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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■阪神大震災回想録

今、テレビで地震の特集やってまんな。
地震・雷・火事・親父ちゅー言葉があるよーに、
怖いもんの代名詞として日本人にゃお馴染みだす。
日本ちゅー国は、よりによって地球のプレートが交わるとこにあるさかい、
地震とはある意味お友達にならんと生活できへんとこがあります。
大阪は、あんまし地震が起こらんさかい、あんましピンとこえへんゆーたらそうやけど、
その代わり、ちょっと揺れたらホンマにパニックになりますな。

ワシは、実は11年前の阪神・淡路大震災は体験したことおまへん。
そん時は中国におって、旧正月の休みゆーこともあって、
上海の友達んとこでグウタラ生活してましたんや。
そん時はワシが20歳ゆーんもあって、同じ20歳を迎えて日本の成人式に出られへん組で、
年上の先輩が祝ってくれたんもあって、ワイワイ騒いでましてん。
さんざん酒飲まされて、廊下で倒れてほとんど記憶なんかあらへんかったんやけど、
その二日酔い一歩手前のヘベレケ状態は、ある一本の電話で一気に冷めました。

 「関西でかなりデカい地震が起こったらしいぞ!」 

その一言で目が覚めましたわ。
せやけど、中国のテレビは何も報道なし。相変わらず政府要人がどこそこの国のお客さんと会って、友好を深めた、とか下らんニュースばっかでした。
当時はインターネットなんかなかった時代、更に今でこそちゃうけど、
中国のテレビなんか、上のような有様やさかい、全然アテになりまへん。
情報をGETできるんは、電話と短波ラジオのみ。
短波ラジオも、朝昼はなかなか受信が難しゅーてほとんど声が聞き取れん有様やさかい、
まずは誰かが代表で関西の親元とか親戚の家に電話。せやけど電話は全く通じず。
最初は、まあ大したことあらへんやろーって楽観論が周りを包んでたんやけど、
電話が通じんくらいの出来事に、ちょっと悲壮感がただよいました。
そして、日本側から電話がかかってきて、状況がなんとなくわかったんやけど、
最初に聞いた時は死者4名。
デカい言う割にはよかったなー、と最初は思ってたんやけど、
日本からの電話がかかってくる度に死者の数が増えていって、
ついに100人を越えたところで、こりゃタダごとやあらへんな、と思いました。
せやけど、とにかく映像があらへんさかい、イメージがつきにくいってのもありました。
夜になっても中国は相変わらず全く地震のことは報道せず。中国のニュースは、国際ニュースゆーて、国外専門ニュースだけを報道する番組があったんやけど、
それでも地震の「じ」もなし。まるで他人事どころか、意図的に隠しとる雰囲気さえ感じましたわ。
夜になって、ようやく短波ラジオが聞ける電波良好な時間帯になって、
NHKの短波ラジオを聴いてると、悲壮感漂う声が聞こえてきました。
ラジオは刻々と状況を説明してくれるんやけど、
淡々とながらなんか物苦しいその声は、何も情報がわからん海外在住にとって、
余計に不安にさせるものになりましたわ。
おまけに、関西人が多かった上海の大学、みんな他人事やなくて、家族とも連絡が取れんで、泣き出す子もおりましたわ。
とにかく映像が見れん以上、イメージでしか状況が浮かばんかったけど、
「海外在住の日本人の皆さん、神戸に救援物資を送って下さい」
この、声を振り絞るよーなアナウンサーの言葉は、今でもはっきり覚えてますわ。
ワシもこの一言で冬休みグウタラ気分が一気に吹飛んで、こりゃなんとかせなあかんなー、と奮い立ちました。

次の日の夜になって、よーやく中国のニュースが神戸の映像を報道したんやけど、
一面の火の海に一同真っ青になりました。
まるでこの世の終わりみたいな報道するさかい、神戸出身の女の子とかはいっせいに泣き出す始末。
こんなんやったら、見ん方がよかったかもしれまへんな。
電話もまだ通じへんし、不安はつのるばっかしでしたわ。
で、地震の時は流言、つまり荒唐無稽なウワサみたいなんが広がるのがいつものパターンらしいけど、
海外にもそのウワサが伝わって、関西空港の滑走路にヒビが入って使用不能になっただの、連絡橋が崩壊しただの、
新幹線が脱線して、すごい死者が出ただの、
冷静に考えたら、んなアホなっちゅーウワサが上海の日本人社会に飛び交ってたんやけど、
的確な情報をくれたんは、実は中国人ですねん。
言論統制しとる国の知恵っちゅーんか、中国は伝統的に口コミ情報が重視されてて、
「国営情報」なんか中国人自身信じてのーて、どこからやってきたのかわからんけど、口コミがけっこう信頼できたりしますんやわ。
せやけど、人によっちゃピンボケしとる人もおって、
いつも行ってる商店とかのおっちゃんとかは、
「神戸で地震が起こったらしいな」
と心配してくれるんはええんやけど、
「で、神戸ってどこにあるんや?」
って見事にピンボケかましてくれてました。
大阪と上海は友好都市提携しとるさかい、大阪の隣や、って説明したらわかってくれましたわ。

こん時、
「もし上海で地震が起こったらどないする?」
って聞いてみたんやけど、
「地震?起こるわけがない」
と頭ごなしで否定。「仮に」って前置きしても、
「絶対に起こらんから、想像しようがない」
と完全にタカをくくっとるみたいでんな。
後で調べてみたら、中国の歴史上、上海あたりで地震が起こったんは、確かに90年くらい前の1回だけみたいですわ。
せやさかい、上海の建物にゃ耐震対策なんか微塵もしとりまへん。地震っちゅー概念すらあらへんさかい、まあある意味しゃーないですやろな。
そん時、「仮に」上海で阪神大震災クラスの地震が起こったらっちゅー
シミュレーションを日本人の間でしてみたんやけど、
たぶん、建物倒壊率は90%を越えて、死者は少なくても6ケタはいくやろなー、ちゅー結論が出ました。
中国でも地震はあるんやけど、一部地域だけやさかい、「地震」って言葉は知ってても地震ちゅーんがどないなもんか、
イメージつく人ってあんましおらんのが現実でんな。

日がたつにつれて情報も的確に伝わってきて、より詳細な情報が伝わってきて、
ちょっと緊急で中国で買った安い物資をたらふく抱えて、名古屋経由で帰国したんやけど、
そん時に神戸に行って、オヤジと二人でボランティアしてきました。
ちゅーか、大工であるオヤジが無給で神戸に行ってたさかい、仕事を手伝っただけなんやけど、
家が倒壊して、焼け野原みたいになってた姿を見て、オヤジがつぶやきました。
「なんか空襲の時を思い出したな」
うちのオヤジは、空襲は直接経験してへんのやけど、
戦争の時、神戸生まれのオヤジは、空襲予告のビラがアメリカの飛行機からばら撒かれて、
空襲予告のビラを撒いてた都市もあったそうな。それでも死者が出たんは、誰も信じへんかった+近所の目があって自分だけ逃げられへん空気があったらしいけど、
うちのばあちゃんもその一人でした。
せやけど、オヤジから見たばあちゃん、つまりワシの曾おばあちゃんなんやけど、
慌てて荷物を整えて、オヤジとばあちゃんを強引に連れていって、奈良の田舎に避難していきました。
それから数日後、オヤジを連れてばあちゃんが荷物を取りに神戸に戻ったら、
神戸は一面焼け野原、家ももちろん跡形もなかったそうですわ。
この話はばあちゃんからも聞いたことあるけど、
そん時の光景を、オヤジは小さいながらはっきり覚えてたそーな。

地震は、ある程度は予知できるらしいけど、それでも突然やってきて、
築き上げた財産や人を一瞬で破壊してまいます。
これだけは自然の成り行きやさかい、ある程度はしゃーありまへん。
頭脳でいろんな局面を乗り越えた人間やけど、
自然の猛威には叶いまへん。
所詮、人は自然を越えることはできへんってことでしょーな。
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テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

コメント

■ 

>あざらしはん
はじめまして。ようこそ我がブログにいらっしゃいました。
あれは早朝に起こってたさかい、寝ててそのまま・・・って人も多かったでしょうな。
関西人やのに外から見させてもろたさかい、その分印象に残っとりますわ。うちのオヤジも爆睡してて気付かんかったらしいけどね。
せやけど、人間の記憶は風化するもんやさかい、これは生理的現象、ある程度はしゃーないでんな。
でも関係者にとっちゃ一生忘れられへん出来事やと思いますわ。

またうちのブログに来て何かコメントしてやって下さいな、これからもよろしく!
2006/01/12 URL のぶ@大阪 #- 

■ はじめまして。

もう、11年になるんですねぇ。
私は爆睡していて、実はリアルタイムでは
あんまり覚えてないんです(^^;
なんとなく、騒がしいな、って思ったら、1Fにいた
母が、私が返事をしないので、本棚の下敷きになって
死んだ、と思ったらしい。(後日談)
そら、起きてから、びっくりでしたわ。
庭では灯籠が倒れ、TVでは高速が倒れ、スゴカッタ。
でも、悲しいかな、喉元すぎれば熱さ忘れる。
記憶って薄れるんですよねー。
2006/01/12 URL あざらし #- 

■ 

>あいびすはん
ワシは、友達を2人失くしましたわ。せやさかい、去年は墓参りに行ってきましたわ。当時20歳やったさかい、若い命やったなーと。せやさかい、むざむざ命捨てるよーなことはできまへんわ、彼らの分まで生きてやらんと。まあ、ワシは体力ないけど生命力はゴキブリ並み言われとるけど・・・。
2005/12/11 URL のぶ #- 

■ 

>すりっぱはん
どーやら大阪は隣やのにあんまし被害なかったみたいでんな。電話が通じてわかったけど、親もピンピンしてたし。
ばあちゃんいわく、むしろラジオもロクになかった関東大震災の方が怖かったらしいですわ。
(意外に知られてへんけど、関東大震災は、京都でも震度5やったらしいですわ)
2005/12/11 URL のぶ #- 

■ 

>omiidonはん
当時は中国はホンマに情報遮断国家やったさかい、何も情報はいってこんと、ホンマに不安でしたわ。日本総領事館もアタフタするばっかで、な~~んの役にも立ってまへん、ありゃ税金のムダ遣いやな(笑
せやけど、日本にボランティア精神が芽生えたんはあれが契機やと思うさかい、痛みと共にいいきっかけが生まれたと思いますわ。
2005/12/11 URL のぶ #- 

■ 

>55ほーくすはん
まいど、久しぶりやな~♪
九州でも地震起こったもんなー。関西も九州もほとんど地震起これへんさかい、起こったらデカいもんばっかしやな。
天災はある意味気をつけよーあらへんけど、お互い気をつけまひょ。
2005/12/11 URL のぶ #- 

■ 

>ポプリはん
もし1日旦那さんの帰りが遅れてたら、えらい目に遭ってたかもしれまへんな。でも、もう11年ですもんね。早いゆーたら早いですわ。
2005/12/11 URL のぶ #- 

■ 

今年が10年目で、三ノ宮の東遊園地で黙祷を捧げてきました。
Myプリ初の長距離走行でしたが、大阪方面は何度か着ているので楽でした。

10年前、地震発生2分後に横浜に揺れが伝わってきました。
「震度2」で数字的には焦らないのですが、問題は「北海道南西部沖地震」と同様の揺れ方だったので『どこで起きた大きな地震だ!!』とラジオにかじりついて怯えてました。
5分後、NHKが阪神地区で地震が起きたことを伝えてきました。

横浜にいても怖かったあの揺れは忘れません。

何も出来なかったあの時、だからせめてもと神戸に足を運びました。

ただ、知人が全員無事だったのが私とっては幸いです。
2005/12/10 URL あいびす #TxkH7Oa2 [編集] 

■ 

そうやったんですか、あのとき中国にいたはったんですか。そら不安でしたやろ。。。
しかもお父さんと復興のお手伝いをされたなんて、すごいことですね。。。
ワタシはひとりもんになって、家に帰って生活しはじめた矢先のことでした。
家がつぶれんばかりに揺れるのにびっくりして飛び起き、一番近い利点からか早々と会社へ出勤出来て、会社内の状況を皆さんに電話したりしてました。
テレビの映像の阪神高速横倒しは、衝撃的でした。
そんな中で必死に生きて活動し、復興を遂げてこられた方々へ敬意を表します。
2005/12/10 URL omiidon #u5zqAUl. [編集] 

■ 

その頃は枚方の寮に住んでおり、その前日まで風邪をこじらせ、寝ていました。
最初は何が起こったのか理解できず、棚の上に置いていたテレビが落ち、電気も点かず…
会社への電話も通じず…
とりあえず同じ所属の人間を集め全員で職場に向かう事にしたものの、電車(京阪)もストップ
暫くして電車が動き出すも余震の影響でストップ&ノロノロ運転なので、普段は京阪淀屋橋→御堂筋に乗り換え、本町へ行くところ、天満橋から歩いて出勤。
既に復電しており、大きな地震だとは思ってはいても、まさかテレビに映っている様な惨状は予想だにしていませんでした。
それから数日後に長田区を歩いた時は「ホンマに現代の日本か?」と戦時映画に出てくるような空襲跡を歩いてる気分でした。
2005/12/10 URL すりっぱ@大阪人 #Nht8GqZI [編集] 

■ 

ご無沙汰~。
阪神大震災の時はたるみ区の友達となかなか電話が通じず、その後やっとつながった時はほんとに涙がでた。
で、その11年後、規模は違うけど自分が西方沖地震の当事者になり、心配の電話やメールをもらうとは。。。
福岡に地震なんてほんとに想像もつかんやったけんねぇ。昨日の夜も久々に揺れとったとよ。やっぱ恐かね。
2005/12/10 URL 55ほーくす #- 

■ 

この地震の前の日に、主人は丹波篠山にいたんです。
帰ってきた次の日に地震とTVで見て驚きました。
伊丹駅は潰れてましたし、神戸に泊ったりしていたら・・・。
もう11年も経ってしまったのですね。(-_-;)
2005/12/10 URL ポプリ #mQop/nM. [編集] 

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