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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■中国古典サプリ(5) 春が来ない冬はない

人は誰でも一回は「試練」とか「逆境」って言われる苦難の時を味わっとると思います。
まあ、小学生とかはさすがにないと思うんやけど、大人になれば年を取ると必ずやって来ると思います。
ブログで偉そうに言うとる俺も逆境なんか何度も経験しました。自暴自棄になったことも何度もありました。
せやけど、不思議と自殺したいとか死にたいとは思わんかって、精神科医にも「生への執着がすごいですね」と褒められたんか嫌味を言われたんかわからんよーな言葉を言われたことがあります(笑
まあ、

「一度も不幸な目に会わなかった者ほど不幸なものはない。
このような者は、かって自分自身を試練することが許されなかったからである」


っちゅーローマ帝国時代の哲学者のセネカの言葉通り、逆境を天から与えられた人は天から「お前はすごいんやぞ」と言われとるよーなもん、人間としてレベルアップできるチャンスと思うんが、余計なストレスを自分に与えん方法やと思いますわ。

受験の失敗、リストラ、病気、貧乏、失恋などなど、程度の大小あれど逆境にも色々種類があります。
その時には「何で自分が」と落ち込み、見える先は真っ暗やさかい不安になり、とことんまで凹んで世間を恨み、笑って過ごす人を妬み、そして自分自身に嫌気が差すことやと思います。
いやはや、俺もすべて経験しとりまっせ~、一部現在進行形のもあるけど(笑
まあそれはさておき、そんな「パルプンテ」な人生送ってるさかい、人生の壁にぶつかって苦しんでる人の気持ちはよーわかるんですわ。
せやけど、そんな「苦難の時代」も過ぎてみて過去を振り返ってみたらどうってことはない、
今苦しんでる人に言えることは、

「何とかなる!」

もうこれに限る(笑
俺も「並の運やったら3回くらい死んでるやろ」って他人に言われとるくらい色んなことあったけど、
結局すべて過ぎてみたら「何とかなった」んですよね~。
もちろん、場合によっちゃ人に下げたくない頭下げたり、脳がちぎれんちゃうか?ってなくらい知恵を絞ったり、屈辱を味わったりもしたけど、すべては「何とかなるよ」、この一言やったりします。

せやけど、これで終わってしもたら「中国古典サプリ」の意味があらへんさかい、もう少し続けます。

『韓非子』という古典にこういう言葉があります。

「冬日の閉凍や固からずは、則ち春夏の草木を長ずるや茂からず」

(原文:冬日之閉凍也不固則春夏之長草木也不茂)

直訳したら、
「冬に凍りついていなければ、春や夏になって草木は成長しない」
という感じなんやけど、
これを人間の人生に当てはめると、冬という逆境の時代が来ないと春になってきれいな花は咲かせられませんよ、ということで、
逆の言い方したら、春に咲くきれいな花は、冬の寒い時に土の下でじっと耐えとったからこそきれいなんやということ。
そしてもう一つは、上のセネカの言葉にも通じるんやけど、冬を経験してへん花はきれいに咲かない、きれいと思ってるんは自分自身だけ、っちゅーことですわな。
日本語風に言うたら「艱難汝を玉にす」「春の来ない冬はない」ということです。

逆境は、その時は人によってはホンマに死にたいくらい苦しいんやけど、それはプラスに考えたら春の前兆、
楽しい時もずっと続きはせーへんけど、苦しい時も同じで長くは続きません。
そん時は先が見えへん不安から「ずっと続くんちゃうか?」と思ったりするんやけど、それは俗に言う「杞憂」ってやつです。
ここは自分という人間が大きくなるか、それとも余計に小さくなるかの瀬戸際やけど、人間が大きくなっていくきっかけは苦難のことの方が多いことは事実。
「電力の鬼」って言われた松永安左エ門という実業家の言葉に、『実業人として一人前になるには三つの節を経験しなければダメだ。 浪人、闘病、投獄の三つだ』というのがあるんやけど、
『実業人』を『人間』に置き換えても通用すると思います。
まあ、「投獄」は極端な話やけど、これは牢屋に入れられる時の孤独感と極限状態のことを言うとるんやと思います。何も犯罪しろと言うとるわけちゃいまっせ~(笑
ちなみに、松永安左エ門は慶応義塾大学卒なんやけど、福澤諭吉から直接教えを受けた最後の世代で、彼の著書には学校内で先生に向かって直立不動で挨拶したら、ある60過ぎの爺さんから「うちでは道で会ったくらいで挨拶なんかせんでいい」と叱られ、その爺さんが福澤諭吉本人やったことを後で知って、「挨拶しなくて叱られることはあっても、ちゃんと礼儀正しく挨拶して叱られるとはなぁ~」と不思議な気分やったそーです。
ちなみに、これは別に「挨拶するな」と言うとるわけやのーて、慶應は「先生」ってもただ学生より早く卒業して難しいことを少しだけ知ってる先輩が教えてるだけで、ただ早く入ったか遅く入ったかの違いだけで同格である。同格に対して直立不動で挨拶する必要はなし。
慶應は今でも「先生」って公には福澤諭吉だけなんやけど、その『福澤先生』にも「改まって挨拶せんでいい、軽く『ども』程度でいい」と言われ、「妙なお説教が福澤先生との最初の出会いだった」と著書に記しています。

ほな、逆境の時はどないしてしのいだらええのか?
そんな時は正直何してもダメ、じっと我慢の子で「春」が来るまで待つことやと思いますわ。
少なくてもやったらあかんのは、焦ってじたばたもがくことです。
逆境の時は「動かんとあかん」と思ってまうんやけど、焦って動いても結果は余計ひどくなるだけか、無駄な徒労に終わってエネルギーだけ無駄に消費したってことだけ。
これは俺も、逆境の時に何度ももがいて結局余計に状況がひどくなったってこと何度もあったさかい(汗
こういう時は何してもあかん、すべて裏目に出てまうんですわ。

「遇と不遇は時なり」

って言葉が『荀子』という書物にあります。
「遇」ってイケイケで何しても当たりな時、「不遇」は読んで字の如くで何してもダメな時、いわゆる逆境です。
「遇」と「不遇」って順番にやってきます。
せやけどこれだけは言えるんは、「遇」の時は別にいいんやけど、そん時にイケイケで何も考えてへん人に限って、といざ「不遇」の時になったらじたばたもがいて事態を余計に悪くする、つまり「不遇」の時を自分で延ばしてまうってことです。
ほな、こういう「不遇」の時はどないしたらええんか、孔子はこない答えとります。

「身を修め行い端(ただし)くして以ってその時を俟(ま)て」


上で「逆境の時はヘタに動くな、じっとしとけ」って書いたんやけど、それは別に「何もしたらあかん。ボーッとしとけ」ってわけちゃいまっせ~。
「身を修め」ながら「その時を俟つ」ということが肝心で、自分のツキが「不遇」から「遇」へとチェンジする時はその予兆があったりします。
その時に「身を修め」てへんかったら、せっかくのチャンスを活かされへん・・・いや、活かされへんなんかまだマシ、ほとんどの人はそのチャンスすら気付かんまま通りすぎてまうと思います。
そうなったら運命の女神は非情なもんで、「せっかくチャンスやったのに!」と拗ねてしもて、次はなかなかチャンスをくれません(笑
逆境の時はひたすら「身を修め」てじっとツキが上がるのを待って、チャンスが来た時に即行動出来るよーに準備しておくってことで、「備えあれば憂いなし」ですわな。

ほな、「身を修める」を具体的に言うたら、俺はやっぱ読書がいちばんかなーと思います。
たとえば病気で入院せなあかんかったら、これをバネに思いっきり本を読んだり資格の勉強をしたりして、入院してヒマな時を逆利用したったらええわけです。
俺の知り合いで、20歳で子宮がんに罹ってしもた女の子がいました。
子宮全摘出やさかいもちろん子供は無理、当時付き合ってた彼氏にも逃げられて人生のどん底に陥って毎日死ぬことばっか考えとったそうですわ。
せやけど、入院生活ヒマやさかい差し入れしてもろた本を読んで何かが開眼したらしゅーて、今まで勉強なんか全然せーへんかったのに猛勉強始めて大学に合格、大学院まで行って今は大学に残って研究生活を送っとるそうですわ。
彼女は子宮摘出っちゅー、女性やったら女性であることを全否定されたに等しい屈辱を毎日泣いて死にたいって言いながらも乗り越えて、新しい人生を「創造」して運命を変えた言うても過言やないと思います。
ヒマやからってゲームするんもええけど、入院したんは天の恵みとプラスに考えて人生観を180度変えてみましょう。そしたら絶望が希望に変わることだってアリエールなわけで。
ちなみに、「身を修める」は戦前の学校にあった「修身」という授業の語源やったりします。

そこそこ人生経験を積んだ大人ならさておき、まだまだ生きていく上での経験値が少ない、ドラクエで言うたらやっとレベル3か4くらいの中学生や高校生諸君やったら、
志望校に落ちたり好きな人にフラれたりして、お先真っ暗になってまうこともあると思います。
せやけど、「人間万事塞翁が馬」って言葉もあるよーに、人生その挫折がどこでどない転ぶかわかりません。好きな人にフラれたからって死にゃーせーへん(笑
挫折を味わって自分を腐らせるのはあまりにもったいない、それを逆に活かしてやろーやんけ!と開き直ったら、逆に活力が湧いてきたり、視野が広がったり、人生観すら変わることもあります。
「冬日の閉凍や固からずは、則ち春夏の草木を長ずるや茂からず」、つまり「春が来ない冬はない」と思って「身を修め」、次のチャンスは絶対ものにするぞ!と頑張ってみましょう。
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テーマ:中国古典サプリ
ジャンル:学問・文化・芸術

■■■仙崎の遊郭跡 消えた遊郭・赤線跡をゆく24 

旅人BJのぶは萩を離れ、日本海の荒波をバックグラウンドにしながら一路西へ西へと進路を向けました。
そして次にやってきたは仙崎。

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仙崎は今は長門市の一部になっとって、萩からは車で1時間くらいの距離にあります。
地図で見たら遠そうやったんやけど、行ってみたら意外に近い。日本はやっぱし狭かった!?
仙崎は地図を見てもわかるよーに、日本海側にある港町で江戸時代は捕鯨の基地としても栄えたそうで、
捕鯨基地言うたら和歌山県の太地町が世界レベルで有名やけど、仙崎は日本海側の太地町って感じかもね。
捕まえた鯨にゃ、同じ哺乳類やからか、人間と同じように法名をつけて供養されとるらしくて、その過去帳も残されとるそうです。
また、捕まえた鯨に胎児がおった時も、水子供養と同じやり方で供養しとったらしく、自然と一緒に生きる海の民の鯨に対する敬意が込められとるよーな気がします。
海に生きる民は自然の怖さをいちばん知っとる存在、それを知ってる者同士は国や民族の垣根を越えてわかりあう存在と言われとります。
昔の人間と鯨は、そういう意味じゃ心が繋がってたんかもしれません。

ちょっと話が変わるけど、
世界にゃ国や民族関係なく分かり合える組織が3つあると言われとって、一つは「共産主義者」、まあこれはほとんど過去の存在やな。
二つ目は「クリスチャン」というか「カトリック」って言うた方が正解。
そして3つ目は「海軍」。海という自然を相手にする軍隊のせいか、陸軍や空軍と違って国際間での交流が盛んやったりします。
軍服も、ほとんどがイギリス海軍をベースにしとるせいか、水兵はセーラー服で士官は黒のダブルのスーツとほぼ世界共通(一部共産主義国は除く)で、「軍艦の艦長は大佐」も世界共通の習慣。
旧日本海軍もイギリス海軍を師匠としただけに端から端までイギリス式、同じ日本軍の陸軍とは全然話が噛み合わず、むしろ敵のアメリカ海軍の方が話が通じ合えたそうで、陸軍との話し合いを「日・日交渉」と内部じゃ言うとったそうですわ。

旧日本海軍の軍服は詰襟やったけど、儀礼で着る礼服はダブルの黒スーツやったし、大正時代後期に普通の軍服もダブルのスーツにネクタイ、つまり今の海上自衛隊と同じ軍服にして海軍内じゃほぼ決まりやったんやけど、
これに物言いをつけたのがあの東郷平八郎。
「ワシらはこの詰襟で日本海海戦を戦ったのじゃ」という鶴・・・いや、神の一声で軍服チェンジはご破綻、結局終戦後の海軍解体までそのままになってまいましたとさ。
個人的にゃ、東郷平八郎って最晩年に海軍内の人事に口を出して海軍はおろか、結果論的に日本の行く末を狂わせた歴史的大汚点からあまり好かんのやけど、
東郷平八郎を崇拝しとる人にとっちゃ、これはあまり世間一般市民に知って欲しくない「黒歴史」でもあり、実際海軍の歴史を知ってる人以外は知らない歴史でもあります。
ぶっちゃけ、東郷平八郎の人生から学ぶ「歴史の教訓」は日露戦争の日本海海戦やなくて、

「第一線から退いたらさっさと隠居して口も手も出さない」

ってことかな、と思ったりします。



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ちゅーわけでやってまいりました、仙崎駅まで。
中は無人駅になっとって、自由にホームまで入れるよーになっとります。
wikipediaで見てみたら、2009年の1日乗降者数68人ってあーた(汗

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人間だけやのーて、お猫様も駅内フリーパス。
吾輩は猫である。名前は某県の某駅ようなタマではない。もちろん駅長でもない(笑

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仙崎駅のホームです。
以前の繁栄はどこへやら、やけに寂れたホームがちょっと淋しそうですな。


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駅の時刻表を見てもご覧のとおり。
何じゃこの本数は(汗
で、見てみたら12:45のところに「みすゞ潮彩号」というのがあるらしい。
下関からの直通列車で、現物は見たことないけど仙崎までの観光列車みたいですな。

ほな「みすゞ」って誰やねんというと、

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はい彼女です。

彼女の名前は金子みすゞ、大正時代の女性詩人で、短い生涯の中で素朴ながらも優れた詩を残した、短期間に大量の詩を出したって点からも「詩人版樋口一葉」みたいな人って言うてええかもしれませんな。
金子みすゞはここ仙崎生まれで、ここで幼少~青春時代を過ごしました。

仙崎は捕鯨の町って上で書いたけど、彼女が生きてた時代にゃ「鯨法会」という鯨の供養祭が行われとって、
それを彼女が詠んだ詩が残っとります。


「鯨法会」

鯨法会は春のくれ、
海にとびうおとれるころ。

はまのお寺が鳴るかねが、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

村のりょうしがはおり着て、
はまのお寺へいそぐとき、

おきでくじらの子がひとり、
その鳴るかねをききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしとないてます。

海のおもてを、かねの音は、
海のどこまで、ひびくやら。



俺に作曲のセンスがあったら、なんか曲つけて歌にしたいよーな詩ですな。


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金子みすゞの生家跡にゃ、彼女の記念館が建っとります。
彼女はある意味ごく普通の生活をしてごく普通の結婚をしたんやけど、夫が今で言うたら社内の人間関係からリストラされて自暴自棄になってしもて、後ほど書くことになると思う下関の新地遊郭に入り浸り、性病を妻の金子みすゞに伝染させてまいます。
更に二人の間に生まれた娘の親権を巡ってドロドロとした争いになり、そういう葛藤から26歳で自殺してまいます。
どっかで見たことあるんやけど、彼女が自殺した直接の原因は淋病にかかってしもた精神的ショックと苦痛からやとも言われとります。
まあ、当時の男やから遊郭通いもしゃーなしやと思うけど、自分が汚したケツを他人に拭かせたらあきませんな。
遊廓のご使用は計画的かつ健康的に・・・。

西條八十に『若き童謡詩人の巨星』と絶賛されつつも、金子みすゞの名前は死後ほとんど忘れ去られた存在やったんやけど、
1984年に文学者が再発掘してから瞬く間に全国に知られることになり、確かこの数年後くらいに「知ってるつもり?!」でやってたよーな記憶があります。
リアルタイムでこれを見た記憶があって、「へー」と思ったんやけど、金子みすゞの詩は国語の教科書でも採用されて、東大の国語の問題にもなったことがあるとか。


で、仙崎に遊郭なんかあったんか?というと、実際にゃあったんです。
「港町に遊郭あり」っちゅー法則は、ここ仙崎にも当てはまっとったんですわ。

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■■■今度は泊まれる旅館に突撃! ~消えた遊郭・赤線跡をゆく特別編~

去年に「泊まれない旅館」こと京都の島原遊廓跡にある元揚屋の「きんせ」を紹介したけど、
その時のブログはこちら
ここはあくまで泊まりたいけど「泊まれない」旅館、せやけど今回はホンマに泊まれる旅館です。

場所は山口県の萩市、ここに遊郭の建物を使った旅館があります。
名前は

芳和荘

と言います。
売防法施行で赤線が廃止になった時、「転業」言うてそのまま赤線業やるわけにもいかんさかい、業者は他の職業に転職せざるを得なくなりました。
もちろん、今でも現役のとこも表向きは「転業」したってことになっとるさかい「営業」できとるんやけど、
ほとんどの赤線は旅館や下宿、アパートなどに変わっていきました。
それも建物や設備の老朽化や、立地条件上旅館作っても客が来えへんせいで閉めるとこが多くなり、
今でも現役でやっとる「遊郭旅館」(って俺の造語やけど)はかなり少なくなりました。
芳和荘は全国でも数少なくなった「遊郭旅館」の生き残りの一つで、更に築100年。
たぶん、今でもある「遊郭旅館」の中でも建物の古さは最古参の一つやと思います。
「”自称”遊郭・赤線界のインディージョーンズ」を名乗っとる以上、こんな旅館を無視しとるわけにゃいきません。
せやけど、萩はえらい遠い・・・と考えるまでもなく実際に突撃宿泊してきました!
俺は考えるよりまず行動が先に来てまう男やさかい(笑


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