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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■簡単に語る台湾の歴史

一昔前、台湾がちょっとしたブームになったことがありましたな。
某タレントが台湾にハマって紹介の本を出して、更に元は台湾とか香港で活躍してた金城武が日本でブレークしたんもあって、
若い人がどんどん台湾に出かけるようになりました。
今でも、台湾を訪れる外国人の60%が日本人って言うし、日本を訪れる
台湾人の数もナンバー5にいつも入ってるってくらい、
意外につながりは深いもんがありますんやわ。

せやけど、台湾に行く人がどれだけ台湾のことを知っとるんか、
そしてちゃんと予習して行っとるんか、
ちゃんと勉強して行く人は少ないんちゃいまっか?
せやけど、アメリカとか中国とか、メジャーな国やと大まかな歴史は学校で習うさかい、漠然と覚えとる人はおるやろーけど、
台湾の歴史は、学校の授業でやることはまずないやろな。
ある意味政治的にゃ「一地方扱い」されとるさかい、しゃーないってのもあるけど、
この地域の歴史を調べると、日本人は他人事やないことがよーわかりま。

今週末に台湾に行く人がおるさかい、ここで台湾の歴史っちゅーのを、
講談風に書いてみよーと思いま。
台湾に興味ある人とか、台湾に旅行に行く人なんかは、参考程度に頭に入れとくと、
また見方が変わって面白くなってくるかもしれまへんで。
* * *
時をさかのぼること400年以上昔。
はるか地球の裏から船で長い年月をかけて渡ってきたポルトガル人がいたと言います。
黄金の国ジパングを目指してやってきた彼ら、そのジパングへの途上で、緑に包まれた大きな島を見つけました。
船の上から見えるこの島、さぞ美しかったんでしょうな。
彼らはつい叫びました。

 「イル フォルモサ!」 

意味は「何て美しい島なんだ」ってことらしいのですが、
台湾が別名「フォルモサ」と言うのも、このエピソードがきっかけでございます。
それはそれで終わってしまったんですが、
台湾が日本の歴史に出てくるのは、豊臣秀吉の頃でございます。
秀吉は、日本の南にある「高山国」という所に使者を派遣して、朝貢をさせようと目論んだのですが、それがそれが見当違い。
当時の台湾は、中国にも入ってなく、もちろん国も役所もない場所。
結局空振に終わって帰ってきてしまいましたとさ。

台湾に権力という、目に見えない化け物を持ち込んだのは、
日本でも中国でもなくオランダとスペインでございます。
オランダは今の台南の近く、そしてスペインは今の台北の郊外にある淡水というところに本拠地を置いて、
植民地にすべくその触手を伸ばしてたということでございます。
のちにオランダがスペインを追い出して、台湾にはオランダだけが残ることになったのでございますが、
そのオランダを追い出したのは、大陸中国では滅んだはずの明王朝の亡霊なのでございます。

その時、日本ではちょうど江戸幕府ができた頃でもありますが、大陸では明王朝が腐敗して自滅、中国の北に勢力を伸ばしていたが労せずして中国の覇者になりました。
だがしかし、明王朝の皇族が南部に逃げ込んで亡命政権を作り、新しい中国の王者に刃を向けておりましたのでございます。
それを守り立てていた一人に、鄭成功という人がおりました。
彼は中国人の父と日本人の母を持つ、今風に言えばハーフでございますが、
大陸がどんどん清の勢力に飲み込まれていくうち、台湾に逃げて新天地を求めたということでございます。
彼らは台湾に巣食うオランダの勢力を追い出して、ここに亡命政権を作ったのでございます。

しかし、台湾まで逃げたものの、鄭成功はその数年後に死んでしまい、その子供や孫の世代になって清に降伏してしまい、台湾はここで清の領土になりました。

と思ったら大間違い、清は反乱勢力を降伏はさせたものの、台湾に対してはほぼ無策、簡単に言うとほったらかしにしたのでございます。
いちおう形だけの役所は置いていたものの、誰も好き好んで台湾に赴任するものなどおらず、
言わば台湾は19世紀の最後の最後まで無政府状態なのでしたとさ。

その間に、清の政治も安定して大陸では人口が爆発的に増えていったそうでございます。
台湾と大陸とで対面する地域の中国福建省は、元々山が多くて耕地が少なく、
人口が増えるとその圧迫に耐えることはできませんでした。
当時は大陸から台湾に渡航は禁じられてたのでございますが、そんなものお構いなし、
食うに困った福建省の人たちは、船を動かしていざ台湾へ~。
当時の台湾にはもちろん、南アジア系の原住民が住んでいたのでございますが、
今の台湾人と言われる人たちは、その原住民と、大陸から渡ってきた漢民族との混血であると言えるでしょう。DNA的には台湾人は漢民族ではなく、東南アジア系と言う人もいます。

その数百年放置されてきた台湾でございますが、列強の帝国主義、そして伏兵の出現によって、ほったらかしにはいかなくなってきました。
その伏兵とは誰か。
それは、日本なのでございます。

時は1874年、明治時代もようやく落ち着き始めた頃でございますが、
琉球は宮古島の漁民が台風に遭って台湾に流れこんできましたのですが、
そこで運悪く、台湾の原住民に敵と見なされて殺されてしまいました。
琉球、今の沖縄は当時は日本でもあるし中国でもある宙ぶらりんの地方だったのでございますが、
日本政府は、「自国民」を殺された補償を清に要求したものの、清の返事は
「あそこはワシらの領土じゃないから知らないね」
と拒否したのでございます。
そこで日本は、イギリスの入れ知恵もあって、
「ほな勝手にやらせてもらいま」
と台湾に出兵。原住民を征伐しに海外に軍を派兵したのでございます。

ここで驚いたのが清王朝。
ちょっと待ってくれと言った時には既に遅し、結局日本に賠償金を支払うことで解決したのでございますが、
ここでもう一つ、日本の歴史で重要な「その時」があるのでございます。
それは、
「琉球を日本領土と認めたこと」なのでございます。
それまで日本でもあり、中国でもあった二重領土の沖縄が、正式に日本のものとなったのです。
清はこれにはさすがにゴネたそうでございますが、日清戦争でグウの音も出なくなった清は、泣く泣く琉球を手放すことになりました。

この事件に驚いた清は、ようやく眼が覚めたのか、台湾に有能な役人を派遣して、
台湾を防波堤の代わりにしようと画策しますが、その時にはもう手遅れ。
ここで台湾の歴史を90度、いやいや、180度変えた日清戦争が起こったのでございます。

日清戦争で日本は眠れる獅子、いや、もう猫にも勝らない清に勝利し、
下関条約という講和条約を結んだのでございますが、
これは学校でも勉強するので知ってる人はいっぱいいることでしょう。
でも、中身は意外と知らない人がいるのではないでしょうか。
この講和条約の条項の一つに、

 「台湾を割譲する」 

という項目がありまして、
ここで台湾は日本に引き渡されたということでございます。
その時、清側の全権の李鴻章は、日本側全権の伊藤博文に、

「台湾?そんなのくれてやる」

と吐き捨てたと言います。
台湾でよかった、ラッキ~♪って気分でしょうな、李鴻章にとっては。
でも、李鴻章はこうも言ったと言われます。

「台湾、日本に扱えるかな?」

この言葉、かなり意味深なのでございます。
台湾は今でこそ自然が豊富な宝物のようなとこでありますが、
当時はマラリアが蔓延する悪魔の島のようなもので、後に台湾の割譲に納得しない人たちが反乱を起こしたのでございますが、
その時に制圧に向かった日本軍の死者が4000人ほど。
そのうち3800人がマラリアで死亡したと言われているくらいなのです。
更に台湾は反乱が多い地域でもあって、
「3年に1回小さな反乱が、5年に一回に大きな反乱が起こる」
というくらいの地域で、中国もかなり手を焼いていたと言います。
更に更に、マラリア除けと言われるアヘンが台湾の深くまで浸透して、慢性病のように台湾を蝕んでおりました。

事実、日本が台湾を領有して最初の間は、上の3つにはかなり手を焼いたそうでございます。
数々の、歴史の教科書にも出てくるVIPな人達が台湾総督に就任したのですが、
ほとんど尻尾を巻いて逃げ出す有様でございました。

そこで、「もう台湾総督をやれるのはお前しかいない」と任命されたのが、
日露戦争でも活躍して、最後には神になってしまった児玉源太郎なのでございます。
児玉源太郎は、台湾に向かう際にある人を連れていきました。
それが、この人も歴史の教科書に出てくる後藤新平でございます。
関東大震災の後の東京市長(東京都知事)になって、都市計画を抜本から立て直し、今の東京の基礎を作った、今の都知事も尊敬する政治家なのですが、
この児玉&後藤コンビが、台湾の歴史を完全に塗り替える活躍をするのでございます。
後藤新平は、今までの台湾総督が何故台湾経営に失敗したのか、それを分析してある結論を出しました。
それが児玉との台湾へ向かう船の中での会話に残ってます。
児玉が、新(台湾)総督の方針演説の原稿作成を後藤に依頼したところ、
後藤は一言言いました。
「そんなもの、やらんでいいでしょう」
後藤は、前の台湾総督の轍を踏まないように、「生物学の法則でやる」と言いました。
「タイの目を強引にヒラメにくっつけてもしっくりいくわけがない」
という名言が、今でも残っております。
それを一発で理解した児玉は、総督にある間、
「台湾総督の方針は無方針」
をずっと貫きました。

このコンビが台湾政策で行ったことは数多いのですが、
まずは衛生状態の改善でございます。
元は医者で、予防衛生の専門家だった後藤新平、医者としての目で台湾の不衛生を改善していきました。
お次はアヘン対策。これは李鴻章が、撲滅に数百年かかるとまで言わせた台湾のガンとも言えるものだったのですが、
強引に禁止にしたら反乱が起こってしまう、とここで「生物学の原則」を使って、アヘンを専売制にして徐々に減らしていく政策を取りました。
そして、李鴻章が数百年かかると断言したアヘン患者、46年後の昭和16年にはついにゼロになります。
児玉源太郎は日露戦争で忙しくなり、行政はほとんど後藤が行っていたのですが、
このコンビの頭の良さを上手く書いたのが、
一時期農業顧問として、児玉&後藤の三顧の礼を以って台湾に住んでいた新渡戸稲造、つまり前の5000円札ですな。

「児玉さんは、私が相談に行くと、専門の農業政策のことでも10分もあれば的確なアドバイスをくれた。後藤さんに相談したら、さすがに30分はかかったのだが、
同じ事を伊藤(博文)さんに相談したら1日、山県(有朋)さんに相談したら1週間はかかるだろう」

ということを前5000円さんは書いてたのですが、この言葉を以ってしても、それだけの辣腕を振るったかがわかると思います。

その後も数々の台湾総督が赴任したのですが、
日本が台湾にどれだけの精力を傾けていたか、それは台湾につぎこんだ投資額もさることながら、
学校をどんどん設置していった、ということも挙げられます。
ふつう、植民地と言えば、強者が弱者を搾取するだけの存在で、ある意味発展してくれると困る場所でもあります。
よって、植民地に学校を作るという発想など、ほとんど持ち合わせていませんでした。
しかし、日本は学校の設置はもちろん、就学もどんどん進めていき、ついに大学(台北帝国大学)まで作ってしまいました。
植民地に、統治する側が大学を作ったのは、世界でも台湾とシンガポールしか例がないと言われております。
(被殖民側が作った大学は、香港などにもあります。他に日本はソウルにも「京城帝国大学」を作りましたが、今のソウル大学に相当するものの、ソウル大学の歴史からは「京城帝国大学」は抹殺されております。ちなみに今の台湾大学の歴史は、「台北帝国大学」だと公式に認めています。校舎も当時のままなので、台湾に行った時には見にいってみましょう)
昭和19年当時の児童の就学率はなんと92%、もちろんこれは日本内地に等しい数字です。
ちなみに、前の台湾総統の李登輝氏は、台湾で旧制高校まで進み、日本の京大で学んだことがございます。

1895年~1945年の、台湾が「日本」だった時代を、台湾では「日治時代」とか「日本時代」と言いますけど、
この50年間は台湾の歴史にとってはかなり重要な時代で、今の台湾の歴史の教科書の3分の1がこの50年にページを割いています。
もちろん、日本が台湾に行ったことは良いことばかりではないですが、それ以上に台湾に大きな遺産を残してくれた日本、そして「日本時代」をもっと客観的に評価しようと、
台湾人はプラスに考えています。
台湾に行くと、日本人だからこその数々の「特権」を享受することができます。
それが日本語であります。
日本が台湾に遺した遺産は、何も工場や鉄道、空港とかの目に見えるものばかりではございません。
日本語や日本文化も見事に台湾化して、現在に残っております。
今でこそ人口はかなり少なくなりましたが、日本時代に生まれ育った人はほとんど日本語がしゃべれて、
その流暢さは並半端なものではありません。
「NHKのニュースと連続テレビ小説を見ないと朝が始まらないよ」
と言う人もいるくらいでございます。
初めて彼らの日本語を聞いたら、たぶん「本物」の日本人は腰を抜かすかもしれません。
たまに日本の文句を言う人もいますが、それは何も恨みではなく、
老人がだらしない孫を叱るようなもので、それにはむしろ「愛」さえ篭っているように思えます。
また、台湾人は日本食に全く抵抗がないのも特徴です。
外国の日本食レストランと言えば、現地在住日本人かマニアックな現地の人しか行かないという所が多いのですが、
台湾は現地の人が何の抵抗もなく行ったりします。
台湾の、現地の人しか行かないような夜店にも、何気に「茶碗蒸し」や「寿司」があったりします。
また、温泉も日本が残した遺産でしょう。台湾は実は隠れた温泉天国で、
温泉が数百ヶ所あると言われてますが、その3分の2くらいが「日本時代」に温泉好きの日本人によって開発され、
今でも日本の温泉町の面影を残る場所もあります。

温泉地には、「日本時代」に建てられた純和風旅館が今でも営業している所があり、
畳敷きの部屋でくつろいでると、自分が海外にいることを忘れることがあります。

そんな色々なものを遺した「日本時代」も、
1945年の日本の敗戦で終わりを告げます。
ここで台湾は中国に「復帰」したわけですが、
ここからが台湾にとって試練の始まりになろうとは、誰が思ったでしょうか。
中華民国政府から派遣されてきた台湾長官は、台湾を私物化して腐敗が横行し、
インフレも2年で数百万倍というとんでもない数値にまで跳ね上がり、
生活は途端に行き詰まり、
更に大陸からやってきた中国人が特権階級を構成し、事実上「中国の植民地」と化してしまいました。
そして、台湾人の怒りは、228事件で爆発します。
台湾の歴史最大の悲劇と言われ、そしてほんの20年前までは、語るだけでも牢獄に数十年放り込まれたこの事件、
死者は3万人とも、5万人とも、10万人とも言われています。

そして1949年に大陸では中華人民共和国が建国され、落ち武者同然の中華民国は台湾に落ち延び、ここに「臨時政権」を作りました。
これは、ある意味「中華民国」と「国民党」が台湾に存在する以上、今でも続いています。
中華民国の「皇帝」の蒋介石は、大陸から亡命してきた人にだけ政治的権利を与え、台湾人を政治の場からほとんど締め出しました。
そして、「特務」という秘密警察を使って思想的に危ない人を牢屋に放り込み、秘密裁判で死刑にしていきました。
日本を語るのももちろん禁止、日本に留学経験があって、「親日家」の蒋介石だからこそ、徹底的に反日教育を行いました。
しかし、「日本時代」を知ってる人にとっては、この時期よりも日本の方がいい、という風潮が生まれ、
反日教育が逆に余計に日本への慕情を生む結果になったのは皮肉ですね。
台湾には、
 「犬去りて豚現る」 
という言葉があります。
犬は日本(人)、豚は中国(人)のことなのですが、
犬はワンワンうるさいが、番犬になって守ってくれる、しかし、豚はただ食って寝て太るだけ、
ということを揶揄ったものです。
台湾人の中には「中国人」と言うと不快感を示したり、時には怒り出す人もいます。
また、台湾では「豚」と言えば中国人に対する最大級の侮蔑の言葉で、
「我々は台湾人だ。あんな豚と一緒にするな」
と日本語で言う「日本世代」のお年寄りもいないわけではありません。
この「中国」の出現によって、台湾人と中国人の溝が深まり、お年寄りの世代は交流さえ嫌う人もいます。
若い世代だとその対立はそれほどではないものの、台湾に行く日本人は、このことも頭に入れておいた方がいいと思います。そしてむやみやたらと台湾人を「中国人」と言わないように。

そして、上からの圧力に耐えつつも、台湾人は徐々に経済力をつけていき、そして政治の世界に進出します。
そして今から15年前に、台湾は一大変化を遂げます。
初の台湾人総統である李登輝氏の出現です。
李登輝氏の前の総統、蒋介石の息子である蒋経国の総統時代から、台湾には自由が戻りつつあったのですが、
李登輝氏の出現によってその勢いは加速していき、以前は
「台湾の総統官邸を絵に描いただけで機密漏えい罪で懲役30年」
という、政治的には地獄に等しかった台湾が、一転天国に変化していきました。

そして1996年、「中国4000年」の歴史で初の快挙が台湾で実現しました。それは、

国のトップを民衆の選挙で決める

ことでした。
なんだ、そんなことかと思うでしょうが、国を動かすトップを直接選挙で選ぶことは、実は中国の歴史始まって以来のことなのです。
中国の歴史の観点から見たら、これは革命に等しい行為です。
独立自営の道を歩もうとする台湾に対して、大陸中国はできる限りの妨害を行ったのですが、
結局それは中国の悪あがきで終わってしまい、恥を世界に晒したことは、最近のことなので覚えてる人もいることでしょう。
これで総統は任期4年、3選禁止という規定ができ、
2000年の総統選挙で、ついに台湾独立を党の方針とする(今はトーンダウンしてますが)民進党の陳水扁氏が総統になりました。
彼は今でも現役総統ですが、総統になった時の、北京語ではなく台湾語で就任演説を行ったことは、
数十年前は公の場で台湾語をしゃべるだけで牢屋に放り込まれた時代とは、すっかり台湾自体が変わったことを物語るものでした。
そして、台湾がやっとオランダ→清→日本→中華民国に支配された「被殖民者」の時代を脱し、ある意味精神的に独立を果たした、とも言えるのではないでしょうか。

まだまだ台湾情勢は、良くもなく悪くもなく、という風雲時を告げる状態にあり、かろうじてバランスオブパワーを保ってる状態なのですが、
日本ともこうやって深い関係にある台湾、決して日本は無視したり対岸の火事視はできない存在でしょう。
台湾に行ったら、まだまだ残っている日本の遺産を目にしながら、
これからの台湾を見つめてみてはいかがでしょうか。
たかが一地方と言えばそれまでですが、「一地方」でこれだけ波乱に満ちた歴史は少ないと思います。この歴史を頭に入れて台湾を歩いてくれると幸いです。
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テーマ:台湾
ジャンル:海外情報

コメント

■ 

はじめましたユーメイズです。
どうやってノブさんのブログに行き着いたかは覚えていませんが、「あっ台湾のことが書いてある」と思い嬉しくて一気に読んでしまいました。私も台湾の情報サイトを今年の9月から始め、今年台湾へも5回行きました。1回はツアーでしたが、あと4回はフリーの一人旅です。1月の初台湾での台湾との衝撃の出会いから早1年!体は日本にいますが、魂は台湾にあります。自身のサイトで台湾の歴史と二二八事件の事も紹介させてもらっていますが、ノブさんの台湾の歴史ブロクの内容の正確さと簡潔かつ的確なその文面に思わず脱帽!これからも台湾のことを紹介していってください。楽しみにしてます。


2014/12/23 URL yumizu #- 

■ 

>かず@栃木はん
台湾のきっかけは、司馬遼太郎の「台湾紀行」でした。中国で読んで「こりゃ台湾もみなあかん」と思って、すぐ台湾に飛んで1年くらい住んでました。
おかげで、中国も台湾も知って自分の体感の枠が広がりました。

台湾は、是非まず中国に行ってから、香港経由で行きはることをおすすめします。
このルートやと、3つの「中国」の違いが目だけやなくて体で感じることができるし、何よりもだんだん日本っぽくなってきて、精神的にもええと思いま。
逆ルートはいくらでもやったことあるけど、正直台湾→香港→中国に行くにつれてブルーになります(笑
2005/11/21 URL のぶ@大阪 #nz5q6xfQ [編集] 

■ 

よく勉強されましたね。
他の多くの人にものぶさんの文章を読ませたいです。
十数年前に伊藤 潔という人が著した「台湾」という本を読んでから私の台湾に抱いていたイメージが一変しました。
その後、司馬 遼太郎の「台湾紀行」や蔡 焜燦の「台湾人と日本精神」などを読むにつれ台湾をこの目で見たいと思っていますが、いまだ果たせていません。
いつか行ったら、八田 與一の指導で作り上げた珊瑚潭がある烏山頭というところに行きたいと思っています。
それにしても、これからの台湾なかなか大変です。
2005/11/19 URL かず@栃木 #w5LRiT.I [編集] 

■ 

>MJはん
台湾は公的には「中国扱い」されとるさかい、なかなかメディアとかにも出てこえへんけど、
台湾が昔「日本」やったってこと、知らん人が多いのにはワシがビックリしとります。
もう台湾に行ってると思うけど、また感想聞かせて下さいね。日本語しゃべるじいちゃんばあちゃんに驚かへんよーに(笑
2005/11/18 URL のぶ #- 

■ 

>omiidonはん
見てくれておおきにだすー。

>全然知りませんでした。
こんなもん学校で教えてくれへんし、マイナス思考の日本人は悪いとこばっかり見るけど、これも立派な一つの歴史でっせ。
ワイの姉貴の旦那のお母さんが台湾生まれ育ちの日本人やけど、話してくれた戦前の台湾と、台湾で聞いた「元日本人」たちの話がピタリと一致して、これが「教科書で教えない歴史」なんやなーと思いましたわ。
2005/11/18 URL のぶ #- 

■ 

>wakaはん
はじめましてかな!?
これはワシが感じたこととかを踏まえた台湾史やけど、そりゃ書けばマイナスはいくらでもありま。せやけど台湾に関してはそれ以上のプラスの歴史がありますんやわ。
日本人は基本的にマイナス思考のマゾやさかい、なんかアラを探そうとするけど、こないな隠れた歴史を勉強するんもよろしい思いま。

台湾1周は2回したことあるけど、特に台湾東部はおすすめしますわ。自然も豊富やし、疲れたら温泉に入れるし、ワシは老後は台湾で過ごしたいくらいええとこでっせー。
2005/11/18 URL のぶ #- 

■ 

おおきに大変勉強になりました。
台湾行くんはじめてで、台湾言うたらコンピューターの部品の製造工場の仰山ある所ぐらいにしか思てまへんでしたが、お隣の国だけに昔から色々な継がりがあったんでしょうね
せっかく行くんやからと思うて台湾の事勉強しようと思いましたが、こんな分かりやすい解説は他ではありまへんでしたわ。
歴史的な視点でも台湾楽しんできまっさ。(嫁と一緒に行きますさかい中華料理と買い物の旅になりそうですが)
おおきにのぶさん
2005/11/18 URL MJ #WEeQhEyQ [編集] 

■ 

おおきに、えらい勉強になりました。
そんないろんなことがあったなんて、全然知りませんでした。
20年近く前に、会社の社員旅行で連れてってもらいました。
訳わからんとおりましたわ。。。
台北で夜遊びいかはった人もかなりいてましたが、おとなしく部屋におったら、夜中に帰ってきはりました。(^_^;)
花蓮まで列車で長いことかかりましたわ。大理石の街、バスに売り込みにきた人に注文した表札が、今でも我家の玄関にあがっとります。
やけに日本語が通じるとこやなあと、思っとりました。(?_?)
2005/11/18 URL omiidon@ケータイ #DpkuJOD. [編集] 

■ おおー。

力作ですねー。
良かったー、自虐史観的な話じゃなくて(笑)

個人的にも台湾は今行きたい海外No.1なんですよー。
新幹線が出来る前に台湾一周したいんですよねー。
2005/11/18 URL waka #oa0foejM [編集] 

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