やと言われとるけど、
学校で習った歴史やと、「西洋文明を受け入れたから」と習ったはず。
これも答えの一つやけど、もうひとつの答えは「その文明を受け入れる受け皿が日本に既に備わっとった」と言えると思います。
その「受け皿」が古典やったわけで、西郷隆盛はおろか町人農民まで古典を常識として読んでたさかい、スッと頭に入ったんやと思います。まさにこれが「和魂洋才」。
今の発展途上国が日本明治維新や戦後の発展のマネをしても正直ムダやと言うんは、庶民レベルでの一般教養がない、トップが聡明でもその参謀がいない(マンションのオーナーはいても管理人がいない状態)、ということやと思います。


今古典の素養がゼロに等しい現代人が古典を読んだら、かなり新鮮なこと間違いなし、
何気に日常会話で使ってる言葉の由来が意外なとこから出てきたりしまっせ。
特に『論語』なんかは、中国や日本の学者が孔子を「神様」とか「神聖にして犯すべからず」扱いにしてしもたさかい、
なんか堅苦しいこと書いてるんちゃうか?って思う人が多いけど、
孔子は「常識を身につけた一人の人格者」、キリストみたいに奇跡を起こすわけでもないし、お釈迦様みたいに悟りを開いたわけでもありませぬ。むしろ悟りを開けない苦悩が『論語』に色々書いてます(笑
また、スピリチュアルというか神秘とかにもほとんど触れてへん現実主義者でもあった孔子、

「死後の世界ってあるんですかね?」

って弟子の質問に、

「ワシ死んだことないからわかんね~」

とかなり俗な答えをしとるちょっとカワイイ人でもあります(笑
『論語』はそんな「そこらへんにおりそうな、人生の酸いも甘いも知り尽くした隠居じいさん」と、彼の人柄と見識を慕って弟子入りした、息子どころか孫くらい年齢が離れた個性的な弟子たちとのQ&A集
(『論語』のおもろさは、弟子がそれぞれ個性的で突拍子な質問をして孔子を困らせたりすることも特徴ですわ)
「一人の人間の人生」として『論語』を読んだら、
「なんや、孔子ってタダの人やん(笑」
と思うけど、「人」やからこそ親近感を持って見れると思います。祈ったら海が割れて道が出来たり、杖を地面に突いたら泉が湧き出たなんてエピソードは一つも出てこえへんさかい(笑
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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

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