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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■ぶらり電車の旅 ~南海高師浜線~

最近まで、作家の故宮脇俊三氏の「時刻表おくのほそ道」ちゅー本を読んどったBJのぶです。
宮脇俊三っちゅー名前を聞いたことは、ある人は絶対知っとると思うけど、
簡単に言うたら、
「『鉄道』ちゅー趣味を文学にまで高めた人」
言うても言いすぎやあらへん人で、
元々出版社の編集やっとった人で、作家の北杜生とかの担当やったらしいけど、
趣味の鉄道を乗り潰していくうちに当時の国鉄全線乗車してしもて、
作家としてデビューしても『鉄道』をテーマに書き続けとった人でやんす。
せやけど、「オタク」にありがちな、専門用語や専門知識を文面に散りばめて自分だけ興に入っとるよーなマニアックな文章やのーて、その完成度は立派な「文学」、
鉄道マニアやのーても全然違和感あらへん文章やと思います。
少なくても、「オタク臭」を本からは全く感じることはできまへん。
特に、「時刻表昭和史」ちゅー本は、タダの鉄道文学の本やのーて、当時の世相から戦争の秘話までの話もあって、
例えば、ミッドウェー海戦は秘密にされとったって言われとるけど、敗れて数日後にゃそこらへんの食堂のおばちゃんでも知っとったとか、
終戦時の玉音放送が流れとる時でも、列車はそんなもの存ぜぬとばかりにダイヤ通り動いとったとか、
「学校で習ったのとちゃうやん!」ちゅーよーなことまで垣間見ることができます。
そんな宮脇俊三も2003年に亡くなってしもて、鉄道をテーマにした氏を引き継ぐもの書きがおれへんよーになったことは残念ですわ。
まあ、日本の鉄道が「速さ最優先」になって個性が薄れて魅力がのーなってしもた、ちゅーこともあると思うけど、
(新幹線なんか、「乗ってる」言うより「乗せられとる」言うよーな感じですやろ?あ、かと言うて新幹線は否定しまへんで~)
それでも、何か書けることがあるはず、と思ったんは俺だけやあらへんはず。
元々「鉄」は昔から好きやった俺やさかい、せっかくブログもあるしちょいと書いてみよか、と「時刻表おくのほそ道」を読んで思ったことでやんす。
ちゅーわけで、新しく「ぶらり電車の旅」ちゅーカテゴリを設けて、ちょいとブラブラしてみることにしました。

で、書くんはええけどネタが・・・と思うんが最初やろーけど、
幸い大阪にゃネタになるよーな「鉄ネタ」がゴロゴロ・・・って程でもあらへんけど、色々転がっとったりしま。
ブログネタがないとか言う前に、まずは自分のアンテナの感度を良くしろ、ちゅーのが俺のモットー、
感度を上げて考えとったら、ありましたありました♪それもかなり近所に!

ちゅーわけで、思い立ったが吉日、天気も雲ひとつあらへん五月晴れ、
俺は真っ先にそちらへ向かいました。
* * *
080523 路線


今回俺が向かったんは

南海高師浜線

ちゅー、大阪の南の高石市を走っとる、全長1.5kmの盲腸みたいな路線でやんす。
あまりに地味~やさかい、地元以外、いや、地元でも最近来た人は
「こんなとこにこんな鉄道あったの?」
って半分忘れ去られとるよーな路線なんやけど、果たしてなんでこんなとこに盲腸みたいな路線があるんか、
地元でも若い世代の人は「今だけを見たら」理解不能やと思いますわ。
まずは、それを説明しまひょ。
「高師浜(たかしのはま)」って、少し古風な感じがする、何となく優雅な地名っぽいけど、それもそのはず、
高師浜って万葉集にも出てくるんですわ。

おほともの高師濱の松が根を 枕きぬれど家し 偲ばゆ
(万葉集 置始東人)

沖つ浪 高師濱の浜松の 名にこそ君を待ち渡りつれ
(古今和歌集 紀貫之)

大阪ってこんな万葉集に出てくるよーな地名がそこらへんにゴロゴロ転がっとるんやけど、
高師浜もそのうちの一つって思っといてええ所で、
今の40歳以下の人は、『浜』言うても浜なんかあらへんやんって思うやろーけど、
昔、昭和30年代まではここあたりは一面の砂浜、「東洋一の海水浴場」としてごっつい有名なとこでした。
大阪湾のここあたりは、海が遠浅で海水浴場としてうってつけの場所やったらしゅーて、
夏になったら海水浴客でごった返しとったみたいですわ。
今は臨海工業地帯の埋立地が建ってしもて、昔ここが「東洋一」の海岸やった面影は、
ここらへんにやたら松の木があることくらいですやろな。
せやけど、実際にここあたりで泳いだことがある母親に聞いてみたら、末期の海岸は泳げたもんやあらへんくらいきちゃなかったそーな。

また、そないな風光明媚なとこでもあるさかい、
ここあたりは昭和初期までは別荘地、リゾート高級住宅街としても有名でした。
今でこそ関西の高級住宅街言うたら、芦屋とかを思いつくやろーけど、実はここあたりは芦屋以前の高級住宅街で、
この話したら地元の人でも「ここが昔のリゾート地?ウッソーン!?」って言う人はおるし、今は「タダの住宅街」になりつつあるけど、
それでもここあたりは昔ながらの洋館が数多く残っとって、それも一軒一軒がめちゃデカい。
浜寺から高師浜あたりの「住宅街」をウロウロする事なんかあんましあらへん上に、
昨今の世の中、カメラ持ちながらウロウロしとったら、不審者と間違えられて警察に通報されかねんけど、
よ~く家を観察しとったら「高級住宅街」やった面影がまだまだ残っとります。
中にゃ重要文化財にも指定されとる家もあるっちゅー話やさかい、地元の歴史を穿り返しとったら、意外な発見に驚くこともいっぱいありまっせ。
「鉄」でもあると同時に「洋館マニア」でもある俺、一回でええから中も拝見させてもらいたいもんやけど、
残念なことに未だそんな体験はしとりまへん。
高師浜線は、そんな高級住宅地の人の要望で作られたとも、海水浴客の輸送のために作られたとも言われとります。
今じゃ想像もできへんと思うけど、高師浜駅は海の近くに作られた駅で、昔は難波駅から直通の急行も走っとったと言われとります。
今はそんな面影を探すのに一苦労やけど、そんな黄金の時代があったわけですわ。
鉄道って別に意味あらへんとこを走らせても無駄やさかい、
「何でこんなとこに鉄道が?」
と思ったら、まずは郷土史の資料をひもとくか、ググってみるんがベスト。

というわけで、南海本線の羽衣駅から高師浜線に乗ろうと決意した俺、
実は自宅から羽衣駅までは自転車でも行こうと思ったら行ける距離なんやけど、
今回はヤボ用もついでに済ませたいさかい、車で向かうことにしました。
駅の近くで車を止めて、徒歩で羽衣駅へ。
これまた実は、俺の生まれはここ羽衣駅界隈で、言わばここが生まれ故郷やったりします。
と言うても1~7歳の7年間を過ごしただけやけど、それでも「三つ子の魂なんとか」で、
ほぼ30年たった今でも道筋はおろか、どこにどんな店があるかまではっきり覚えとって、
挙句の果てにゃ、幼稚園のクラスメートの家まで覚えとる始末。我ながらすごい記憶力と関心してまいます。
せやさかい、高師浜線の前に、幼い頃の記憶の確認とばかりに羽衣駅界隈をウロウロしてみることにしました。
当時住んどった家から羽衣駅までは歩いて15分くらいの距離なんやけど、
今でこそ15分なんか「近い」部類なものの、3~4歳の身にとっちゃとんだ「冒険」、
どーやら生まれつき「放浪癖」ちゅーか、冒険好きな血が流れとったんか、この距離にしたら1kmくらいの範囲の「冒険」がたまらなくおもろかって、毎日のよーにウロウロしとった覚えがあります。
それを一人で徘徊しとったわけなんやけど、当時は近所の目がええ意味であった時、
3歳4歳の男の子がウロウロしとっても「目撃情報」が多数母親の所に届けられて、
おまけに兄弟の中でも方向感覚が人一倍優れとったよーで、
ほっといても日が暮れる前に、一人で勝手に帰ってきとったみたいやさかい、母親にも別に
「危ないから行ったらあかん!」
なんて言われた記憶は全くなし、同じ範囲でも方向音痴の兄貴は怖くて行かれへんかったらしいさかい、
俺はこんな風に「羊の放し飼い」、それも羊飼いがおらへん状態でした(笑
そんな俺が目印にしとったんが、羽衣駅と南海鉄道の線路で、線路より向こう(上の画像で言うたら海側)は小さい俺にとっちゃ「異国」そのもの、
「線路より先に行ってはいけません」
とは一言も言われてへんかったけど、「異国」への進入は小学校まで自粛しとった記憶があります。

そんな、羽衣駅近辺だけでもブログ一つ書けそーな思い出がいっぱいある界隈やけど、
30年近くたった今でも、基本的なとこはあんまし変わってへんかったですわ。
駅前に、小学校で同じクラスやった、Nっちゅー男の家があるんやけど、
そこは金物屋でもあって、少し店構えは変わっとったものの変わらず残っとったり、その隣にあったケーキ屋が今でもあったり、
ごっつい懐かしい感じがした反面、昔よー言ったプラモデル屋とかスーパーとかがなくなっとったり、
時代の流れを感じさせるものも感じてまいました。
昔、ここは有名な海水浴場やったせいか、高級旅館も数軒あってそこで温泉だけ浸かりに行くんも楽しみやったんやけど、
そこも今はすべてなくなってしもて、旅館跡にゃマンションが建っとります。

そんな嬉しさと寂しさの両方を抱えながら、10:29分発の高師浜行きの電車に乗り込むことにしました。

080523 高師浜線の車輌


久しぶりに羽衣駅のホームに降り立ってみたけど、
この羽衣駅の難波方面のホームの片隅に、申し訳ないなーっちゅー感じで高師浜線のホームがあったりしま。
そこに、2両編成のかわいらしい電車が発車を待っとりました。
俺が小さい頃はたった1両で、「釣り掛け駆動」ちゅー独特のモーター音をした電車やったんやけど、
それも老朽化で廃車になって今の電車になっとるわけです。
久しぶりに「鉄」の血が騒いで心ウキウキ状態で乗り込むと同時くらいに、
「皆様、3番線から高師浜行きが発車いたします」
ちゅーアナウンスが流れたんやけど、ホームにおる数人の乗客は慌てる気配もなし。
どーやら、彼らは高師浜線の電車を待っとるんやのーて、単に喫煙コーナーでタバコを吸っとっただけでした。
そりゃ、高師浜線の電車が発車しよーが「我関せず」のはずやわ。
そして、あれこれ思っとる間にドアが閉まり、羽衣駅のホームを静かに出発します。

080523 車内


羽衣駅で乗った乗客は二人、もちろん俺を含めてです(汗
平日の昼間っちゅーのもあると思うけど、大阪の、決して田舎とは言われへんとこで乗客二人、それも一人は好奇心だけで乗っとる気分は観光客やさかい、
如何にも「ローカル線」ちゅー趣がしますな。
2両に1人ずつの客やさかい、ほとんど貸切状態みたいなもんですわな。
こんな「貸切」の中冷房がかかって火照った体をしばし冷やしてくれたんやけど、
これで冷房ってごっつい非効率やろなーとも思ったりもして、少し高師浜線に同情したくもなるよーな。

羽衣駅を発車したと同時に、和歌山方面の線路を、和歌山市行きの特急サザンが猛スピードで通過して行ったんやけど、
2両編成のローカル線は「我関せず」とのんびり高師浜線専用の線路をマイペースで走っていきます。
羽衣駅から、本線を数百メートル平行に走って行って、分岐した後は高架の線路をのどかに30km/hくらいで走っていきます。
そこから終点の高師浜駅までずっと高架が続くんやけど、元々高架やったわけやのーて、
昭和45年くらいに交通渋滞対策で高架になったとか。
こんなローカル線に高架とはまた贅沢な、と思うやろーけど、高師浜線が交差する、地元民は「旧26号」言うとる道の交通量が増えてしゃーなかったんですやろな。
もちろん、俺が物心ついた時は既に高架でした。
ちなみに、高架化言うたら羽衣駅も高架化に向けた工事が行われとって、
これが完成したら俺が小さい頃の記憶にある羽衣駅は完全に姿を消すんやろなー。
どーやら浜寺公園駅あたりも高架になるさかい、文化財扱いの浜寺公園駅はどないなるんやろか?
明治村行きになってまうんやろか?
これが羽衣駅以上に気になるとこですわ。

羽衣駅を出発してほんの2分くらい、本線から分かれてカーブに差し掛かってすぐに、
「伽羅橋」(きゃらばし)
ちゅー、高師浜線唯一の途中駅に着きます。
ホームは進行方向右側に一本だけ。何かもの寂しい駅なんやけど、名前は何か優雅な気がしますやろ?
羽衣といい伽羅橋といい高師浜といい、駅の名前の貫禄はものすごくあるんやけど、
悲しいけどこれってローカル線なのよね。
伽羅橋では、二人の乗客のうちの一人が下車してついに乗客は俺一人・・・と思ったら、
この駅で入れ替わりのよーに一人が乗車。
結局乗客数は変わらずで伽羅橋駅を発車、次は終点の高師浜駅です。
伽羅橋駅を発車した電車は、緩やかなカーブを曲がりながらのんびりとしたスピードで走り、
あっという間に高師浜駅に到着します。

080523 高師浜駅


高師浜駅も一面だけのホームでうら寂しいような気がするけど、
ちょっと嬉しかったことは、駅のホームに電車が滑り込んだ時、ホームにゃ10人近くの客が。
元々高師浜線って、海水浴客のためと言うより、高級住宅街やったここ界隈の客のために、こんな盲腸みたいな路線を作ったっちゅーのもあるみたいやけど、
今でもちゃんと使ってる人は使ってるんやなーと、安堵に似たもんを感じましたわ。
画像にゃホームに客はおれへんけど、それもそのはず、全員電車の中に入り込んだ後やからですわ。
羽衣~高師浜の間の乗車時間はたったの5分程度、電車に乗るんやったらもっと乗せろ!
と不満の一つも言いたくなるんやけど、
これだけは路線がここまでしかあらへんさかい、しゃーない言うたらしゃーないし、なんぼ不満を言うても路線が延びるわけでもおまへん。
さて、地上にある高師浜駅を降りたら、一つの見ものがあります。

080523 高師浜駅2


080523 高師浜駅 横から


これが高師浜駅の駅舎なんやけど、興味があらへん人にゃタダの駅の建物、
せやけど、この建物は高師浜線が開通した当時の建物で、開通したんが1919(大正8)年やさかい、
樹齢ならぬ駅齢は89歳、駅舎は何も語らんけど、89年の間様々なものを見てきたと思いま。
この駅舎は、高師浜線が高架になった時に壊される予定やったんやけど、
地元民が猛反対してそのまま残った、ちゅー経緯がある建物で、
地元の方の駅に対する愛着を感じることができます。確かにたかが駅とは言うてもこれだけの建物を壊すんはもったいない、
補修して残すんも手やないか、何でも「新しい」に飛びつくんもどうかと、高師浜駅の駅舎は黙って物語っとるんやと思います。

080523 ステンドグラス


高師浜駅がタダの駅舎やないのは、このステンドグラスにも理由があります。
今の駅は機能性だけを求めて、何の面白みもあらへん無個性な建物が多いんやけど、
昔の駅は、建てる方に「余裕」ちゅーか「遊び心」があったんか、何気にこないな装飾を施しとる駅が多いです。
そないな意味じゃ、今の時代の方が「余裕」があらへんのとちゃうかな、と思う今日この頃。
今思ったら、このステンドグラスは「外から」やのーて「内から」撮った方が良かったんやった、
としまったよーな気持ちやけど、
高師浜駅やったら今から自転車で行っても30分くらいの距離やさかい、また気が向いたら撮りに行こうと思います。

そして、高師浜周辺は日露戦争とも関係があったりしま。
時は明治時代の日本とロシアが戦争やっとった時、ここ高石に捕虜の収容所が作られることになりました。
収容されるロシア兵の捕虜の数は約28,000人、当時の高石村の人口は約3,500人。
人口の10倍もの、それも異国人が来るとなって村は大騒ぎになったらしい。
そりゃ、今の高石市の人口でも約6万人(2008年1月現在。推計)やさかい、
その人数はハンパやないってのがわかるでしょう。
せやけど、当時の戦争は比較的のんびりしとったんか、「収容所」ってそんないかめしいもんやのーて、
日曜には村人との交流の時間もあったよーですわ。
そんな彼らも戦争が終わった1906年には全員ロシアに送還になったんやけど、
残念ながらここ高石で異国の土になった人もおったりしま。
そんな彼らは今の泉大津市の墓地に埋葬されて、今でもロシア語、日本語とかで「御霊よ、安らかなれ」って書かれた慰霊碑もあって、
ちゃんと整備されとるし線香の香りが絶えとりまへん。

080523 収容所後


高師浜駅にある収容所跡の説明文によると、上の地図で青く塗りつぶしとる地域が収容所やった場所やったみたいで、
整然と道が並んどるんも収容所の区画の跡やと言われとります。
これを見ても、収容所の範囲がけっこう広いことは、地元の人やったらわかると思うけど、
そりゃ今の高石市の人口の46%をこの地域に押し込めたら、窮屈でたまらんと思いますわ。
ちなみに、北にある浜寺公園の中にゃユースホステルがあるんやけど、
そこには小泉元首相とロシアのプーチン元大統領の書名が入った石碑があるそーです。
もちろんこれは明治時代の話やさかい、大正時代に作られた高師浜線は関係あらへんのやけど、
こんなとこにこんな歴史があるなんて、ご先祖様もつゆ知らず!?

高師浜駅を降りたらそこは静寂そのもの、近くに交通量が多い旧26号があるけど、
そんな車の音とは全く無縁の、まるで別世界な静けさを感じました。
ここで、少し休憩とばかりに駅の近くにある喫茶店でコーヒータイムとしました。
何気に入ってみた店なんやけど、内装がえらいクラシックで、高級住宅街やった頃の面影を残しとるんか、
天井を見ても古めかしい唐草文様と西洋風の何かの文様が混ざった和洋折衷、
喫茶店のおばちゃんに聞きたかったもんやけど、ちょうどランチの準備のせいか、奥でバタバタしとったさかい聞く勇気と隙間があらへんかったです。

080523 高石神社


高師浜駅に隣り合わせにあるよーに、高石神社ちゅー神社があります。
この神社は建てられた時期ははっきりわかってのーて、だいたい白雉年間(650年~654年)あたりちゃうか、と言われとります。
1400年近い歴史がある神社なんやけど、こんな神社もうちの周りにゃゴロゴロしとって、
あまりにゴロゴロしとるさかい普段は見向きもせーへんのやけど、
こないして歴史をちゃんと調べてから来ると、普段スルーしとる神社でもこれだけの歴史があるんか、
と感心してまいます。
歴史っちゅーのはこういう意味で勉強したらおもろいんやけど、
学校でやる「○○年に△△があった。以上」みたいな授業じゃ、興味持つどころか軽蔑してまうやろな。
歴史っちゅーのは、
「○○年に△△があった。ほな何で起こったんか?その時代背景は?キーパーソンは?」
まで掘り下げたらメチャクチャおもろいんやけど、学校はそこまで教えてくれることは今はないでしょ。
ちゅーか、そこからは自分の役目、
「面白くなければ面白くすればいい」
ちゅー誰かの歌の詞と同じことですやろな。

ちゅーわけで閑話休題。
高石神社の境内は特に目立ったもんはのーて、俺も勉強不足で神社の構造とかはわからんかったけど、
本殿近くにあった絵馬を見とったら、お参りしとる人多いねんなー、
絵馬に書いとる「○○高校に受かりますように」って書いた子は無事受かったんやろか、
とか思ったりもして、
ほんの15分くらいで神社を離れました。
さて、羽衣までの帰りはどないしよか、と考えたんやけど、高石神社の前の道の「旧26」をまっすぐ行ったら、車を止めとる駐車場までたどり着くことができます。
かと言うて、高師浜線をまた折り返しで乗るんもおもろない、
ここで元来の「冒険心」とやらが芽生え出して、せっかくやさかい色々「寄り道」してみよか、
とばかりに、高師浜線の「下」を通って帰ることにしました。

080523 帰り


高師浜線の高架下は、こんな風に公園になっとるんやけど、
公園言うても人っ子一人おれへん状態で、おまけに木と高架で日もあんまし照りつけることあらへんさかい、
何か不気味な感じがするんは俺だけ?
せやけど、その分涼しいっちゅーのもあって、
「昔はここに電車が走っとってんな~」
と回想(妄想?)しながら歩いてみると、心地よい風が吹いて暑さをしのぐことができました。
木の名前をよー見たら、そこにゃ
「ソメイヨシノ」
と。おお、桜なんか、それは知らなんだ。
もう桜のシーズンは過ぎとるけど、花見のシーズンになったらここが花見客で溢れるんやろか。
この「裏の遊歩道」は伽羅橋駅前の「旧26」でいったん途切れるんやけど、
そこからは、ちょいと昔の洋風建築探しとあいなりました。

080523 洋風建築


高師浜線の沿線にゃ、こんな邸宅みたいな家がまだまだ残っとります。
全部を全部紹介するんは無理あるけど、
この家の表札、ほとんど消えかかっとるものの、かすかに「弁護士」って文字が見えます。
せやけど、「弁護士」やのーて

「辯護士」

と旧字体で書いとるやないですか。
これはかなりの「年代モノ」に違いない。
建物も立派で中に入ってみたいもんやけど、表札もまた活かすね~。
とまあパシャパシャ写真撮っとったら、通りすがりの人が怪しそうに見つめる。
俺はそんなもの関係なし、別に怪しいもんやないさかいに(笑
元赤線のカフェー建築もええけど、大正から昭和初期に建てられた(たぶん)こないな建物探しも、
なんか血が騒いでまうんですわ。

080523 高石町消防組


これは羽衣駅近辺で見つけたもんやけど、「組防消町石高」って左から読んだらあきまへんで。
「高石町消防組」と右から読むんですわ。
こないな「右読み」は戦前は普通やったんやけど、今は
「え?文字って左からでしょ!」
ってビックリする人がほとんどでしょうね~。
これも恐らく戦前からの建物で、今は「高石市」やけど「高石町」って書いとるさかい、
高石が市になった昭和41年以前のものは確定、せやけど「右読み」やさかい恐らく「町」になった大正4(1915)年から戦後間もない頃に建てられたもんやと思います。

そして、あれこれウロウロしとる間にスタートの羽衣駅に着いたわけやけど、
電車の旅はたったの5分間、全部合わせても2時間弱の旅言うても、これだけの「ドラマ」があったりしま。
5分間だけでも数時間分に相当する密度が濃い旅やったと思いますわ。
さて、次の旅はどこに行こうかな~。
とか何とか考えとったら、羽衣駅近くにある女子校の女子高生が、テスト期間中なんか午前中やのに集団で駅になだれ込んどりました。
いいね、若いね(←スケベーな意味ちゃいまっせw)、女子高生のパワーはある意味世界最強やろな、とか自分の年齢が30を越えてしもた哀愁感に苛まれながらも、
駐車場に向かっていきました。
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