のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

大阪人の、大阪人による、大阪人のため・・・だけやないBlogでっせ。 愛車プリウスのこととか以前住んでた中国のこととか、色んなことを大阪弁トークでハイパーテンションで書いていきまっせ〜。

語学勉強法@井上成美

井上成美って聞いて、「誰その人?」って聞く人がほとんどやと思いますわ。
「ああ、あの人ね」ときたらかなりの通、褒めてあげましょう(笑
「最後の海軍大将でしょ?」って思った方は俺と話が合います。って合いたくない?(笑

井上成美とは、上に書いた通り「最後の海軍大将」って言われた人物で、
剛直にして自分が正しいと思ったことは、誰が何と言おうと筋を通す、
反対する者はコテンパンに論破してぐうの音も言わせず、
「カミソリ井上」と言われて「敵」からは恐れられとった人物です。
当時の海軍では「リベラル」な立場やったけど、
「リベラルはリベラルでも、前に『ラジカル』(過激派)がつきますけどね」
と自分で言うとるくらい、言うことやること当時としてはかなり「過激」でした。
また、
「井上の頭は整理されたタンスのよーなものだ。ボタン一つで数学、物理、英語、
何でも出てくる」

って言われたほど頭脳明晰な人でもありました。
今風に言うたら、さしずめ
「頭がCore2 Duoだ。クリック一つで何でも出てくる」
よーな感じでしょうかね?(笑

宮城県に生まれた彼は、幼い時から成績優秀、
小学校の時の成績表が残ってるらしいけど、その成績は漢文以外ほぼオール満点、
変わったことに、音楽の成績がダントツでピアノやギターが得意、
「ギターを弾く提督」
としても有名になりました。
なんか軍人らしゅーない軍人やなって、
「軍人=堅物」
ってイメージがある人にとっちゃ軍隊と音楽って全くイメージがつかんでしょ。
そして彼は、トップクラスの成績で海軍兵学校に入学します。
海軍兵学校は当時の日本の男性が憧れる男の中の男の学校、
軍隊の学校の割にゃ意外と試験じゃ頭を求められるとこやけど、
「兵学校に落ちた人が東大に行く」
言うくらいのとこで、
もし当時偏差値があったら、間違いなく日本トップの偏差値やった、って言われるくらいでした。
そして井上は、そんな日本の秀才が集まる兵学校でも成績2番で卒業します。
当時の兵学校の成績は、将来の出世が約束されたよーなもん、
兵学校の跡にある、ちゅーか建物をそのまんま使っとる海上自衛隊の幹部候補生学校でも、
候補生学校の卒業の成績(ハンモックナンバーって言います。これは旧海軍からそのまま)がすべてを左右するらしいけど、
兵学校の成績優秀者は新聞の一面に載っとった、ちゅーくらい、日本全体の将来を背負ったよーなもんやったそーです。
ちなみに、井上自身はこの「成績至上主義」を
「型にハマった下らん人間を育てるだけ」
と真っ向から否定しとります。

そして色々経験を積んでいった彼の名前が知れ渡るのは、
日本が戦争に向かいつつある時期のこと。
陸軍やマスコミに煽られた右翼や国民が戦争まっしぐらに進んで行く中で、
海軍大臣の米内光政、海軍次官の山本五十六と共に日独伊三国同盟に猛反対、
「日独伊三国同盟締結→アメリカ・イギリスにケンカ売る→戦争」
ちゅーわけなんやけど、井上が何で猛反対したんか、
どこをどう考えてもアメリカと戦争しても勝てるわけあらへんやん!
ちゅーのもあるけど、彼はドイツ・イタリア(+スイス、パリ)に駐在経験があって、
ドイツとイタリアの国民性っちゅーのを知り尽くして、信用に値しないと結論、
「こんな奴らと手を握っても損なだけやん」
っちゅー観点から、徹底的に反対しとりました。
その例が、ヒトラーが書いた「我が闘争(マイン・ガンプ)」でした。
井上は「我が闘争」を、日本人を差別している表現がある、と読むのを禁止させ、
「そんなもんどこにも書いてないじゃないか」
という部下の言葉に、
「日本語訳には書いてない。ドイツ語の原書にしか書いてないことだ。そんな日本人をバカにしてる人間がトップのドイツなんかと手が結べるか!」
と返したと言います。
事実、ドイツ語の原書にゃ、
「日本人は想像力に乏しいバカな奴らだが、手先が器用なのでドイツ人の小間使いにはピッタシだ」
と書かれとって、日本語訳にゃご丁寧に削除されとります。

米内・山本・井上の鉄壁のライン(「海軍三羽烏」)は、
陸軍や右翼からなんぼ脅されても罵られてもビクともせーへんで、
結果論とは言え、一度は日独伊三国同盟を流産させることができました。
昭和天皇も、この鉄壁ラインに、
「よかった。日本は海軍に助けられたな」
と言われたと言われとります。
せやけど、海軍言うても一枚岩やのーて、「海軍三羽烏」みたいな「戦争回避派」の方が少数派、
このラインの3人が全員海軍省からおらんよーになってから、
結局海軍も陸軍に同調してもーて、結果は学校で習った歴史のとーりです。
井上も、のちに、

「海軍が陸軍と手を組んで良くなった例はない。海軍は海軍の主張を貫くべきだ。
二・二六事件を起こした陸軍なんかと手を組むのは、強盗と手を組むようなものだ。
陸軍を止めるものは海軍しかない。その海軍が陸軍と歩調を合わせたら、止めるものがない。
国を救うなら、内閣なんて何回でも倒れたらいいじゃないか」


と、かなり過激な発言を戦争中に言っとります。
こないな風に、自分の意見は絶対に曲げへん性格のせいか、結局彼は左遷されてまうんやけど、
彼の真骨頂は、戦争中に就任した海軍兵学校校長からでした。
彼自身、戦後に
「軍人より教育者の方が向いてる。職業を誤ったかな(笑」
と言ってるように、ここで彼の個性が如何なく発揮されます。
兵学校校長に就任したんは昭和17年、
公には言うてへんけど、井上は戦争は負けると悟ったそーで、
「日本は戦争に負ける、その時戦争のことしか教わってない彼らが社会に出れば、
必ず路頭に迷うことになる。
彼らも不憫だが、それ以上に日本の将来が危うい。
彼らに将来の日本を背負っていってもらうべく、そのための基礎作りをする」
ちゅー方針で臨みました。
もちろん、そんなこと戦争中に言えるわけもあらへんけど、
そのことは自分の腹の中だけに納めて、兵学校の大改革に乗り出します。
(せやけど、井上が赴任した最初の入学式の時、原文は忘れたけど、
「『将来』のために日夜研鑽して良き人材になるために・・・」
と間接的に戦争の後の教育のことを訓示したらしゅーて、
その『将来』が何か、彼の本音を理解した人は一人もおれへんかったそーです)

まずは、軍人養成学校やのに軍事学の授業を減らしたこと。
数学とか歴史、哲学とかの、今で言うたら「一般教養」を重視して、
基礎的な学問を徹底的にやらせました。
これは、
「基礎さえしっかりしたら何にでも応用できる。専門なんかは(卒業して)勤務してからでも十分に勉強できる」
っちゅー井上の教育論に基づいた改革その1でした。

改革その2は、生徒の自由時間を増やしたこと。
切羽詰った情勢やさかい、当時の兵学校の生徒にゃ全く余裕がない、
ちゅーか独り言を言う時間すら与えられてへんかったんやけど、
「彼らを見ろ。全然余裕がないじゃないか。目が血走ってる。これじゃいかん」
と自由に考える時間を設けました。
最終的にゃ授業は午前だけ、あとは自由時間ちゅー究極の「ゆとり教育」を目指したわけやけど、
(これはさすがに実現はせーへんかったけど)
『国立 江田島自由学園』を目指すつもりでした」
と井上は戦後に言うとります。
これも井上の教育論の一つで、
Educationは「教育」、その原形のEduceは「(個性を)伸ばすこと」ちゅー意味で、
「即戦力など兵隊や下士官に任せておけばいい。士官に必要なのは広い視野を持ち、
その場で適切な判断をして指揮る能力を持つことです。
そんな人材が、型にハマった教育でできるわけがない」

という信念で、生徒に自由に考える時間を与え、読書を奨励したと言います。
さて、今の日本の"Education"は、ちゃんと"Educe"しとるんでしょうか?

改革その3は、英語教育。
歴史の授業でもちょっと聞いたかもしれへんけど、
戦争中は英語は「敵国の言葉だ」っちゅーわけで禁止になっとったことは聞いたことあるかもしれまへん。
野球の「ストライク」が「よし」、「ボール」が「ダメ」って変わったのは有名やけど、
確か、「併殺打」「本塁打」もこの時生まれたって聞いとります。
海軍におったうちのじいちゃんいわく、「敵性語禁止」の陸軍じゃカレーライスを
「黄色辛味調味料入り汁かけご飯」
みたいな感じで言うとったらしゅーて、さすがに
「陸さんはアホやな〜。やせ我慢せんと素直に『ライスカレー』って言うたらええのに」
って笑っとったそーやけど、
(海軍は最後まで「ライスカレー」やったそーです)
学校の授業でも、「敵国語」の英語はどんどん廃止されていきました。
そして、入試の科目にも英語を削ろうって話になって、兵学校でもほぼ満場一致で決まりかけたその時、井上校長が立ち上がります。

「英語は世界共通語である。英語を知らん、自国語しか喋れない海軍士官など要らん!
そもそも世間で英語がどうだの言う人間は、島国根性の極み、
兵学校はそんなものに同調しない。ここは通常通り英語の授業を続ける、以上終わり」


ちゅー一声で兵学校の英語教育は続けられ、終戦まで英語の授業を続けた数少ない学校でした。
カタカナ語が蔓延しとる海軍で英語をやめたら、
「船が動かへんっちゅーねん(笑」
ちゅー事情もあるけど、
ちなみに、終戦まで英語の授業をしとった学校は、海軍兵学校と旧制盛岡中学だけ、
偶然か、盛岡中学は井上の上司の米内光政の母校でもあります。
これも、
「戦争が終わったら絶対英語が必要な時が来る」
ちゅー、「戦後」を見据えた彼の英断やったんやけど、
「鬼畜米英」って目を尖らせとる時期にこれを持続させるんは、
正直すごいことやと思いますわ。
ヘタしたら「この非国民め、天誅じゃ!」って殺されかねへんし(汗
そして更に、「敵国語」につき日本にゃほとんどあらへんかった英語辞典を日本中からかき集め、
ポケットマネーで買って生徒にプレゼントした、ちゅーエピソードもあります。

他にも色々細かい改革に取り組んだんやけど、
職業軍人を養成する学校で、軍事のことをほとんど教えんと、更に「敵国語」の教育をやるって、
正気の沙汰とは思えんさかい信じられへん人も多いと思いますわ。
今の大学で言うたら、工学部に入ったのに、
「専門的なことは社会に出たらなんぼでも習うわい」
って4年間ずっと基礎物理とか数学、そして専門とは関係あらへんよーな歴史とか語学の授業やっとったよーなもん
やさかい。
もちろん、この改革は生徒や教官からも、
「校長は一体何考えてるんだ?」
ってかなり反発を呼んだらしいけど、
当時の兵学校を訪問した鈴木貫太郎(元海軍軍人で終戦の時の総理大臣)が、
「いいか井上君、兵学校の教育の効果が現れるのは20年後だよ、20年後!」
って言い、それを聞いた井上が黙って頷いたエピソードがあるよーに、
「20年後」を見据えた教育は、ホンマに「20年後」に花開くことになり、
当時の生徒から「よーやく校長が言ってたことがわかった」と相当感謝されとります。

「このまま兵学校の校長のまま軍を辞めてもいい」
って言うくらい、校長の職は自分に合った仕事やったわけやけど、
昭和19年に元上司の米内光政海軍大臣から、「貫禄負けして(本人談)」海軍省のナンバー2になって東京に戻って、
そこで大臣の了解のもと極秘に終戦工作に乗り出すことになって、終戦を迎えます。
戦後は戦争に関わった人間として横須賀の郊外に引きこもり、
「ほとんど仙人」のような生活をして公の場に一切姿を現さず、
「醤油を買う金がないので、ひじきの煮汁に塩をかけて醤油代わりにした」
ちゅーくらいの貧乏生活をしながらも、ひっそり子供に英語を教えていました。
それが「海軍大将が子供に英語を教えている」って巷で評判になって、
次第に兵学校の教え子たちにも伝わって、最晩年は教え子の援助を受けながら、
ひっそりと余生を過ごしました。

さて、ここからは本題。前置きがえらい長なってしもたけどお許しを(笑

昔の海軍軍人は外交官の役割もしとったせいか、語学教育をえらい重視しとりました。
井上が兵学校の生徒やった頃(日露戦争が終わった頃)にゃ、3年間で400時間も語学の授業があったらしゅーて、
更に海軍士官になった後も、「選修生」言うて外国語大学の学生になって外国語を専門的に習う「語学士官」も養成しとりました。
もっとも、「語学選修生」になったら出世コースから外れる、ちゅー意味らしかったけどね(笑
更に各国の大使館に駐在する武官の職もあったさかい、
そこで語学を鍛えることにもなります。
で、井上自身はスイス・フランス・ドイツ・イタリアに武官として駐在経験があって、
少なくても日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語がしゃべれたんやけど、
(先輩の山本五十六でも英語・フランス語、上司の米内は英語・ロシア語・中国語がベラベラやったと言われとります)
彼自身が語った語学論に、

「語学は現地で、その国の生活をしながら、その国の人々から学ぶ」

ちゅーのがありました。つまり、

頭で覚えるんやのーて、体で覚える

ちゅーことで、これは俺も中国で体当たり学習して経験済み、
日本語と中国語は忘れる自信あらへんさかい、井上の語学論は的を得とる、
ちゅーか戦前の、それも軍人がこないなことを言うとったのにビックリでしたわ。
この教育は兵学校の校長の時にも徹底しとって、そん時は、

「英文に和訳は不要である」

っちゅー、「シンク イン イングリッシュ」を教育に持ち込みました。
そして、辞書は英英辞典のみ、一度覚えた単語には印をつけて、二度と覚えるな、
っちゅー徹底した「英語教育」を行いました。
これは現代の英語教育でも「理想論」として片付けられて論議を呼んどることやけど、
井上に言わせたら、
「日本人が語学ヘタなんは、いちいち日本語に訳すからだ。それじゃ使いもんにならん。
英語なら英語、仏語なら仏語で考えて喋るべし」
っちゅーことですわな。
ちなみに、井上は「外国語でものを考える」ちゅー基準も言うとります。

「その国の言葉で話す夢を見たということは、普段からその言葉で考えていたということで、
その習慣を身につけたということ」


これは、なるほど〜〜!と目からウロコが落ちましたわ。
簡単に言うたら、
「夢にうなされるくらいどっぷり勉強しろ」
ちゅーことかもしれへんけど、
俺は今でも中国語しゃべる時は中国語でモノを考えて、
今でも中国語で夢を見て寝言もたまに中国語らしいさかい、とっくにクリアっちゅーことで(笑

「井上語学論」に沿った語学学習法を、彼の言行録を元にしてまとめたら、

1.外国語は体で覚えるべし。頭で理解しようと思うな

2.いちいち頭の中で日本語訳するな

3.外国語は「一夜漬け」では役に立たない。時間をかけてじっくりと勉強すべし

4.辞書は、英語なら「英英辞典」を使え

5.外国語でものを考え、夢を見るようになったらしめたもの


ちゅー感じでんな。
ちなみに補足したら、プロの通訳レベルになったら、2.の「日本語訳するな」は後で、
「日本語に瞬時に訳す能力を身につけろ」ちゅー訓練が必要です。
一見、
「こんなん現地に行ってやらんと無理やん」
って思うやろーけど、今は21世紀のネット社会、外国語なんかよっぽどマイナーな言語ちゃう限り、
クリック一つでラジオも拾えりゃ、外国語が書かれたサイトに、家の中でたどり着くことができます。
そう、今時留学で語学鍛えよーなんか古いんです!あ、こりゃ言いすぎか(笑
そこで、「井上流語学習得法」に俺流のエッセンスを加えたらこないなります。

6.1日1回はその国のWikipediaかYahoo!を見ろ

7.ネットラジオをずっと聞き流せ

8.NHK語学講座を見ろ。あれは伊達じゃない

9.関連する「親戚言語」(英語やったらフランス語とかドイツ語とか)を、知識程度につまみ食いしろ

10.語学しゃべれしゃええってもんやない。その国の言語の歴史を即答できるくらいの「教養」も身につけろ

ちゅーことでやんす。
え?ちょっとキツい?
まあまあ、騙されたと思ってLet's実践m9( ̄ー ̄)

井上成美は軍人やったわけやけど、
これだけの緻密な頭脳を持った軍人がおったんか、って目からウロコが落ちた人もおるかもしれまへん。
特に、学校の授業そのまんまに、
「軍人=悪の権現、野蛮」
なんて思っとる人はそうやと思いますわ。
これ以上書いたら長すぎやさかい書かんかったけど、兵学校校長の時に生徒に渡した「教育漫語」っちゅー小冊子に、
井上が描いた教育論が書かれとるけど、
これ読んだら、今の学校に井上成美が校長として就任したら、
めちゃおもろい学校ができるやろなー、って思いますわ。
興味ある人は、本を読んでね〜、と逃げてみる(笑

最後に、井上と、「この人の頭にゃ叶わん」って山本五十六が絶賛した堀悌吉っちゅー人の、
「人間パソコン」井上をして、「堀さんはすごいわ」と思わせた会話をどーぞ。
ちょっと今の人にわかりやすいよーに意訳してるけど、だいたいは同じ感じの会話です。

堀:「海軍士官で留学して語学を勉強させられて、その語学がモノにならないのは、英国か米国に行った人だ」

井上:「そうかなぁ。高校まで英語を十分やって、航海で外国に行ったりして、それから米英に行った人は(語学が)完成しそうなもんだけど?」

堀:「いや、むしろ逆だ。なまじ日本で英語を習うと、買い物でも何でもたいていの用事は通じるから、
これはいけると思って勉強しなくなるんだ。ところが、他の外国語になると高校じゃ習わない。
勉強しろって海外に行かされると、レストランで美味そうだと思っても、言葉を知らないから食べたい料理も食べられない。
買い物とかでも同じで、そういう不自由をするから言葉を本気になって勉強する。
そうして、現場で生活しながら言葉を鍛えつつ勉強する。だから、かえってフランスやドイツとかに行った方が、帰ってきた時には英語を日本で10年も習って米英に留学したやつの英語より上手になる」


日本人の語学的な心理を突いた上手い表現やなーと思いますわ、これ。
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この記事のコメント

>宇治金時さん

そうですよん♪
何やったら会ってみます?(笑
2008-06-10 Tue 13:11 | URL | のぶ@大阪 #qDfdtOiE[ 内容変更]
エセ関西弁ですね。
本当に大阪人なのですか?
2008-06-10 Tue 11:41 | URL | 宇治金時 #-[ 内容変更]
>g-monさん

ちなみに、こっちは「しげみ」と読んだらあきまへんで(笑
g-monさんはどないな感じで名前つけたんかわからんけど、
「成美」って、論語の「美を成す」っちゅー言葉からきとります。
2008-05-08 Thu 19:46 | URL | のぶ@大阪 #qDfdtOiE[ 内容変更]
>三九郎松さん

井上成美は、阿川本の「井上成美」か、「最後の海軍大将 井上成美」って本が詳しいでっせ。
せやけど、読むんやったら同じ阿川本の「米内光政」とか「山本五十六」も読んだ方が深みが出て、昭和史の一幕が立体的にわかるよーになりますわ。
図書館に行ったらまずあると思うさかい、図書館で借りてみるんも手でっせ〜。

2008-05-08 Thu 19:43 | URL | のぶ@大阪 #qDfdtOiE[ 内容変更]
>すーちゃそさん

ああ、確かに一文字違いか(笑
せやけど、井上晴美って懐かしいな〜。
2008-05-08 Thu 19:40 | URL | のぶ@大阪 #qDfdtOiE[ 内容変更]
ぜんぜん関係ないコメントなんだけど、娘の名前が「成美」です。体で覚えるタイプです(汗
2008-05-06 Tue 21:55 | URL | g-mon #atzm6Dzg[ 内容変更]
博覧強記の人ですね。
本屋で表紙を見たことが有りましたが、
この文章を読ませていただいて、購入してみたい気分となりました。
私は外国語が苦手ですが、英語に堪能な方と付き合った事があります。
英語のニュース放送を聞いていても日本語のニュース放送だったのか?英語のニュース放送だったのか?
考えないと判らない。と言われていましたね。(^_^)
2008-05-05 Mon 18:58 | URL | 三九郎松 #DBuxgMqg[ 内容変更]
井上晴美とかんちがいしたのは自分だけですか・・・汗
2008-05-05 Mon 16:56 | URL | すーちゃそ #-[ 内容変更]
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