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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■鳩の街をゆく 消えた遊郭・赤線の跡をゆく2

さて、トキオに着くんが予想以上に早くなってしもたさかい、
どこで時間を潰そうかなーと思っとったんやけど、
こんなこともあろうかと、ある本を今回の関東遠征で携帯しとりました。
その本とは・・・。

赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)

俺のライフワークの一つの「赤線跡を歩く」のバイブルみたいな本なんやけど、
「赤線跡巡り」は大阪の貝塚・堺編を最後にしばらくご無沙汰になっとりました。
せやけど、決して忘れとったわけやのーて、資料代わりにしとったサイトが閉鎖されてなくなってしもて、情報が急に乏しくなってしもたのと、
私生活が慌しくなってしもて、情報収集の時間がなくなってしもただけのことなんやけど、
そないしとるうちに「赤線」の跡の建物は、俺の気持ちとは裏腹に容赦なくなくなっていっとります。

今回の関東遠征はこれがメインちゃうかったんやけど、
「もしかして、時間があったら・・・」
と思って本を持って来たんが大正解、ちゅーか、
「せっかく東京まで来たんやから、ちょっと回ってこい」
ちゅー神様の思し召しか!?

で、「赤線」って何ぞや!?
ってしばらく書いてへんかったさかい、もう一回説明せなあかんと思うけど、
赤線とは、メチャクチャ簡潔に説明したら、昔の風俗街のことなんやけど、
その昔、風俗は公認として堂々と行われとりました。
古めかしい言い方したら、「遊郭」とかそんな感じなんやけど、
戦前は確かにそないな言い方をしとりました。
で、戦争が終わってGHQがいったんは売春などの制度を廃止したものの、
逆にモグリの風俗(今もタテマエ上は違法やさかいすべてモグリやけどね)が増殖して性病も蔓延、おまけに性犯罪も多発してしまい、「こりゃあかん」と結局は復活させることになります。
そこで、行政が「ここに風俗街を作ってよし」ちゅー区画を作って、警察の公認をもろた所を「赤線」と言うとったんですわ。
「赤線」ちゅー名前の由来は、警察が内部の地図に、その範囲を赤い線で囲ったことが語源と言われとります。
ちなみに、警察の公認をもらってへん非公認風俗地帯や、ストリートガールみたいな私娼がウロウロしとったとこは、「青線」と言われとりました。
もちろん合法の「赤線」と違い「青線」は違法やけど、事実上の黙認状態やったと言います。
(今の風俗産業も、当時の区分けで言うたら「青線」になります)

ちなみに、赤線は営業免許上は「特殊飲食店」、つまり「メシ屋」とか「喫茶店」として許可もらっとったさかい、
今でも風俗とかで働いとる人をニュースとかで「飲食店勤務」とか報道されるけど、
これは赤線の「特殊飲食店」の名残やと言われとります。
(ちゅーか、今でも「現役」の店も「飲食店」として営業許可もらっとるさかいに)

赤線は、昭和31年に「売春防止法」が施行されて、
赤線最後の日である昭和33年3月31日を過ぎて表向きにゃ廃止されるんやけど、
昭和28年の労働省のデータによると、全国の赤線は630ヶ所、女性の数は59000人。
(もちろん「赤線」は政府公認の合法やさかい、ちゃんと労働省がデータを取ってます)
これはあくまで「赤線」だけの数やさかい、「青線」も入れたら50万人はいたのではないか、と言われとりました。
あんまし大きい声じゃ言われへんけど、うちの家から徒歩で行ける距離にも「元赤線」があって、さらに「現役」やし(笑
今はもちろん表向きは「あったらあかん」もんやけど、
人間の欲望、ちゅーか本能ちゅーもんはそんな法律の紙切れ一枚でなくなるもんじゃございません。
「赤線」から今でも現役のとこもあるけど、たいていの場所は売春防止法で普通の料理屋とか旅館とかに変わっていったんやけど、
別に俺は今からスケベーな話をしよーとしとるわけやないでっせ(笑

その時、目立たせるためか、警察や行政の指導で目立つよーな建物にしろと言われたためか、
当時の赤線の建物は、きらびやかで個性的な建物が並んどったそーな。
それを俗に「カフェー建築」って言うとるんやけど、
これがまあ、派手というかケバいというかゲージツというか、実に個性的な作りになっとるんですわ。
元々洋風建築とか萌えな俺は、この「カフェー建築」を見て、
心の底にある血が騒いだちゅーか、まあ惹かれてしもて、
主に大阪とかの近場を回って、今でもわずかに残る「カフェー建築」の影を訪ねるワークをしとったわけやけど、
今回は初関東探索になりました。

ちゅーわけで、スケベーな話を期待しとった方、残念でした~。
俺は「現役」にゃ特に興味ありませぬ(笑

* * *
鳩の街地図


ちゅーわけで、やって来ましたは東京都墨田区の東向島というところ。
浅草から出とる東武線の東向島駅を拠点に、そこあたりに車を止めて探索とあいなりました。
東向島駅から水戸街道沿いに歩くこと10分くらい、浅草方面右側にあるのが、

鳩の街入口


鳩の街


ちゅーところ。

鳩の街2

今はタダのこじんまりとした、気づかんと通り過ぎるよーな商店街なんやけど、
戦後間もなく、ここに日本最強と言われたくらいの、社会現象にもなった赤線があったことはもはや歴史を超えた伝説の範疇、
もはや地元の人でも40代以下の人は知らんかもしれまへん。
「風俗街」としての歴史は、終戦直前の空襲でここあたりが焼けてしもて、
「玉の井」と言われた花街も跡形もなく焼けて、その業者が
焼け残った鳩の街あたりに新しい花街を作ったことが始まりと言われとります。
「鳩の街」ちゅー名前になったんは戦後のことで、
進駐軍御用達の花街を経て「赤線」に移行しました。
「赤線」としてはさておき、花街としては、隣町にある玉の井と比べたら歴史はそんなに古くないんやけど、
ここが社会現象になるまで有名になったんは、マスコミの宣伝と有名な作家などが足げなく通い、
小説やエッセイの舞台になったことからですやろな。
永井荷風の「断腸亭日乗」や吉行淳之介の「原色の町」などを見たら、当時の鳩の街の情景がよくわかります。
最盛期の昭和29年には、歩いても10~15分の範囲に100件以上の店があって、300人以上の女性がおったと言われとって、
すごい「密度」やったんやな、というのは数字だけやのーて、実際に歩いてみたらわかります。
そして、その「密度」が熱気を生んで男を引き寄せては伝説を作っていったんやろなーと。

で、トキオの地理にゃ疎い上に、「赤線跡を歩く」の地図がえらい曖昧やったさかい、
最初は東向島駅側にある「地蔵通り商店街」のことを「鳩の街」と間違えてしもて、
炎天下の中そこで無駄な時間と体力を使ってしもた俺、
鳩の街にたどり着いた時にゃ、正直半分意識が飛んだよーなヘロヘロ状態でした(笑
せやけど、こんなとこで熱中症になっとる場合やない、
同じ「熱中」するなら「カフェー建築」探しに「熱中」すべし。

で、鳩の街は通り沿いに「それ関係」の店を出すことは禁止で、
通りから一歩入った裏路地に店がひしめきあった、と
前田豊の「玉の井という街があった」ちゅー本に書かれとったさかい、その裏側の道を探索しとると・・・

鳩の街カフェー建築1

早速発見♪

鳩の街カフェー建築1-2

この独特の建て方に柱にタイル、まさに「カフェー建築」の典型。
東京の赤線の「カフェー建築」は、警視庁から「赤線の建物は壁や柱にタイルを張れ」「一目でわかるようにしろ」ってお達しが出とったせいか、すぐにわかるよーに出来とりました。
恐らく、それが全国に伝わって、わかる人は見た瞬間わかるよーな独特の建築になったんやろーと想像できます。
それにしても、「赤線跡を歩く」にも同じ建物の写真があるんやけど、この本にゃあった独特の斜め格子はなくなってしもたみたいですな。
せやけど、雰囲気はよー残っとってええ感じでした。

鳩の街カフェー建築2

建物自体はかなりボロボロになっとるけど、
この建物は「カフェー建築」を上の建物より色濃く残しとります。
このケバいというしか言い様があらへんタイルの色の使い方も、「カフェー建築」の特徴なんやけど、
ちょっと手入れしたら綺麗になっとるのにな、残念、と思うんは俺だけでしょうかね?

鳩の街カフェー建築3

「赤線」当時に流行したという、斜めについた二重の取っ手のドアでございます。
何ちゅーか、えらい特徴が出とるドアやけど、
ここまで来たら理屈やない、今まで色んな建物を見てきた勘ですやろな、何かこうピンと来るんですわ。
「赤線跡を歩く」の写真はドアが開いとったさかい、当時は人が住んどったんやろな、って気配がするけど、
今回見つけた時は人が住んでる気配はなかったさかい、じきにこの建物も立て替えられる運命にあるんやろな~。

鳩の街カフェー建築4

ある意味、鳩の街探索でいちばん「カフェー建築」の特徴が残っとって、
かつ状態が良かった建物やと思います。
こんな建物も、ちょっとメンテしたらええ感じの建物になると思うんやけど、やっぱ老朽化には勝たれへんのか!?

鳩の街カフェー建築5

住宅街にさりげなく残る「カフェー建築」でございます。
この柱の青タイルは「カフェー建築ですよ~」ちゅー証明書みたいなもん、
外観はたぶんリフォームされとると思うけど、柱はちゃんと残したみたいでんな。

鳩の街カフェー建築4

赤線時代の建物は、何もケバケバとしたタイル張りのもんだけやないんですわ。
何気ない、どこにでもあるよーな建物にも、さりげなくその痕跡が見えたりします。
建物の独特の曲線も十分「臭う」んやけど、2階の窓のとこに、

鳩の街カフェー建築6

こういう「遊び心」があったりもします。
今の風俗と「赤線」の違いを敢えて言うたら、ここ鳩の街で「赤線」を経験したことがあり、赤線最後の日に鳩の街に行き、客と女の子で寿司を頼んで「蛍の光」を歌って別れを惜しんだという作家の半藤一利は、
「何か人情と雅があった」
と表現しとります。
赤線は合法やさかい行くには何ら恥ずかしいことはなし、
昔は新入社員歓迎会などでも「よし(赤線)行くぞー」と先輩のおごりで行ってたとか。
今はコッソリ行かないといけない分、むしろ今の方がかわいそうだ、
と当時を知る人は口を揃えて言ってます。

赤線は、金はかかるけど「お泊り」もOKで、女性も部屋に住み込みやさかい、
「仕事部屋」はその女性の個性が溢れて派手に飾っとるとこもあれば、
地味な生活の跡が垣間見れるとこもあって、女性の素顔が覗けるとこでもあったそーな。
ごっつい俗な書き方をしたら、今の風俗は「入って出して、はい終わり」で、機械的かつ事務的になって味気もクソもなく、そこには心が通ってない、
簡単に言うたら欲の処理も「コンビニ化」してしもた、ちゅーことか?
その点赤線は女性と男性の間に「血と心」が通っとった、
男も女も健気さが残っとった、ある意味「文化そのもの」ちゅーことやろーと思いますわ。
もちろん、俺は当時の空気を経験したことがないさかい、それ以上のことは言われへんけどね。


鳩の街カフェー建築7

これも、ある意味「雅」の一種ですやろな、風流な数奇屋調の門構えの旅館でございます。
表札にゃ「旅館」って書いとったさかい、たぶん現役の旅館やと思うけど、
こんなとこに「旅館」とは、まあ昔の跡ですやろな。

ちょっと予想外の夏バテで、鳩の街探索は1時間弱で切り上げてしもたけど、
それでもわずかながら、しかしながらはっきり今でも残る「つわものどもが夢の跡」を見ることが出来ました。
10年前くらいやったらもっと残っとったと思うし、俺が見落とした建物もあるはずやけど、
それは宿題として残しておきましょうか。

さて、次は「玉の井」へと向かいます。


~おまけ~

たつみ食堂

鳩の街探索を終えて、心は充実しても体はボロボロの俺、
ちょうど昼時やったっちゅーのもあって、腹ごなしと水分補給も兼ねて水戸街道沿いの小さな食堂に入りました。
無難にファミレスとかに入ってもよかったんやけど、何故かこんな大衆食堂が好きな俺(笑

中に入ったら、特に特徴もないタダの食堂って言うたら可哀想やけど、まあそう表現するしかない。
せやけど、こんな地味さがまた良いのであります。
ここで、たまご焼きと味噌汁、チキンカツとご飯を頼んだんやけど、
さすがは物価の高さは世界有数の東京の下町か、大衆食堂にしては一品の値段が高かったよーな。
せやけど、たまご焼きはかなり美味でした♪
いや、それ以上に水がどれだけ美味かったことか(笑 ←熱中症寸前やん
ここのたまご焼き、探索した際に寄って食べてみそ。


★2010/7/2

「鳩の街」「玉の井」「洲崎」を3つまとめたスライドショー形式の画像集なんてものを、
You tubeにアップしました。
HDでアップしたさかい、「全画面」で見た方がはっきり見えると思うけど、
よかったらどーぞー。

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コメント

■ Re: 東向島駅ちかくの

> たまのいたろうさん

コメントおおきにです。
壊されたのは、あの独特のテラスのある建築ですかね?
そろそろ開発から忘れ去られた(?)玉の井にも開発の波が!?
とにもかくにも、情報おおきにでした。
2012/11/18 URL BJのぶ #- 

■ 東向島駅ちかくの

テラスがある建物は壊されました

ただいま、新築物件けんちくちう
2012/11/13 URL たまのいたろう #EBUSheBA [編集] 

■ 

>マリウスさん

よく、「のぶさん年齢サバ読んでるでしょ」とか「会ってみたら若くてビックリした。ブログの内容だけやともっと年かと思ってた」とはよー言われますわ(笑

>赤線の名残がまだある町があったなんて知らなかった!

「赤線跡を歩く」を見たら、マリウスさんとこの近所にもゴロゴロしてまっせ~。
建物があるかどーかは、どんどん壊されていっとるさかい保証はできへんけど、
一回図書館でこの本借りて読んでみそ、ちょっと探索したくなってきまっせ♪
2008/08/25 URL のぶ@大阪 #qDfdtOiE [編集] 

■ 

>三九郎松さん

>「玉の井」は永井荷風の「墨東奇譚」で有名ですね。

玉の井編もアップしたさかい、見てみてくんなはれ~。
「墨東奇譚」は、昨日きっちり図書館で借りてきました。せやけどまだ見てへんし、まあ週末にじっくり読んでみるか。

>私が出入りできるようになる前に赤線は無くなってしまいました。

逆に、経験しとったら根掘り葉掘り話を聞きたいくらいです(笑
赤線経験者は今やと若くても70代前半やさかい、プリマニで経験しとる人はおらんやろな~。
2008/08/25 URL のぶ@大阪 #qDfdtOiE [編集] 

■ 

>サクラさん

玉の井も合わせて、一回再探索してみてくんなはれ~。
俺は途中で「ガス欠」してもーたさかい、もっと小まめに探したら何か他にあるはずやさかい。
2008/08/25 URL のぶ@大阪 #qDfdtOiE [編集] 

■ 

のぶさん、年齢詐称?(笑
赤線の名残がまだある町があったなんて知らなかった!
面白い情報アリガトです( ̄○ ̄)/
2008/08/24 URL マリウス #XZ039GEA [編集] 

■ 玉の井

今も情緒の名残りがありますね。

「玉の井」は永井荷風の「墨東奇譚」で有名ですね。

私が出入りできるようになる前に赤線は無くなってしまいました。
2008/08/23 URL 三九郎松 #- 

■ 

東向島は良く行く街です。
しかしながらそういうことは初めてしりました。
改めていってみますわ。
2008/08/22 URL サクラ #- 

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■ 消えた赤線跡を訪ねて 玉ノ井編

さて、トキオに着くんが予想以上に早くなってしもたさかい、どこで時間を潰そうかなーと思っとったんやけど、こんなこともあろうかと、ある...
2008/08/24 のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)