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山奥に残る遊女の墓 ~消えた遊郭・赤線跡をゆく 特別編~

遊廓・赤線のことを書くのは久しぶりやな~と感じるBJのぶです。
突然やけど、ここ最近運動不足が続いとります。
仕事がえらい忙しくなって、終電に飛び込む・・・もとい駆け込む毎日やさかい、平日はブログとか言うとるヒマもなし、ヒマなんもイヤやけど、忙しすぎるんも精神衛生上良くあらへんのは確か。
ちょっとでもはよ帰れたら、気晴らしにジョギングでも出来たんやけど、平日はそんなヒマがないさかい、運動不足だけやなくてイライラもかなり溜まっとりますわ。

その分、土日はちょっと身体を動かそか~。
とばかりに、以前から気になっとった場所へ、気分転換と運動を兼ねて行ってみようと決意しました。

以前どころか、書いた本人がいつ書いたんか忘れたくらいの以前やけど、
消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪府南部編
で、大阪府の南部の貝塚って所にあった遊廓を紹介しました。
書いた日にちをチェックしてみたら、もう8年前の話になるんやなー、こんなこと(?)をもう8年間もやっとるんか、と何だか感慨深げです(笑
その貝塚遊廓で働いてた遊女の墓が、大阪の山奥にあるって話を、どこかで聞いたことがありました。
それを思い出してググってみたら。
あら、自宅とそう遠くないところにあるやないですか!
今まで何でこんなのに気づかんかったんやろか・・・「”自称”遊廓・赤線界のインディー・ジョーンズ」も地に落ちたものよの・・・と嘆きながらもそこはBJのぶ、思い立ったが吉日主義なところは変わってません(笑
思い立ったらすぐ実行!といきたいけれども、さすがに終電で帰ってくる平日の真夜中に行くわけにもいかんさかい、土日の週末に行って参りました。

地図遊女墓

その遊女の墓は、ここにあります。

「一体どこやねんここは??」

と首を傾げたくなるよーな山奥にあります。
正直、大阪府民どころかジモピーな血が半分くらいな俺も、ここがどこなんか説明不能、緯度と経度で説明するしかありまへん。
まあ、どれくらい山奥なんか、写真で見たら一目瞭然!


14041302

こんなとこです。
念の為に言うときますけど、ここも、いや、これでも大阪府内です。大阪府民やなかったら、「大阪にもこんなとこあるんだね〜」と驚くことでしょう。東京に例えたら、奥多摩って感じでしょ。
周りは大いなる自然の宝庫、道幅が意外に広くて舗装道路なんが奇跡なくらい、自然以外に何もありませぬ。
せやけど、周りからは
”ホーホケキョ”
っちゅー鳴き声が聞こえてきました。そう、ウグイスです。
ウグイスは「春告鳥」とも呼ばれとるだけあって、春を告げる使者でもあります。
古今集に、
「鶯の 谷より出ずる 声なくば 春くることを 誰か知るまじ」
ちゅー歌があるくらい、お馴染み”ホーホケキョ”が聞こえたら、
「春やね~」
という合図になっとりました。
この日は、山の中のせいかちょっと肌寒かったけど、ウグイス同士が山を隔てて会話しとるよーな鳴き声を聞きながら、春やね~と俺は山をひたすら上っていきました。
それにしても、野生のウグイスの声を聞いたのって、初めてのような気がする。

ホンマはこんな山奥やと車で行くんがベストなんやけど、今回は運動も兼ねてやさかい、山道をひたすら自転車こいで登りました。それもママチャリで(笑
ここは道の状態もええせいか、絶好のサイクリングコースにもなっとるみたいで、車よりもロードバイクの自転車のライダーさんの方が多かったですわ。歩道をハーハーゼーゼー言いながら必死の形相でこいで行く俺を尻目に、ロードバイクはビュンビュン俺を追い抜いていきます。その姿、まるで特急列車と各駅停車の如く。
「なんでこんなとこをママチャリで走ってんねん!」
という視線をバンバン浴びたけど、彼らから見れば、こんな峠路をママチャリで走る俺は狂気の沙汰としか思えんかったかもしれません(笑

この山道の入り口に、

14041303

こんな看板があります。
目的地の遊女の墓も、地元の貝塚市のHPにも掲載されとるせいか、

14041304

ちゃんと掲載されとりました。
せやけど、この地図が実に曖昧で、実際に行く人を惑わせることになるんです(笑

14041305

どこまでも続く山道と上り坂を、息切れしながら上って行くと、こんな道標がありました。
そう、道沿いにあるんやのーて、道を外れた奥にあったりします。
これは・・・ある意味自転車で行ってよかったと思いますわ。車で行ってたらナビで目的地設定しとっても見逃す率は80%超えそうなくらい、こっそりと表示しとるんです。
更に、車で行こうものなら、駐車場なんて周りにありませぬ。せやさかい、車で行くと路駐確定となります。
もし・・・というか、行くとすれば十中八九車かバイクでってことになると思うけど、目印は

「秬谷(きびたに)トンネルの手前」

と頭に入れておきましょう。
トンネルに入ったら、「あ、行き過ぎた」と引き返すがよろし。引き返すスペースと道幅があるかどうかは別として(笑


さて、自転車を降りて道外れの道をゆくと・・・


14041306

滝っすよ、滝!!

まさか大阪で自然の滝を見るとは思わんかったですわ。
ここまで来ると川の水がめちゃきれいやさかい、ここは夏に、水着と着替え持参で行くんがええんかもしれませんな。どこで着替えるんやって?大丈夫、全く人気がないさかい誰も見てへんわい(笑
夏やと汗だくになってそのまま川へバシャーン!と飛び込んで納涼、人が来なさそうな所やさかい、意外な穴場スポットかもしれません。川辺まで続く道があるかチェックするの忘れてしもたけど、どうもかつては人が住んどった痕跡はあったさかい、川辺へ降りる階段か道くらいはあるかもしれませんな。


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やっとこさ着いた、本命の遊女の墓です。
もう、「やっと」というか「ついに」というか、これは実際に行った人にしか感じられへん感想です(笑
もうしんどくて何度「もう引き返そうや」という声が聞こえて諦めそーになったせいか、「ついに」という言葉の通り、実際に着いてみると達成感でいっぱいですわ。

そもそも、何でこんな山奥に遊女の墓があるんか?
遊廓跡の近くのお寺には、遊廓で働いとった遊女の慰霊碑がたまにあったりするんやけど、こんな山奥にあるんはレアな部類に入ります。まさか、こんなとこに遊廓が?

そんなわけはありません(笑
時は江戸時代後期のこと、貝塚遊廓に千代という遊女がおったそうな。
千代って名前は、本名なんか、はたまた源氏名やったんかは定かじゃありません。
その彼女が病気を起こしてお暇をもらい、故郷の紀州に帰ろうとしたところ、休憩なんかここに立ち寄りました。
俺が自転車で必死に上った道は、昔から紀州(和歌山県)へ通じる道でもあったんですわ。
そこで川の水でも飲もうとしたんか、川辺へ寄ってふと水に映った自分の姿を見ると、その自分じゃないような形相にショックを受けました。どんな病かは今ではわからんけど、病気で相当やつれとったんか、
「こんな姿では故郷に帰れないわ」
と、千代はこの地で断食という手段を選び、自らの命を絶ったそうです。
一人の薄幸な女の悲しい結末やけど、それをかわいそうに思った地元の人たちが、ここに彼女の墓を建てて丁重に供養したのが、今に残ってると言われとります。

14041308

今でも地元の人がおるんか、それとも訪れる人が置いてったものか、花もちゃんと手向けられとって、比較的きちんと整備されとります。
彼女が亡くなったんが文化10年11月14日だそうやけど、文化10年を西暦に直したら1813年です。
つまり、去年は彼女が亡くなって200年やったってことになります。

真ん中にあるお地蔵さんは最近再建されたもんらしく、地元の人の寄贈で作られたもんだそうで、

14041309

こっちが「オリジナル」みたいでんな。
200年の歳月か、字がほとんど読めんくらい風化しとります。

それにしても、こないして名前が200年経っても知られとるだけでも、千代はまだ幸せな方なんかもしれません。
最期は悲劇的やったとは言え、その悲劇ゆえに今でも語り継がれるお千代さん伝説、せやけどほとんどの遊女は名前さえ知られへんまま、どこの馬の骨かわからんまま、どこに葬られとるかさえも知られとりません。
こないして、200年経って俺みたいな物好きがママチャリを必死でこいで訪れるんが、彼女にとって幸せなんかどうかは、あの世の本人に聞いてみんとわかりません。
せやけど、名前が残ってるだけでも圧倒的多数の名も知られぬ遊女よりはマシやと、個人的には思います。

ささやかなお賽銭を入れて、お千代さんの極楽での、いや来世での幸福を祈りたくなるような訪問記でした。

終わり。













・・・と思った人は、まだ甘い(笑
実は実は、ここまでは「前編」であり、ここからおまけの「後編」に入ります~。
ここからは「おまけ」やから、頑張って読むか、ここで引き返すかはあなたの自由。
出来れば読んで欲しいけど(笑

まあそんな独り言はさておき、遊女の墓を去った俺はいざ「下山」。
行きは上り坂ばっかで正直死ぬかと思ったけど、その分帰りは超楽勝、ひたすら往路を下って行くだけですわ~。


で、着いたのは。



14041310
ここ。水間鉄道の水間駅です。
今じゃ、いつの間にか「水間観音」って名前に変わっとったみたいやけど、まあ地元からしたらほとんど変わりないし(笑
ここから大阪府屈指のローカル線に乗って、更に下ります。
ここでカンが鋭い人は、次にどこへ行くのかピンとくるでしょう。
知らん人に簡単に解説すると、水間鉄道はここ水間(観音)駅から大阪湾側の貝塚を結ぶローカル鉄道で、元々は近くにある水間観音への輸送路として開通した鉄道であります。
さて、終点の貝塚・・・・さあもうおわかりでしょう(笑








いざ、貝塚遊廓へ!

と、数年ぶりに貝塚遊廓跡を訪ねてみる気分になりました。
ふつうやったら、山道をママチャリで上って疲労困憊、
「もうしんどいから家に帰ろうか~」
となるんやけど、身体はクタクタのはずやのにえらいハイテンション。しんどすぎて「ランナーズハイ」な状態になってしもたんかもしれません!?
せやけど、なんぼハイになっとっても身体は正直なもんで、電車に乗って貝塚駅に着いた時、
さて、よっこいし・・・・

あれ?

身体が動かへん(汗

と、下半身が石化したかのよーに重いんです。どうやら遊女の墓への行程で気張りすぎて、早くも筋肉痛になった模様。
終点に着いて他の客はみんな降りたのに、俺だけ「よっこいしょ」の最後の「しょ」が出来ず、ふくらはぎと腰が悲鳴を上げとる中、一人で車内でもがいてましたわ。
で、なんとか立ち上がったら、やっぱし頭はハイな状態をキープしとるみたいで、あれだけ立ち上がるのに苦労したのに、駅の階段はエスカレーターも使わずダッシュ状態、もう自分でも何やっとるんかわけわからん(笑

貝塚の遊廓を訪れるんは、果たして何年ぶりでしょうか?
回数だけは、同じ遊廓に興味がある人を案内したりして、4~5回はあるんやけど、たぶん4~5年ぶりになると思います。
遊廓はおろか、戦後の赤線でさえ廃止になってからもう50年以上も経っとるさかい、建物もかなり老朽化しとるはずです。
遊廓・赤線って俺たちにとっちゃ味わいがあっても、地元の人や不動産業者からしたらただのボロい建物、原型とどめへんくらいリフォームされたり、取り壊されたりすることは時代の流れやさかい仕方ありません。
だからこそ、遊廓・赤線跡を訪ねるんは今のうちなんやけど、貝塚ももしかして、行かん間に建物がなくなっとることは覚悟しとかんとあきません。

そんな一抹の不安を抱きながら、かつて数年前にたどった道を思い出すかのように、貝塚遊廓へと向かいました。


14041311

ここが、かつての貝塚遊廓のメインストリートでした。
ここは、町外れにあることが多かった遊廓の中でも珍しい、「駅前留学」ならぬ「駅前遊廓」なんやけど、ここ界隈はまるで駅前とは思えないくらい、不気味な静寂を保っております。

ここで貝塚遊廓を軽くおさらいしとくと、貝塚遊廓の歴史は江戸時代にさかのぼり、紀州街道って言う大坂と紀州和歌山を結ぶ幹線道路沿いにあって栄えた所であります。それやったら、すぐ近くにあった、城下町やった岸和田に遊廓作ったらええやん?と言うのが筋やけど、岸和田藩は城下町に遊廓を作るのを禁止しとって(芸者の花街はあったんやけどね)、しゃーなしにすぐ南の貝塚に作られたってわけです。
で、明治に入って船と鉄道が新しい交通手段になったわけやけど、偶然か南海電鉄の貝塚駅が遊廓の近くに作られたせいか、貝塚遊廓は衰退せず江戸時代からのまま発展していきました。
貝塚の遊女数とかの数字関連は、別ブログに書いたさかい省略するけど、貝塚遊廓が新たに発展したのは、泉州あたりに紡績工場が多く作られ、そこで働く工員や経営者が上客になったこともあります。戦後の赤線も、戦後復興で紡績業の景気が良くなって栄えたらしいし。地元やからわかるしあえて言えるけど、堺とかならわかるけどなんで貝塚に遊廓に赤線やねん!?えらい中途半端なとこに…という感じなんですよね。
せやけど、水間から下ってきて思うんは、それだけやないんちゃうか?ということ。
つまり、水間鉄道が出来てからは水間観音へのアクセスラインともなった貝塚、観音様にお参りする前に「穢れ落とし」のために遊廓へ・・・・という意味でも、ここが必要やったんちゃうか、ということです。
俺の仮説っちゃそーやけど、まんざら遠からずな仮説やと、我ながら思っとります。


そして、遊廓跡を周回してみると、



14041312-1


14041312


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まるで、ここだけ時間が止まってたかの如く、建物はほとんど現存しとりました。
写真には撮らんかったけど、あの料亭「深川」もご健在でしたわ。
どうやら一抹の不安は杞憂に終わったよーです。

せやけど、身体はクタクタでも頭は冴えてたんか、今まで見逃しとった建物も見つけました。

14041313-2

今まで何でこんな建物見逃しとったんやろ?
というくらいの、個性的な建物ですね。
二階部分にある木の柵がかなりのアクセントを醸しだしています。

14041313-1

二階部分をアップで撮ってみたら、なかなか凝った建物やというのがわかります。

せやけど、こんな建物、どっかで見たことあるな~と思ったら、



060121旧龍神遊郭3


大阪は堺にあった竜神・栄橋遊廓にあったこの建物とよく似てますな~。
龍神・栄橋遊廓については、上で紹介した消えた遊郭・赤線跡を訪ねて 大阪府南部編をどうぞ。


14041318-3

何の変哲もないような、ある民家のドアです。
和風やさかいふと見逃しがちなんやけど、これは和風にガラガラとドアを横に動かすんやなくて、洋風に「押すタイプ」やったりします。
たかがドアなわけやけど、木造という和風の趣を基本に洋風を取り入れる、なかなかお洒落なドアやなー。



14041317-1

これもけっこう古めかしい建物やけど、遊廓と関係があるんかどうかはわかりません。
せやけど、この建物にはある不思議があります。
写真の赤で丸をした部分に・・・・


14041317-2

なんで郵便受けがこんなとこに?????全く意味わからんし(汗
文字はかなり風化してパッと見判別不能やけど、高解像度で撮った画像をフォトショで解析してみると、

「郵便新聞受入口」

と、右から書かれております。いわゆる「右文字」やね。
右文字ってことと、「受入」となっとることからおそらく戦前か昭和20年代に作られた建物、というのが俺の推定なんやけど、玄関の痕跡もないところに何で郵便・新聞の入口が!?
貝塚遊廓に行ったことある人数多けれど、これに気づいた人はなかなか少ないと思います。
ある意味、俺の中で貝塚遊廓最大の謎の建物に昇格しました(笑



14041314

この建物は「大阪南部編」でも紹介した建物やさかい、特に目新しいもんやありません。
せやけど、今日行った遊女の墓を見て、
「おや?」
と感じることがありました。

上では言わんかったんやけど、

14041316

赤で丸をした部分に、貝塚市教育委員会による遊女千代の墓の説明があります。
その中に撮影時期は不明ながら、貝塚遊廓が現役やった頃らしい写真があります。
せやけど、これまた高解像度で撮って解析してみたら、どーも戦前のやなくて戦後の赤線時代、もしくは売防法が施行されて赤線が廃止になった直後くらいの写真っぽいんやけどな~。貝塚市教育委員会に文句の一つつけたいけど、こういう細かいのは「オトナの対応」をしておきましょう。どっかの国みたいに「歴史の捏造ニダ!」とは言わんさかい、俺は(笑

14041315

まあそれはさておき、この写真の奥、突き当りにある建物に注目!(赤で丸をした建物)
ちょっと見にくいかと思うけど、上の建物とよーく見比べてみると、ちょっとリフォームされとるけど、おそらくこの建物やろうということがわかります。
これが今回の探索最大の発見かもしれません。


そして、今回の再探索で俺のアンテナがもっとも反応したのが、


14041318-1

なんや、ただのコンクリートの壁やん!はい、その通りです(笑
せやけどこの壁、やけに「匂う」んですよね・・・。俺の長年の(?)カンがそう申しております。
飛田遊廓には「嘆きの壁」と言われた、同じよーな壁が周囲を囲ってたんは有名な話で、今でもその一部が残ってます。
(詳しくは、「壁」を追って ~消えた遊郭・赤線跡を訪ねて特別編~をどうぞ)
それと同じ「匂い」がるんですわ、この壁に。
おまけにこの壁、ちょうど遊廓と娑婆との境界線にあることが、余計に俺の疑問センサーの格好の餌になっとります。
この壁の裏手はスーパーになっとるさかい、ちょっと裏側から見てみると、

14041318-2

壁の色が塗り替えられとるだけで、「壁」には変わりありません。
飛田の「嘆きの壁」よりかは薄いものの、かつてはこんな壁が貝塚遊廓の周りか、その一角を構成しとったんやろか?
貝塚遊廓にも「嘆きの壁」があったという情報は、今んとこ入手しとりません。
せやけど、この「壁」、何かあると思うんやけどな・・・。もしホンマに壁が存在しとったんやったらとんだ新発見やし
、これが今でも残る「壁」の唯一の遺構なんやけどな~。

というわけで、疲労困憊の割には意外な発見の数々でした。どうも頭脳はフルに冴えとったみたいやな~。
せやけど、身体はホンマにボロボロなんです。今でも全身筋肉痛と激しい眠気と闘いながらこの全文書いてるし。当日に筋肉痛が出るとはまだ若いね~、と言うとる場合じゃありません(笑
と言いながら、頭はまだハイテンションみたいですわ。
例えるなら、電灯消したくてもスイッチが壊れて電灯が寝る時間になっても消されへん状態、って感じです(笑

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Comment

遊女の墓に入っていく細い曲がりくねった道を旧道、広いまっすぐな道を新道と地元では呼んでます。
新道は少し前にできた道で、元々は旧道しかありませんでした。
あれより川下側も旧道はあったのですが、今は閉鎖されて入れません(旧道のガードレールが残っているのが途中新道から見えます)。
遊女も実際に紀州へ歩いて行ったのは旧道になるでしょうね。
  • 2015-01-01│16:32 |
  • 兄 URL│
  • [edit]
懐かしい泉州
はじめまして。
泉州で生まれ育ちましたが、今は東京で暮らし、仕事をしています。
最近、故郷が懐かしくて、泉州の情報を見ると嬉しくて仕方ありません。そして、のぶさんのブログを偶然発見!
私、かつては、貝塚も熊取も泉佐野も岸和田も、山あいをよく車で走ってましたよ。秬谷ももちろん知っていますが、しかし、遊女の墓は見逃してましたね。
貝塚の遊郭地域も、子供の頃、「変わった建物が多いな」で終わっていました。祖父母も親も説明してくれないですしね。

のぶさんならではの切り口での泉州レポ、これからも楽しみにしています!
  • 2014-08-18│22:14 |
  • Kishiko URL│
  • [edit]
Re: タイトルなし
>梅安さん

コメントおおきにです。
そして、返事がすっかり遅くなってすみませんm(_ _)m


> いつも面白く読ませていただいております。
> 一度お話しきいてみたいです。酒でも呑みながら。

こういう言葉をいただくと、非常にありがたいです。
いろいろあってしばらく遠ざかってましたけど、「楽しみにしています」と言ってくれる方々のために、引き続き書いていこうと思います。
書いていったら、何かええことがあるかもしれへんので(笑
  • 2014-07-01│21:06 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
Re: タイトルなし
>らむさん

はじめまして、コメントおおきにですm(_ _)m
返事が遅くなってすみませんm(_ _)m

>思い立ったが吉日

自分で書いたものの、自分もコメントを思い立ったが吉日で書かんとあきませんな(笑
  • 2014-06-23│20:38 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
Re: お疲れ様でした
>ちむさん

コメントが遅くなってすみませんm(_ _)m

> 実はのぶさんのブログにたどり着いたのは、このシリーズででした。

おおきにです。こないして興味持ってくれたりしてくれると、仲間ができたみたいで嬉しいですわ(*^o^*)
確かに「現役」は女の子は行きにくいと思うけど、女やからこそ語ってくれる人もおるさかい(遊廓のことをリアルで知ってる女性は、男にはまず語らない)、そういう女やからこそのアドバンテージもあったりしまっせ。

> 遊郭・赤線時代にそこにいたすべての人達には何か儚さのようなものを感じます。

それやからこそ、色んな人が惹かれるのもあるかもしれませんな。別に今の風俗街に惹かれるってのも、性欲うんぬん以外ではないやろし(笑
  • 2014-06-23│20:36 |
  • BJのぶ URL│
  • [edit]
いつも面白く読ませていただいております。
一度お話しきいてみたいです。酒でも呑みながら。
  • 2014-06-06│19:53 |
  • 梅安 URL│
  • [edit]
思い立ったが吉日!
見習いたいと思いますm(_ _)m

私もいつかこういうところを巡ってみたいです!!
  • 2014-04-23│08:51 |
  • らむ URL│
  • [edit]
お疲れ様でした
お忙しいのにお疲れ様でしたf^_^;)
久々の遊郭・赤線シリーズ楽しませて頂きました!
実はのぶさんのブログにたどり着いたのは、このシリーズででした。
本当は自分で見てみたいのですが、一応女ですし、中々行きづらくネットで知るしかなくてf^_^;)
でのぶさんのブログを読ませてもらっていると、現役ではない所でも、今にもお兄さんって声が聞こえてきそうな…そんな気がします。
遊郭・赤線時代にそこにいたすべての人達には何か儚さのようなものを感じます。
私がこのこと調べるようになったのにはこれまたいろいろあってなんですが、自分自身のためにも一度自分の足で訪れてみたいです。
  • 2014-04-14│00:43 |
  • ちむ URL│
  • [edit]

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