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消えた遊郭・赤線跡をゆく 下関豊前田遊郭編

お待たせしました!?
『消えた遊郭・赤線跡・・・・』
あれ?しばらく書いてへんかったせいか、それとも疲れとるんか、
自分のブログのメインメニュータイトル忘れてしもたわい(汗
ちなみに、これ別にボケたんやありません、書いとったらマジで忘れてしもたんです・・・。
そろそろ俺にもお迎えが・・・まだ早いわい!(笑

まあそれはさておいて、下関新地遊郭に続く「シリーズ下関」の第二弾は、
今の豊前田町にあった豊前田(ぶぜんだ)遊郭でございます。

突然やけど、ここでちょいとひらめいた小咄を。

「豊前田の遊郭に行っても勃たなかったんだよ・・・」

「そりゃおめぇー、勃起ぶぜんだ(不全だ)!

・・・失礼致しました(笑

そんなダジャレはさておいて、次はマジメに書きます~。

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オレ流外国語勉強法 ロゼッタ・ストーン法

外国語の勉強の仕方は色々あるけど、
できたら「複数の言語をいっぺんに覚えたい」というわがままな人もおると思います。
複数の外国語をいっぺんに、それも仕事で使えるくらいに・・・というのはよっぽどの天才でない限り無理やけど、
知識・教養程度なら不可能なことではありません。

そんな、ある意味「神」な方法がこの世に存在します。
今回のブログのメインの、その鍵となるもんは・・・

アップルのHP

です。

アップルのHPは、ふつうは我々は日本語でしか見ーへん人が多いけど、アップルは世界中の言語でHPを作っとって、英語はもちろん中国語・フランス語・ドイツ語・スウェーデン語など、けっこうよりどりミドリ、深緑やったりします。
それだけなら、バイリンガル表示のサイトならいくらでもあるので、別に珍しくはないのですが、
(NHKインターナショナルのHPかてかなりの言語数やし)
それで何でアップルかというたら、

「書いてる内容が全世界共通」

ということ。
これを活用するのです。

ところで、ロゼッタ・ストーンって知ってますか?
18世紀にエジプトで見つかった、いくつもの言語が書かれていた石碑のことですが、
これには同じ内容が
・古代エジプトのヒエログリフ(あの象形文字のことね)
・古代エジプトのデモティック(草書体)
・ギリシア語

の順に書かれていて、
ギリシャ語をベースに当時何書いてるかわからなかった古代エジプトのヒエログリフが、ロゼッタ・ストーンのおかげですべて解読されたという経緯があります。
これがなかったら、今でもピラミッドとかに書いてる象形文字は未解読だやったかもしれません。
言語学、考古学的には歴史を180度塗り替えた発見であります。
ちなみに、ロゼッタ・ストーンの現物は今ロンドンの大英博物館に展示されとるけど、レプリカやったら東大の総合図書館の入口にあったりします。

この「現代のロゼッタ・ストーン」というか

「ネット上のロゼッタ・ストーン」

的なもんがアップルのHP、
ある製品紹介の記事を数ヶ国語で見比べると、いっぺんに複数の言語の内容がわかるというわけです。
日本語訳は日本語のHPを見たらいいわけで、今ならブラウザにタブ機能があるさかい、
複数のタブで複数の言語の同じ製品紹介を見たらええわけです。
ふとipadの製品紹介を英語と中国語で見てたら、突然ピンときて思いついたのですが、これを外国語の勉強の

「ロゼッタ・ストーン法」

と名づけてみましょう。

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消えた遊郭・赤線跡をゆく 下関新地遊郭編

「消えた遊郭・赤線跡を訪ねて」の旅は、国道9号線の山陰路をひたすら西へ行き、ついに本州最西端にまで足を延ばすことになりました。
九州はもう目と鼻の先、関門大橋を遠目で見たりしたら、わざわざここまでやって来たか・・・って感じです(笑

ここ下関は、平安時代末期~鎌倉時代初期の源平合戦のエンディング、「壇ノ浦の戦い」の舞台でもあり、
古くから陸の・海の交通の交差点として栄えました。
江戸時代には日本海沿いの街を回って大阪へ至る「北前船」が通る船のターミナル、下関を通らんと瀬戸内海や太平洋に入られへんさかい、ほとんどの船は下関で一休みとなります。
逆に、瀬戸内海から日本海へ向かう時も下関を通らんとあかんことになるさかい、人がここに集まるのは当然。
言わば「日本のボスポラス海峡」と言える所でもあります。
ちなみに、ボスポラス海峡って、トルコのイスタンブールにある、アジアとヨーロッパを分ける海峡のことね。

時代が変わって明治時代になっても、船はもちろん鉄道も山陽鉄道(今の山陽本線)が下関まで線路を伸ばしたことから更に発展しました。
今は関門海峡トンネルで鉄道がつながっとるけど、トンネルが開通したんは昭和17(1942)年やさかい、それまでは東から来た列車は全部下関でいったん終点となっとりました。
今でも関釜フェリーという、韓国の釜山までの船があるけど、飛行機、っちゅーか旅客機がなかったり今みたいに発展してへん時代は、ヨーロッパまでは船か鉄道で行くしかありませんでした。
昔は東京からフランスのパリまでの切符が買えた時代、下関もユーラシア大陸へ向かう客が大勢釜山行きの船に乗って、ある人は大志を抱いて、またある人は日本を捨てるように、人様々な気持ちを抱きながら下関で一旦休止したことでしょう。


下関がどれだけ栄えとったんか、それは遊郭にも現れとります。
下関にあった遊郭は、

・稲荷遊郭

・裏町遊郭

・新地遊郭

・豊前田遊郭

・伊崎遊郭

・竹崎遊郭

・今浦遊郭


と計7ヶ所。
一つの街にしては異様に(?)多い数であります。
稲荷遊郭と裏町遊郭は一心同体みたいなもんやさかい一つとしても、それでも6ヶ所。
また更に、市街地から離れた、工場が立ち並んどった彦島にも一時期、一時期は娼妓数140人を越えたという遊郭があったことが、下関市立図書館で史料漁ってたら明らかになったさかい、それを入れたら8ヶ所。
「一つの街にある遊廓の多さ」としては、東京や大阪並み、いや見方によっちゃそれ以上ちゃう?
遊廓もボランティアでやっとるわけちゃうさかい、営業利益があらへんと死滅してまいます。
遊郭が多い=集客があるという見方するんが常識的なところで、
それだけ下関市民がエロい・・・んやのーて、本州の東から、九州から、大陸から、そして船から様々な人が下関に集まって出入りが激しかったということですやろな。
東京や大阪並みに遊郭を増やさんとあかん、というくらい、下関は栄えとったってことです。

さて、そんなめちゃ多い下関の遊廓を一気に書くんはさすがに無茶やさかい、こまめに分けていこうと思います。
まず第一弾が、市内の北西にあった新地遊廓。
新地遊郭は、「新地」と名前がついとることからわかるよーに、何もあらへんかった荒地や沼地などを遊郭や花街用に開拓したことから始まります。
下関の新地も例外やのーて、明治初期あたりは一面の沼地やったそーです。
ここがいつ開設されたんかは、俺ははっきりとしたデータは持ってへんのやけど、
俺が持っとる明治16(1883)年の『山口県統計書』の遊廓一覧にゃ新地遊郭の名前が載ってて、

・貸席:3軒

・娼妓:17人

・芸妓:4人


って書いておりますです。
大正時代後期~昭和初期にゃ娼妓・芸妓共に200人を超える、下関有数の遊郭になっとることを考えたら、
この時は実にこじんまりとした所やったことが、数字を見るだけでもわかります。

明治30(1897)の『赤間関市統計書』じゃ、

・貸席数:5軒

・娼妓数:12人

・芸妓数:1人


とほとんど発展してへんさかい、
たぶん、明治16年は新地遊郭が出来て間もない創世記で、そんなに客も多くなければ知名度も低かったと推定できます。

これが、約15年後の明治45&大正元年(1912)の『下関市統計書』になると、

・貸席数:31軒

・娼妓数:304人

・芸妓数:36人

となっとります。
明治30年と45年を埋める史料があらへんさかい、一体新地遊郭に何があったんかわからんけど、
これでわかることは、この間に新地遊郭は爆発的に発展した、っちゅーことです。
恐らく、日露戦争で大連・旅順が租借地(事実上の植民地)になり、満州への道が開かれ、更に明治43(1910)年の「日韓併合」などもあって、大陸への客足が急激に伸びて、大陸への玄関口である下関に人が集まった結果やと思われ。

大正後期のデータによると、

★大正11(1922)年

・貸席数:43軒

・娼妓数:251人

・芸妓置屋数:42軒

・芸妓数:227人


★大正12(1923年)

・貸席数:43軒

・娼妓数:223人

・芸妓置屋数:42軒

・芸妓数:261人

(出典:『下関統計書』)

★昭和5(1930)頃

・貸座敷数:43軒

・娼妓数:300人

(出典:『日本遊廓案内』)

と、大正元年からそれほど急激な変化はあらへんみたいですな。
ある意味、ここあたりが新地遊郭の絶頂期やったと思います。

せやけど、この数字だけ見てもわからんことがあったりします。

同じ『下関統計書』には、「売上」「来客数」も書かれとるんやけど、それによると、

★来客数★

大正11年:35,411人

大正12年:34,291人



★売上★

大正11年:83,991円

大正12年:10,949円


と、来客数も貸座敷も娼妓も芸妓も大して変化なしやのに、売上だけが前年比較で8分の1。
これは新地遊廓だけやのーて、下関の遊廓すべてがこんな状態。
さて、大正12年に一体何があったのか?
大正12年は、9月に

関東大震災

が起こった年で、首都東京がメチャクチャになって壊滅したあの地震であります。
地理的感覚だけやと、東京の地震で何で下関が?と思うやろーけど、そんな狭い視野で見ちゃあきまへん。
たぶん、東京が壊滅して海運などの流通が麻痺して、財布のひもが固くなったんはもちろんやけど、これは俺の想像なものの、今年の東日本大震災の時みたいに「自粛ムード」が全国的に起こったんかもしれません。
この「大正12年売上ダウン現象」は、いろんなとこの統計書見てみたら、大阪や神戸でも減り幅は下関程やないものの同じ現象があって、
俺の手元にあるデータやと、大阪の遊廓を例にしたら、

・五花街遊廓(大阪)
大正11年売上:¥7,087,094
大正12年売上:¥6,257,248 (-¥829,846)

・枚方櫻町遊郭(大阪)
大正11年売上:¥818,256
大正12年売上:¥313,140 (-¥505,116)

・貝塚遊廓(大阪)
大正11年売上:¥519,683
大正12年売上:¥313,140 (-¥206,543)

ぶっちゃけ、大正11→12年で売上が増えとったんは、飛田と栄橋(堺市)だけでした。
枚方と貝塚に至っては、客数は
・枚方 31,084人(T11) → 38,102人(T12) (+7,018)
・貝塚 135,912人(T11 ) → 138,863人(T12) (+2,951)
と増えとるのに、売上がボロボロ。
経済学的に言うたら、客単価が激減しとる→客の財布のヒモがかなりキツくなっとることがわかります。

東京の遊廓の売上はもう書くまでもないけど、持ってる史料の限りじゃ、金沢以外は概ね大正12年だけ売上ダウンになって、翌13年になったらもとに戻ってます。

下関は交通の要所でもあると同時に、軍事的にも重要な所で、工業地帯もあったせいかアメリカ軍の空襲の対象になってしもて、遊廓は跡形もなく焼けてしもたらしいけど、
新地遊郭は郊外にあったせいか、周りに何もなかったのか、唯一空襲を免れて焼け残った遊郭でした。

そのせいか、新地遊郭は戦後も営業を停止することなく営業して、周りに映画館なども出来た歓楽地になったそうですわ。
それで客足の相乗効果が出たんか、赤線時代は駅前にあるっちゅー絶対的な地理的条件を備えた豊前田遊郭くらいに栄えたそうです。
そんな赤線時代の新地を、『全国女性街ガイド』は簡単にこう説明しとります。

銭稼ぎで有名な林兼本店の近くにある新地で七十五軒に二百十名、洲崎型の小店が多い。

まあ簡単っちゃ簡単やけど、これ以上の説明は特になし、わかるのは数字だけ見たらけっこう栄えとったってことかな。
ちなみに、ここに書いとる「林兼本店」とはたぶん今でもある林兼産業のことやと思うんやけど、
ホームページ見てみたら今の本社は新地遊郭のとことは全然ちゃうとこにあるさかい、昔の本社はここあたりにあったってことかもしれません。


もちろん、ここも売防法施行で廃止になるんやけど、ええ意味で都市開発から取り残されたせいか、
どうも新地遊郭にゃ昔ながらの建物がいっぱい残ってるらしい、
という情報を手に、いざ向かってみました。

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