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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■消えた遊廓・赤線跡をゆく? 大連編

台風11号が近づいて、週末は家から出るに出られずなBJのぶです。
今は雨は止んだものの、風はけっこう強くて自転車に乗っとったら突然の突風でグラっと倒れそうになります。
せやけど土曜日と日曜の午前はものすごい大雨、家から数百メートルのコンビニへ行くのにも、ある意味命がけです。
俺が住んでる地域のすぐ近くの地域は、土砂崩れの可能性があると市から避難勧告が出てたんやけど(俺が住んでるとこはギリギリ出てません)、確かに近くの川は氾濫しそうなくらいの大量の水が流れとります。
せやけど、台風はある日突然大阪上空に発生したわけちゃうさかい、週末の「ひきこもり」生活に備えて食料を買い込んできとります。おかげさまで「ひきこもり」生活をエンジョイしとります(笑

で、ふと資料収集も兼ねて、久しぶりに国会図書館のデジタルライブラリにアクセスしてみました。
そして何の目的もなく、
「おもろい資料ないかな~?」
と超テキトーに検索して超テキトーに資料を見てたら、昔の大連の写真集みたいなものが出てきました。
大連?日本にそんな街あったっけ?と思う人は少ないと思うけど、そりゃそうや、大連は海外にある街なんやから。
今回の「消えた遊廓・赤線跡をゆく」は突然海を超え、国をも超えてしまいます。

2014081001

大連は中国北部にある、遼東半島というところの端っこにある都市です。
中国の都市の中でも、都市規模は北京や上海とかには及ばないものの、上に書いたよーに日本の租借地やった関係で日本人も多く住んでいました。「大連」ときたらどこか懐かしい、ノスタルジーを感じる人もおるはず。よく考えたら、今でも80歳以上の人やったら大連で生まれ育った人もおるはずやさかい、記憶の中ではまだ「現役」な街でもあります。
せやさかい、日本人の中やと北京・上海などの中国都市の横綱と、十分がっぷり四つに組める知名度であります。
大連は元々ロシア人が作った街で、「ダーリヌィー」(遠い)っちゅー形容詞から来たのが由来です。どこを基準に「遠い」ねん!?というと、当時のロシア帝国の首都、ペトログラード(今のサンクト・ペテルブルク)からなんは言うまでもありません。まあそりゃ遠いけど、名前の付け方がかなり安直すぎる(笑
大連ってどこ?何それおいしいの?と思う人でも、「旅順」言うたらピンとくる人も多いはず。日露戦争の激戦地である203高地がある旅順は大連の隣にある街で、大連とは双子のような街であります。中華人民共和国が出来た時は、この2つがくっついで「旅大市」が出来たんやけど、中国人的には旅順より大連の方が格式があるんか、大連が旅順を呑み込む形で合併し、現在も行政区分的には旅順は大連の一部になっとります。

そんな街を日露戦争のポーツマス条約により、租借権をロシアからGETした日本が本格的に都市開発を開始しました。それと同時に名前も「ダーリヌィー」を漢字に当てはめた「大連」にし、それが現在に至っとるちゅー感じです。
余談やけど、都市の名前で同じよーな変遷で定着しとるところに、台湾の高雄があります。
高雄は元々は原住民の言葉で「ターカオー」か「ダーガオ」と呼ばれとって、それを漢族が「打狗」(ダーゴウ)と漢字にはめとりました。
せやけどこの「打狗」、中国語がわかる人やったらわかるよーに、漢字を直訳したら「犬をぶちのめす」って意味になるんですわ。それを、
「なんじゃそんなお下品な名前は!」
とでも思った日本人が、より雅で街の名前にふさわしい京都の高雄を持ってきて、「高雄」になり現在に至っとります。せやけど、中華民国が台湾にやって来た後も漢字が残って発音が北京語で「カオシオン」(台湾語じゃ「コーヒィオン」ね)になったせいで、元々あった「ターカオ」が消えてしもたという、予想外の(?)展開になってしもたというオチです。ちなみに、日本統治時代を知ってて、もちろん日本語ベラベラの台湾人のおじいちゃんに、
「日本時代は『高雄』ってどう発音しとったの?」
と聞いてみると、
「いや、そのまま『たかお』だよ」
とのことでした。

それはさておき、大連はロシア人が作った土台をベースに日本人によって本格的に開発され、近代的で合理的な町並みが田舎の寒村に出来上がりました。
大連にゃ俺も何回か行ったことがあるけど、今はだいぶ取り壊されたものの、昔は日本時代そのままの町並みがタイムカプセルのように残っとりました。正直、外国いうより「ただいま」という感覚の方が強くて、少なくても空気が全然中国やなかったような感じが残ってました。はじめて大連に行った20年前は、日本統治時代を知ってる人もけっこうおって、日本語で話しかけてきた人も多かったです。住んでるんは今でこそ中国人やけど、日本語で「すんませーん!」と叫んだら、ひょっこり着物を来たご婦人が現れてきそうな空気やったことを、今でも覚えとります。
昔の大連には日本人が数万人単位で住んどりました。大連には日本人街と、中国人街である郊外の「小崗子」に分かれとったけど、厳密に区別されたわけでもなく、実態は雑居みたいな感じでした。
せやさかい、昔からイメージだけやないリアルな日本人と接してる中国人(他満州族等の民族)が多く、戦争中も抗日団体がなんぼ反日を唱えても煽っても、ドラクエ風に書くと「しかしなにもおこらなかった」そうです。また、記憶に新しい近年の「反日暴動」も、大連だけは全く起こらんかった事実もあります。

日本人が住んでたところは、中国でもやっぱし俺に懐かしさを感じさせる空気は残っとるみたいです。もうかなり前になるけど上海に住んでた時に、今の市内北部にあった旧日本人街を訪ね歩いた時も、大連と同じニオイがしました。
そのブログはサイト自体消えてしもたけど、上海の日本人の跡を訪ねる旅はアーカイブとして移転してあるさかい、ヒマやったら読んでみて下さいな。「消えた遊廓・赤線跡をゆく」の原点みたいなもんやさかい。

上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第一章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第ニ章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第三章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第四章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第五章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第六章

上のブログを書いたんはブログなるツールを知った初年に書いたもんやさかい、ブログを書き始めてもう今年で10年やったんか、と新しい発見がありました。
ブロガーとしての節目の10周年記念やのに、ブログサボってる場合やあらへんな(笑
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