のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

大阪人の、大阪人による、大阪人のため・・・のブログ!?

ブログランキング

ブログランキングに参加しています。 面白い!と思ったらクリックしてあげて下さいm(_ _)m



にほんブログ村 歴史ブログへ

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ

にほんブログ村 歴史ブログ 近代化遺産へ

よろしく!








blogram投票ボタン






ブログ内検索

プロフィール

BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

質問・お問い合わせはこちら

名前:
メール:
件名:
本文:

人気ブログランキング

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

■■■【昭和考古学】姫路 高度経済成長の置き土産

姫路といえば、世界遺産にもなっている姫路城です。日本の有名な観光地として、世界的でも知られています。

しかし、姫路駅と姫路城を結ぶ大通りの喧騒から離れたところに、高度経済成長の置き土産と言える遺物が残っています。



姫路には、かつてモノレールが通っていました。地元の人には「姫路(市営)モノレール」と言われていましたが、正式名称は「姫路市交通局モノレール線」というお硬い名前でした。以後は、書くのが面倒くさいので「姫路モノレール」と書くことにします。

昭和41年(1966)に姫路駅前から、市の南にある手柄山まで開通したのですが、客足が伸びずに昭和49年(1974)に休止、その5年後に正式に廃止になりました。
姫路1

開業後のモノレールの姫路駅前を写した、貴重な写真です。今の姫路駅と比べると、なんだか信じられないかもしれませんが、本当に姫路駅前です。



開業当時の航空写真を探してみると、モノレールが走っていることがはっきりわかります。

20170312-2.jpg

1967年(昭和42)の姫路駅前の航空写真を適当に切り抜いたものですが写真上の赤で◯をした部分が、モノレールの姫路駅になります。当時は新幹線はまだ未開業どころか、写真を見ると駅の建設すら始まっていないようで、影も形もありません。

高解像度写真ながら駅前を拡大しようとすると、どうしても画面が粗くなってモノレール駅の輪郭をはっきりつかむことができなかったですが、今の地図に落とし込むと、

20170312-3.jpg

今の「姫路キャスパホール」と姫路駅の間にあったことは確定ですね。明治時代とか戦前の遺物探しに比べたら、落とし込みは非常に楽勝でした(笑



なんで姫路にモノレールが作られたかというと。

当時の姫路市長の石見元秀氏がアメリカ視察の時に、ディズニーランドのモノレールに感銘を受けたらしく、

「我が市にも同じようなモノレールを!」

と作ってしまったことが始まりでした。

開業した昭和41年と言えば、高度経済成長で日本が右肩上がりの経済成長と遂げ、怖いもの知らずの時代でもありました。20年前風に言えば「無敵モード」、今風に言えば「日本無双」という感じでしょうか。
どれだけ「日本無双」だったかという、客観的なデータをどうぞ。

20170402-1.jpg

1958年(昭和33年)をスタートとする「高度経済成長時代」には、経済成長率がグイグイ伸びていっていることがわかります。
1964(昭和39)年の東京オリンピックの後、「40年不況」と言われる、今風に言うなら「オリンピックロス」のような不況が来て数値がドンと下がっていますが、それでも7%くらい。
そのロス不況も何のその、その後もグイグイ上がってきています。
あの1980年代後半のバブルの時でも、1990年までの平均経済成長率は約5.3%だったわけで、高度経済成長時代がいかにイケイケの時代だったか、数字を見るだけでわかります。

しかし、高度経済成長時代はマイカーの数も劇的に増え、交通渋滞や排気ガスによる大気汚染も深刻な社会問題になっていた時代でもありました。

その問題解決の一つとして作られたのがモノレールでした。

1963年に国に建設の申請を出しますが、その時の計画は姫路駅前~手柄山だけではなく、

20170313-1.jpg

赤線が実際に開業した区間。青線が国に出した計画路線)

姫路市を南北に貫く、全長8キロの大規模な計画でした。

当時から姫路市民からの反対もあり、自治省の偉いさんも、

「こんなの採算取れるのか?」

とかなり怪しんでいたそうですが、翌年の東京オリンピックの昭和39年(1964)に建設許可が出ました。

しかし、市長はこれで満足せず、市内の環状線はもちろん、なんと鳥取や舞鶴まで伸ばすぞ!と意気込んでいたそうです。

鳥取とか舞鶴まで伸ばしてどないすんねん?全部各駅停車か?それってどんな罰ゲームやねん?

と、今冷静に考えたらなんとも非現実的極まりないのですが、それだけ当時の日本全体がイケイケドンドンだったわけで、市長が妄想癖に囚われていたわけじゃありません。

ちなみに、今の姫路市長はこの市長の三男の方です。テレビで現市長が言ってましたが、さすがにオヤジのモノレール鳥取・舞鶴延伸計画には、

「無理やろ!」

と苦笑いしていたそうです。



しかし、市長のワクテカな妄想・・・じゃなかった、構想とは裏腹に、このモノレールは失敗に終わりました。

その原因は、山陽電鉄や市バスどころかタクシーより高かった料金設定です。
モノレールの料金は姫路~手柄山が100円。山陽電鉄の姫路~手柄間は20円。タクシー初乗りが30円の時の100円です。いくらなんでも高すぎで、マーケティングを全くやってない武士の商法、ならぬ役所の商法の典型です。そりゃあかんわ。
でも、やっぱり採算が取れないようなところに路線を敷いたのがいちばんの原因でしょう。何せ高度経済成長の勢いがあったので、

「とりあえず作ってしまえ!」

というノリだったんでしょう。ある意味とんだ税金の無駄遣い、姫路市の黒歴史に終わった乗り物、それがモノレールでした。



廃止になった後は、地元の人以外からは忘れられつつありました。実働8年なのでさもありなん。しかし、廃止になっても撤去費用はかかる。それをケチった姫路市は跡と完全放置プレイとなりました。

しかし、行政が放置プレイをかましてくれたおかげで、モノレールの遺物は一部を除いてそのまま残ったため、廃線跡専門の鉄道マニアから熱い視線を受けていました。保存状態はさておき、けっこうな数が残っているので、ある社会学者をして「現代遺跡」と言わしめたほどでした。

スポンサーサイト