のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

大阪人の、大阪人による、大阪人のため・・・だけやないBlogでっせ。 愛車プリウスのこととか以前住んでた中国のこととか、色んなことを大阪弁トークでハイパーテンションで書いていきまっせ〜。

プリウスでエコドライブ 消えた花街を訪ねて〜中書島・橋本編〜

突然やけど、

赤線

って言葉は知ってまっか?
『知ってる』『聞いたことはある』人は多いとは思うけど、
『懐かしいな、あそこでよー遊んだわ』って人は最低でも60代後半の方でしょうな。65歳のうちのオヤジでも、言葉は知ってるけど行ったことはないそうな。
知らん人のために、赤線って何じゃい!?ってのを説明しまひょ。

赤線とは、簡単にゆーたら「風俗街」ってことで、古風な言い方に「遊郭」って言い方もあるけど、またちょっと趣がちゃいますんや。
ここからは潔癖症な女性は不快に思うかもしれへんけど、
あくまでスケベな話しようとしてるわけやないさかい、
日本の歴史の一つの話聞いてると思て読んでみておくんなまし。

こないな男を愉しませる街は、安土桃山時代までさかのぼりますねん。
記録に残る最初の花街は、京都の島原遊郭と言われてま。
のちに大都市の花街は幕府公認になったんやけど、
お役所公認やったんは、東京の吉原と京都の島原、大阪の新町が有名でんな。
せやけど、東海道五十三次の宿場には、宿屋とムフフな場所が合体してたくらい、
そういうのは密接に絡みあってましたんや。
ある意味風俗ってのは、旅行の際の楽しみでもありましたんやな。
有名な「東海道中膝栗毛」でも、いわゆる売春婦に追い掛け回されてヘトヘトな弥次喜多はんのコミカルなやりとりがあるんやけど、あまり乗り気やなかったしお互いがお互いに嫉妬してる表現があることから、二人はホモやったって説もあるくらいやねん。
こういった宿場町の売春は非公認やったけど、もちろんお役所「黙認」だす。品川みたいに取り締まったら途端に客足が途絶えて寂れてもーて、慌てて再び「黙認」になったとこもあるくらいですわ。
なんや、やらしい!って言う方もおりはるかもしれまへんけど、
たかがこんなとこ、されどこんなとこ。
幕末になると歴史の表舞台に立ってたこともありますんや。
京都の島原なんかは幕末に維新の志士も新撰組も、幕府も攘夷も関係なく仲良く遊んでたんやけど、
維新の志士はかなり人気があって、新撰組みたいなのはすごく嫌われてたみたいなんやわ。
なんでかと言うと、
1.維新の志士にゃ色男が多かった
(桂小五郎なんか相当人気があったらしいでっせ)
2.新撰組がゴロツキばっかで金払いが非常に悪かった。
逆に、維新の志士は坂本竜馬を除いたら金払いが非常に良かった。
(今で京都市民は新撰組のことを「壬生浪(みぶろ)」ゆーて軽蔑してるくらい。京都市民の恨みは恐ろしいもんやな)
ちゅーことらしいですわ。
また、明治になってからも品川なんかは東京から気軽に行けるゆーことで、伊藤博文なんかがよー行ってたらしいですわ。
昔の遊郭は、ムフフな場所以外にも、純粋に女と戯れる場所でもありましてん。当時は高級サロンみたいなとこやったってことでんな。
お泊りも当然OKで、これは今の風俗とは全然ちゃうとこですねん。
このお泊りOKはずっと伝統として赤線がなくなるまで続きま。

そして明治になって全国に公認の風俗街ができましたんやけど、
埼玉県とか群馬県みたいに、「うちの県は風俗なんかありまへん!」って宣言してるとこもありました。
(実際は『居酒屋』ゆー名目でありましたんやけどな。K市なんかはけっこう有名やったし)
名前も、遊郭から貸座敷になって存続したんやけど、
ここから風俗街は軍と密接に結びつくことになりま。
男臭い軍隊の駐留地には必ずとゆーてええくらいの風俗街があって、
場所によっては、風俗街まで上官に連れられ、そこで「男」になる儀式があったちゅー話も聞いてま。
(特に満州事変以降はそれが半分軍隊の通例になってたらしいですな)
実はワシが住んでる近くにも明治から続く花街があるんやけど、そこには元軍隊の駐屯地があって、やっぱりそないな関係があるみたいですわ。

東京とか大阪とかの大都市の花街は空襲でほとんど焼けてもーて、「遊郭」とか「貸座敷」言われた頃の面影は跡形もなく消えてまいました。
唯一、大阪の飛田新地だけが戦災を奇跡的に免れて、今でも建築学上かなり貴重な建物が残ってますんや。飛田の写真集も売ってたりしてまっせ。

そして戦争が終わってGHQは、
「日本の風俗制度を廃止する」
ちゅーお触れを出しましてん。せやけど、これにはまた裏があって、
「その代わり、カフェを開いて女はそこで相手をすべし」
ここで初めて赤線ちゅー言葉が出てきます。
赤線ってなんじゃいってことなんやけど、意味はそのまんま赤い線ですわ。
上のような建前は喫茶店(カフェー)でも実際は売春宿なとこを「特殊飲食店」って表現しましてんけど、
そんな店が当局の指導で集中的にある地区に集められ、そこを「特殊飲食店街」、略して『特飲街』って法律用語で呼んでていちおう法律上では公認の売春宿でしてん。
そないな「特飲街」を警察の地図で赤く囲んでたことから、のちの風俗街のことを赤線言うようになりましたんや。
また、赤線の周りには必ずゆーてええくらいに飲み屋とかがあって、そこを警察の管理地図にゃ青い線で囲んでたさかい、青線言いましたんや。非公認のカフェーや立ちんぼが現れるエリアも青線ゆーてたみたいでんな。
なお、ニュースとかで風俗業の人のことを「飲食店勤務」「飲食店経営」って表現することがあるけど、
これは赤線時代の「特殊飲食業」の名残やと思いますわ。

この赤線は戦後の風俗史の一幕を飾ってたんやけど、昭和32年(1958)に施行された「売春防止法」で法律上では赤線はすべて廃止になりました。
廃止になった以上、赤線は絶滅の運命・・・ってやっぱり人間(ってか男)の欲に基づいた産業は滅びまへん。
「赤線」はなくなっても、ここからは男ならご存知の通り名前を変えて現在に至ってますんや。
赤線が廃止された後のカフェーは、旅館になったり民家になったりしたんやけど、建物の老朽化でどんどん取り壊されてま。地元の人でも、ある一角が昔は赤線街やったってことを知ってる人は知らんちゃいますかな。こーゆーのは学校では絶対に教えへんけど、これも立派な街の歴史やと思うんやけどな。
赤線街の雰囲気などは、作家の五木寛之のエッセイにも書かれててますけど、
東京限定やったらこちらとかが詳しいでんな。

まあそれはさておき、その戦後の赤線時代にカフェーとして建てられた建物、とにかく見た目がすごい凝ってて、
あまりの奇抜さっちゅーか独特さから、建築学上では「カフェー建築」言われてますねん。
そのカフェー建築を訪ねに京都まで行ってきやした。
今回の旅は、
赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて
を参照にしました。

えらい前置きが長くなってもーたけど、これからが本番だす。
今から出てくる写真は、全部携帯カメラで撮った写真だす。
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さんま弁当

もうすぐ秋やっちゅーのに、メチャクチャ暑いでんな〜(x_x)

でも秋は秋、秋とくればさんまでしょー。
京都に行く途中で水分補給のためコンビニに寄ったんやけど、
そのコンビニに秋らしい弁当が売ってましたわ。
ちょうどメシ食おうとレストランを物色中やったさかい、
ええタイミングやと思ってこーてみました。

サンマ弁当

見ただけやとタダの魚の弁当やけど、いちおうサンマの蒲焼弁当なんですわ。
食べてみると明らかにさんまやった(当たり前や)。
さんまは普通に食べるのはあんまし好きやないんやけど、
蒲焼にして食べるともう最高!缶詰のさんまの蒲焼が好きな人もおりはるんちゃうかな?

550円と量の割にゃちょいと高いんやけど、せっかくの秋やさかい、機会があったら食べてみたらどないでっしゃろ?
ロー○ンで売ってまんでー。

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