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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■堺 浜寺 在りし日の高級住宅街を訪ねて

先週末に、散歩がてら近く・・・でもあらへんけど堺の浜寺ゆーとこに行ってきましたんやわ。

浜寺ゆーてもたぶん非関西人の人にゃ馴染みがあらへんと思うけど、
ここはかつては日本有数、東洋一ゆわれてた海水浴場があって、
また日本有数の高級住宅街があったとこなんですわ。
地元堺市民でも、昔海水浴場があったゆーたら、
「え~!?ウソやろ!?」
っちゅーくらい面影はなくて、ワシも物心ついた時にゃ石油コンビナートでしたわ。
せやけど、昔はここは一面の海岸でしたんやわ。
今ほど大阪湾もきちゃなくなかった頃、ここあたりに遠浅の海は海水浴場として絶好の条件を備えてて、
明治~昭和初期には全盛期を迎えます。
こん時にゃ1日数万人もの人が泳ぎに来てたらしいでんな。
今は浜寺公園ちゅー公園になっとるとこは、日本初の国定公園になったとこで、
その昔はあの与謝野晶子(←堺出身)と与謝野鉄幹がよくデートしてたっちゅー話だす。
海に近いっちゅー絶好のロケーションってのもあって、
ここにゃ金持ちの別荘がどんどん建てられて、ここに、関西じゃ当時はあの芦屋をしのぐ大高級住宅街ができましたんやわ。
その範囲は浜寺~高石市の高師浜まで広がってて、
昔はなんと屋敷の敷地内に電車の線路(南海本線)が通ってたっちゅーとんでもない家もあったそうな。

信じられへん話やけど、これ、今でも屋敷の入り口兼踏み切りやったと言われる支柱が、一本だけ残ってますわ。
かなりボロボロやけど、きれいなタイルで装飾された支柱は、かつてあった家が如何に大きかったかを物語る遺産でんな。

浜寺公園1

これは浜寺にある昔ながらの洋風建築っぽい家なんやけど、こんな家が、最近は立替で減ってはきとるけど、
ニョキニョキ建っておりますわ。
中には文化財並みの家もあって、建築フェチにゃたまらんとこでもありますわ。
ワシもこないな家って威厳があってごっつい好きやさかい、よー写真に撮らせてもろてますわ。

浜寺公園駅1

文化財と言えば、浜寺のシンボル的な存在になっとる南海本線浜寺公園駅でんな。
このえらい古そうやけどゲイジツ的な駅舎は、明治40年に建てられて、もち今でも現役だす。現役の駅舎としては日本でも最も古いもんの一つみたいでんな。
これを設計したんは、あの東京駅を設計した辰野金吾なんやけど、東京駅とは一味違うこの平屋建ての駅舎、見てるだけで惚れ惚れしまっせー。
また、画像の右端ギリギリで見えへんのやけど、そこは戦前のVIP用待合室で、皇族もお使いになったことがあるとかなんとか。
今は時たまギャラリーとして使われてるんやけど、当時のブルジョアとかはここで優雅に電車を待ってたんやろなー。

ちなみに、ちゃんとプリとツーショット撮影させてもらいましたわ。
明治から生き残る名建築と、最新技術のハイブリッドカーのツーショットも粋なもんでんな。
ちょっとプリウスに隠れてもーたんやけど、この駅前にゃ、昔懐かしい赤の円形ポストが残ってますわ。残念ながら写真に撮りまへんでした・・・。

で、この建物、明治時代の建築やさかい、あの愛知県の明治村がヨダレを垂らして欲しがってるみたいやけど、まだ現役で頑張るみたいでんな。せやけど解体になったら明治村に引き渡されるんは確定だそうだす。

浜寺公園駅2

これは浜寺公園駅から浜寺公園に続く駅前通りなんやけど、
昔はここから沢山の海水浴客が海に向かって歩いていったんやろなー。
今は静かな駅前通りやけど、面影はなんとなく残ってるさかい、目を閉じてよく耳を澄ませてると、昔の賑わいが目の奥に浮かんでくるようですやろ?

浜寺公園駅3

浜寺公園界隈のもう一つの名物は、やっぱこのチンチン電車ですやろなー。
正式にゃ「阪堺電気軌道」言いますんやけど、誰もそんな呼び名で言いまへん。チンチン電車で全然OKやったりしま。
名前の通り大阪市内の恵美須町(通天閣のすぐ近く)と堺の浜寺を結ぶ路面電車で、今や大阪府で唯一残るチンチン電車ですわ。

これも元々は浜寺公園への海水浴客向けに作られた鉄道で、
浜寺公園駅の駅舎の南海本線は、現役では日本最古の私鉄なんやけど、この阪堺も負けじと古い鉄道だす。
ずっと大阪~浜寺の輸送を南海と争ってたんやけど、
大正時代あたりに南海と合併して、ずっと南海の一路線として生き続けて、1980年に独立しました。
せやけど、南海と互角に競争しとったっちゅーのが、今のあれじゃ考えられまへんな~。

で、ここでトリビア。
このチンチン電車、今は阪堺線と大阪市内南部を走る上町線だけやけど、戦前は堺の宿院ゆーとこから、大浜公園まで支線が走っとったの、
知ってる人はかなりの郷土史マニアか鉄道マニアでんな(笑
この大浜支線が通ってた大浜公園っちゅーとこは、
昔はここも海水浴場でかなり賑わってたとこですわ。
で、この大浜支線は堺の空襲で使い物にならんよーになって、
戦争で大浜公園も寂れてそのまま休止、
線路もずっとなかったんやけど、この支線はずっと「運転休止」状態やって、廃止になったんはなんと1980年、40年もほったらかしになってた可哀相な路線ですわ。

今や我々の燃費ロードに使わせてもろてる、宿院から大浜公園に向けてのデカい道、地元の人は「フェニックス通り」って呼んでる道がかつて大浜支線が通ってた道だす。
(興味ある人はここをクリック。この西に伸びるデカい道が大浜支線の跡だす。燃費ロードの終点でもありますんやわ)

で、更に歴史を書いてみると、この浜寺公園界隈の鉄道同士の競争は、南海と阪堺の他に、昭和に入って阪和電鉄(今のJR阪和線)と新阪堺電鉄っちゅー鉄道が殴りこみをかけてきて、4つの鉄道が競う激戦区になりました。
それだけ浜寺って魅力的やったんやろなー。

で、新阪堺なんて聞いたこともあらへんぞ!って地元の人もおると思うけど、
これは今の旧26号線を大阪市内~浜寺を通ってたチンチン電車ですねん。
旧26が、浜寺から大阪方面に入ったら、片側車線から1車線増えるけど、その1車線分が昔のチンチン電車の跡ですわ。

ちゅーわけで、ローカルな話題は終わりますわ。
けど、こないして普段通り過ぎとる地域や、住んでる地域の歴史なんかをディープに調べたら、いろいろ出てきまっせー。暇つぶしにいっちょ如何でっか?
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テーマ:大阪
ジャンル:地域情報

コメント

■ 

なかなかのショットでしょ?(笑
車止めてまで写真は写さんのやけど、こないして見てみたらツーショット写真を撮ろうかな、って思いますわ。
地元の歴史、調べてみたら意外な発見がいっぱいあると思いまっせ。図書館に行ったら資料はあるし、ネットでも調べてる人はいっぱいおりますわ。
2005/10/25 URL のぶ #- 

■ 

浜寺公園駅と黒プリの写真、素晴らしいですね!
これほんといい。。。
昔のことは掘り下げて考えると、いいものが見えてきますな~。
これからも教えてつかあさい。(^^)
2005/10/25 URL omiidon #u5zqAUl. [編集] 

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