大阪弁の世界2005-11-08 Tue 21:36
日本でも、各地で方言がよーけーあるんやけど、
方言っておもろいでんなー。 かく言うワシも、このブログはもちろん、メールもチャットもすべて大阪弁でとーしとりま。このスタイルはまず崩しまへん。 前のブログはやや標準語っぽく書いてたさかい、なんか肩凝って自分が自分であらへんよーな気がしてましたわ。 メールを大阪弁で返したりしたら、他の地方の人にえらいウケるさかい、 もうある意味やめられまへんわ(笑 もちろん、実際喋る言葉も大阪弁でっせー。 大昔、標準語しゃべったら、関東人に 「のぶちゃんの標準語っておかし〜♪」 って大笑いされてから、外国人のよーな特例でない限り、 標準語は天地がひっくり返ってもしゃべらへんで〜。 日本に 「大阪弁禁止令」 なんかが出たら、真っ先に亡命させてもらいま(笑 せやけど、違う人に、 「あんたが標準語しゃべったら、別人みたいでなんかイヤや」 って言われたこともあるんやけど、 ある種大阪弁ゆーんはワシのアイデンティティーの一つになっとるかもしれへんなー。 これは、ワシだけやのーて、ほとんどの大阪人に当てはまるんちゃうかな? 大阪だけやのーて、関西の人って、他の地方に行っても方言を捨てずにそのまんましゃべり続ける、っちゅーのが特徴やけど、 なんでここまで大阪弁を貫き通すのか、大阪人ながらよーわからへんのですわ。 もちろん、ワシもどこ行っても大阪弁は貫き通しまっせー。東京に少し住んでたことがあるんやけど、住んでた環境のせいか、周りはチャキチャキの江戸っ子ばっかしで、 江戸っ子と大阪人、意外に相性がよろしいみたいで、向こうも 「大阪弁しゃべる奴」 ゆーことで、えらいかわいがってくれましたわ。 その昔、中国に留学してた時に同じとこに住んでた日本語の先生も、東京葛飾区で生まれ育ったコテコテ・・・やのーてチャキチャキの江戸っ子で、 さすがに「てやんでい」は言わんかったけど、ハキハキした人でおもろかったですわ。 その先生とも妙に相性がバッチシになってもーたんやけど、 先生の教え子の中国人の学生も、 「東京人と大阪人って仲が悪いって聞きましたけど、先生たちはウマが合うんですね」 と連発しとりました。向こうは日本語の「ウマが合う」って言葉を使いたかっただけやろーけどね。 で、ちょっと話が外れそうやさかい、軌道修正させてもらいま。 日本に方言数多しゆーても、他の地方の人にとって関西弁、特に大阪弁はどキツいっちゅーイメージがあって、 ひときわ強烈みたいでんな。 確かに、テレビで流れとる大阪弁ゆーんは、大阪人から見てもちょっと作ってるんちゃうか?ゆーくらい強烈やわ。 おかげであのテレビの関西弁がイコール大阪弁って定説になってもーとるけど、 大阪弁って、大きく分けたら3つ、人によっちゃ4つくらいに分かれとるんは、意外に知らん人多いんちゃいまっか? それは後で説明するとして、 大阪弁の大きな特徴は、あの独特のアクセントやろーけど、 実は敬語のバリエーションが少ないゆーのも特徴だす。 ぶっちゃけ、大阪弁には尊敬語とかそーゆーのがほとんどない、 ちゅーか滅んだゆーた方がええかもしれまへん。 大阪に行ったり大阪人と会話したりしたら、いきなりため口な人っておるやろ? 「何だよ、馴れ馴れしい」 って思った人もおるかもしれへんけど、これも大阪弁の特徴言えると思いま。 大阪の歴史を勉強したらわかるんやけど、江戸時代、大阪は「天領」言われる幕府の直轄地でした。せやけど大阪っちゅーとこは武士の数が圧倒的に少なかったんですわ。 同じ関西でも、京都も少なかったんやけど、京都にゃ武士より格式を重んじるお公家はんなんかがウヨウヨしとったさかい、 ある意味武士のメッカの江戸より格式ばってたところがありま。 その点、大阪は武士の数が町人に対してほとんどゼロに近い数字やって、 格式ばる必要もなかったんでしたわ。 もちろん、天領やさかい「大阪城代」ゆーお上のトップはおったんやけど、 これは老中(江戸時代の総理大臣みたいなもん)になる前の通り道みたいなもんで、 ほとんどおってもおらんでも同じよーな地位やったんですわ。 江戸はもちろん、大名が治めてたとこは行政ゆーんは役人化した武士がやってたんやけど、 大阪は誰がやってたか?実際に町の行政を取り仕切ってたんは町人、特に町衆言われてた民間組織やったんですわ。 もうほとんど「共和国状態」の大阪やったんやけど、ヘタしたらお隣はんが大阪の行政を取り仕切る人やったりして、 垣根が相当低かったんですわ。 簡単にゆーたら、肩肘を張る必要があらへんってことでんな。 おまけに大阪って浄土真宗の人が多いんも特徴なんやけど、 これも大阪弁と関係がありま。 浄土真宗のモットーは、「人間皆南無阿弥陀仏を唱えたら平等」っちゅーことで、 この平等意識が強力な団結力を生んでたんですわ。 これは戦国時代に「一向宗」として一時は加賀(石川県)に日本初の「共和国」さえ作ったくらいの勢いがあったんやけど、 織田信長の頃にかなり弾圧されて、更に徳川家康の策略で二つに分裂してまいました。 せやけど、この平等意識は、元々自由が好きで堅苦しいこと嫌いな大阪人にマッチしたらしゅーて、 ついに大阪人の精神構造まで変えるハメになってまいました。 こないな自治意識が強いとこは、敬語の発達が少ない、または全くあらへんゆーとこもあって、 和歌山県北部はその昔、雑賀衆言われる戦闘集団がおったんやけど、 その強烈な自治意識は未だに和歌山の方言には敬語がないゆーくらいの平等意識を持たせとります。 「〜してはる」 ゆー言葉があるけど、一般的にこれは「尊敬語」と思われがちだす。 せやけど、これは京都やと尊敬語として使うこともないことはないけど、 関西人に言わせたら、これはただの敬語で、尊敬語でも何でもありまへんねん。 これを知らん人は、関西人が 「うちの子供、よー寝てはるわ〜」 なんか言ったら、 「関西人って変なの。子供に尊敬語使うなんて」 って思うことでしょうなー。 これに驚いたらあきまへん、時々犬猫に尊敬語使う人おりますで(笑 で、大阪にゃ大きく分けたら3つの方言区域に別れとりますねん。 都道府県の中で1.2を争う狭さやのに、なんでそんなに多いねん、って思うやろーけど、 これは昔、 摂津国 河内国 和泉国 に分かれてたせいもあるやろな。 旧摂津国の言葉は、昔の大阪の船場言葉に集約されとると思いま。 この大阪弁がまさしく「元祖大阪弁」って言えるかもしれへんもんで、 関西弁でゆー「はんなり」って言葉がピッタリの、のんびりとした言葉ですねん。 残念ながら、明治以降に、後で説明する河内弁とか泉州弁と混ざってもーて、 純粋な船場大阪弁の話し手はかなり少なくなったけど、実際に聞いたら、 「これが大阪弁!?」 ってくらい「はんなり」してて、テレビでしか大阪弁聞いたことない人はビックリするかもしれまへん。 純潔の船場大阪弁は、今は上方落語の世界に残ってますわ。 特に、桂米朝とか笑福亭仁鶴あたりはかなり色濃い船場大阪弁で落語しとって、 古典落語聴いてたらまったりするくらいでっせー。 あと、それに近いもんは、昔「塩爺」ゆわれとった塩川正十郎元財務大臣が、かなりええ感じの船場大阪弁でしたなー。 二つ目の大阪弁は、 これが今の大阪弁の主流になっとるかもしれへん、 河内弁 ですわ。 河内弁キターーーーーーーーーー! って思うかもしれへんけど、それくらい抑揚がキツくて、初めて河内弁聞いたらヤクザか!?思うくらいかもしれまへん。 うちのオヤジは、実は大阪やのーて神戸出身なんやけど、大阪に移住して 「われ、そこでなんけつかんどんねん(お前、そこで何やってんの?」 って初めて河内弁を聞いた時、 「えらいとこに来てもーたなー・・・」 と思ったそうな。 河内弁の棲息地域は大阪市内南東部から南東に伸びとるさかい、 そこの地域に行く時は、言葉荒くてもビビらんよーに(笑 残りの一つが 泉州弁 ですわ。 これは別名「岸和田弁」ゆーんやけど、江戸時代、大阪の南部、今の岸和田市より南は、 岸和田藩って言う、大名が治める地域でしてん。 せやさかい、幕府の直轄地やった今の大阪市内とかと違って、 独特の文化が育った地域でもありますねん。 せやさかい、言葉も独特に発達してもーて、河内弁に匹敵する言葉のガラは相当悪い地域でもありますわ。 今の、テレビで聞く大阪弁は、船場言葉に河内弁がミックスされた言葉やけど、 泉州弁はこれとはまたちょっとちごた言葉になっとりま。 ワシは堺の生まれやけど、堺は「境」と同じ意味で「境界線」って意味やけど、 その名の通り摂津国・河内国・和泉国の国境が交わったとこでんねん。 せやさかい、方言交差点でもあって、うちの小学校は大阪弁・河内弁・泉州弁、更に某有名商社やメーカーの家族寮があったせいで、 標準語をしゃべるクラスメートもいっぱいおって、 まさに日本方言マルチリンガルな世界でした。 おかげでワシの大阪弁も見事に混ざってもーて、悪く言うと中途半端になってもーたんやけど、 河内弁辞典とか泉州弁辞典なんか見とると、ホンマ混ざってるなーって思いますわ。 (だいたい語彙は泉州弁:河内弁=7:3くらい。非関西人にゃおとなしめにしゃべっとります) せやさかい、生粋の河内弁とか泉州弁を聞いてると、明らかにこらちゃうわ、って思いまんねん。 で、どんなけちゃうねん!?って思うやろーし、 文字でちょっとやってみまひょか。 川端康成の有名な小説、「雪国」の冒頭で比べてみまひょか。 「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立ってきて、島村の前のガラス窓を落とした。 雪の冷気が流れ込んだ。娘は窓いっぱいに乗り込んできて、(以下略)」 これが原文なんやけど、これを船場大阪弁にしてみまひょか。 「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だしたんや。夜の底が白ーなりましたんや。信号所に汽車が止まりましてなー。 向側の座席から娘はんが立ってきよって、島村の前のガラス窓を落としはりましてん。雪の冷気が流れこんで来よってな、娘は窓いっぱいに乗り込んできはって、」 さて、今後は河内・泉州弁でやってみまっせ。 「国境の長いトンネルを抜けたらそこは雪国やったんや。夜の底が白ーなってもーてな。信号所に汽車が止まりよったんやわ。 向側の座席から娘はんが立ちよって、島村の前のガラス窓を落としてもーたんやわ。雪の冷気が流れこんでもーて、娘は窓いっぱいに乗り込んできよって、」 なんとなくちゃうこと、わかりますやろ? んなわけで、たかが大阪弁ゆーても奥が深いんですわ(!?) |
