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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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ブログを訪問し、読んでいただいてありがとうございます。

しばらくFC2でブログを書き続けてきましたが、ブログをはてなブログに移転し今はそちらで書いています。

移転先

ブログエッセイと昭和考古学の旅へ

(はてなブログ)

ここの記事は随時移転していきます。
「消えた遊郭・赤線跡をゆく」は移転の上文章とデータを全面改訂した上で、はてなの方で再公開します。
再公開次第、FC2での記事は消していきます。

まあ、マニュアルで引っ越し作業をするので、移転にはしばらく時間がかかると思います。
期間は・・・おそらく1年くらいかけて(笑
なので、移転はしてもブログを消すことはしばらくないのでご安心を。

今までありがとう、FC2。拙い記事を楽しんでくれた読者のみなさん、ありがとう。

そして、はてなブログの方でまたお会いしましょう!!



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■■■228事件と台湾の限界

ちょっと古い記事やけど、台湾の新聞から。

歷史課本無228元兇 教師怒吼要求轉型正義
(台湾 自由時報より)


タイトルを意訳すると、
「歴史教科書に228事件加害者の記載なし
高校教師・歴史学者が怒りの抗議」
となります。
さて台湾の教師たちは、「228事件」になんでこれだけ怒っとるんでしょうか、

東日本大震災の時、台湾の方々が送ってくれはったたくさんの義援金や気持ちから、台湾に目を向ける日本人が多くなっています。昨年の日本人の海外旅行先トップがダントツ台湾だったことも、その現れの一つと見ていいでしょう。日本と台湾の「相思相愛」の時期は着実に近づいとります。

せやけど、台湾の歴史になると案外知らない人って多いんちゃいますか?
「日本の植民地だった時代があって・・・」くらいしかイメージがないんちゃうかなと。「植民地」というのも、個人的にはちょっとなんかちゃうんやけどな・・・と思うビミョーなワードやけど(台湾じゃ「日本時代」「日治時代」と書きます)、知識がないと「そんなもん」でしょう。
この228事件は、戦後の台湾に起こった最大の悲劇であり、そして謎多き事件でもあり、そして立場が変われば台湾史に歴然と存在する「黒歴史」でもあります。その歴史を大雑把に見ていきましょう。

テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術

■■■海軍提督の語学勉強法 前編

このブログは2008年5月に書いたもんやけど、文章を大幅に編集、加筆し、更に「前編」「後編」に分けて「再age」したものです。



その昔の日本海軍の提督に、井上成美という人がおりました。
井上成美って聞いても、軍艦や海戦しか興味ない人は「誰その人?」って聞く人がほとんどやと思います。
「ああ、あの人ね」ときたらかなりの通、褒めてあげましょう(笑
「ああ、最後の海軍大将でしょ?」
って思った方は俺と話が合います。って合いたくない?(笑

井上成美ちゅー人物は剛直にして自分が正しいと思ったことは、誰が何と言おうと筋を通す、反対する者はコテンパンに論破してぐうの音も言わせず、「カミソリ井上」と言われて意見を反する人からは畏怖されとった人物です。

井上成美
これが当人の写真やけど、顔見ただけでもかなり頭が切れそうやなーって感じがします。
井上成美の伝記を書き実際に会ったことがある作家の阿川弘之さんは、井上の経歴はちゃんと評価しつつも、
「井上さんとは一緒に酒を飲みたくない」
という迷言(?)を残しとります。
まあ確かに雰囲気的にゃ、
「ちょっと一緒に飲みまへんか?」
って気軽には言えそうにないわ(笑

で、当時の海軍では「リベラル」な立場やったけど、
「リベラルはリベラルでも、前に『ラジカル』(過激派)がつきますけどね」
と自分で言うとるくらい、言うことやること当時としてはかなり「過激」でした。過激というより、他の人よりかなり先が読めた人、と言うた方がええかもしれません。
どれくらい「過激」かというと。
昭和初期の頃、まだまだ戦艦同士の殴り合い、つまり大艦巨砲主義が世界中で主流やった頃、航空機という新しい兵器に注目した一人やったりします。
そんなん同じ考えやったら、かの説明不要な山本五十六、今はアメリカの専売特許になっとる空母機動艦隊という独創的な思想を、世界で初めて編み出した小澤治三郎、そして最近出てきた資料により、彼ら二人より航空機の将来性を見越し、連合艦隊に単身殴りこんで参謀を捕まえて航空機の優位性を説いた大西瀧治郎の方が有名ですわな。
まあ、井上はここまでは彼らと同じなんやけど、そこは「カミソリ井上」、主張はより過激かつ斜め上。彼の思想は平たく言うと、
「海軍自体をなくしてしまえ」
ってことでした(笑 
昭和15年10月、真珠湾攻撃の約1年前に井上は航空本部長に就任します。航空本部とは海軍の航空の総元締めで、井上はそこのトップやったちゅーことです。山本五十六も部長の経験があって、そこで兵器としての航空機のレベルアップに努めました。
せやけど、井上の先を進めすぎた考えに部下が全くついていかれへんかって、
「いったい、あなたは海軍をどうしたいんですか!?」
と喰い付きました。
わからんか?じゃあ答えてやろう、と前置きして井上が答えたのは一言。
「海軍の空軍化だよ」

他に、
「将来の連合艦隊は雲の上」
「『軍艦マーチ』なんかもう古い。今のうちに『航空マーチ』を作っておけ」
という発言もあるさかい、本気で「海軍の空軍化」を考えとったんでしょう。さすがにここまで組織をぶっ壊すくらいスケールが大きいと、理解できる人はほとんどおらんかったでしょう。
そして、空母機動艦隊を編み出した小澤治三郎とは海軍兵学校の同期(卒業時成績は井上2番、小澤が45番)やったりするさかい、小澤とは航空機という面では思想が一致しとりました。
せやけど、井上と小澤が直に話し合ったちゅー確定な記録は、昭和20年の戦艦『大和』の沖縄特攻の時、軍令部ナンバー2の次長として命令を出した小澤に対して、海軍省ナンバー2の次官やった井上が激怒、
「特攻で死んでいく『大和』の若い者たちが可哀想だとは思わんのか!」
と詰め寄ったということだけです。目撃者によると井上が小澤の胸ぐらをつかんだとも言われとるけど、両人ともこれに関しては一切ノーコメントのまま墓場まで持って行ってしもたさかい、実際はわかりません。
井上と小澤の仲はどうやったんやろ?と個人的には気になります。せやけど、数ある二人の伝記の中のどこにも二人が絡むシーンがないさかい、たぶん仲が良かったってことはなかったんかもしれません。
また、小澤の前の軍令部次長は伊藤整一という、戦艦『大和』特攻のトップの司令長官やった人でした。彼は残念ながら航空機の時代になってもいわゆる「大艦巨砲主義」に囚われた一人で、終戦前になっても艦隊決戦を目指して戦艦を中心
に修理しようとしました。
しかし、それで井上は軍令部に殴りこみ、
「戦艦の時代は終わったことは、あんたら(軍令部)の作戦であんたら自身が証明したではないか。航空機によって戦艦や巡洋艦がどんどん沈んでいってるじゃないか。あんたらはそれでもまだ目が覚めないか!」
と伊藤に詰め寄ります。伊藤はほとんど言い返せなかったそうです。ちなみに、伊藤は井上よりはるかに先輩なのですが、先輩だろうがなんだろうが、間違ってることは間違ってるとはっきり言う。これが井上の真骨頂でした。
それでも、呉鎮守府司令長官の某提督は戦艦『大和』を優先的に入渠させようとします。あのー、うちの長官頭が古臭いんですけどどうにかなりませんか?と元部下からの報告を聞いた井上次官、
「戦艦なんて後回し。それより対空装備が充実した駆逐艦を優先的に修理せよ。それより長官の頭の古さを修理せよ」
と長官に対して「警告」を出します。これは越権行為に見えるけど、鎮守府は海軍省の管理なので鎮守府長官といえども次官の指示に従わないといけません、たとえ次官が自分より「後輩」であっても。

井上の名前が知れ渡るのは、日本が戦争に向かいつつある時期のこと。
陸軍やマスコミに煽られた右翼や国民が戦争まっしぐらに進んで行く中で、海軍省トップ3の軍務局長として、海軍大臣の米内光政、海軍次官の山本五十六と共に日独伊三国同盟に猛反対しました。
米内・山本・そして井上は記者から『海軍三羽烏』と呼ばれ、今でも昭和海軍最強トリオとして語り継がれとります。せやけど、トップで三国同盟を食い止めたんは他にも軍令部次長の古賀峯一もおって『三羽烏』とタッグを組んでたさかい、『四羽烏』って表現した方が実際は正解です。

「日独伊三国同盟締結→アメリカ・イギリスにケンカ売る→戦争」
ちゅーのが主な反対理由わけなんやけど、井上が何で猛反対したんか。
どこをどう考えてもアメリカと戦争しても勝てるわけあらへんやん!
ちゅーのもあるけど、彼はドイツ・イタリア(+スイス、パリ)に駐在経験があって、ドイツとイタリアの国民性っちゅーのを知り尽くして、信用に値しないと結論、
「こんな奴らと手を握っても損なだけやん」
っちゅー観点からも徹底的に反対しとりました。

その例が、ヒトラーが書いた「我が闘争(マイン・ガンプ)」でした。
井上は「我が闘争」を、日本人を差別している表現がある、と読むのを禁止させました。
「そんなもんどこにも書いてないじゃないか」
といぶかしんだ海軍士官に、同僚が
「貴様バカだな。日本語訳には書いてない。井上さんはドイツ語の原書を読んでるんだよ
と返したという話が残っとります。
事実、ドイツ語の原書にゃ、
「日本人は想像力に乏しいバカな奴らだが、手先が器用なのでドイツ人の小間使いにはピッタシだ」
と書かれとるんやけど、当時の日本語訳にゃご丁寧に削除されとりました。
今の『わが闘争』の日本語訳版には、そこはちゃんと訳されて掲載されとるんやろか?

米内・山本・井上のコンビは三国同盟締結阻止ばかりがクローズアップされるけど、別の面でもこのコンビの伝説ぶりが伺えます。

ある課長が自身で説明に行かねばならぬような重要書類を、まず井上局長の部屋に持って行き、説明する。井上局長は納得し、頷き、判を押す。
次に山本次官に持ち上げる。次官は「局長見たか」と聞く。「ハイ」と答えると黙って判を押す。
さらに米内大臣のところに持参する。すると、「山本次官見たか」と聞く。「ハイ」と答えると、すぐに判を押す。五分とかからない。
いやもう、ピッタリ呼吸が合って、寸分の隙もない。こんな鮮やかなチームワークが海軍にあったのかと、みな舌を巻く。手抜きではなく信頼なのだ。そうでなければ、こんなこと、出来るわけがない。

吉田俊雄(元海軍中佐)



これは、ふつうの大臣・次官なら決裁に1日2日、いや1週間かかるようなことを「五分」で済ませてたそうです。そのせいか、それまでの軍務局長なら山積みになってた未決書類の山が、井上軍務局長になると定時にはすべてなくなっていたそうです。おそらく上のエピソードは、米内・山本は性格も考えたら100%めくら判やろうけど、軍務局長の井上がトップ決裁の関門になってOK出せば大丈夫、という信頼関係があったからこそ出来たことやろうと思います。

彼らは結果的には三国同盟を流産させることに成功したものの、一枚岩の団結を誇っとった海軍はこれ以前にあったロンドン軍縮条約調印の「統帥権干犯問題」、そして軍令部による「内部クーデター」によって、先が読める良識的提督はほとんど海軍を追放され、中は空中分解状態でした。
その良識派の中に堀悌吉という、山本五十六と同期の人がおったんやけど、「堀の頭脳は神様が創りたもうた」と言われたくらい優秀で、将来の海軍を背負う人材として将来が保証されとりました。そして、山本五十六も堀の頭脳には敬服して親友の間柄でした。
せやけど、その優秀さと良識的な戦略思想が逆に仇となり、「米英強硬派」に睨まれてクビになってしまいます。
その知らせを軍縮会議の予備交渉でロンドンに出張中やった山本五十六は、
「巡洋艦と堀の頭脳、どっちが海軍にとって大切なのかわかってるのか!」
と机を叩いて激怒したと言われています。
そして、こんなバカバカしい海軍なんて辞めてやる!と自分も辞めて博打打ちになろうとしたのですが、
「貴様までいなくなったらどうなるんだ。貴様は残って海軍を立て直せ」
と堀がたしなめて山本は海軍に残ることとなります。
その中でも、米内・山本・井上ライン+古賀は良識派の最後の生き残りでした。
せやけど、米英と戦争じゃ!という勢力が既に海軍省・軍令部の主流を占めとって、「海軍三羽烏」みたいな戦争回避派の方が少数派でした。
そして、このラインの3人が全員海軍省からおらんよーになってから、結局海軍も「陸軍化」してしもて結果は学校で習った歴史のとーりです。
井上も、のちに、

「海軍が陸軍と手を組んで良くなった例はない。海軍は海軍の主張を貫くべきだ。
二・二六事件を起こした陸軍なんかと手を組むのは、強盗と手を組むようなものだ。
陸軍を止めるものは海軍しかない。その海軍が陸軍と歩調を合わせたら、止めるものがない。
国を救うなら、内閣なんて何回でも倒れたらいいじゃないか」



と、かなり過激な発言を戦争前に言っとります。
実際、「海軍三羽烏」があまりに頑固に反対するさかい、陸軍がしびれを切らして
「海軍なんてクーデターでやっちまえ!」
って計画が実際にあったそーです。
これは当時の平沼騏一郎内閣が独ソ不可侵条約で崩壊、三国同盟の話も一旦おじゃんになったさかい計画倒れにはなりました。せやけど、それを独自の情報網で探知した井上は、
「おう、陸軍と戦争や!米英と戦争して国を滅ぼすよりは全然マシ」
と、大臣と次官の許可をもらって海軍内に緊急非常事態宣言を出し海軍省+軍令部を一時要塞化したくらい、陸海軍は一線触発でした。
これは数年前に公開された映画の『山本五十六』のオープニングに出てくるシーンでもあります。ちなみに井上は柳葉敏郎が演じてましたね。

こないな風に、考えに考えた結果の自分の意見は絶対に曲げへん性格のせいか敵も多く、頑固に対米戦争に反対しとった井上は、真珠湾攻撃の前に南方の第四艦隊司令長官に就任します。
海軍軍人はやった海に出てなんぼやさかい、「艦隊の司令長官」ったら聞こえはいいものの、事実上の東京(海軍省)からの追放、つまり栄転って名前の左遷を意味しとって、井上に理解がある人は、
「井上さん、(中央から)追い出されましたね」
と同情する人もおりました。
そして第四艦隊司令長官として真珠湾攻撃の報告を聞くことになります。
その時、攻撃成功の第一報を報告に来た参謀が最後に、
「おめでとうございます!」
と付け加えたら井上は激おこ、
「何がおめでたいんだバカヤロー!」
参謀はこの怒りが意味不明やったそうですが、焼け野原になった東京を見てやっと井上が発した「バカヤロー!」の意味を悟ったそうです。
それから数年後、井上が「伝説」として海軍史はもちろん、今の自衛隊の教育にもその名を残す「その時」がやってきます。

・・・というわけで、前編はここで終わり。
「『海軍提督の語学勉強法』なんてどこにも書いてへんやん」
とせっかく読んでくれた読者を裏切ることになるけど、ちゃんと後編で書くさかいちょっと待ってね。
そして、これくらいの分量やと読む量としたらちょうどええくらいやと思うさかい、読むにも疲れへんと思います(笑

テーマ:日記
ジャンル:日記

■■■なぜ台湾人は親日なのか?

今日まで華の3連休やったけど、どこにも出かけてへんBJのぶです。
だって、3連休は雨って聞いてたさかい、こりゃ「晴耕雨読」やなと思ってひきこもりの予定やったからです(笑
で、一泊だけやけどホテルに引きこもって「お勉強」をしとったんやけど、それは何か。
中国語と中国でメシ食ってる人間でも、現代中国史でわけがわからん部分があります。
それが、「文化大革命」という中国の国内大混乱イベント。これは中華人民共和国の一大汚点でもあるし、ほとんど内戦状態で国内メチャクチャ、何もしてへんのに意味不明な罪を突きつけられて辛酸を嘗めた人も多かったんです。
そのせいか、15~20年前に中国に留学しとった時に、明らかに文革を経験した世代に聞こうとしても、誰一人口を割ってくれませんでした。まるで国中に緘口令でも敷かれとるように。まあ、文革で人間性すら否定され言語に絶する屈辱を味わった人も多い上、当時はまだ傷が癒えてへんかったんやろなーと、今になったら気持ちはわかるよーな気がします。
これに関しては、中国でこれやさかい日本とかの方が情報が多いし研究も進んでるんやけど、本とかを読んでも実にわけがわからん(笑 社会主義の理論とか当時の政治闘争も複雑に絡み合うさかい、知れば知るほどよくわかんない・・・ってのが本音です。

せやけど、さすがに40年も経ったらだんだんと傷も癒えてきたんか、それとも「緘口令」が解除されたんか、徐々に当時を語る人たちが出てきたみたいです。
いちおう、「チャイナウォッチャー」でもあるさかい、「文革って何?」って質問にも答えんとあきません。答えられへんのはこっちの勉強不足やし恥でもあるさかい。それで色んな方面からアプローチして3連休で「夏休みの宿題」を片付けとったわけであります。
以上、言い訳を終わります(笑



日本人は、やけに「親日」「反日」で国を分けようとするのが好きです(笑
人の目をすごく気にする日本人の性格と言いましょうか、それで一喜一憂するのもある意味日本文化の一つやと思いますわ。そりゃ良い悪いとかの問題やありません。

で、もし「親日メーター」ってのがあったら、時にはメーターが振りきれて「測定不能」になるくらいの親日度を誇る国が台湾です。
俺もちょっとの間ながら、中国だけやなくて台湾にも住んでたことがあるんやけど、15年くらい前とは言え当時は日本統治時代を経験したいわゆる「日本語世代」がウヨウヨしとりました。住んでたんは台北やさかいまだ少なかった方やけど、南へ行けば行くほど、日本語世代の人たちの割合が高くなっていきました。
おばあちゃんに台湾語で話しかけられて、「ごめん、俺日本人やから台湾語わかんね」と北京語で謝ると、
「あらやだ!日本人に台湾語で声かけるなんて、あたしももうろくしたわね~」
といきなり日本語にチェンジ、俺呆然、というくらいのことなら日常茶飯事な時代でした。
何より、台湾に住んでた頃の家の家主さんが「元特攻隊員(学徒出陣組)」という濃さで、「特攻隊員として志願した時点で、自分は死んだと思ってるから、死なんて怖くも何ともないよ。いつでも来い!って感じだね」と言っては笑ってる豪傑やったさかい。俺が小さいころには近所にもよくおった、威厳があるおじいちゃんって感じで、当時一緒に台湾におった彼女は怖がってたけど、俺はむしろ昭和の男の懐かしさというものを感じてました。
それ故、「今の日本はどうなってるんだ!もっとしっかりしなさい!」と毎日のように・・・いや、毎日叱られてたような記憶があるけど、それは怖いというより、ふがいない孫をおじいちゃんが心配して叱咤激励してる、という「愛」がありました。日本人がどっかで忘れてしもた、日本人とは何かちゅーことをまさか台湾で気付かされるとは思いもしませんでしたわ。
これに関しては、別にブログでも書きましょうか。書き出したらこれまたキリあらへんさかい。

台湾の日本LOVEぶりはなぜなのか?
それは、日本統治時代にうんぬんかんぬん・・・。ということもあるにはあります。
日本統治時代は50年続いたんやけど、50年は短かそーで長いみたいで、そこでしっかり「日本」が染み付いて台湾人の中に浸透している、という期間としては十分でした。
で、日本人が台湾人に遺したもの。それは建物とか食事や言葉などの、目や耳など五感で感じられるものばかりではありません。「考え方」まで遺したことに目を向ける人はなかなかおらんと思います。

その一つが、「コツコツ型志向」。
台湾人は、人類学的には東南アジア系の血が濃いものの、分類すれば漢民族ではあります。でも、大陸の漢民族とはハードやなくて中のソフトウェアが全然ちゃうところがあるんです。その違いは、WindowsとiOSの違いくらいはあるかな~と。
大陸型漢民族は、金稼ぎに関しては一攫千金型で、株とか不動産投資とかに熱を上げて、あわよくば「濡れ手で粟」を狙う傾向があります。それと、「自分の手を汚すのは下賎の人間がやること」という儒教的な考えがあるせいで、エンジニアがなかなか育たへん、地位もそれほど高くない(これはちょっとは改善されとるかな)という文化的要因もあります。簡単に言うたら、中国(韓国もそう)は「文系国」、日本は「理系国」とも言えます。せやさかい、日本人が大の得意にしとる「コツコツ積み重ねる」というのが大の苦手やったりします。
俺は中国に留学・仕事で住んで、生でこの中国人気質に触れてたさかい、「中国が技術大国になるなんてあり得んわ」と私的にゃ言うとりました。
せやけど、「中国は日本を抜く、いやもう抜いた」という声にかき消され、やっと市民権を得たんは去年くらいの話やったりします。やっと俺に追いつきましたか(笑

反面、台湾型漢民族はコツコツ大好きであります。台湾に世界的な製造業が多いんも、その気質の違いですわな。シンガポール人も一時は製造業を重視しとった時期もあったけど、やっぱ生理的にあかんかったみたいです(笑 
その点、台湾人は製造業が肌にあってるんか、世界的なメーカーを多く生み出しとります。
台湾の製造業言うたら、パソコンのメモリとかを思いつく人が多いけど、台湾が誇る「世界一」がまだやったりします。
それが自転車。
マウンテンバイクやロードバイクなどのスポーツ系自転車乗りなら誰でも知ってる・・・いや、知らんのはどうかと思うぞ、というくらい有名なGIANTやMERIDAも純台湾メーカーです。仮に、いや万が一MERIDAを知らんかったら、SPECIALIZEDなら必ず聞いたことがあるし、乗ってる人も多いです。SPECIALIZEDは登記上は「アメリカ」なんやけど、MERIDAの子会社です。自動車に例えたら、MERIDAがトヨタならSPECIALIZEDはLEXUSみたいなもんですわ。
彼らはヨーロッパの自転車メーカーの下請けをコツコツやっとるうちにメキメキと実力をつけ、今や世界のGIANTにMERIDA。「自転車界のトヨタとホンダ」ですわな。ヨーロッパメーカーのスポーツ系自転車も、ブランドだけ貸してほとんどがMADE IN TAIWANなのが現状です。
正直なところ、ものづくりが得意な日本は、スポーツ自転車業界ではかなりマイナーです。ブリジストン(ブランド名は"ANCHOR")が頑張ってるかな・・・という程度。「日本ダメじゃん」と思いきや、しかし自転車のパーツはほとんどが日本製。同じく、自転車に乗ってて”SHIMANO”を知らん人は、世界には100%おりません。知らんという人は間違いなくニセモノです(笑
"SHIMANO"は釣り好きな太公望のみなさんでもお馴染みのブランドやけど、自転車用パーツでも世界的なメーカー、それも我が(元)地元の堺が産み、そして今でも本社が堺にある世界メーカーです。

堺自慢はさておいて(笑)、この台湾人のコツコツ志向は「日本の置き土産」と言われとって、それを文化的に解説したんが、最近亡くなられた作家の邱永漢氏でした。邱さんは旧制台北高校を卒業した純台湾人ながら、大陸型漢民族的要素があった人やけど、「見えない日本の置き土産」を指摘するところは、さすが目の付け所がちゃうなと感心しましたわ。中国人気質にかんしては、邱さんの『中国人と日本人』が白眉やさかい、興味ある方は読んでみてくんなはれ。中国人だけやなくて、日本人が気づいてへん日本人気質も、批判も含めて気付かされます。今ちまたに溢れてる『嫌中本』はこの本を読んでからでも遅くない、特に中国と中国人に直に、濃~~く触れてへんかったら。

話がまた脱線しそうやさかい、何で台湾人が親日なんか?っちゅー原点に戻りましょう。
上にも書いた通り台湾は、お隣の某国風の言い方をしたら「日帝50年」を経験しとるさかい、歴史的に日本とのかかわりが深いこともあるし、ほとんどの本はそこをえらい強調しとります。
せやけど、それだけやない、というのが俺の意見です。
歴史っちゅー「過去」だけやのーて、今我々が生きてる現代、国際政治的に台湾の親日に目を向けてみましょう。


■■■やるべきことをやる

今回は、リアルタイムな国際政治の話を。
このブログじゃ政治的な話はあんまし出てきません。せやけど興味がないわけやありません。
むしろ中国語がメシの種やさかい「大いに興味あり」どころか、かかわっていかんとあきません。場合によっては商売あがったりなこともあるし(笑
せやけど、せっかくブログ書いてるし、間接的に東アジア情勢でメシ食ってるってのもあるさかい、主張しておくとこはちゃんと書いとかんとあかんなという考えに至って、たまには書いていこうかな~と思った次第です。
大阪弁で書くさかい何か説得力ないよな~と、自分でも書いてて思うんやけど、まあ一人の市井の人間の、なまくらな剣で斬る与太話と思って気軽に読んでくれたら幸いです。

そして、あんまし長文にならんよう、努力致します(笑

■■■我が愛すべき(?)Rollbahn

4月になっても部屋の中はファンヒーター全開、灯油代がバカになっとらんBJのぶです(笑
自分が寒がりってのもあるかもしれへんけど、今年は4月になってもやけに寒いよーな気がします。
そこで頭にふとよぎったんが、

地球は温暖化どころか、寒冷化に向かってる

ということ。
そのキーワードは、ここ数年太陽の黒点の数が減っとるという観測結果。減っとるどころか、黒点ゼロのこともあるらしい。
太陽は、11年周期で活動が活発になったり落ち着いたりすることが、長年の観測から明らかになっとります。
太陽の観測の歴史は400年以上もあって、望遠鏡を発明したガリレオ・ガリレイは木星や土星を望遠鏡で観測したんは有名やけど、実は太陽の観測もやっとって、黒点の数やスケッチの膨大なデータを残しとります。
簡単に言うたら、黒点の数が太陽活動のバロメーターになっとって、黒点の数が多かったら太陽の活動が活発で、少ないと沈静化しとると考えてええということで。
で、17世紀後半あたりに、11年周期という活動周期が狂って、黒点の数が数十年間ゼロやった時期があります。
それを、観測した学者の名前にちなんで、

マウンダー極小期

と言います。
ただ黒点の数が減っただけやん?と思ったら大間違い!
上に書いたよーに、「黒点の数が減る=太陽の活動が衰える」ってことで、黒点の数が異常なくらいに減ってたマウンダー極小期には、世界中で「プチ氷河期」というくらいの寒冷化が起こってました。
この時期、今は絶対に凍ることがない、ロンドンのテムズ川が凍ってスケートが出来たほど、というのは有名なんやけど、当時江戸時代が始まったばっかしの日本でも異常気象が起こってたみたいです。
マウンダー極小期と日本史をリンクさせて研究しとる人によると、京都はえらい寒くて牛が凍死しまくったとか、平均40日の梅雨が25日程度とえらい短かったとかいうことやったそーです。
そして、江戸時代の平均気温は今より2~3度低かったことは、天文気象学って分野では常識になっとるみたいやけど、江戸時代には、学校の日本史でも勉強するよーに、何回か飢饉が起こってます。
その中でも、初期~中期の飢饉のほとんどがマウンダー極小期の最中に起こってたりします。
そして、ここ数年の太陽活動の周期を見てみると、400年前のマウンダー極小期のパターンとそっくりみたいで、半分トンデモ説扱いされとるけど、
「地球温暖化?CO2削減?いや、(マウンダー極小期のような地球寒冷化に向けて)CO2をもっと出せ!」
というとる学者もおるくらいです。俺もこれを聞いた時は半分笑ってしもたけど、ここ数日の4月らしからぬ寒さを感じると、まんざらでもないなと思ったりします。

天文学と歴史学、一見何の因果関係もなさそうやけど、その何の関係もなさそーなことをリンクさせたら、意外な発見があったりする、せやからこういう勉強というか研究はやめられへんのですわ(笑


で、突然話題は変わるけど、皆さんはノートやメモをとってますか?
パッと何か思いついた時、
「なんてええこと思いついたんやろ!あたし天才かも♪」
なんてそん時は思っとっても、数分経ったら
「あれ?何やったっけ?」
と忘れてまうことは、誰でもあることでしょう。
でも大丈夫、これは生理現象やさかい、しゃーないんですわ。頭悪くなったとか、年とったとか、そんな余計なことは考えんでも大丈夫です、人間そんなもんと諦めましょう(笑

せやけど、さっと思いついたことをノートに書いてみると、それが溜まっていってその蓄積が新しいアイデアに結びつくこともよくあります。
最近はiPadをはじめとするタブレットとか、スマホにメモするデジタルメモっちゅー文明の利器もあるけど、その広まりが逆に、振り子が元に戻るように「手書き」の原点回帰しとるきっかけともなっとります。
俺も実はiPhoneやiPadを駆使してせっせとデジタルメモしとった口なんやけど、なんかどうも、書いたことが頭と心に入ってこえへん気がします。そして端末で入力しとると指先が痛い(笑
本のながーーーい引用はキーボードで打った方が速いこともあるさかい今でもEvernoteに保存したりするけど、自分で考えて思ったことはやっぱ手書きの方が印象に残るんは確かやと思いますわ。


で、デジタルからアナログに戻してからというものの、自分探しならぬ自分のノート探しに色んな種類のノートを使い始めました。正直、東急ハンズやLOFTで売ってるノートは、ほとんど買って使ってみたと思います。ノート代だけでもバカにならん。
金とノートの無駄遣いを繰り返しつつ、今は

2014030701

Rollbahn(ロルバーン)に落ち着いて・・・落ち着きつつあります。
なんかビミョーな言い回しやけど、とにかく飽き性という厄介な持病持ちやさかい、すぐ他のノートに目移りしてしまう可能性は捨てきれん。この飽き性癖、どないかならんもんか・・・と自分でも頭を抱えとります(笑
せやけど、日本で売られとる有名ブランドのノートはほとんど使ってみた中でも、ロルバーンは完成度が高いんです。

「ノートなんか書けたらなんでもええやん!」
まあ、確かにその通りなんやけど、ノートも実は同じように見えて紙質がちゃうと書き心地も全然ちゃうんです。
なんかこう、スラスラ感というかホイホイ感というか、ご飯が美味いと食事がすすむよーに、ノートも紙質がええとどんどん書きたくなるもんなんです。そうなの?そんなもんなんです(笑
俺もいろんなメーカーのノートを使ってみたけど、紙質なら美篶(みすず)堂とライフのNOBLE NOTEが世界最強クラス、特に美篶堂は品質が良すぎて書く気がしないくらい(笑
次点でおフランスが誇る高級ノートRhodia、デザインならモレスキンやけど、モレスキンは高い割には品質がバラバラすぎて2冊目をLOFTで買ったらとんだ失敗品。ハイリスクな割にはリターンが・・・とやめました。
そして、コスパ(紙質の割には安い、ページ数も多い)なら日本の老舗ツバメノートあたりかなーと思うんやけど、ノートなんかどれも同じやん!と思う方、一度俺に騙されたと思って、1冊数百円~1000円くらいするノートを使ってみてくんなはれ。書き心地が全然ちゃうはずやさかい。
自称メモ魔・・・が化けてノート魔にバージョンアップしたBJのぶからの提言でした(笑


で、ロルバーンの話に戻ります。
このノート、表面にドイツ語が書かれとるし、ルフトハンザ(ドイツの航空会社)みたいなマークもついとるし、そもそも名前がRollbahn、ドイツ語で「滑走路」って意味やし。
デザイン的に外国の、というかドイツのメーカーっぽいですやろ?なんか匂い的に日本人が作ったっぽくない。
せやけどこれ、れっきとした

Made in Japan

やったりします。
Made in Japanはもはや「高品質」の代名詞となっとります。これは海外に住んでたらよくわかります。
もっとも、外国人、特に発展途上国の人にとっちゃ、高品質で長持ちするんやろーけど高すぎて貧乏人にゃ日本製なんてめっそうもございません、おととい来ます、って欠点もあるんやけど、それはノートの世界でも同じ。日本のノートの品質に対抗できる舶来もんは、Rhodiaくらいちゃうかなと思います。

ロルバーンのノートは、「デフォルニックス」という日本の会社が作っとる製品です。てっきりドイツのノートかと思ってた、いやデザインからして思い込んでましたわ。だってドイツ語しか書いてへんもん(笑
そして、HPを覗いてみたらどーやら直営店もあるみたいで、それも大阪にもある。
もしかして、直営店にしかないよーな、限定ロルバーンノートもあるかもしれへんな~と思って、ちょっくら散歩代わりに行って参りました。

■■■想像力の重要さ

最近、ツイッターでアホみたいなのが「流行ってる」みたいですな。


客がアイスケースに寝そべって撮影→炎上 スーパー「カスミ」が商品撤去&返金対応

「コンビニのアイスケースに入ってみた」写真炎上でローソンが謝罪 問題の男性は解雇、当該店もFC契約解約へ

「コンビニのアイスケース入ってみた」画像炎上で今度はミニストップが謝罪

バイトが冷蔵庫入って写真撮影→炎上 ステーキのブロンコビリーが謝罪

従業員がピザ生地を顔に貼り付けた写真を投稿し炎上


今度はバーガーキングで…… 炎上中の「バンズの上に寝そべってみた」写真についてバーガーキングが謝罪

また炎上……今度は丸源ラーメンが謝罪 調理前のソーセージをくわえてTwitter投稿



まあ、挙げていったらキリあらへん。この騒ぎ、もはや

「ネット伝染病」

と呼んでええんちゃうか、とさえ思ったりします。
もうアホすぎていちいち写真晒す気もなくなります。ブログ写真アップロード容量の無駄遣いやっちゅーねん(笑

原因はゆとり教育とか親の教育とか、まあ色々いわれはあるでしょうが、その本質、つまり根っこを見てみると、一つの原因にたどりつきます。

それは・・・

テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

■■■大阪弁コラム 2013/6/26 『てんや』に行こう

関西は大雨で、せっかく干した洗濯物が台無しになってしもたBJのぶです。

うちのブログ見に来てくれとる人のほとんどは、想像するに遊廓・赤線関連目当てな人やろうけど、これって長文やさかい書くのがしんどいんですわ(笑
文章を書くって意外にエネルギーを使うもんで、特に長文を書くとなると「充電」が必要になったりもします。
その「充電期間」は、気合が入るほど、文が長くなるほどに比例する。
おまけに、炊事洗濯家事親父・・・やなかった、生活の現実もあるさかい、余計に遠ざかってしまう始末。
しばらくブログから遠ざかっとった原因を考えてみたところ、そこに原因があるんやなと感じた次第です。
そこで、30分から1時間くらいの時間で書けるような、ちょっと短いコラムみたいなもんでも書くことによって、気楽にブログを更新できるようにしようかなと思い、出来るだけいろいろ書いてみようと思います。
そして、読む方もお気軽に読めるようなもんにしていきます。

『消えた遊廓・赤線跡をゆく』目当てな人も、そうやない方も、俺の拙い雑感みたいなもんにお付き合いできれば幸いです。
お題は自由、気の向くまま時が過ぎるがまま、「継続は力なり」っちゅー言葉を胸に書いていこうと思います。
・・・って、そないして気合を入れるからあかんねんて、と自分にツッコミを入れときましょう(笑

あ、『消えた遊廓・赤線跡をゆく』もちゃんと書くさかい、よろしくお願い致しますm(_ _)m


■■■敦賀の謎

先日、ちょっと気分転換に旅に出とったBJのぶです。
俺の絶好の気分転換と言えば旅、人生を世界中フーテンの寅さんならぬ「フーテンののぶさん」やっとったさかい、旅が人生の、いや生活の一部となっとるような感じです。
そのせいか、しばらく旅してへんと身体に禁断症状をきたすっちゅーか、逆にストレスがたまっていく始末。
最近、「旅欠乏症候群」なんか何かと無気力になりつつあるさかい、日帰り旅行するか!と重い腰を上げてきました。

で、JRにはこんなチケットがあることを、最近知りました。
関西1dayパスちゅーもんなんやけど、関西の指定された路線が1日乗り放題という、期間限定のチケットのようでした。
これはたまたま見つけたもんやけど、これを知ったらもう旅に出ずには居られない。休日の普段の移動は車ばっかしやさかい、たまには「鉄分補給」でもするかと早速購入しました。


2013042101


そして、日帰りの旅へ出発〜。

せやけど、チケットを買ったんはええものの、素朴な疑問が残りました。

「さて、一体どこへ行こうか?」

おい!チケット買っといて行き先も決めてへんのかい!と激しいツッコミ必至の計画性のなさ。本人にとっては「まあいつものこと」やさかい、特に驚いてはおりませぬ。
「車買った。あとは免許か〜」
と数十年前の車用品のCMのフレーズを思い出しそうな本末転倒ぶりやけど、旅というものはそれでいいのだ、と勝手に納得させてみる。
このチケットの路線図は、いちばん遠い、というか遠そうな所が、福井県の敦賀。
敦賀は、北陸に車で行く時に、夜行列車さながら深夜に素通りなら何回もあるけど、目的地としては一度も行ったことはない。それに、数年前に京阪神を走る新快速が敦賀まで走るようになり、その時に行ってみようかと思ったままペンディングということもあるし、いっちょ行ってみるか〜と目的地を敦賀にロックオンしました。
そして、最寄り駅から敦賀までの片道で、切符代の¥3500の元がほとんど取れることも判明。もう敦賀に行くっきゃない!



■■■久しぶりの刺激

ブログ更新がかなり久しぶりになってしもたBJのぶです。

どれくらい久しぶりなんかと言うたら・・・管理人画面によると最後に記事をアップしたのは去年の11月。
ということは、約5ヶ月ぶりの更新となるわけで。
ええ!?そんなに更新してへんかったっけ!?といちばんビックリしとるんが当の本人やったりします(笑
しばらく本人が自分のブログに来えへんかったさかい、知らん間に広告のような「錆び」がこびりついとって、自分のブログながら非常に見難い!

ちゅーわけで、ちょいとこのブログの「錆取り」も兼ねてブログ更新となりました。
コメントもけっこう溜まってるさかい、ここはじっくりコメント返ししたいと思います。
当事者がおらへん中、コメントをしてくれたり拍手ボタンを押してくれた方々、そしてどこのどなたかは知らんけどブログを訪問してくれとった皆さん、この記事を通して御礼申し上げますm(_ _)m

そして、公私ともども色んなことがありすぎて・・・というかしばらくミ◯シィとかフェイ◯ブックとかにかまけとったさかい、遊廓の研究もしばしお休みやったけど、せっかくの雪解けの季節、これも「雪解け」と致しましょうか。書きたいネタや、下書きのまま放置プレイのネタもいっぱいあるし。

せやけど、今回はちょいと書くのが非常に久しぶりやさかい、「リハビリ」として全然ちゃうことを書きます(笑

 
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