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のぶログ (THE WEBLOG WITH OSAKA DIALECT)

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BEのぶ

  • Author:BEのぶ
  • 自称「ブログエッセイスト」ことBEのぶです。
    昭和史をライフワークにしていますが、平成ももうすぐ30年経ち、昭和が遠い過去になりつつあります。
    昭和も遺産・遺物を探れば立派な「考古学」となります。題して「昭和考古学」。ジャンルは遊郭・赤線跡から鉄道、そしてすっかり忘れ去られた歴史を掘る「昭和の考古学者」として、昭和の名残りを通して考察する旅を続けています。

    基本は標準語で書きますが、エッセイは大阪弁で書いていきます。

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■■■ブログ移転のお知らせ

ブログを訪問し、読んでいただいてありがとうございます。

しばらくFC2でブログを書き続けとったんやけど、ブログをワードプレスに移転して今はそちらで書いとります。

移転先

野良学徒の歴史研究
https://yonezawakoji.com/

ここの記事、主に「消えた遊郭・赤線跡をゆく」は、文章とデータを全面改訂した上で、上記ブログで再公開します。
再公開次第、FC2での記事は消していきます。

まあ、マニュアルで引っ越し作業をするので、移転にはしばらく時間がかかると思います。
期間は・・・おそらく1年くらいかけて。

今までありがとう、FC2。拙い記事を楽しんでくれた読者のみなさん、ありがとう。
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■■■228事件と台湾の限界

ちょっと古い記事やけど、台湾の新聞から。

歷史課本無228元兇 教師怒吼要求轉型正義
(台湾 自由時報より)


タイトルを意訳すると、
「歴史教科書に228事件加害者の記載なし
高校教師・歴史学者が怒りの抗議」
となります。
さて台湾の教師たちは、「228事件」になんでこれだけ怒っとるんでしょうか、

東日本大震災の時、台湾の方々が送ってくれはったたくさんの義援金や気持ちから、台湾に目を向ける日本人が多くなっています。昨年の日本人の海外旅行先トップがダントツ台湾だったことも、その現れの一つと見ていいでしょう。日本と台湾の「相思相愛」の時期は着実に近づいとります。

せやけど、台湾の歴史になると案外知らない人って多いんちゃいますか?
「日本の植民地だった時代があって・・・」くらいしかイメージがないんちゃうかなと。「植民地」というのも、個人的にはちょっとなんかちゃうんやけどな・・・と思うビミョーなワードやけど(台湾じゃ「日本時代」「日治時代」と書きます)、知識がないと「そんなもん」でしょう。
この228事件は、戦後の台湾に起こった最大の悲劇であり、そして謎多き事件でもあり、そして立場が変われば台湾史に歴然と存在する「黒歴史」でもあります。その歴史を大雑把に見ていきましょう。

テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術

■■■消えた遊廓・赤線跡をゆく? 大連編

台風11号が近づいて、週末は家から出るに出られずなBJのぶです。
今は雨は止んだものの、風はけっこう強くて自転車に乗っとったら突然の突風でグラっと倒れそうになります。
せやけど土曜日と日曜の午前はものすごい大雨、家から数百メートルのコンビニへ行くのにも、ある意味命がけです。
俺が住んでる地域のすぐ近くの地域は、土砂崩れの可能性があると市から避難勧告が出てたんやけど(俺が住んでるとこはギリギリ出てません)、確かに近くの川は氾濫しそうなくらいの大量の水が流れとります。
せやけど、台風はある日突然大阪上空に発生したわけちゃうさかい、週末の「ひきこもり」生活に備えて食料を買い込んできとります。おかげさまで「ひきこもり」生活をエンジョイしとります(笑

で、ふと資料収集も兼ねて、久しぶりに国会図書館のデジタルライブラリにアクセスしてみました。
そして何の目的もなく、
「おもろい資料ないかな~?」
と超テキトーに検索して超テキトーに資料を見てたら、昔の大連の写真集みたいなものが出てきました。
大連?日本にそんな街あったっけ?と思う人は少ないと思うけど、そりゃそうや、大連は海外にある街なんやから。
今回の「消えた遊廓・赤線跡をゆく」は突然海を超え、国をも超えてしまいます。

2014081001

大連は中国北部にある、遼東半島というところの端っこにある都市です。
中国の都市の中でも、都市規模は北京や上海とかには及ばないものの、上に書いたよーに日本の租借地やった関係で日本人も多く住んでいました。「大連」ときたらどこか懐かしい、ノスタルジーを感じる人もおるはず。よく考えたら、今でも80歳以上の人やったら大連で生まれ育った人もおるはずやさかい、記憶の中ではまだ「現役」な街でもあります。
せやさかい、日本人の中やと北京・上海などの中国都市の横綱と、十分がっぷり四つに組める知名度であります。
大連は元々ロシア人が作った街で、「ダーリヌィー」(遠い)っちゅー形容詞から来たのが由来です。どこを基準に「遠い」ねん!?というと、当時のロシア帝国の首都、ペトログラード(今のサンクト・ペテルブルク)からなんは言うまでもありません。まあそりゃ遠いけど、名前の付け方がかなり安直すぎる(笑
大連ってどこ?何それおいしいの?と思う人でも、「旅順」言うたらピンとくる人も多いはず。日露戦争の激戦地である203高地がある旅順は大連の隣にある街で、大連とは双子のような街であります。中華人民共和国が出来た時は、この2つがくっついで「旅大市」が出来たんやけど、中国人的には旅順より大連の方が格式があるんか、大連が旅順を呑み込む形で合併し、現在も行政区分的には旅順は大連の一部になっとります。

そんな街を日露戦争のポーツマス条約により、租借権をロシアからGETした日本が本格的に都市開発を開始しました。それと同時に名前も「ダーリヌィー」を漢字に当てはめた「大連」にし、それが現在に至っとるちゅー感じです。
余談やけど、都市の名前で同じよーな変遷で定着しとるところに、台湾の高雄があります。
高雄は元々は原住民の言葉で「ターカオー」か「ダーガオ」と呼ばれとって、それを漢族が「打狗」(ダーゴウ)と漢字にはめとりました。
せやけどこの「打狗」、中国語がわかる人やったらわかるよーに、漢字を直訳したら「犬をぶちのめす」って意味になるんですわ。それを、
「なんじゃそんなお下品な名前は!」
とでも思った日本人が、より雅で街の名前にふさわしい京都の高雄を持ってきて、「高雄」になり現在に至っとります。せやけど、中華民国が台湾にやって来た後も漢字が残って発音が北京語で「カオシオン」(台湾語じゃ「コーヒィオン」ね)になったせいで、元々あった「ターカオ」が消えてしもたという、予想外の(?)展開になってしもたというオチです。ちなみに、日本統治時代を知ってて、もちろん日本語ベラベラの台湾人のおじいちゃんに、
「日本時代は『高雄』ってどう発音しとったの?」
と聞いてみると、
「いや、そのまま『たかお』だよ」
とのことでした。

それはさておき、大連はロシア人が作った土台をベースに日本人によって本格的に開発され、近代的で合理的な町並みが田舎の寒村に出来上がりました。
大連にゃ俺も何回か行ったことがあるけど、今はだいぶ取り壊されたものの、昔は日本時代そのままの町並みがタイムカプセルのように残っとりました。正直、外国いうより「ただいま」という感覚の方が強くて、少なくても空気が全然中国やなかったような感じが残ってました。はじめて大連に行った20年前は、日本統治時代を知ってる人もけっこうおって、日本語で話しかけてきた人も多かったです。住んでるんは今でこそ中国人やけど、日本語で「すんませーん!」と叫んだら、ひょっこり着物を来たご婦人が現れてきそうな空気やったことを、今でも覚えとります。
昔の大連には日本人が数万人単位で住んどりました。大連には日本人街と、中国人街である郊外の「小崗子」に分かれとったけど、厳密に区別されたわけでもなく、実態は雑居みたいな感じでした。
せやさかい、昔からイメージだけやないリアルな日本人と接してる中国人(他満州族等の民族)が多く、戦争中も抗日団体がなんぼ反日を唱えても煽っても、ドラクエ風に書くと「しかしなにもおこらなかった」そうです。また、記憶に新しい近年の「反日暴動」も、大連だけは全く起こらんかった事実もあります。

日本人が住んでたところは、中国でもやっぱし俺に懐かしさを感じさせる空気は残っとるみたいです。もうかなり前になるけど上海に住んでた時に、今の市内北部にあった旧日本人街を訪ね歩いた時も、大連と同じニオイがしました。
そのブログはサイト自体消えてしもたけど、上海の日本人の跡を訪ねる旅はアーカイブとして移転してあるさかい、ヒマやったら読んでみて下さいな。「消えた遊廓・赤線跡をゆく」の原点みたいなもんやさかい。

上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第一章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第ニ章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第三章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第四章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第五章
上海租界散歩 日本人の足跡を訪ねて 第六章

上のブログを書いたんはブログなるツールを知った初年に書いたもんやさかい、ブログを書き始めてもう今年で10年やったんか、と新しい発見がありました。
ブロガーとしての節目の10周年記念やのに、ブログサボってる場合やあらへんな(笑

■■■夜の飛田散歩

今週末、気分転換にちょっとプチ旅に行ってきました。
それはここ↓


140622-1

なんだ、ただの独房か。
あ、いや、別に警察の留置場で寝泊まりしたわけやありません(笑

ここは大阪屈指の安宿街、あいりん地区(以下「釜ヶ崎」)のとある宿の部屋なんです。

気分転換の仕方は人それぞれやけど、効果的な気分転換は
「毎日のルーチン生活を断ち切る」
ということに尽きると思います。
具体的に言うたら旅行がそれにあたるけど、手っ取り早いルーチン生活の断ち切り方は、

いつもと違う所で寝る
zzz
俺の経験上、いつもと違う環境、いつもと違う布団(ベッド)で寝るだけでも、頭のルーチンスイッチが切り替わって、たとえ家の隣のホテルに泊まってても「擬似旅」になります。脳が「いつもの毎日と違う」と認識させたらこっちのもの、ストレスの根源が断ち切れて、不思議と気分が入れ替わるんですわ。
たまの贅沢に数万円するホテルに泊まってみるのもええけど、「脳のスイッチ」を切り替えるだけやったらビジネスホテルで十分です。かく言う俺がこんな「独房」に泊まってるさかいにな(笑

大阪人以外でも、釜ヶ崎って言うたら知らんかっても、「あいりん地区」って聞いたら日雇い労働者の街として、名前は聞いたことがあるかもしれません。
今でもその性質の根本は変わりないんやけど、今違う意味で注目されとるんが、

「日本屈指の安宿街」

ということ。
日雇い労働者が泊まる、大阪弁でいう「ドヤ」と言われる木賃宿に外国人旅行者が「安っ!」と目をつけたのが始まりで、そこから釜ヶ崎を拠点にする外国人旅行者が急増しました。
日本人的には、釜ヶ崎って前述の日雇い労働者の街の他にも、治安が悪いとかきたないとか、決して良いイメージは持たれへんけど、「旅行」という観点から見たらこんな便利な所はない。
関空からも電車で一本、繁華街の梅田まで地下鉄で一本、同じくミナミはその気があれば歩いていけるし、天王寺なんか余裕の徒歩圏内。「大阪のアキバ」と化してしもた日本橋まで余裕の徒歩圏内。
そして、奈良や高野山、京都までも電車で一本やし(京都は時間帯によるやけど)。
つまり、ここを拠点にすると四方八方、どこでも行ける交通の要衝なんです。うーん、なんでこんなとこに気づかんかったんやろ?
治安は決してええってわけちゃうけど、それでも修羅場くぐり抜けてきた外国人バックパッカーにとっちゃ屁のかっぱのようなもん。なんぼ日本屈指の治安の悪さを誇る(?)あいりん地区言うても、いきなりこめかみに拳銃ぶっ放されたりはせーへんしな(笑

で、外国人が急増してしもたあいりん地区はここ数年でガラリと様変わり。別に街がキレイになったとか、おしゃれになったとか、外国人向けバーが増えて賑やかになったとかやないんやけど、明らかに明るくなっとることは確かやと思います。
同じよーなとこに東京の山谷ってとこがあるけど、そこは外国人旅行者が増えて宿の料金足元見とる感が強いんやけど、大阪はあいも変わらずの格安料金でお泊りできます。
俺が泊まったところはネットでの予約もOKで、ネット予約割引で¥2,100これで「税込み」です。というか、消費税値上げ前と料金変わってへんし。
だいたい、この料金くらいがあいりん地区の安宿の平均くらいかなーと思うけど、探すと¥2000以下やったら今でもなんぼでもあったりします。
まあ、例外的にこんな値段の宿もあったりして。

11092412
(詳しくは消えた遊郭・赤線跡をゆく 大阪一DEEPな所編 探索2回目をどーぞ)

さて、泊まる度胸ありますか?俺はありません。堪忍してくんなはれ(笑

部屋は3畳で、写真の通り部屋の奥に畳まれた布団が、ポツンと宿泊客を出迎えてくれます。3畳っていかにも狭そうに思えるけど、大人の男が一人、ゴロンと足を伸ばして横になるには十分な広さやったりします。
部屋は全体的には殺風景やけど、こんな安い値段できらびやかな部屋を期待する方がわがままやろ(笑
そもそも、こんなところに泊まる人は、豪華さとか、風雅とか、そんなんは求めてません。希望はただひとつ。

「寝れたらええ」

ただそれだけ。シンプルイズベスト。
せやけど、こんな狭い部屋ながら、テレビに冷蔵庫、エアコンまでついてたりします。これだけでも十分十分、十二分。これ以上贅沢言うたら罰が当たりそうですわ。
ただ、埃がひとつもない清潔さとか、それなりの広さとかを求めるんやったら、ちょっと物足りんかもしれません。要するにお値段相応ってやつで、「それ以上」を求めてる人はちゃんとしたビジネスホテルに泊まるべし、というわけです。
さすがにトイレと風呂は共同やけど、決して不潔というわけやないし、風呂は大風呂で昔修学旅行の旅館で入ったような、懐かしささえ感じる古さでした。まあ、ロッカーの鍵が壊れてたのはご愛嬌やけど、「こんなとこに貴重品持ってくるお前が悪い」・・・これが安宿の掟です(笑
そして、上の部屋の写真を見てもわかるよーに、風呂用のバスタオルにフェイスタオル、浴衣までついてたりします。
こんなに安いのに、こんなにサービスつけてくれてええのん?いや、もしかして使ったら別料金とかいうオチはないやろな?
と警戒してまうよーなおもてなしやけど、心配御無用、使用は無料です。
そして安宿すべてやないとは思うけど、外国人旅行者が多く泊まるとこやとWi-fiまで完備やったりします。
Wi-fiって無線で使えるネットのことやけど、これももちろん無料です。つまりiPadとかノートパソコン持って行ったら、ネット使いたい放題ってわけです。パソコン持ってへんかったらどないすんねんて?それも心配ご無用、フロント近くに無料で使えるパソコンがあったりします。さすがに時間制限はあると思うけど、海外旅行やとメールの時間が楽しかったりするさかい、外国人旅行者も遠くの家族、恋人と連絡する時間が嬉しい気持ちは同じなんかもしれません。
こんな安宿でWi-fi完備にパソコン完備とは、やっぱり21世紀恐るべし(笑
ちなみに俺は、部屋でiPadのアプリを開き、Wi-fiを通して世界中のラジオを聞いてたりします。いつもいない環境で、外からの情報を遮断して海外のラジオを聞いてると、自分が一体どこにいるのかわからんよーになりますわ。はて?俺は日本におるんよな?って(笑

■■■神社にある遊廓の面影

またしばらく更新が滞ってしもたBJのぶです。
ちとしばらく書いてへんうちに、筆・・・ならぬキーボードさばきがどうもしっくりいかんさかい、まずは「要リハビリ」とばかりに久しぶりに書いてみます。
俺も一介の小市民、まあ許してくんなはれm(_ _)m

で、先日散歩とばかりにあるところへ向かいました。

その散歩場所は。

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奈良県香芝市にある

志都美神社

です。
平凡に読んだら「しとみ」なんやけど、実はこれ「しづみ」と読みます。
「しとみ」って読んだら、別に「志等美神社」がある、またややこしい名前やな(笑

この神社は武烈天皇陵の裏手にあって、それと何らかの関係があると思われる神社なんやけど、詳しいことはよくわかっとりません。


13102705

この神社の本殿は江戸時代中期の建立と伝えられとって、神社内にある奉燈には「宝暦六年」の文字があったさかい、1756年にはこの神社があったってことやと考えられます。
宝暦年間は、ちょうど「暴れん坊将軍」こと8代将軍徳川吉宗が亡くなった時期(宝暦元年)であり、伊能忠敬や「鬼平」こと火付盗賊改方長官の長谷川平蔵がまだ11歳の頃です。というか、この二人って同い年やったのねん。

また、本殿の裏には、

「明治十二年八月虎列拉病流行氏子祈願無一人患者無人歓呼奉納」

という記念碑があります。

「虎列拉病」ってコレラのことで、江戸時代の文政五年(1822)に日本で最初の流行がありました。
有名なところじゃ安政五年(1858)の大流行で、治療法が全然わからんかったのと、ちょうど欧米列強の黒船が相次いで日本にやってきた時期も重なって、大パニックになったそうです。
で、こん時にコレラの治療法を書いた『虎狼痢治準』という本を配布した人物が、適塾の緒方洪庵であります。

幕末のコレラ大流行はいったん収まったんやけど、それでも地震の余震のように明治時代にもコレラは全国で猛威をふるい、多数の死者を発生させました。
どうやら明治12年にも全国で10万人の死者が出た大流行があったようで、この奈良県でも流行したらしいんやけど、この地域では一人も患者が一人も出えへんかったようです。
それを「御祭神のご利益や」と記念碑を建てたというわけですな。
ちなみに、日本のコレラの猛威は明治期にはずっと続き、検疫や予防法、治療法が確立された大正末期になってやっと沈静化しとります。


で、この、どこにでもある神社のどこに、遊廓の面影があるというのでしょうか?
もしかして、ここあたりに隠れた遊廓でもあったのか?

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■敦賀の謎

先日、ちょっと気分転換に旅に出とったBJのぶです。
俺の絶好の気分転換と言えば旅、人生を世界中フーテンの寅さんならぬ「フーテンののぶさん」やっとったさかい、旅が人生の、いや生活の一部となっとるような感じです。
そのせいか、しばらく旅してへんと身体に禁断症状をきたすっちゅーか、逆にストレスがたまっていく始末。
最近、「旅欠乏症候群」なんか何かと無気力になりつつあるさかい、日帰り旅行するか!と重い腰を上げてきました。

で、JRにはこんなチケットがあることを、最近知りました。
関西1dayパスちゅーもんなんやけど、関西の指定された路線が1日乗り放題という、期間限定のチケットのようでした。
これはたまたま見つけたもんやけど、これを知ったらもう旅に出ずには居られない。休日の普段の移動は車ばっかしやさかい、たまには「鉄分補給」でもするかと早速購入しました。


2013042101


そして、日帰りの旅へ出発〜。

せやけど、チケットを買ったんはええものの、素朴な疑問が残りました。

「さて、一体どこへ行こうか?」

おい!チケット買っといて行き先も決めてへんのかい!と激しいツッコミ必至の計画性のなさ。本人にとっては「まあいつものこと」やさかい、特に驚いてはおりませぬ。
「車買った。あとは免許か〜」
と数十年前の車用品のCMのフレーズを思い出しそうな本末転倒ぶりやけど、旅というものはそれでいいのだ、と勝手に納得させてみる。
このチケットの路線図は、いちばん遠い、というか遠そうな所が、福井県の敦賀。
敦賀は、北陸に車で行く時に、夜行列車さながら深夜に素通りなら何回もあるけど、目的地としては一度も行ったことはない。それに、数年前に京阪神を走る新快速が敦賀まで走るようになり、その時に行ってみようかと思ったままペンディングということもあるし、いっちょ行ってみるか〜と目的地を敦賀にロックオンしました。
そして、最寄り駅から敦賀までの片道で、切符代の¥3500の元がほとんど取れることも判明。もう敦賀に行くっきゃない!



■■■終戦67年目のえとせとら -学校では習わない終戦史-

8月15日は…




俺の誕生日であります!


ついに俺も67歳になってまいました(嘘
ワシも年を取ったのう(嘘 
いや、「年取った」は嘘やないか・・・_| ̄|○
まあそれはさておいて、8月15日は言わずと知れた終戦記念日でもあります。
まあ、最近は若いもんに終戦記念日言うても、

「俺の誕生日は、『終戦記念日』やねん」

「8月6日ですか?」

「そりゃ広島の原爆の日や!(x_x)ヾ(-_-;)」

「8月9日…でしたっけ?」

「そりゃ長崎の方やっちゅーねん!(x_x)ヾ(-_-;)」

「ええ?! じゃあ22日?」

(そりゃ一体何の日やねん… _| ̄|○)

というような、漫才にもならんトンチンカンな会話になってまう時もあるけど(上のやり取りは実話です)、8月15日はちゃんと覚えておきましょう!そう、




俺の誕生日として(笑)

テーマ:雑記
ジャンル:ブログ

■■■旧藤沢遊廓をゆく 消えた遊郭・赤線の跡をゆく41

先日、ちょっと野暮用でトキオ・神奈川方面に飛んでたBJのぶです。
久しぶりの関東やったけど、お土産もなしで大阪に帰ってくる・・・わけがないのがわたくしBJのぶ。
スケジュールの合間を縫って回るところをまわってまいりました。

で、ヤボ用会場の交通アクセスを考えて神奈川県の藤沢ってとこに宿を取ったんやけど、

「藤沢に赤線(跡)なんかあったりして♪」

な~んて冗談半分で調べてみました。

そしたら・・・幸か不幸かタイミングよくあったりするんですわな(笑
正直、そんなつもりで藤沢を宿泊先に選んだわけやないんやけど、やっぱし見えない何かの力が働いとったかもしれへん・・・と言うしかあらへん偶然でした。
何せこんな状態やさかい藤沢の遊廓・赤線のことはまったく白紙の状態やったけど、これも何かのご縁やろうと慌ててネットで情報収集して、やりたくない休日の早起きをして(休みの日くらいゆっくり寝させろ)、時間を無理矢理作って探索してまいりました。

藤沢駅北口

藤沢駅の北口です。
「藤沢新地」と言われた藤沢の遊郭は駅前すぐのとこにあったそうです。
八王子の時もそうやったんやけど、こんな駅前を見ると「こんな都会に遊郭・赤線の跡なんか残ってるんかいな!?」と不安な気分に陥ります。まあ空振り上等、あったらラッキーって気持ちでいくのがいちばん。



藤沢駅前にあるさいか屋

その藤沢駅北口に、「さいか屋」ってデパートがありました。
ほう、「さいか」ねー。
と、頭の中にふと浮かんだのが、「雑賀」
雑賀は「さいか」と読んで、実は今の和歌山市と海南市、及びそのあたりの古い地名やったりします。
そして、戦国時代に詳しい人やったら、「さいか」ときたら連想ゲームのように「雑賀」→「雑賀党」とくるはず。
「雑賀党」とは上にも書いたよーに、和歌山北部を拠点に活動しとった戦国時代の豪族連合みたいな組織で、今の政治組織にたとえたら、アメリカやドイツのような連邦制国家が和歌山にあったよーな感じです。
そのすぐ北には貿易で巨万の富を得て栄えた、「香港か、はたまたシンガポールか」の堺もあったさかい、戦国時代の日本は「連邦国家」に「自由貿易港」、加賀の一向宗のあれを含めたら「共和国」まであったバラエティーあふれる個性の時代とも言えますな。
その雑賀党の「連邦大統領」ことヘッドが鈴木重秀という武将でした。鈴木重秀でピンとこえへんかったら、鈴木孫一って名前やったらピンとくるかもしれません。

その雑賀党が戦国の乱世に突然現れ、その名を知られるようになった理由は、当時最新鋭の武器やった鉄砲でした。
鉄砲が種子島に伝来してうんぬんはもう書くまでもない常識やけど、そこに雑賀の隣にあった根来の僧侶がおったそうな。根来は根来寺というお寺で有名なとこやけど、そこの旅の僧侶が鉄砲という得体が知れない武器を見て興味を持ったようです。
「ちょいとその武器ちょーだいな」とばかりに鉄砲の技術が根来に伝わって、彼らとつながりがあった雑賀党にも早くから伝わったことは歴史の事実、彼らは鉄砲の腕をものにして全国に鉄砲の傭兵として派遣されました。いわば「鉄砲屋」として全国各地の会社ならぬ大名から引く手あまた、今日はAという大名に、明日はAと敵対する大名Bに味方して、ということもあったことでしょう。
雑賀党は、最新兵器やった鉄砲を自在に操る技術者を排出した、日本でもかなり特異な集団やったんです。
いわば、鉄砲をかついで全国の戦場を駆け抜けた「戦闘派遣社員」やったってことです。

「連邦国家」どころか「技術職の人材派遣会社」、または「戦闘タレント事務所」も兼ねとった雑賀党、その真骨頂は織田信長と本願寺が対決した石山本願寺の戦い。
この頃には郎党ごと浄土真宗の信者になっとった雑賀党は本願寺側の要請を受けて石山本願寺に籠城、織田軍をかなり手こずらせることになります。
世界史の籠城基準じゃ「日本史唯一の本格籠城戦」になった「石山合戦」は足掛け4年にのぼったんやけど、当時飛ぶ鳥を落とす勢いやった織田信長がここまで苦労したかという理由は色々あるけど、一つは戦国時代のサイヤ人のような雑賀党が本願寺の味方につき、得意の鉄砲で応酬したこともありました。
信長は羽柴秀吉、明智光秀などの、当時の「信長軍団オールスター」精鋭10万を雑賀党の本拠地に差し向けて攻撃するんやけど、そこでもかなり手こずったようです。
せやけど、こんな時に雑賀党が「織田派」と「本願寺側」に内部分裂してしもたみたいで、ゴレンジャーも5人が力を合わせてはじめて敵と戦える力を持つ、5人かバラバラになったら力も5分の1になるのと同じように、彼らの力は弱まっていきました。

そして、雑賀党にとどめを刺したんは豊臣秀吉。
織田信長の雑賀党退治に同行した秀吉は彼らの怖さを肌で知ったのか、それとも小牧・長久手の戦いで徳川家康に味方して散々手こずらせた恨みか、雑賀党は「雑賀」やった地名も「和歌山」に改められたくらい徹底的に潰され、雑賀党は全国に散らばって歴史の埃の下に埋もれてしもたけど、その活躍は確かに歴史の1ページにはっきりと刻まれとります。
ちなみに、和歌山って和歌浦の山側にあるって意味で「和歌山」ね。
で、6~7年前になるんやけど、仕事で和歌山市に行った時に、市の東の方でマンション建設中に雑賀党の時代の遺跡が出てきて、「見ていいですか?」「いいですよ」と仕事そっちのけで発掘調査を見学したことがあるんやけど、壺に入った銅銭とかがザックザク出てきたらしくて、雑賀党の経済力のすごさを垣間見たようなような気がしました。

司馬遼太郎が雑賀党に興味を持って『尻啖え孫市』っていう小説を書いたことがあるけど、そのきっかけは司馬さんの旧制中学時代に「雑賀」というクラスメートがおったことだそうです。そして彼がインパクト強かったんは、敬語を一切使わんかったということで、そもそも和歌山弁には敬語ってのがほとんどないのが特徴、教師にもタメ口でしゃべっとったんが非常に印象に残ってたそうです。
そして、「雑賀」って苗字は、俺が中学の時にも一人おりました。雑賀党の末裔から知らんけど、才色兼備な女の子やったさかい今頃はとんだおばはん・・・失礼、べっぴんさんになっとるやろなー、とこれを書きながらふと思い出してまいましたわ。

まあそれはさておき、延々と語った雑賀党と「さいか屋」って関係あんの?と思うことでしょう。
ここまでダラダラ遊郭・赤線に関係ないこと書いといて「実は関係ありませんでした、テヘ♪」なんてオチはないやろな?と(笑
「遊郭・赤線跡をゆく」をしばし忘れて手元のスマホをピ・ポ・パとググってみたら、どうも「さいか屋」の創業者は自称雑賀党の末裔らしゅーて、その出自を忘れんよーにしたんか、それともかつては全国にその名を知られた雑賀党のプライドか、屋号を「雑賀」にしたってことですわ。
その雑賀党の名前が関東で生きてる・・・なんか不思議な気分ですわ。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■布施新地 消えた遊郭・赤線跡をゆく40

しばらくブログを諸事情で「勝手ながら休業」状態やったんですけど、また諸事情で「勝手ながら開業」したBJのぶです(笑

今回のターゲットは、
いつか行こうと思いつつ、「どうせ近いしええかー」としばらく放置、そして行こう!と思ったその時に限っていつも雨(笑)やった、飛田や松島に隠れて存在感がいまいち薄い赤線、布施新地でやんす。

っちゅーわけで、今回はくどくどしい挨拶なしで、いきなり本題に入ります♪

まあ、単にしばらくブログ書いてへんかったさかいどう切り出してええか忘れただけやったりして(笑

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ

■■■飛田鯛よし百番 消えた遊郭・赤線の跡をゆく39

今年は何か特別に寒いような気がする。
大阪の寒さが今年は特別堪えるような気がするBJのぶです。
これやったら、マイナス10℃とか20℃のとこに住むことになったらどないなるんやろか!?
これやったら「即死」やな(笑

まあそんな下らん挨拶はさておいて、

永らくの間お待たせしました!?

しばらく飛田遊郭の歴史でジャブをかましとったけど、ついに「本題」の飛田百番編に入ります。
ホンマははよ書こう書こうと思ったんやけど、そう思えば思うほど生来の天邪鬼癖が尾を出してくるんか、それとも単なるズボラなんか、後回しにして数ヶ月、やっと「本丸」に突入でやんす。

テーマ:消えた遊廓・赤線の跡を訪ねて
ジャンル:ブログ