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消えた遊郭・赤線跡をゆく 港新地番外編 港の先に・・・

ホンマは前の港新地編で一気に書き上げようと思ったんやけど、
意外に長くなってしもたさかい、ちょっと分けてみました。

港新地を探索した後、ふと手元の資料を見てみたら、
港区にもう一つ、「怪しい所」としてマークされとった所がありました。

そこは・・・

地下鉄中央線のかつての終点、大阪港周辺でした。
大阪の貿易港は今は南港周辺に集まっとるけど、昔は今の大阪港駅の先にある、咲洲トンネルの入り口あたりの「中央突堤」に桟橋があり、明治時代には大型の船が停泊できるように一大工事が行われました。
それまでは、川口という安治川を6キロほど上った場所が開港地やったんやけど、
川を上るっちゅー不便さと、底が浅いさかい大型の西洋の船は通れず、次第に神戸港に地位を奪われていきました。
そこで、「こりゃあかん!」と思ったんが大阪市。
外国人測量師の「天保山周辺が新港に適している」というアドバイスもあって、何と当時の大阪市の予算の30倍っちゅーべらぼうな予算で大阪港建設が始まりました。
神戸港が政府のプロジェクトで開発されたのに対して、大阪は全部市営のプロジェクト、
「国の援助は受けん!」ちゅー大阪人の民間反骨精神が現れてそうですな。
明治36(1903)年には今の中央突堤の部分に大桟橋が完成して「新大阪港」がスタートしました。
同じ年に大阪港桟橋まで、公営の鉄道としては日本初の市電が開通して成り物入りのスタート・・・のはずやったんやけど、
お目当ての大型船が全然来えへんかって、市電も釣りや夕涼みの人がメインで「釣り電車」と呼ばれとった時期もあったそうな。
そんな前途真っ暗な大阪港に追い風が来たんは第一次世界大戦の頃。
成金が日本中にわんさか現れた「戦争バブル」で大阪港が活気づき、大阪の民間の力で拡張され昭和初期には横浜・神戸と並んで日本三大港となったそうです。

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これは昭和初期の大阪港桟橋の写真です。ちょうど戦前の大阪港最盛期の頃やと思います。

そんな大阪港も、室戸台風やジェーン台風などの災害で大ダメージを受けながらも、戦後の大阪の復興は大阪港の復興から、っちゅー大阪市の大号令のもと、大阪港は戦争前以上の発展を遂げました。
船なんて今時古いんちゃう?今の輸送は飛行機やろ!
と思う方もおるやろーけど、21世紀になった今でも輸送のメインは船、
海外から日本に来るモノの99%は船での輸送ってデータもあります。
俺も前は商社で貿易業務しとったさかいわかるけど、飛行機での輸送なんて電子部品みたいに軽いものか、飛行機で空輸した方が安い少量のもの、緊急で必要なものかくらい、実際はほとんどが船での輸送でした。
日本と中国を結ぶ旅客船に「蘇州号」「新鑑真号」ってのがあるけど、中国へ旅行に行く人は乗ったことあるかどーかはさておき、名前くらいは聞いたことがあるはず。
大阪から上海まで2日かかる代わりに料金は安い、と貧乏学生旅行者御用達のよーな船やけど、
実はあの船のメインは貨物輸送で、旅客輸送など「もののついで」のよーなもん、そりゃ旅客輸送がメインやったらとっくに会社潰れてるわな。
閑散期に「蘇州号」乗ったら、客が俺を入れて5人だけ、客より乗務員の方が多いなんてことも何回かあったし。
今は知らんけど、10年以上前の「蘇州号」なんか上海に着いたら貨物を先に下ろして人間はその後、上海に着いたのに船の中で1時間以上待機、「はよ降ろせ~!」とブーブー言うとったこともよくありました。
その「蘇州号」は中国へ行く時や日本へ帰る時に「旅客」としてお世話になったんはもちろんやけど、貿易やっとる時にもさんざんお世話になっとって、
「蘇州号」は日本~中国の貨物船としてはいちばん速いクラスの高速貨物船やったさかい、
大きな荷物を緊急で送らんor受け取らんとあかん時はいつもこの船でした。
貨物船っても、目的地までいろんな港を経由して荷物積みながらまったり行く「各駅停車」から、「蘇州号」のよーに目的地まで寄り道せんとノンストップっちゅー速達便の「特急」まであって、
「蘇州号」は貿易で使う貨物船としては、関西で言うたら近鉄のアーバンライナーのよーな「ノンストップ特急」なわけですわ。まあ、アーバンライナーを「名阪ノンストップ特急」なんて言うとった頃は、もう30年も前の話・・・。

その輸送のメインが今でも船やさかい、その船の輸送をストップさせられたら・・・日本の輸出も輸入も大ダメージを受けるわけです。
そんなことがあるのかって?はい、すぐそこに。
最近、海上自衛隊が遠くアフリカのソマリアまで護衛艦と哨戒機を派遣したけど、
派遣されたソマリアって船の輸送の大動脈、そこの治安が海賊によって悪くなりました。
そこの治安が悪くなったら船が襲われて日本にとってもかなりのダメージ、「日本の国益」と関係大ありなんです。
ソマリアって遠いとこまで自衛隊を、それも世界最強の哨戒能力と言われる海上自衛隊の哨戒機を2機も派遣したんは、
何もアメリカの言いなりになって・・・やのーて日本のためでもあるんです。
自衛隊派遣反対とか、そんな「関係ないとこまで」とか言うとる人は、すぐに「井の中の蛙」を改めて広い視野を持ちませう。

また、沖縄からすぐ目と鼻の先にある台湾海峡、中国と台湾があれこれ揉めて「台湾海峡波高し」なんは常識レベルやけど、
あそこは日本への船が必ず通る日本にとっちゃ生命線、あそこを抑えられたら日本は死んだも同然になってまいます。
もし中国が台湾を武力併合して台湾海峡を抑えたら・・・法外な「通行料」取られるならまだマシ、「ここ通るな」なんか言われたら日本は心臓を止められたようなもんで死あるのみ、
中国に言わせたら「戦わずして勝つ」と笑いが止まらんわけで。
せやさかい、俗に言う「台湾問題」は「内輪」のケンカだけやなく、日本にとっても人事やないんです。
でも、ソマリアにしても台湾にしても、ここまで考えとる人って日本の政治家の中でも何人おるやら。知ってる限りやと元総理の中曽根さんと麻生さん、都知事の石原さんくらいやけど・・・。大丈夫か?
我々一般ピーポーもこういう問題に目を向けて考えんとあきません。


遊廓・赤線の話をするはずが、国際政治の話にまで脱線してしもたけど、脱線はこれくらいにしといて。

大阪港が発展するにつれて船員の数も増えてきます。
その娯楽施設を作るんも「発展」の一つやけど、その「娯楽」の一つに「女遊び」もあります。
舞鶴龍宮編でも書いたけど、船乗りってずっと鉄板の男社会の上で過ごしとったら「土と女」がむしょうに恋しくなるみたいで、
大阪港も「松島」と「港新地」がその役目を果たしとりました。
この二つ、伊達に大阪港駅がある地下鉄中央線の直線状にあるわけやありません。今でも大阪港は現役の貿易港やさかい、日本円握りしめて地下鉄一本でバビューン♪と(笑

まあそれはさておき、
昔の遊廓は船が停泊する港のすぐそばにもかなりの数があったことは歴史上の事実、
やったら、大阪港もすぐそこにあったんやないか?
という推論も成り立たんこともありません。
「港新地」のことをあれこれ調べとったら、その資料の後に大阪港のことが書いてあって、
やはりかまさかか、大阪港に船員向けの「施設」があることがわかりました。

その大阪港周辺の「施設」とは?

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消えた遊郭・赤線跡をゆく 港新地編

冬の寒さのピークが来て出無精になりつつあるBJのぶです。
真夏生まれのせいか、それともしし座寅年っちゅー「ネコ科」性質のせいか、
冬は「こたつで丸くなる」のが習慣になってまいつつあるけど、
そんな自分に鞭打って出かけてまいりました。

そんなアホ寒い中向かったんは、
大阪にあった赤線の一つ。
大阪の赤線跡ときたら、今でも「現役」の飛田とか松島はもちろん、江戸時代からあった貝塚や堺龍神や枚方、元々は「芸者タウン」やった今里新地が、遊郭・赤線に興味あるんやったらすぐ思いつかんとあかんくらい有名なところやけど、
意外と知られてへんマイナーなところやったら、北部の池田なんかがあったりします。
「現役」の信太山とか滝井新地、「隠れ」の河内長野は、赤線なんか青線なんかいまいちはっきりせーへんとこがあって、
(警察とか大阪府の資料やと青線扱いやさかい、まあ青線やとは思うけど)
白黒はっきりつけるにはちょっと証拠が足りんとこがあるけど、
そこは今後の調査を待ちましょう。

で、今回行ってきたんは、

港新地

です。
港新地は大阪市港区夕凪(ゆうなぎ)地区にあった、戦前からあったとこなんやけど、
歴史が古い(?)割には資料が少ないせいか知らん人は知らん赤線やったりします。
試しにググってみても、やっぱりかまさかか、全然出てこえへん。
何せうちのブログは長いのが定例になってしもたさかい、資料が少ないと何かと書くんが億劫になってまうけど、
ここはそれに負けずに知ってる限りを書いてみましょう。

港新地は大阪港が貿易港として発展して人の出入りが多くなり、昭和3(1928)年頃に芸妓がおる「花街」としてスタートした、と手元の資料にあります。
最初は「池田新地」って名前でスタートしたらしゅーて、池田市にあった赤線の「池田新地」と紛らわしいけど全くの別物みたいですわ。
港新地は、安治川土地会社という不動産会社が持ってた土地を利用して作られた、敷地約1万坪の新地やけど、
元々は大正時代にかの松島遊郭の移転先候補として挙がった所でもあったそうです。
せやけど、松島の移転問題は中央政界はおろか現役の首相まで巻き込んだ一大スキャンダルになり、
「松島疑獄事件」っちゅー戦前最大の汚職事件として歴史に名を残します。
それがあやふやな結末を迎えた直後、その後始末の如く急に港新地は誕生しました。

太平洋戦争前にゃ待合の数50軒、芸妓の数250人もおってかなり繁盛しとったみたいやけど、
戦争の足音はこういう商売を衰退されるんがいつものパターンで、「国家総力戦やっとるのに芸者と遊ぶとは何事か!」ってこと、平成23年の世の中の言葉に直したら「空気読め」っちゅーことです。
これは太平洋戦争の時だけやなくて、日清戦争や日露戦争の時もそうで、戦争の度に水商売系の遊廓は客足が途絶えて大打撃を受けとることが、各遊廓の資料とか本を見てもわかります。
よく、
「太平洋戦争の時、アメリカと戦って負けるとか思ってへんかったんかな?それやったら何で戦争反対って言えへんかったの?」
って言う人がおるけど、
その答えは、めちゃ強引に一言で言うたら
「『空気』が口を封じた」
って言えます。
当時の「空気」は鬼畜米英、アメリカ憎し!イギリスを叩け!の大号令。新聞もガンガン煽っとりました。
そんな中、「アメリカの国力を見よ。勝てるわけないやん」って数字出して正論言うたもんなら、

「空気読め」

で終わり。
それどころか「非国民」として憲兵か特別高等警察(特高)に捕まって、「思想犯」として刑務所行きならまだラッキー、ヘタしたら拷問であの世行き。
要するに、平成23年の「KY」を昭和10年代風に言い直したら「非国民」「国賊」「思想犯」になるわけで、
正論言おうものならまさに「KY」扱い、当時2ちゃんねるがあったら「空気嫁」でスレッドが埋め尽くされとったやろな(笑

もちろん、戦争反対を叫んでた「KY」は陸海軍の中にもいっぱいいました。
日中戦争を泥沼化させて、それが原因で東京裁判で死刑になった武藤章もその一人で、
国力の違いを数字で挙げて「勝てるかよ!」と「鬼畜米英」で固まった参謀本部で毎日大喧嘩しとったらしく、
最後は「戦争したければ貴様ら個人でやれ!国を巻きこむな!」と投げ出してしまいました。
中国に対しては完全にナメてかかっとって日本を誤った方向へ向かわせた武藤章も、アメリカに対する見方は全く正しかったわけで。

海軍でも戦争反対の人間はいっぱいいて、その代表格が山本五十六。
「え?山本五十六が?」
と歴史をサラッとしか知らん人はそう思うでしょう。
かの真珠湾攻撃の発案者かつ実行者の山本が反戦?んなアホな!
と思うんは仕方ないですわな。
山本五十六って連合艦隊司令長官ってイメージが強すぎて海の武人ってしか思いつかんかもしれへんけど、
元々はアメリカの駐在武官も経験して英語もベラベラの海軍きってのアメリカ通、
戦争が始まった後も中立国のスウェーデンの駐在武官経由でアメリカの雑誌を購読しとって、アメリカ情勢を冷静に観察しとりました。
山本は大正時代から「アメリカとは戦争するべからず」論を展開しとって、武官時代にアメリカ中を視察しとるさかい、国力の違いをその目でしかと確認しとりました。
「デトロイトの工業地帯とテキサスの油田を見たら、(アメリカと)戦争なんて愚かなことだって誰だってわかるよ」
と海軍次官時代に海軍記者に公言しとりました。

山本の心境を伺わせる手紙が今に残されてます。

「個人としての意見と正確に正反対の意見を固め、その方向に一途邁進のほかなき現在の立場は誠に変なものなり。これも命というものか。」

これは、真珠湾攻撃数カ月前に親友だった堀悌吉に宛てた個人的な手紙やけど、
「個人としての意見」はおそらく信念やった「戦争を避けること」、「正確に正反対の意見」はたぶん真珠湾攻撃=アメリカとの戦争の決意のこと。
「正確に正反対の意見」を「固め」た後、「これも命というものか」とほとんど諦めの境地なことが伺えます。
これが平成の世の中のケータイメールやったら、
ε=(・д・`*)ハァ…
っちゅー顔文字つけたいくらいの心境やったことでしょう。

これだけやったらただの愚痴やけど、相手が堀悌吉なのに注目。
この手紙の相手の堀悌吉って、よっぽどの海軍人物通でない限り聞くことない名前やけど、
元々は海軍兵学校の同期で、「神様の傑作の一つ、堀の頭脳」と言われたほどの人材でした。
そして、堀は「軍隊とは戦争しないために存在するものなり」と言った初めての人物で、
イギリスで生まれた「フリート・イン・ビーイング」(戦争抑止力のための軍隊)ちゅー考えを日本に初めて持ちこみました。
今じゃ「フリート・イン・ビーイング」なんか常識やけど、当時はかなり過激な考えやったらしく、その頭の良さと先を読む力を危険視されて、海軍内の派閥争いでの粛清人事に巻き込まれて事実上海軍を追い出されてしまいます。
堀がクビになった時、山本五十六は「堀の頭脳と巡洋艦、どっちが大切なんだ!」と激怒、「こんな海軍やってらんねー。モナコに行ってギャンブラーにでもなろうっと」と辞表を出しそうになったけど、
堀に「貴様は残れ。海軍を立て直すのはもう貴様しかいない」と止められてそのまま残ります。
歴史にifは禁物やけど、もし堀が海軍に残ってたら日本の歴史は少なからず変わってたはず、上に書いた「粛清人事」で堀だけやなくて海軍内じゃ良識派言われる人材のクビがどんどん切られ、
彼らが残ってたら、果たして歴史はどないなってたんやろか?と思います。もっとも、堀がおったら山本は歴史の表舞台に出ることはなかったかもしれへんけど。
そんな「同志」やった堀にしか語られへん「本音」がこの短い手紙に表されとると思いますわ。「お前しか俺の気持ちわかってくれへん」ってな感じで。

日本人の大きな弱点は、

「空気読み過ぎて空気に呑まれてしまう」

っちゅーことは、歴史の事実から証明済み、
またいくら正論を言うても「空気読め」で片づける性質もあります。要は感情的になりやすくて論理的な正論は感情的に排除してしまうこと。
そして、「みんな言ってる」「みんなそう思ってる」と「みんな」を武器に数で押し、正論を封じ込めてしまうんです。日本人にとって「みんな」は葵の御紋、
「ほな、『みんな』って一体誰よ、どこのどなたか具体的に名前を挙げよ」
と言うても「周りのみんなやん!」と逆ギレして答えになってへん答えを言うだけ。何故ならば、当人頭使ってへんから答えようがないのと、そもそも「みんな」なんて自分の意見を数で押して正当化するだけの幻想に過ぎへん、「みんな」はそもそも存在せーへんからなんです。
日常生活でも「みんなが言ってるから」「みんなそう思ってるよ」というシーンがあるけど、
それは単に理屈で説明できへん人が「空気」っちゅー目に見えん、実際にゃ存在せーへん化け物を出して脅しとるよーなもん。つまり当人は頭悪い、何も考えてへんってことだけですな。
賢い人はそこをきっちり見破るようにしましょう。「みんな」って言われて引いたらあきません。むしろ「頭悪いね~」と論理でビシバシ突っ込んで差し上げましょう。相手はまず答えられへんさかい、相手が逆ギレしたらこっちの勝ち(笑

日本が戦争に向かったのも、一言で言うたら「一億総玉砕」ならぬ「一億総感情的」になったからであって、
戦後にマッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳程度だな(笑」ってとんだ迷言(?)吐いたんも、この感情的になりやすい性質を理解したからかもしれません。
このバカにするよーな発言を聞いて「むかつく!」と怒るんはそれこそ「精神年齢12歳」であって、
俺に言わせたら、言っちゃ悪いが「脳が爬虫類並みに退化してる」ってこと。あたしゃマッカーサーより言い方キツいよ(笑
「大人」やったら「何でマッカーサーはこんなこと言うたんやろか?」と頭で考えて考えて考えてみる、怒るんはそれからでも遅くない、それが「大人の対応」ってやつやと思います。
日本が戦争に向かって行った原因を「空気」に注目して本に書いとる作家は、山本七平と半藤一利くらいしか知らんけど、
同じ過ちを繰り返さんためにも、日本独特の「空気」の取り扱いにゃ十分注意ってことです。
これが「歴史に学ぶ」ことであり、何で歴史を勉強せんとあかんのか、っちゅー理由でもあります。


で、熱くなったとこで(笑
港新地の話に戻ります。

港新地は戦争で首を絞められて衰退した上に、昭和20年の6月1日にあった「第二次大阪大空襲」で焼けてしもたことが、松島遊廓からの資料から明らかになっとります。
そん時の港区あたりの写真を見たら、違う意味で「見事やな・・・」と思ってまうくらいの一面焼け野原、その時の火は遠く奈良県生駒からもはっきり見えたそうです。
その港区の壊滅具合がよくわかる数字を。
昭和15年(1940)の港区の人口は、322,231人でした。それが空襲から5ヶ月後の昭和20年11月には8,672人と激減しとります。減少率は何と97.3%、この数字は大阪市一の減少率で、大阪市全体も325万人→111万人と3分の1になっとることからも、空襲のすごさがわかる数字となっとります。
減った人すべてが空襲で亡くなったわけやないけど、人口統計的には港区は明らかに「全滅」でした。そして港新地も焼失、いや「消失」してしもたと思われます。

そして戦後、昭和23(1948)年ごろに業者が戻って復活、昭和29(1954)年に夕凪地区に移転して売防法施行の前の昭和33(1958)年2月20日に、「関西のトップを切って」全店自主転業した、と資料に書いとります。
売防法施行を目前にして、スタートした時の純粋な芸妓の街に戻ろうとチャレンジしてみたそうやけど、
どうも上手くいかんかったみたいで、転業しても「ちょんの間」としてモグリ営業をして警察にマークされ、売防法違反で検挙された所もあったとか。
手元のデータによると、昭和32(1957)年2月現在の業者数34軒、女性の数200人と記録されとって、
自主転業時点では業者数33軒、女性の数130人となっとります。
また、上の時期の中間くらいの昭和32年10月末に「大阪府売春防止対策本部」ちゅー公的機関が調べた数は、業者数33軒、女性の数147人とあります。
これはいずれも大阪府の下の公的組織が出した数字やさかい、比較的信頼できる数字やと思います。

概要はこんなもんで、さて港新地が消滅して50年以上経った平成23年にゃどないなっとるでしょうか?

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次のプリウス、ロックオン!

久しぶりにプリウスの話題です。

今月に海の向こうのアメリカ・デトロイトで行われたモーターショーで、
2種類のプリウスが発表されたそーですわ。

一つは

プリウスv

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これがプリウスの姉妹号、プリウスvの実機で向こうで発表された画像です。
見た目は今のプリウスとそんなに変わらんけど、

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横から見たら長さが長くなっとることがわかります。
収納スペースはかなり広くなっとるみたいで、今のプリウスの60%増し、
同じ5人乗りでもスペースはかなり余裕があるらしい。
Wishのハイブリッド版みたいなもんか!?
日本じゃ7人乗りバージョンも出るとか何とかやさかい、恐らくwishの後継車のよーな形で出るんちゃうかな~、と勝手に想像したりします。
もしかして、日本じゃ"wishハイブリッド"として販売されたりして!?

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これが「プリウスv」のおケツの部分やけど、
エンブレムがちゃんと"PRIUS"の後に"v"がついとることに注目。
ちなみに、ここじゃ敢えてアップせーへんけど、「プリウスv」が走ってる姿やインテリアとかが映像としてようつべで公開されとって、
興味ある方はどーぞー。
俺?ああ、「プリウスv」にゃ興味ありませぬ。
だって、そんな5人も7人もスペース乗せる家族がおれへんし(笑
俺が欲しいんは、

究極の燃費マシーン

なのであ~る!

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中国古典サプリ(4) 古典に見る恋愛術!?

「取らんと欲する者はまず与えよ」

(老子 第六十三章)

これは、『老子』という古典にある言葉です。
『老子』の作者は老聃(ろうたん)という人と言われていますが、実際は老聃という人物は実在ではなく、何かの思想のグループがあってその考えを老聃という人物に例えている、という可能性がいちばん高いそうです。
恐らく、そのグループは孔子の儒教グループや、墨子のグループのように核になる人がおらず、核になる人を書物の中でフィクションで作り、そのリーダーがこう言っているという説得力を持たせるために作ったものかもしれません。
中国でいちばん有名な歴史書の『史記』には、若い時の孔子が老聃に会いに行き、ちょっとしたお説教を食らっているエピソードが書かれてますが、これも恐らく伝聞を元にしたフィクションと言われています。
また『論語』で、ある人が孔子に
「『徳を以て怨みに報いる』って言葉がありますが、どうお思いですか?」
と質問しているシーンがありますが、『徳を以て怨みに報いる』とは『老子』にも書かれいる言葉で、恐らく『老子』の思想は孔子が生きている前からあったと推定できます。
ちなみに、それに対して孔子がどう答えたかは、また今度(笑
『老子』は中国の古典の中でもかなり理解が難しい部類に入ります。
『論語』とかだと書いていることがストレートかつわかりやすいのですが、『老子』は書いていることが曖昧な上に、逆説表現も非常に多く、
最初読んでてもチンプンカンプンだったけど、10年後くらいに読んだら理解できた、ということも。
かく言う俺も、『老子』を最初に読んだのが20歳くらいの頃ですが、最初は何を言いたいのか、何書いてるのかさっぱりわからず投げ出してしまったのですが、
その14~5年後に読むとものすごく理解できるんですよね~。もちろん全部が全部わからんのですが、若い頃は血気盛んなせいもあってか『老子』の「逃げるが勝ち」「急がば回れ」的な考えがナンセンスに思えたのですが、
この年になると「なるほど~」と思わず膝を突いて納得してしまい、今では座右の書の一つです。
昔と比べて頭が良くなったな~と自信過剰になってしまいます(笑
そういう意味では、『老子』は人生経験を積めば積むほど味が出てくるというか、面白くなってくる書物だと思います。
ぶっちゃけ、30代以上で『老子』の面白さがわからなかったら、「人生経験少なすぎてちょっとヤバいかも」と危機感持っていいかもよ!?

で、冒頭の言葉もある意味「老子風曖昧表現」の一つですけど、これはその中でもかなりわかりやすい。
でもわかるようなわからんような・・・特に10代、20代には理解不能だと思います。
でも、これを恋愛に例えるとすごくわかりやすいと思います。

例えば、好きな人がいるとしましょう。
好きな人に何とか自分の気持ちを伝えたい、でも恥ずかしい。でも伝えたくてたまらない・・・。
この気持ちが恋愛ってもんだと思うのですが、まずは相手に振り向いてもらわなくてはいけません。

「好きな人の笑顔を見たい」

「好きな人に向こうから挨拶して欲しい」

「相手からアプローチして欲しい」


いろいろ願望があると思いますが、

自分の願望を叶えたければ、まず自分からやれ

ということをこの言葉は伝えているのです。
つまり、

「好きな人の笑顔を見たい・・・」

「自分から好きな人に笑顔になればいい」



「好きな人に向こうから挨拶して欲しい・・・」

「自分から相手に挨拶すればいい」



「相手からアプローチして欲しい・・・」

「自分からアプローチすればいい」

ということであります。
「相手にこうして欲しい」「こうなって欲しい」と自分の欲を押しつけるのは、はっきり行ってレベルが低い恋愛、高レベルの恋愛は「まず自分から与える」ことだと思います。
「相手からデートに誘って欲しいな」って思うだけで何もしないと何も叶いません。そんな自分の都合だけで世界は動きません(笑

相手をGETしたければ自分から動け!

ということを、2000年以上前の書物に書いているんですよね~。

中国の古典って聞くと、堅苦しいとか古臭いってイメージがありますが、読み方一つで人間関係にも、ビジネスにも、そして恋愛にも応用できる万能薬のようなもの。
古臭いとかそういう先入観や偏見で読むとそれまで、恋する人も古典を読んでみるといいですよ。
何か恋の悩みを解決するようなヒントが隠されているかもしれませんから!?

『全国遊廓案内』の謎

もう気分は家におらず、南国へと向かっとるBJのぶです。
何故かというと、もう予告しとくとあさってから連休やさかい和歌山方面に
「遊郭・赤線跡を訪ねる旅」
をいたします。
こんな寒い冬は南に逃避するに限る♪
数年前の同じ時期に紀南方面にドライブに行ったことがあるけど、その時の白浜あたりの気温何と17℃!!
大阪が3~5℃やった時の17℃。プリウスの温度計壊れとるんちゃうんか?と思いました。
もう沖縄を通り越えて常夏もどきの香港並みの気温やん!と思ったんやけど、
あの時の「17℃」をもう一度って感じです(笑
連休っても2日間だけやけど、出来るだけ多くの遊郭・赤線跡を訪ねてみようかなーと。
そのために(?)デジカメも新調したし、プリウスのナビに打ち込む用のマップコードも万全。
ホテルの予約も完了、頭の中のドライブシミュレーションもバッチリ。
準備は全部OK牧場、もうあとは寝るだけ(笑


で、今回はこんなことが本題やないんです。
ある巨大SNSの遊廓・赤線コミュに、当時の住所で言うと佐賀県佐賀郡東川副村諸富にあった通称「諸富遊廓」のことについての質問がありました。
「佐賀県佐賀郡東川副村諸富」って今の佐賀市諸富町大字徳富あたりみたいやけど、
諸富遊廓のことは我らがバイブル『日本遊廓一覧』と『全国遊廓案内』にもサラリとやけど掲載されとります。

『全国遊廓案内』の記述は・・・

「東川副村諸富遊廓は佐賀県佐賀郡東川副村諸富にあって、汽車は長崎本線佐賀駅で諸富行電車がある。
それを利用して諸富で下車すれば宜ろしい。
目下貸座敷は十一軒、娼妓は約百三十人位居て、主に九州地方の女が多い。
店は陰店制で御定まりは一泊五円位。又時間で三円五十銭でも遊興ができる。台の物が附く。
有名な筑後川は町の東を流れて居る」



ある意味、事実のみを淡々と語っとるよーな感じの書き方ですな。
佐賀県の、それもそんなに有名やない所(?)で130人も遊女がおったってことは、
まあそこそこ繁盛しとったってことかもしれへんけど、
Google mapを見てあれこれ状況証拠を調べてみようとしても、こんなとこに昔遊廓があったんか?ちゅーくらいの、ごく普通の集落みたいですな。

こういうマイナー(?)遊廓はなかなか情報がないさかい、俺も暇人・・・やなくて興味が湧いてきて
「本丸を落とすには、まず外堀から埋める」
っちゅー持論のもと、そこあたりの歴史を出来る限り調べてみました。
まずは、鉄オタ(?)の本領発揮、『全国遊廓案内』の本文にある

「汽車は長崎本線佐賀駅で諸富行電車がある。
それを利用して諸富で下車すれば宜ろしい」



って所に注目。
佐賀駅からはJRになる寸前までは佐賀線っちゅーローカル線が走っとって、確かにそこにゃ「諸富駅」が存在しとりました。
佐賀線は国鉄がJRになる前の1987年(昭和62)に廃止になって、諸富駅の跡は体育館になっとるってWikipediaに書いとったけど、
佐賀線は廃止になるまで全線非電化やったさかい、本文にある「電車」は記述間違い、『全国遊廓案内』って誤字脱字とか記述間違い(記憶違い?)がけっこう多いさかい、
(うちの地元遊廓の『龍神町』も『龍初町』って書いてるし)
迂闊に信用したら痛い目に遭うっぽい。「バイブル」は絶対じゃございませぬ。「バイブル」と言えども鵜呑みにせんと事前の裏付、つまり批判精神が必要でございます。

で、普通ならこれで
「『全国遊廓案内』に書いてる鉄道は佐賀線やねんな、はい終わり」
なんやけど、更に調べていくうちに「あれ?」とある謎が浮かびました。
『全国遊廓案内』って昭和5年、1930年に発行された本なんやけど、実は佐賀線の開業はその翌年の昭和6年で路線が名前の通り佐賀まで伸びたんは1935(昭和10)年のこと。
諸富駅もその時開設やさかい、『全国遊廓案内』が発行された時は佐賀線はもちろん、諸富駅なんて影も形もないのであります。
ほな、『全国遊廓案内』に書いとるのは一体なんやねん???
この「5年間のギャップ」は何やねん???
という「謎」が浮かび上がってきます。
『全国遊廓案内』は重版を重ねて内容が訂正されたんか?
もしかして、筆者は5年先を見通せた予言者なのか?(笑


[『全国遊廓案内』の謎]の続きを読む

消えた遊郭・赤線の跡をゆく 舞鶴丸山・加津良編

すっかりご無沙汰してしもた、以前書いた

消えた遊郭・赤線の跡を訪ねて舞鶴朝代編

消えた遊郭・赤線の跡を訪ねて舞鶴龍宮編

の続きでございます。
そして、新年初投稿のブログはやっぱしこれですやろ(笑
遊廓・赤線関連のは書きたいことが溜まってるさかい、それを消化するためにしばらくは簡潔に書いていこうと思います。
が!そう書いたのはええけど、果たして結末はどないなるやら(コラ

さて、舞鶴の龍宮遊廓跡を巡った際に地元のおじいちゃんから、

「龍宮遊廓は"戦時中"に丸山地区に移った」

って貴重な話を聞いて、その足で丸山地区に向かいました。
とは言うものの、丸山地区ってどこ?
大阪人やさかい土地勘ゼロ、地図も持ってへんさかいいきなり途方に暮れてもーたけど、そこは21世紀が誇る文明の利器2丁の出番です!
まずは車のナビで住所検索。
ま・る・や・ま♪と丸山を検索・・・はい、一発で出てきました。
そして念には念を入れてiPhone搭載のGoogle mapでとどめ。
よ~し、龍宮のおじいちゃんが言うとった地区と一致、間違いなし!

目標捕捉!出動準備完了!進路クリア!

アムロいきまぁ~~す!!(違

[消えた遊郭・赤線の跡をゆく 舞鶴丸山・加津良編]の続きを読む

2011年明けましておめでとうございます!

ついに明けてしまいました、2011年。

明けましておめでとうございます!!

しかし、つい最近まで夏のはずやったのにもう新年、1年が最近4カ月のように感じる今日この頃(汗
これも年とったせいなのか・・・いや、それは敢えて禁句にしとこうか。

で、今年の抱負・・・の前に去年の今頃はどんなブログを書いたんか1年前のブログをほじくってみたら、

飛躍と安定の年

と書いとりました。
飛躍と安定か・・・全然達成できてへんやん(笑
完全に『絵に描いた餅』と化してしもた去年の抱負、でも今年も懲りずに発表します!

人間力向上の年

自分も色々人間至らんところがあるさかい、今年はじっくり田畑を耕すように自分の「人間力」を向上させてレベルアップを図りたいと、今日思ったんですわ。
実は、今年から『致知』っちゅー、知る人ぞ知る雑誌の購読も開始して早速「2月号」が届いて年越しそばを食べながら読んでみたんやけど、
「なるほど!」とうなる内容ばかり。年間購読してよかった~と心が豊かになった気分です、と単細胞な俺(笑

も~い~くつ寝る~と~、『論語』で言う「不惑」のアラフォー、
そしてリンカーンいわく、
「人間40歳になったら自分の顔に責任を持て」
と言わしめたアラフォーになってまうさかい、それまでに「ええ顔」になってみたいと思います。
その「種まき」の1年が今年っちゅーわけで。

もちろん、ライフワークの外国語の勉強や遊郭・赤線巡りは今年も引き続きやりまっせ~。

ではでは皆さん、

今年もよろしくお願いしますm(__)m

よろしく!






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    今日も明日も明後日も(?)大阪弁パワー全開!?
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